世界最大のスマートフォン決済サービスのアリペイを運営するアント・グループは漢字で「螞蟻集団」と書く。中国のインターネットで最近、最もよく検索されている言葉の1つだ。中国でアリペイの利用者は約10億人、全人口の約7割を占める。小さなアリがたくさん集まれば、大きな力を発揮できるという願いを込めて付けられた名前だという。
アント・グループは11月6日に香港と上海で同時上場することを予定していた。約350億ドル(約3兆6,000億円)の資金調達を目的としていたが、グループの評価総額は3,130億ドル以上で、2019年に株式公開(IPO)したサウジアラビアの国有石油会社、サウジ・アラムコが調達した約三百億ドルの金額を更新することは確実視されていた。
しかし、上場直前の11月2日、中国証券監督管理委員会など4つの規制当局が同グループの親会社で電子商取引大手、アリババの創業者、億万長者の馬雲(ジャック・マー)氏と2人の経営幹部を呼び出して、事情を聴取したあと、「アント・グループは上場の資格を満たしていない」と判断した。こうして「人類史上最大IPO」は急遽延期することになった。
アント・グループは数年前から上場の準備を入念に行っており、当然ながら各規制当局の事前審査をクリアしていた。直前になって許可されなくなったことは極めて異例だ。政治中枢、中南海内部の権力闘争が背景にあり、中国の最高指導者、習近平国家主席が直接、上場延期を指示したと米紙ウォールストリート・ジャーナルが伝えた。
アント・グループはすでに世界中の投資家から買い注文を受け付けていた。預り金を「全額返金する」としているが、上場延期が市場に与えた衝撃は大きく、関連株は暴落した。「普段の電子マネーの取引に影響が出ないのか」とアリペイの利用者の間でも不安が広がっている。損失を被った一部の投資家が同グループを提訴する動きもみせており、中国企業に投資する政治リスクが改めて露呈した形だ。
アント・グループの上場延期には予兆があった。10月24日に上海で開かれたシンポジウム「外灘金融サミット」で、馬氏は政府要人らの前で、中国の規制当局を公然と批判したことだ。「金融を監督管理するやり方は時代遅れで、駅を管理する手法で空港を管理しているようなものだ」との馬氏の言葉が、金融を担当する習氏の側近、劉鶴副首相の逆鱗に触れたことが、今回の上場延期のきっかけとも言われ、一部に香港紙は「馬氏の舌禍事件」と総括している。
しかし、金融問題に詳しい共産党幹部は「事情はもっと複雑で、習氏と太子党の主導権争いと関係している」と説明した。
太子党とは元高級幹部の子弟らが形成する特権階級のことで、習氏自身もその一員だった。1期目の習政権(2012年から17年)は、王岐山国家副主席ら太子党仲間らによって支えられたが、最近になって双方の関係が険悪になったといわれる。習氏の地方勤務時代の部下たちが次々と中央入りを果たしたため、太子党の力を借りる必要がなくなったことと、最近の経済低迷を受け、習氏は太子党らの資産に目を付け、汚職などの容疑で一部の太子党を逮捕し、資産を没収したことで、対立が深刻化した。
馬氏が出席した10月のシンポジウムは、大物太子党の陳元氏が主催したもので、馬氏に先立ち、王岐山氏も講演で劉鶴氏の金融政策を批判していた。関係者によると、習指導部がアント・グループの上場を阻止する意向があることを事前に察知した彼らは、劉氏の政策を批判することで注目を集め、自らの味方を増やそうとしたが、裏目に出たようだ。
中学の英語教師出身の馬氏がアリババで大成功できたのは、太子党らによる力が大きいといわれる。陳元氏をはじめ、江沢民元国家主席の孫、江志成氏らはアリババの運営に深くかかわっているとされる。馬氏は特権階級のために資産運用やマネーロンダリングをし、「白い手袋」(代理人)のような役割を果たしていたと証言する中国人記者もいる。
今回のアント・グループ上場も、太子党たちが裏で関与していた。習氏にしてみれば、政敵に大金が流れる可能性もあり、なんとしても阻止したく、強引な形で延期を決めたという。ただ、現在のところ、あくまでも上場「延期」であり、中止ではない。太子党たちはあきらめたわけではなく、反撃のチャンスを窺っている。22年秋の党大会を控え、習派と反習派の攻防はこれから本格化する。
アント・グループは11月6日に香港と上海で同時上場することを予定していた。約350億ドル(約3兆6,000億円)の資金調達を目的としていたが、グループの評価総額は3,130億ドル以上で、2019年に株式公開(IPO)したサウジアラビアの国有石油会社、サウジ・アラムコが調達した約三百億ドルの金額を更新することは確実視されていた。
しかし、上場直前の11月2日、中国証券監督管理委員会など4つの規制当局が同グループの親会社で電子商取引大手、アリババの創業者、億万長者の馬雲(ジャック・マー)氏と2人の経営幹部を呼び出して、事情を聴取したあと、「アント・グループは上場の資格を満たしていない」と判断した。こうして「人類史上最大IPO」は急遽延期することになった。
アント・グループは数年前から上場の準備を入念に行っており、当然ながら各規制当局の事前審査をクリアしていた。直前になって許可されなくなったことは極めて異例だ。政治中枢、中南海内部の権力闘争が背景にあり、中国の最高指導者、習近平国家主席が直接、上場延期を指示したと米紙ウォールストリート・ジャーナルが伝えた。
アント・グループはすでに世界中の投資家から買い注文を受け付けていた。預り金を「全額返金する」としているが、上場延期が市場に与えた衝撃は大きく、関連株は暴落した。「普段の電子マネーの取引に影響が出ないのか」とアリペイの利用者の間でも不安が広がっている。損失を被った一部の投資家が同グループを提訴する動きもみせており、中国企業に投資する政治リスクが改めて露呈した形だ。
アント・グループの上場延期には予兆があった。10月24日に上海で開かれたシンポジウム「外灘金融サミット」で、馬氏は政府要人らの前で、中国の規制当局を公然と批判したことだ。「金融を監督管理するやり方は時代遅れで、駅を管理する手法で空港を管理しているようなものだ」との馬氏の言葉が、金融を担当する習氏の側近、劉鶴副首相の逆鱗に触れたことが、今回の上場延期のきっかけとも言われ、一部に香港紙は「馬氏の舌禍事件」と総括している。
しかし、金融問題に詳しい共産党幹部は「事情はもっと複雑で、習氏と太子党の主導権争いと関係している」と説明した。
太子党とは元高級幹部の子弟らが形成する特権階級のことで、習氏自身もその一員だった。1期目の習政権(2012年から17年)は、王岐山国家副主席ら太子党仲間らによって支えられたが、最近になって双方の関係が険悪になったといわれる。習氏の地方勤務時代の部下たちが次々と中央入りを果たしたため、太子党の力を借りる必要がなくなったことと、最近の経済低迷を受け、習氏は太子党らの資産に目を付け、汚職などの容疑で一部の太子党を逮捕し、資産を没収したことで、対立が深刻化した。
馬氏が出席した10月のシンポジウムは、大物太子党の陳元氏が主催したもので、馬氏に先立ち、王岐山氏も講演で劉鶴氏の金融政策を批判していた。関係者によると、習指導部がアント・グループの上場を阻止する意向があることを事前に察知した彼らは、劉氏の政策を批判することで注目を集め、自らの味方を増やそうとしたが、裏目に出たようだ。
中学の英語教師出身の馬氏がアリババで大成功できたのは、太子党らによる力が大きいといわれる。陳元氏をはじめ、江沢民元国家主席の孫、江志成氏らはアリババの運営に深くかかわっているとされる。馬氏は特権階級のために資産運用やマネーロンダリングをし、「白い手袋」(代理人)のような役割を果たしていたと証言する中国人記者もいる。
今回のアント・グループ上場も、太子党たちが裏で関与していた。習氏にしてみれば、政敵に大金が流れる可能性もあり、なんとしても阻止したく、強引な形で延期を決めたという。ただ、現在のところ、あくまでも上場「延期」であり、中止ではない。太子党たちはあきらめたわけではなく、反撃のチャンスを窺っている。22年秋の党大会を控え、習派と反習派の攻防はこれから本格化する。
矢板 明夫(やいた あきお)
1972年、中国天津市生まれ。15歳の時に残留孤児二世として日本に引き揚げ、1997年、慶應義塾大学文学部卒業。産経新聞社に入社。2007年から2016年まで産経新聞中国総局(北京)特派員を務めた。著書に『習近平 なぜ暴走するのか』などがある。
1972年、中国天津市生まれ。15歳の時に残留孤児二世として日本に引き揚げ、1997年、慶應義塾大学文学部卒業。産経新聞社に入社。2007年から2016年まで産経新聞中国総局(北京)特派員を務めた。著書に『習近平 なぜ暴走するのか』などがある。