【山口敬之】靖国神社参拝ー今こそ中国の内政干渉を糺せ

【山口敬之】靖国神社参拝ー今こそ中国の内政干渉を糺せ

via 外務省ウェブサイト
 菅総理は日本時間16日午後10時半過ぎ、ワシントン近郊のアーリントン国立墓地を訪れ、無名戦士の墓に献花した。

 その5日後の21日には、靖国神社に真榊を奉納した。この2つの事象には、日本の歪められた戦後が凝縮されている。

アーリントン墓地と靖国神社

 アーリントン墓地は、1864年に南北戦争の戦没者を埋葬する墓地として作られ、その後第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争などの戦没者の他、国家のために殉じたと見做された人が埋葬されてきた。

 一方の靖国神社は、1869年に戊辰戦争を戦った官軍の兵士の魂を招く招魂社として創建され、明治維新から日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦などの戦争で死亡した兵士や、国のために殉じた戦没者が祀られてきた。

 創建時期も創建経緯も祀られる人々も、極めてよく似ているのがアーリントン墓地と靖国神社だ。そして、最も重要な共通点が「国のために殉じた人々に尊崇の誠を捧げる」という点にある。

 それでは、日本の内閣総理大臣である菅さんは、アメリカという国のために殉じた人々を埋葬した墓地を訪問して献花したのに、日本という国のために殉じた人々を祀った靖国神社には、なぜ参拝せず真榊奉納だけで済ませたのか。

 これまでの首相は、任期中に靖国神社を参拝して立場表明するか、参拝しない場合にはその理由を説明した。

 よその国のために殉じた人々が埋葬されている墓地は訪れ、日本のために殉じた人々が祀られている靖国神社は訪問しないのであれば、新任の首相として自らの立場を日本国民に示す必要がある。

「私人として」という欺瞞

gettyimages (5695)

いつ堂々と「靖国神社」を参拝するのか
 菅首相の靖国神社への真榊奉納について加藤官房長官は、

 「私人としての行動であり、政府としてそれに対してコメントを申し上げる立場にはない」
 「靖国神社を参拝されるか否かは、菅総理大臣が適切に判断される事柄であると考えている」
 と述べた。

 それではアーリントン墓地への訪問・献花は、私人としてなのか、公人としてなのか。

 真榊奉納については「首相のポケットマネーから支払った」と説明している、一方、アーリントン墓地での行動は、

 ・政府専用機で訪米し、
 ・公費で購入したリースに、
 ・Prime Minister of Japanの名前を添えて献花しているのだから、まごう事なき公務であり、公人としての行動である。

 公人として訪問し、日本国民の支払った税金の中から拠出した公費で購入したリースを献花したアーリントン墓地と、訪問せず私人として私費で買った真榊を奉納しただけの靖国神社。

 日本の首相が、日米の戦没者についてこれだけ明確な差別化をしているのは、落ち着いて考えたら極めて異常な事だ。

またか!中国の言いがかり

 これまでは、国民の側も「歴代の首相がそうしているから」「近隣国の反発が大きいから」という、漠然とした説明を飲み込み、靖国神社とアーリントン墓地での、日本の首相の行動の違いを見過ごしてきた。

 しかし、見過ごさなかったのが隣国中国である。

 中国外務省の汪文斌副報道局長は21日の記者会見で、菅首相の靖国神社への真榊奉納について「靖国神社は侵略戦争に直接的な責任を負うA級戦犯を祀っており、日本の政界要人の間違ったやり方に断固反対する」と批判した。

 その一方で、菅首相のアーリントン墓地献花については、中国は格別のコメントを出していない。

 アーリントン墓地には、米中が事実上直接激突し、中国が「米国による侵略戦争」と非難している朝鮮戦争の戦死者も数多く祀られており、菅首相が献花した「無名の墓」にも、朝鮮戦争で死亡した兵士の代表者が眠っている。

 日本の首相のアーリントン墓地への献花には抗議をしないのであれば、中国にとって「戦争で亡くなった兵士を悼む事自体は、侵略戦争称揚には当たらない」という事になる。

 それでは中国の言うような「A級戦犯が祀られている施設だからけしからん」という論理が、本当に成り立つのか。

 これについては、
 ①中国側の論理がいかに破綻しているか、
 ②論拠となっている東京裁判そのものが、いかに戦勝国側の手前勝手な都合で実施されたものであるかについて、

 多くの歴史家が検証し、多くの書籍が出版されているからここでは詳述しない。①②それぞれについて、それぞれ一つだけ例を挙げファクトを提示するに留める。

 ①「A級戦犯が祀られている」
 東京裁判で死刑判決を受け、絞首刑となったのは下記7名である。
 ・板垣征四郎
 ・木村兵太郎
 ・土肥原賢二
 ・東條英機
 ・武藤章
 ・松井石根
 ・広田弘毅
 
 7人は1948年、GHQの指示により明仁上皇の誕生日である12月23日に処刑され、遺骨は米軍により東京湾に捨てられた。

 そもそもA級戦犯とは、戦勝国側が後から作り上げた「平和に対する罪」、すなわち「不法に戦争を起こした容疑」で訴追されたのであって、正当性には多くの疑問が提されている。

 しかし、百歩譲って処刑という殺人が判決に基づく行為だとしても、この7人は死をもって贖ったのである。

 罪を贖った人物は、社会に復帰する。これは日本でも中国でもアメリカでも同じだ。実際、東條英機内閣で外相を務めた重光葵は、A級戦犯として懲役7年の判決を受け4年7ヶ月服役した後に社会復帰し、1954年には鳩山一郎内閣で4回目となる外務大臣に就任した。そして1956年の国連加盟の受諾演説を行ったのが、「元A級戦犯」の重光葵なのである。

 中国が「A級戦犯が祀られている」という理由で日本の首相の参拝はおろか、76年後の真榊奉納まで非難するのであれば、彼らは「罪を贖った人」の社会復帰を未来永劫認めない、人権否定国家だという事になる。

②人道に対する罪を犯しているのは東京裁判そのもの
 「平和に対する罪」の容疑を着せられたのがA級戦犯であるのに対して、「通常の戦争犯罪」がB級戦犯、「人道に対する罪」の容疑がC級戦犯である。

 BC級合わせて5700人の日本軍関係者が訴追された。戦争中の食糧難の中で、俘虜にゴボウを食べさせたなどの理由で直江津の俘虜収容所の警備員8名が死刑判決を受け、処刑されたケースもあった。

 横浜や上海、マニラ 、シンガポール、ソ連など各地のBC級戦犯で死刑となったのは、およそ1000人。中国では市中を引き回された上で銃殺された。
wikipedia (5696)

東京裁判の模様
via wikipedia

平和に対する罪、人道に対する罪

 それでは、広島・長崎に原爆を落として、非戦闘員24万人を殺した米軍の行動は、戦争犯罪ではないのか?人道に対する罪ではないのか?

 私は事あるごとに知人のアメリカ人や中国人韓国人にこの疑問をぶつけるが、論理立てて反駁できた者は一人もいない。

 無辜の市民を大量虐殺した者は訴追すらされず、殺されるべきでない命を杜撰かつ不公正な判決によって殺めた。東京裁判とは、その論理そのものが戦勝国のエゴの塊であり、究極の人権侵害裁判であり、殺人システムだった。

 1945年3月の東京大空襲で、無辜の市民11万5000人を計画的に蒸し焼きにしたカーティス・ルメイに、日本政府は19年後の1964年、勲一等旭日大綬章を叙勲した。

 ルメイ叙勲を決めた首相の佐藤栄作は「功績があるならば過去は過去として功に報いるのが当然、大国の民とはいつまでもとらわれず今後の関係、功績を考えて処置していくべきもの」と答えた。

 ルメイに、いかなる理由があろうと、最高の勲章を与えた佐藤栄作の判断を、私は是としない。愛する家族を焼き殺され、水を求めて隅田川に飛び込んだ11万5000人もの無辜の日本人が泣いている。
 
 しかし、戦争が終われば、耐え難く忍び難い恨みを何とか飲み込んで、未来に向かって歩んできたのが日本人である。本来なら佐藤首相が暗殺されてもおかしくないようなルメイ叙勲にも、東京大空襲の遺族は耐え忍んだ。英霊と市井の民の無数の堅忍という礎の上に、盤石と言われる今の日米関係がある。
 
 菅首相が胸を張る、バイデン大統領の「最初の対談相手」となれたのも、こうした「無名の犠牲者の遺徳」に支えられての事だ。

 自らの命を国家に捧げた英霊と、米国の戦争犯罪の犠牲となった殉難者に、哀悼の誠を捧げ尊崇の念を奉じないのであれば、菅首相にリーダーの資格はない。

中国の「内政干渉」を放置する日本

 そもそも、死者を神とみなす日本古来の考え方そのものを、外国政府にとやかく言われる筋合いは全くない。失礼千万、言語道断である。

 もし日本政府が、習近平国家主席の中国人戦没者の慰霊行為や、中国国内の慰霊施設への訪問そのものを非難したら、中国は「内政干渉だ」と激烈に反発するだろう。

 中国の完全な内政干渉行為には、日本政府ははっきりと、しっかりと断固たる抗議を行い、場合によっては外交関係の見直しや制裁も視野に、国に殉じた人々の名誉を守るべきだ。

 「これまでの首相がしなかったから」では言い訳にならない。任期中に靖国参拝を実行した首相もいるのだ。

 菅首相は、安倍首相の突然の辞任と、コロナ禍で緊急登板して以降、自らの国家観や歴史観を表明する事なく総理大臣を務めてきた。しかし本格的な外交デビューを果たした今、「菅義偉」とは何者なのかを、日本人と国際社会に示すべき時期に来ている。

 一方、今回の日米首脳会談の共同声明について、中国は「内政干渉」として激しく反発した。

 台湾について菅バイデンが「台湾海峡の平和と安定の重要性」を再確認した事について、中国は「台湾は中国の不可分の領土であり、両国は中国側の懸念を厳粛に受け止め、『1つの中国』の原則を守り、内政干渉を直ちにやめるよう求める」と激しく反発した。
wikipedia (5699)

どっちが「内政干渉」しているのか!(写真は汪文斌報道官)
via wikipedia
 ここで、台湾を靖国神社に、中国を日本に置き換えてみる。

 「靖国神社は、日本の不可分の領土である。中国は日本側の懸念を厳粛に受け止め、『一つの日本』の原則を守り、内政干渉を直ちに止めるように求める」

 中国の常軌を逸した非難に対して、即座に日本政府が発すべきコメントの、最低限のラインである。

 日本の首相が日本の領土内で何をしようと、他国から指図されたり非難されたりする筋合いはない。それこそ究極の内政干渉である。それなのに、なぜ日本政府は即座に強く反論しないのか、理解に苦む。

 そもそも、日米両首脳が台湾問題に言及しているのは、今年に入って中国が台湾周辺での軍事圧力を激化させているからである。

 今回の日米首脳会談では、台湾を事実上国家として承認するような表現が模索されたが、日本側の反対で「台湾海峡」という表現に落ち着いた。

 こうした日本側の中国に対する「気遣い」は、少なくとも表面上は全く効果を出していない。何しろその5日後に、真榊奉納という日本の内政に堂々と干渉してきたのである。

 日米首脳の会見内容を「中国への内政干渉」として激しく非難したのと、真榊奉納で日本の内政に干渉する発言をしたのは、同じ中国外務省報道官の汪文斌である。

 会見に出席していた日本人記者で、汪文斌の「舌の根も乾かぬ内の自己矛盾」を追及した者はいなかったのだろうか?

 日本政府も、即座にはっきりと抗議すべきだった。敵の矛盾を突くには、タイミングが重要だ。

 当たり前となってしまった日中の「内政干渉不均衡」を押し返すためには、首相が変わったタイミングを捉えるのが最も効果的だ。

 菅首相は、国に殉じた人々に敬意を払う人物か。それとも、中国に対する効果のない忖度を繰り返して、結果として国益を毀損する首相となるか。決めるのは「公人としての」菅義偉である。
山口 敬之(やまぐち のりゆき)
1966年、東京都生まれ。フリージャーナリスト。
1990年、慶應義塾大学経済学部卒後、TBS入社。以来25年間報道局に所属する。報道カメラマン、臨時プノンペン支局、ロンドン支局、社会部を経て2000年から政治部所属。2013年からワシントン支局長を務める。2016年5月、TBSを退職。
著書に『総理』『暗闘』(ともに幻冬舎)がある。

関連する記事

関連するキーワード

投稿者

この記事へのコメント

コメントはまだありません

コメントを書く