山口敬之:バイデン政権ではウイルスの真実に迫れない

山口敬之:バイデン政権ではウイルスの真実に迫れない

アメリカメディアの不気味な沈黙

 8/27、新型コロナウイルスの起源について、バイデン政権がわずか42行の報告書を発表して以降、アメリカのメディアは不気味な沈黙を続けている。

 この報告書が作られるキッカケを作ったのが、アメリカの有力紙、ウォール・ストリート・ジャーナル紙(WSJ)の5/23のスクープだった。
山口敬之:バイデン政権ではウイルスの真実に迫れない

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5/23日のWSJのスクープ
via 著者提供
 「2019年11月、3名の武漢ウイルス研究所の研究員が新型コロナウイルスに酷似した症状で入院していた」というこの「スクープ」は、

 ▶︎ウイルスは、中国湖北省の武漢ウイルス研究所から漏れ出したものであり、
 ▶︎これこそが世界的パンデミックの直接的原因であり、
 ▶︎しかも中国政府は2ヶ月以上にわたって新興感染症の発生を隠蔽し続けた
 という可能性を強く示唆した。

 マイケル・ゴードン、ウォーレン・ストローベル、ドゥリュー・ヒンショーというWSJの3人の記者によって書かれたこの記事は、アメリカの大統領を突き動かした。3日後の5/26日、バイデンは「90日以内に報告書を作成しろ」と国家情報長官に指示せざるを得なくなったのだ。

 ところが、期限の3日遅れで8/27に公開された報告書の要旨は、わずか42行の、極めておざなりなものだった。

 ※参考記事:米・コロナ起源報告書:お手盛りと付け焼刃が暴いたバイデン政権の闇
 普通なら、ここでバイデン政権とアメリカの情報機関に対する批判が噴出するはずだ。ところが、アメリカの新聞やテレビなどの主要メディアは、報告書の中身をごくあっさりと伝えただけで、掘り下げた報道をした所はほとんどなかった。

 試しにインターネットで「ホワイトハウス、新型コロナウイルス感染症、レポート」(White House、COVID-19、report)などと入れて検索をかけても、出てくるのは役所の発表文書と、8/24頃の短い記事ばかりだ。

 報告書作成命令のきっかけを作ったウォール・ストリート・ジャーナル紙(WSJ)ですら、報告書が発表された8/27の夜、下記のようなごくあっさりとした記事を配信しただけだった。
山口敬之:バイデン政権ではウイルスの真実に迫れない

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アッサリとした8/27日のWSJの記事
via 著者提供
 【タイトル】
 機密報告によれば、アメリカの情報機関は、新型コロナウイルスの起源を特定出来なかった
 U.S. Spy Agencies Unable to Pinpoint Source of Covid-19, Classified Report Shows

 【リード】
 報告書の要旨では、
 ・ウイルスは生物兵器として開発されたものではなく、
 ・中国当局はウイルスを事前に把握していなかった
 Summary of report says virus wasn’t developed as biological weapon—and says Chinese officials didn’t know about it in advance
 このあっさりとした記事を8/27夜に書いたのは、5/23に大スクープを放った3人の記者のうちの2人、マイケル・ゴードン、ウォーレン・ストローベルだった。
 
 世界のほとんどの報道機関は、「スクープ」「独自ニュース」「調査報道」に至高の価値を置く。ウォーターゲート事件の例を引くまでもなく、スクープは時の最高権力者さえ討ち取る力を秘めているからだ。
 
 5/23のWSJのスクープは世界中で報道され、その結果大統領を突き動かしたのだから、その報告書が出たら、WSJは続報に次ぐ続報を畳みかけ、自身の取材力・分析力を誇示し続けるはずだ。

 ところが、出て来た報告書が極めて皮層的で中身の薄い、ツッコミどころ満載のものであったにも関わらず、WSJは二の矢、三の矢を継がない。それどころか、ウイルスの真相に関する報道を、ほとんど停止している(9/10現在)。これは極めて異例な事である。

沈黙の理由

 このWSJの「謎の沈黙」について、アメリカではいくつかの仮説が立てられている。

 ▶︎5/23スクープの情報を提供したディープスロートを失った
 ▶︎ディープスロートが失脚した
 ▶︎WSJ上層部が止めた

 真相を知っているのは、記事を書いたマイケル・ゴードンとウォーレン・ストローベル、あるいは5/23のスクープ記事には名を連ねたが、8/27の記事には関わっていないドゥリュー・ヒンショーだろう。
 
 ヒンショーは、西アフリカやハイチなど発展途上国取材の経験が豊富で、アメリカのジャーナリズムの最高の栄誉とされるピューリツァー賞にもノミネートされた事があるベテラン記者だ。

 そして、昨年は新型コロナウイルスに関する記事も頻繁に書いているが、その記事からは、彼の情報機関関係者との深い人脈が透けて見える。

 私もルワンダや中東など政情が不安定な地域の取材に行く時には、日米の情報機関の専門家から話を聞いたり、現地のコーディネーターを紹介してもらったりした。そして、現地取材を終えて無事居住地に戻ったら、お礼も兼ねて現地の最新情勢を協力者に伝えた。こうして、記者は情報機関とのネットワークを構築していくのである。

 だから、5/23のスクープ取材の際には、西アフリカやハイチ取材を通じてヒンショーが構築した、CIAやFBI、国務省の情報機関(INF=情報研究局)などアメリカの情報機関のネットワークが大いに貢献した事だろう。

 それならば、なぜヒンショーは8/27の記事から名前が外されているのだろうか?

 ヒンショーはこの前後に、アフガニスタン関連の記事を出しているから、WSJで記者活動を続けている事は間違いない。

 はっきりしているのは、ヒンショーの情報機関人脈は、バイデン報告書の分析の際には活かされなかったという事である。

無視された国務省ファクトシート

 8月末のバイデン報告書に先立つ事7ヶ月あまり、今年の1/15に、国務省はパンデミックの起源に関する「ファクトシート」を発表している。
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国務省による「ファクトシート」
via 著者提供
 この中に、実は驚くべき記述がある。

 ●アメリカ政府は、新型コロナウイルスの感染拡大が特定される前の2019年の秋、武漢ウイルス研究所の複数の研究者が新型コロナウイルス感染症や季節性疾患によく似た病気になった事を把握している。  
The U.S. government has reason to believe that several researchers inside the WIV became sick in autumn 2019, before the first identified case of the outbreak, with symptoms consistent with both COVID-19 and common seasonal illnesses.

 要するに、「2019年秋、武漢ウイルス研究所職員が新型コロナウイルスによく似た症状を発症していた」という事実をアメリカ政府が把握している事を、WSJの「スクープ」の4か月前に、公に発表していたのである。

 結局WSJの記事は、この国務省のファクトシートが示した事実に、

 ・入院したのが3人である事
 ・入院が11月である事
 を追加したに過ぎなかったのだ。

 我々にとって大切なのは、「ヒトの感染が2019年末ではなく、2019年秋には始まっていた事」なのであって、国務省の情報とWSJの記事に、本質的な違いはない。

 それなのに、
 ・何故WSJの記事はスクープとなり、
 ・バイデンまで突き動かしたのか。

 それは、「11月に3人が入院」という、それまでは公開されていなかった情報のディテールを暴露する事で、「ある情報機関」がバイデン政権に

 「真相究明に本腰を入れなければ、もっと情報をリークする」
 
 と、圧力をかけたからなのだ。

「ファクト」を検証しないメディア

山口敬之:バイデン政権ではウイルスの真実に迫れない

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煽情的な見出しの割に、メディアは「ファクト」を無視続けた―
 根源的な疑問は、ウイルスの起源と中国の隠蔽を強く示唆する国務省のファクトシートが、なぜアメリカと世界のメディアに事実上無視されたのかという事である。

 ご存知のように、バイデン政権は1/20に正式に発足した。だから、1/15に発表された国務省のファクトシートは、トランプ政権最末期に出された事になる。

 だからアメリカと、日本を含む世界のメディアは、「トランプ政権の最後っ屁」という扱いでこのファクトシートを事実上無視した。

 しかし本来ならば、このファクトシートが示した情報は、アメリカのみならず世界の全ての国にとって、徹底的に検証すべき重要なものだったはずだ。

 2019年秋段階ですでに武漢で新型コロナウイルスの重症患者が発生していたとするならば、中国政府は国際社会に対して新興感染症の発生報告という義務を怠り、世界に甚大な被害を与えた事になる。

 実際アメリカや世界各国からは、中国に対して100兆円規模の損害賠償を求める動きが出ている。

 ところがアメリカのメディアは、「天敵のトランプ政権が発表した事は真に受けない」という政治的な判断を優先して、国務省が示した「ファクト」を全く検証しなかったのだ。

 4ヶ月後に類似の記事を「スクープ」したWSJも、所詮義憤に駆られた情報機関関係者に与えられた追加情報を報道しただけであって、「ウイルスの真相に迫る」という、ジャーナリズムの本懐に向かう気配は全く見られない。

日本は独自の真相究明体制を

 日本でも、これまでに160万人以上が感染し、16000人以上が死亡した。

 もし、2019年11月に武漢で重傷者が出た段階で中国が国際社会に必要な報告をしていたら、16000人の人は死なずに済んだかもしれないのだ。

 真相究明のみならず、中国の公衆衛生上の重大な瑕疵の証明につながる、アメリカ政府が発表した公開情報が、科学的に検証もされず放置されていた事について、日本政府と日本のジャーナリズムも、深く反省する必要がある。私も記者を名乗っている以上、その責任から逃れる事は出来ない。

 コウモリ由来コロナウイルスの「機能獲得」(ヒトへの感染力獲得)という、武漢ウイルス研究所の危険な火遊びに、深く関与していたアメリカとバイデン政権に、真相究明を期待する事はもはや不可能だ。

 今からでも遅くはない。日本政府と日本人は総力を挙げて、明らかにされている公開情報を徹底的に検証し、ウイルスの真実に自力で迫っていくという決意が求められている。
山口 敬之(やまぐち のりゆき)
1966年、東京都生まれ。フリージャーナリスト。
1990年、慶應義塾大学経済学部卒後、TBS入社。以来25年間報道局に所属する。報道カメラマン、臨時プノンペン支局、ロンドン支局、社会部を経て2000年から政治部所属。2013年からワシントン支局長を務める。2016年5月、TBSを退職。
著書に『総理』『暗闘』(ともに幻冬舎)、新著に『中国に侵略されたアメリカ』(ワック)。

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この記事へのコメント

兵六玉 2021/9/11 03:09

確かに2021.1.15、当時のポンペオ国務長官名で「Ensuring a Transparent, Thorough Investigation of COVID-19’s Origin」というプレス発表がなされ(国務省HP)、ご指摘のファクトシートも添付されていました。5日後のバイデン政権発足と同時に、トランプ政権4年間分のプレスリリース類すべてが国務省HPのアーカイブに入れられ、他の情報もろとも「なかったことにされた」という感じを受けましたね。まあ、全削除されたということではないのですが、表からは消えた。政権が変わるとこういうことをするのが普通なのでしょうか。

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