総裁選を巡って高市さんの名前が出たのは、このコラムが最初だったと思う(これより早いものがあれば是非ご教示下さい)。
私がこの記事を書いたのは、これまで稲田朋美さんを支援してきた複数の保守系団体が「LGBTや夫婦別姓問題にばかり熱心な稲田氏にはもう期待出来ない。これからは高市氏支援に切り替える。総裁選も高市氏を応援する」として、具体的なアクションを起こしたからだ。
8月に入ると、こうした動きを察知した一部政治記者や評論家から、高市出馬説が取り沙汰されるようになった。
そして8/10発売の月刊『文藝春秋』でご本人が事実上の出馬宣言をすると一気に注目が集まり、今では総裁選の「台風の目」となっている。
そんな中、今週あるネット番組で私が「高市氏は総理・総裁になる準備がまだ十分に出来ていない」と発言したら、一部から猛烈な異論と罵倒を頂戴した。
中には「山口ごときに高市さんが自分の準備状況を話すはずがない」という、筋違いな非難もあった。
「待望論」だけでは首相にはなれない現実
また、有権者が自分の思想信条や国家観に合う人を「あの人こそ総理にしてみたい」と考えたり、主張したりするのも極めて健全な現象だ。
ネット番組がこうした「◯◯待望論」を好んで扱うのも、理想の宰相を巡って自分の願望を吐き出したいという有権者のニーズがあっての事だろう。
一方で、こうした個人的な意見を述べるのは、ジャーナリストの仕事ではない、と私は考えている。
「誰こそは総理に相応しい」という主観に基づく意見を発表するのは、敢えて言えば、政治評論家やコメンテーターの仕事だ。
これに対して、私達ジャーナリストの役割は、個人的な意見は極力抑え、国民の判断の礎となる「ファクト」「現実」を提示する事にある。
ジャーナリストを自称しながら、どうみても特定の思想信条に与する活動家だったり、政権攻撃が自己目的化した倒閣テロリストだったり、そもそも取材のイロハも知らずネット情報を焼き直しているだけのエセ記者が、最近とみに増えているように感じている。
だからこそ私のような古いタイプの記者は、「狭義のジャーナリスト」との自負を持って、「永田町のファクトと現実」を伝えなければならないと自戒している。
たとえそれが有権者にとって、耳を塞ぎたくなるような不愉快な事実だとしても。
総理・総裁となるために必要な資質と準備
それでは、リーダーとしての資質も、日本国と日本国民のために仕える日本の政治家として、思想信条も申し分ない人物が総理・総裁を目指すとしたら、どのような準備が必要なのだろうか。
簡単に言えば、「少なくとも20人の、絶対に裏切らない集団を持つ」という事である。
総理・総裁になって最初にする仕事が、組閣と党人事だ。22名の閣僚と2人の官房副長官、さらに党八役(幹事長、総務会長、政調会長、参院会長、参院幹事長、選対委員長、幹事長代行)と、その他の役員を決めなければならない。
総勢40人からの政権幹部のうち、少なくとも半数は「裏切らない」「総理総裁と気脈を通じた」人物である必要がある。
私がこう言い切るのは、短命に終わった政権は例外なく、政権内部の不信と裏切りの連鎖がきっかけとなって崩壊していったからだ。
当初麻生氏は「総理就任後すぐに解散して国民に信を問う」と明言していたが、アメリカの証券大手リーマン・ブラザーズの破綻が世界経済に深刻な影響を与える「リーマンショック」に襲われ、解散の機を逸してしまう。
12000円台だった株価は、10月には6000円代と半値にまで急落して、麻生政権を苦しめた。
麻生首相は、日本経済の防衛に全力を挙げつつ、世界経済の復活に向けて日本が主導的な役割を果たすべく、様々な政策を打ち出した。当時の政策は国際社会からも高く評価された。
しかし閣僚の辞任や失言問題でメディアの総攻撃を受け支持率が急落すると、自民党内から「総選挙の前に総裁選を実施して麻生首相を引き摺り下ろそう」という「麻生下ろし」の嵐が吹き荒れた。
当時の麻生派は弱小派閥に分類されており、党内基盤が脆弱だった事が、事態悪化に拍車をかけた。
まず、非主流派の議員が「速やかな政策実現を求める有志の会」を作って政権に圧力をかけ始める。名古屋市長選挙や東京都議会議員選挙での惨敗が続くと、今度はかねて反麻生の立場を鮮明にしていた山本拓議員が中心となって総裁選の前倒しを求める運動を展開。麻生政権への包囲網は日増しに強まっていった。ちなみに山本拓氏は、高市氏の前の夫である。
7/15には、現職閣僚だった石破茂農水大臣が与謝野馨金融担当大臣を伴って官邸に押しかけ、麻生首相に「総総分離論」をぶち上げて、総裁職からの辞任を要求した。
さらに、中川秀直元官房長官らが中心となって「両院議員総会の開催によって総裁選の前倒しを決めろ」と主張する要請書を作成。ここに石破や与謝野らの現職を含む麻生内閣の新旧閣僚、副大臣、政務官ら16人が署名する異常事態となった。この時経済産業副大臣を務めていた高市氏も文書に署名している。
結局何とか総裁選前倒し論を抑え込んで解散に打って出た麻生首相だったが、総選挙で惨敗して野党に政権を譲る事となった。
支持率低下に弱い「無派閥」首相
「◯◯下ろし」の嚆矢とされる「三木おろし」の三木武夫首相も、弱小派閥出身だった。すなわち「何があっても首相を支える」という人間が一定数いない政権は、極めて脆いのだ。
それでも、菅首相は準派閥と目される「菅グループ」という23人の小集団を率いている。これに対して高市氏は正真正銘の無派閥議員だ。
党内に高市氏を支える議員グループのようなものは、少なくともこれまでは全くなかった。いわゆる一匹狼なのだ。
こうして、過去の歴史を紐解いて「高市氏は総理総裁になる準備が不十分」と指摘すると、熱烈な高市待望論者から「山口は古い派閥の論理に囚われている」と非難される。
しかし、私は派閥の論理を是としているのではない。「自民党は今なお派閥の論理が色濃く残っており」、「強い支持基盤がない総理総裁は、支持率低下局面では極めて脆い」という「ファクト」を提示しているに過ぎない。
※参考:連載第47回
菅・麻生両氏は、幹事長や官房長官といった、時の政権の屋台骨を支える役職の経験を持ち、主要閣僚も歴任した熟達の政治家だ。彼等が総裁選で圧勝し高支持率で発足したにもかかわらず、わずか10ヶ月で塗炭の苦しみを味わっている。
これに対して、「モリカケ」「サクラ」とあれだけ執拗に叩かれた第二次安倍政権が7年半にわたって持ち堪えたのも、「裏切らない20人」と「清和会100人+麻生派50人」がガッチリと政権を支えたからこそだ。
本当に信頼できる「裏切らない」人間が少なくとも20人いた上で、100人規模の派閥ががっちりと支えてこそ、多少の支持率低下やマスコミのバッシングにも耐性のある政権運営が出来るのだ。
安倍政権と比較して菅政権の支持率耐性がここまで弱かったもう一つの理由が、菅さんが無派閥議員だった点にある。
今なお永田町は「御恩と奉公」の論理で動いているのであって、所属派閥の領袖に仕えてこそ閣僚や党幹部の道が開ける。いくつもの政権を跨いで育まれる派閥の主従関係は、時の首相の単発的人事に対する恩義よりも、遥かに深く濃い。
要するに、好むと好まざるに関わらず、自民党という政党の中で派閥の論理は健在であり、菅さんの政治家としての力量とは別に、単に無派閥だったという事実が、現在の党内での苦境と深く関係しているのである。
高市総裁は「時期尚早」か―
だからこそ高市早苗待望論に熱狂する方々の多くは、彼女の保守的言動を強く支持する。靖国参拝、対中対韓強硬路線、メディアへの強い姿勢など、確かに高市氏のこれまでの活動や発信は、保守派からはわかりやすく、支持しやすい。
その意味では、安倍前首相と高市支持層は相当程度被っている。「安倍さんの三選が無理なら高市さん」と公言する人は、党内外に少なくない。
安倍支持層≒高市支持層とするなら、反安倍勢力が反高市勢力となる事も想定しておく必要がある。
第一次、第二次を通じて日本の野党とメディアが安倍政権にどう対峙したか。あの苛烈かつ執拗な倒閣活動を、常軌を逸したものだったと受け止めている人も少なくないだろう。
あの規模の集中砲火を浴びた時、無派閥の高市氏は耐え忍ぶ事が出来るか。政権の閣僚や党幹部はどう行動するか。
今高市政権の誕生を切望している人こそ、冷静に近未来を展望すべきだ。
発足時の菅政権は、細田派麻生派二階派の全面支援の元、内閣と党に強力な布陣を引く事ができた。
これに対して、このまま今度の総裁選で、無派閥で一匹狼の高市氏が総理総裁になったとすれば、「チーム高市」が「チーム菅」より遥かに脆い陣容になる事は、少しでも永田町を知っている人間からすれば、火を見るより明らかだ。
高市氏がかつて所属していた清和会の事実上のオーナーである安倍氏の力を借りなければ組閣・党人事すらおぼつかない。
そして、そこで抜擢された閣僚や党役員の忠誠心は、高市氏本人ではなく安倍氏に向かう。
菅首相に抜擢された菅内閣の幹部が、菅さんに牙を剥くのであれば、本来なら忘恩の下剋上だ。
ところがそうした点が問題にすらならないのは、下村氏は清和会、河野氏は麻生派に属する議員だからだ。彼等の忠誠心は菅氏ではなく、派閥の領袖である安倍氏と麻生氏に向かっていると、皆が知っているのである。
自分が選んだ閣僚や党役員に対してすら、本当の忠誠心を期待できないのが、永田町の現実なのだ。
だからこそ、高市さんは今回の総裁選で総理総裁を目指すなら、もっと前から信頼できるコアメンバーを集める努力をしておくべきだった。
特に、保守的言動で知られる高市さんが総理になれば、外国勢力と連携した野党とリベラルメディアの格好の標的となる。
保守を全面に打ち出した総理総裁が袋叩きに遭えば、総理だけでなく保守政策自体も深い痛手を負う。
総理総裁の職責、そして永田町の力学を知らない人達の感情的支持は、熱しやすく冷めやすいものだ。
高市さんが、保守系議員のホープである事は、議論を待たない。ブレない姿勢と、群れない胆力は、彼女の個性であり長所だ。
私はジャーナリストとして、自分の希望は極力開示しないと述べた。ここで敢えて、一国民として個人的な願望を述べるとすれば、保守派の期待が集まる高市さんだからこそ、十分な準備をした上で、万全の体制でトップを目指して欲しいという事、その一点に尽きる。
1966年、東京都生まれ。フリージャーナリスト。
1990年、慶應義塾大学経済学部卒後、TBS入社。以来25年間報道局に所属する。報道カメラマン、臨時プノンペン支局、ロンドン支局、社会部を経て2000年から政治部所属。2013年からワシントン支局長を務める。2016年5月、TBSを退職。
著書に『総理』『暗闘』(ともに幻冬舎)、新著に『中国に侵略されたアメリカ』(ワック)。