無惨に劣化したアメリカ

 3月下旬から1カ月ほど、アメリカ合衆国各地を取材した。バイデン政権発足直後のアメリカの現地の様子を、自分の目で確かめておきたかったからだ。

 私は2013年に、TBSの支局長としてワシントンDCに赴任して2年後に解任されるまで、2年間ワシントンDCに隣接するメリーランド州に住んだ。日本帰国後も毎年アメリカを訪問して、唯一の超大国を自分なりに定点観測してきた。

 2015年以降のアメリカ入国回数は14回に及ぶが、12回目となった2019年末まで、アメリカは一言で言えば「変わらない大国」だった。中国が台頭しようと世界情勢がどう変化しようと、アメリカ自体は微動だにしなかった。腹立たしいほど変わらない国家と社会には、「傲岸」「不遜」という言葉がピッタリだった。

 ところが2020年のコロナ禍と大統領選を経て、アメリカは全く違う国になってしまった。「傲岸」「不遜」と対をなす、「卑屈」「矮小」という言葉を連想させる、「激しい劣化」であり、「崩壊の序章」というべき、無残な変わりようだった。

アメリカの「正義」と「自由」

 アメリカ人が、自国について語る際に決まって出てくるのが「正義」と「自由」という単語である。

 実際のアメリカは、歴史的に徹頭徹尾「正義と自由の国」だったか。とんでもない。何の罪もないネイティブ・アメリカンを虐殺し土地を奪う事で成立したアメリカは、2発の原爆と東京大空襲によって35万人の無辜の日本人を虐殺した。その後も多くの戦争を仕掛け、民族虐殺に加担し、自国の利益のために他国の民を蹂躙し続けた凶暴な大国だ。

 しかしその一方で、アメリカ人が国家の理念として「正義」と「自由」を掲げ続けてきた事も、また事実である。

 逆に言えば、凶暴な大国だったからこそ、「正義と自由」というスローガンが国のお題目となったともいえる。この言葉が、時にアメリカ国民を団結させ、時に国際政治への介入の論拠となった。その結果、「正義と自由」が、アメリカという国家とアメリカ人のアイデンティティとなった。

 ところが、昨年末から今年春にかけて、私がアメリカで目撃したのは、アメリカ人によるアメリカ人に対する「不正義」と「不自由」の連鎖だった。

 昨年12月23日、私はホワイトハウスの北側に隣接するラファイエット公園という小さな緑地を訪れた。アメリカ独立戦争の英雄から名付けられたこの公園は、私が支局長をしていた2013年当時は、第7代大統領アンドリュー・ジャクソンの騎馬像やささやかな噴水が設られた、都会の小さなオアシスだった。
 しかし、昨年末久しぶりに訪れると、ラファイエット公園は立ち入り禁止になっていた。周囲には高さ3メートルもの無粋な黒いフェンスが設置され、その金網にはトランプ大統領を罵倒する、極めて下劣なプラカードで埋め尽くされていた。(連載第13回参照)
山口敬之の深堀世界の真相㉜~「奇形の超大国」アメリカの崩壊

山口敬之の深堀世界の真相㉜~「奇形の超大国」アメリカの崩壊

昨年末のラファイエット公園前の様子
via 著者提供
 プラカードの前には大声を挙げてトランプを罵倒する黒人が何人もいて、時折車道に飛び出すなど不穏な行動を繰り返していた。

 赤信号を無視して道路に飛び出すのは明確に道路交通法に違反する行為だし、周囲を威圧する騒擾行為は通行人に恐怖を与えていた。しかしまばらな警察官は黒人集団の暴虐を一切取り締まろうとせず、遠巻きに見つめるだけだった。

 こうして超大国の首都の中心部は、以前には想像も出来ないような無法地帯と化していた。そしてそれは、史上最も激烈で、最も醜悪と称された大統領選挙の混乱の余韻を生々しく映していたのである。
 ラファイエット公園の周辺は、日本で言えば、総理官邸から南に伸びる、国会西側の大通りのようなものだ。もし外国の賓客も往来する官邸前が、首相への見るに耐えない罵詈雑言を書き殴ったプラカードで埋め尽くされたとすれば、どうなるだろうか。プラカードは当局によって直ちに剥がされ、「貼り紙禁止」との条例が出されて監視を強められるに違いない。

 ところが、ワシントンDCは違った。1/20にトランプが正式辞任するまで、トランプ大統領への下品な誹謗や、BLM(黒人の命を尊重しろ)を叫ぶプラカードが放置され、増え続けた。

 そして、ラファイエット公園から北に伸びる、それまでは単に「16番街」と呼ばれていた通りには、「BLMプラザ」という新しい名前がつけられた。
山口敬之の深堀世界の真相㉜~「奇形の超大国」アメリカの崩壊

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「BLMプラザ」と名付けられた通り
via 著者提供
 日本でも、官邸前では様々な抗議活動が行われる。私はTBS政治部で官邸キャップを務めていた際、官邸の向かいにある国会記者会館をベースにしていたので、好むと好まざるにかかわらず数多くのデモや抗議活動に遭遇した。

 しかしどれだけ激しい抗議活動が行われようとも、「総理官邸前」という交差点の名前が変わる事はなかった。

 それでは、なぜラファイエット公園北側の「16番街」が、「BLMプラザ」と改名されたのか。それは、首都の市長である、「ワシントン特別区長」がそう決めたからである。

奇形の大国、奇形の首都

 アメリカの首都であるワシントンDCは、アメリカ本土で連邦議会に政治家を送り込んでいない唯一の地域だ。

 市内には70万人の人が住み、周辺地域を合わせればワシントンDC首都圏は全米4位の規模を持つ人口密集地にもかかわらず、連邦上下院共に、投票権のある政治家を送り込んでいない。

 「代表なくして課税なし」というアメリカ建国からの理念が、ワシントンDCだけ適用されていないのは、アメリカという国の成り立ちと深い関係がある。
 アメリカ合衆国は17世紀の英国を始めとする欧州各地からの移民によって作られた国だが、大規模農園プランテーションを中心とする農業地域だった南部と、工業や商業を中心とした北部は、経済構造のみならず社会も文化も、大きく異なっていた。

 1775年から8年間に及んだイギリスからの独立戦争に際しても、政治の主導権や戦費の負担を巡って南北の対立は埋まるどころか先鋭化していった。

 こうした事から新しい首都は
 ・南北の境界に置き、
 ・どの州からも支配されず、
 ・連邦議会直轄とする
という事が決まり、北部の南端メリーランド州と、南部の北端バージニア州から土地の譲渡を受けて、「ワシントンDC(特別区)」が誕生したのである。
 連邦議会に政治家は送り込んでいないワシントンDC市民だが、大統領選挙への投票権はある。首都の住民が大統領選のたびに示す「民意」は、アメリカ50州と比較しても特異なものである。

 例えば2020年の大統領選では、ワシントンDCの有権者の内317,323人がバイデンに投票したのに対し、トランプに投票したのはわずか18,586人。バイデンの得票率は92.1%という、全米でも類を見ない「超リベラル地域」なのだ。

 民主党が圧倒的に強いとされるカリフォルニア州やニューヨーク州でも、バイデンの得票率は60%程度だったから、ワシントンDCのリベラル色がいかに突出しているかわかる。

 そんな首都だから、選挙で選ばれる特別区長も、ゴリゴリの民主党員で、黒人女性のミュリエル・バウザーだ。
山口敬之の深堀世界の真相㉜~「奇形の超大国」アメリカの崩壊

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ミュリエル・バウザー特別区長
via 著者提供
 彼女こそ、昨年夏以降ワシントンDCでの反トランプデモを称揚し、ラファイエット公園を封鎖して現職大統領を罵倒するプラカードを放置し、通りの名前まで「BLMプラザ」に変えた張本人である。

意思表示の不自由

 バイデン政権が正式発足して2ヶ月あまりが経った3/23、私はもう一度ラファイエット公園を訪問した。あの黒い金網フェンスに、どんなプラカードが貼り付けられているか見に行ったのである。

 ところが「BLMプラザ」の様子は一変していた。金網フェンスはそのままだったが、全てのプラカードが撤去され、警察官の数が大幅に増員されていた。政治的主張をする人達もおらず、すっかり平穏を取り戻していたのである。
山口敬之の深堀世界の真相㉜~「奇形の超大国」アメリカの崩壊

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現在のラファイエット公園前①
via 著者提供
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現在のラファイエット公園前②
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 昨年末の騒擾状態は一体何だったのかと、釈然としない気持ちで辺りを撮影していると、一人の通行人が金網フェンスにA4大程の写真を貼り付けた。自撮りの背景にするつもりのようである。

 ところが、そこに4人の警察官が駆けつけた。

 「Don’t post anything to the wall」(フェンスに何も貼ってはいけない)

 一人の警官がフェンスから写真を剥がしてクシャクシャに丸めると、無造作にポケットに押し込んだ。
 
 悲しげに現場を立ち去ろうとする通行人に話を聞くと、スペインからやってきた観光客だという。

 「インスタに面白い写真を投稿しようと思っただけなのに、わざわざスペインから印刷して持ってきた写真を勝手に捨てられて納得いかない。今年の1月までは、いろんなポスター貼り放題だったじゃない?」

 このスペイン人の怒りは尤もだ。BLMプラザの金網にプラカードを貼るのは、「違法か」「合法か」のどちらかであり、大統領が誰であろうと規則や法執行が変わるのは筋が通らない。

 トランプが辞めるまでは大統領罵倒のプラカード貼り放題で、バイデンが大統領になった途端あらゆる貼り紙が禁止される。

 「BLMプラザ」には、アメリカの背骨だったはずの「正義」も「自由」もなく、ワシントン特別区長の政治的かつ恣意的な法執行だけが、現場を支配していた。

「首都を51番目の州に」

 4月22日、民主党の下院議長ナンシー・ペロシは、「51」と書かれたマスク姿で記者会見を行った。ワシントンDC特別区を昇格させて、アメリカで51番目の州にしようというのである。

 隣に立っている黒人女性は、連邦議会にオブザーバー参加している「準議員」である。
山口敬之の深堀世界の真相㉜~「奇形の超大国」アメリカの崩壊

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「51」のマスクをつけるナンシー・ペロシ
山口敬之の深堀世界の真相㉜~「奇形の超大国」アメリカの崩壊

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ペロシとオブザーバー参加している「準議員」
 「私はかねてよりワシントンDCを州に昇格すべきだと思っていた」(ナンシー・ペロシ下院議長)

 前述のように、ワシントンDCが各州から独立し連邦議会の直轄地となったのは、南北の相剋を乗り越える知恵の結実であり、建国の理念とも関わる歴史的経緯があった。だからこそ、ワシントン特別区は連邦議会での議席を持たないのだ。

 これに対しペロシ下院議長は、有権者の政治に参加する権利を強調した。一見もっともな主張だが、ペロシ発言をそのまま受け取る人は少ない。

 現在アメリカ連邦議会は、上下院とも民主党と共和党の議席数が拮抗しており、バイデン政権は予算や各種法案で綱渡りの議会運営を余儀なくされている。

 ワシントンDCを州に昇格させれば、連邦議会議会には2人の上院議員と1人の下院議員が増える事になる。超リベラルなワシントンDCだから、3人の新たな連邦議会議員は全て民主党議員が占める事が確実だ。

 ペロシは34年のキャリアを持つ、カリフォルニア選出のベテラン政治家だ。「全てのアメリカ市民に政治参加の権利を与える」という高邁な動機を本当に持っていたなら、院内総務や議長など、連邦議会下院で要職を歴任したペロシであれば、これまでにも州昇格を主張する機会はいくらでもあった。

 ペロシは、最高裁判事の数を増やしてリベラル系判事を多数派にする事にも賛成している。要するに自らの政治的パワーを増進するためならあらゆる手段を講じるが、そこには「有権者の権利」「開かれた裁判」といった、大所高所の理由付けをするというのが、ペロシと民主党の常である。

 もし早期に州昇格が実現すれば、バウザー特別区長や現在の準議員は、晴れて連邦議会議員となるだろう。反トランプに邁進し、厚顔無恥な恣意的法執行に走ったご褒美が、連邦議会議員の座なのだ。

 アメリカ人が曲がりなりにも尊重してきた「正義」と「自由」が、「偽善」と「我欲」に取って代わられようとしている。それこそ、アメリカの劣化の正体である。

中国の仕掛けた歴史戦

 18世紀末にワシントンDCが首都となった背景には、南部と北部の対立という極めてデリケートな政治情勢があった。対立の根本原因は産業構造に起因していたから、首都決定後も南北の対立は収まらず、逆に先鋭化していった。

 そして1861年、アフリカから拉致されてきた黒人奴隷の扱いを巡って、南北が全面的に衝突したのが、言わずとしれた南北戦争である。

 プランテーション経営に不可欠な奴隷制度を死守したい南部に対し、北部は奴隷解放を主張した。商工業中心の北部の経営者にとっては、大量の解放奴隷が発生すれば、格安で使い捨て可能な流動性工場労働力として期待できる上に、賃金を与え購買の自由を与える事で、市場拡大を企図したからである。

 南北戦争では、南部11州が北部からの独立を宣言して「アメリカ連合国」を建国した。何とか戦争に勝利したリンカーンは、再統一を果たした直後に暗殺された。

 リンカーンによって解放された黒人奴隷の末裔が大きな役割を果たしたのが、昨年一気に先鋭化したBLM運動だ。だから、昨年来のアメリカの分断と混乱を「第2の南北戦争」と呼ぶ人がいる。

 今回の「南北戦争」がより深刻なのは、分断終結と和解に欠かせない「正義」と「自由」を尊重する機運が薄れ、「偽善」と「我欲」が剥き出しになっているからだ。

 そして最初の南北戦争が英仏など外国勢力の浸透と無縁ではなかったように、現代アメリカの深刻な分断の背後にいるのは、中国共産党と超国家組織である。

 今後は何回かに分けて、アメリカ各地で目撃した、激変し劣化する超大国を点描していく。
山口 敬之(やまぐち のりゆき)
1966年、東京都生まれ。フリージャーナリスト。
1990年、慶應義塾大学経済学部卒後、TBS入社。以来25年間報道局に所属する。報道カメラマン、臨時プノンペン支局、ロンドン支局、社会部を経て2000年から政治部所属。2013年からワシントン支局長を務める。2016年5月、TBSを退職。
著書に『総理』『暗闘』(ともに幻冬舎)がある。

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この記事へのコメント

宏昌様、 2021/6/9 13:06

コメントありがとうございます。

変質し劣化するアメリカと、それを全く報じない日本メディア。宏昌様には、私が行間に込めた思いまで余さず汲み取っていただきました。記者冥利に尽きます。

宏昌 2021/5/19 17:05

山口氏の「静かな語り」にはその社会現象を取り巻く政治的歴史的背景への洞察がしみ込んでいます
 今回の論評から感じ取るのは、「アメリカ国民」の変質です。ラファイエット公園での出来事は「言い訳して誤魔化せる嘘」の横行です。幼い子供、一部の大人の中には「言い訳して誤魔化せる嘘」が平気な人もいます。社会組織の中でこのような「嘘が横行する」までには時間がかかっています。「嘘」が平気になるには、そのようにしつけられ「教育されてきた」ということです。
 山口氏のワシントンDC便りからは、「アメリカの教育」の変質腐敗を嗅ぎ取ります。氏が述べられたアメリカ史の根幹に関する理解が現代のアメリカ社会を動かしている国民の愛国心を十分には育てていないのではないかという変質です。いつまでも学校での平常な授業再開を許さない全米教員組合の言動にも同様のことを感じ取ります。CCPは見事に「アメリカ国民を変質させた」、その結果が山口氏の目撃したワシントンDCの事実であり、「嘘」がまかり通る状況を正せないままにしている大統領選挙の惨状です。こんなことを感じております。

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