「全て」信用できなくなったメディア
共和党と民主党、保守とリベラルといった政治やイデオロギーの対立ばかりではない。白人と黒人、警察と民衆、ファクトとフェイク、信仰と懐疑、熱狂と無関心など、考えうるあらゆる対立軸が人々の実際の紛争の元となり、互いに深い軽蔑と憎しみを持つに至っている。
アメリカは分断と憎悪の時代に入った。怒濤のように進行する断絶の底流にあるのは、メディア不信とネット情報の混乱である。
大統領選挙の投票日前後に飛び交った様々な情報は、実に多様だった。
①バイデン陣営の汚職やスキャンダル
②選挙不正に関する情報
③要人の逮捕・拘束情報
④トランプの逆転勝利に関する情報
特に②の選挙不正については、郵便投票を巡るニセ投票用紙の持ち込みや、選挙管理委員会の不正、投票集計システムに関する疑惑など、数多くの問題点が指摘された。
流言飛語とは一線を画す宣誓供述書による不正の証言や、動かぬ証拠と見られるような動画が数多く提出されこともあり、トランプ支持者の間では実態解明と逆転勝利への期待が高まった。
しかし大手メディアとインターネット業界は、検証すべき疑惑を含めトランプ陣営の選挙不正に関するほとんど全ての問題提起を黙殺した。
例えばCNNやニューヨークタイムズなど、反トランプ色を鮮明に出している既存メディアは、トランプ陣営の不正の主張そのものを「Baseless」(根拠なし)と切り捨てる報道を続けた。TwitterやFacebookなどSNS大手が、投票日直前にバイデン陣営に不利になる情報とアカウントを次々と削除していた事も、トランプ支持者のメディア不信を加速させた。
そして1月6日の連邦議会議事堂襲撃事件をきっかけに、Twitter社はついにトランプのアカウントを永久停止し、Facebookもトランプ氏が投稿できなくする措置をとった。これにはドイツのメルケル首相など国際社会からも「言論の自由への挑戦」として強い反発が出ている。
彼らは、「大手メディアとGAFA経由の情報は『全て』信用できない」と確信してしまったのだ。
こうして段階的にメディアとGAFAへの不信と憎悪が積み重なっていったことが、③要人の逮捕・拘束情報の大量流布につながった。
インターネット上で逮捕・拘束情報が流布された要人は枚挙にいとまがない。
ジーナ・ハスペルCIA長官は「ドイツ・フランクフルトでの銃撃戦で負傷した上でキューバのグアンタナモ基地に収監された」と伝えられたし、議事堂襲撃事件の後、ナンシー・ペロシ下院議長は「押収されたパソコンから出た証拠を元に逮捕された」との情報が流布された。バイデン氏本人すら「選挙不正を巡って一時拘束され、足首に逃亡防止のためのGPS機器を取り付けられて釈放された」と言われた。
従来多くの国民は、情報の真偽は「信頼できる」大手メディアがどう伝えるかで判断していた。そこには「新聞やテレビの伝える事は基本的に真実だ」との認識と、「ジャーナリストはいかなる不正や犯罪も見逃さない」という期待がベースとなっていた。
しかし、そうした認識や期待が根底から崩れた今、「大手メディアと大手ネット会社が拡散を許可する情報は全く信用できない」という被害者意識が保守層を中心に蔓延し、それが根拠のない「流言飛語」に一定の信憑性を与えるという悪循環に入ってしまった。
流言飛語がいくら荒唐無稽であっても、あるいは荒唐無稽であればあるほど、「大変な情報が入りました」という尾鰭がついて短時間に拡散される状態となっている。
フェイクを排除するためには、個々の情報をジャッジし、虚偽情報を完全否定するだけの「権威」が必要だ。
しかし、これまでジャーナリズムを標榜し、「情報の裁判官」の役割を果たしていたと思われていた大新聞すら、実は「バイデン支持者の集合体」「反トランプの旗振り役」であることが明確になった。例えて言うなら、「バイデンとトランプの相撲を観ていたはずが、行司も土俵もバイデンのために仕込まれていた」ということ。そんな落胆と怒りが、アメリカの民主主義の根幹を揺さぶっている。
報道されないナンシー・ペロシの「ダブスタ」
2016年の大統領選挙後の2017年5月、民主党のナンシー・ペロシ下院議長は
「選挙はハイジャックされた」
「不正は間違いない」
「議会は民主主義を守るべきだ」
とツイートし、トランプ大統領の当選を認めず、不正の追及を主張した。
ペロシを巡っては、「大手メディアは民主党サイドについている」という書簡を同僚議員に送ったとの「情報」が取り沙汰されている。
問題となっているのは、大統領選挙が佳境に入っていた昨年8月、オレゴン州ポートランドの市長テッド・ウィーラーに対して、ペロシが下院議長名で送った署名付きの書簡だ。
この中でペロシは、ポートランドで起きたデモは「平和的で問題がなかった」と主張するように求め、そういう言動を「メディアは支援する」と明言しているのだ。
ここで提起される問題は3つある。
①下院議長のペロシがなぜオレゴン州の暴動処理に関与したのか
②なぜ事実確認を求めず、市長に「問題なし」と言わせようとしたのか
③ペロシはなぜ「メディアは味方である」と明言したのか
大手メディアでこの書簡について掘り下げた報道をしたという話は、寡聞にして聞かない。そしてペロシ自身も、自らの名誉を著しく毀損(きそん)するような情報にもかかわらず、抗議や法的アクションをとったという話も聞かない。
「ペロシ書簡」にいみじくも書かれているように、「民主党に不都合な情報はメディアが黙殺してくれる」という仮説が、俄然真実味を帯びてくるのである。
書店に発見した「癒し」
そんな時、貴重な情報源となり、また癒しの空間ともなったのが、書店と図書館である。
私は時間が出来ると最寄りに書店がないか探した。ネット通販の普及でアメリカの書店も縮小傾向にあるが、「バーンズ&ノーブル」というチェーン店は大きめの地方都市なら大体見つかる。コロナ禍でガラガラの店内は、ゆったりとした時間が流れていて、イガイガとした神経を宥めてくれるように感じたので、足繁く通った。
そしてある時、その癒しの本質は、書店には露骨な流言飛語の類がほとんど存在しないからだと気がついた。
民主主義を苦しめるフェイク情報の多くは、まずネット空間で第一報が発せられ、匿名やニックネームのアカウントのSNSで瞬く間に拡散される。
しかし書店に並んでいる本は、著者が実名と顔写真を晒し、一定の時間をかけて執筆したものがほとんどだ。著者が情報収集と分析に掛けた時間と知性、言い換えれば情報発信者の真剣味が、書棚からヒシヒシと伝わってくる。これがネット情報との違いだ。
高まる社会主義への関心
中でも私の目を引いたのが次の3冊である。
※2021年1月現在、いずれも邦訳は未発売です(編集部)
そして、悪意ある囁きによって、最初に崩壊していくのは司法システムや警察、そしてメディアだというのである。
今回の大統領選で観察された多くの事象がこうした指摘に怖いほど当てはまるだけに、この警告は日本を含む全ての民主主義社会の住民の傾聴に値する。
書店には「資本主義」が生きていた
フェイクと誹謗中傷に満ちたネット空間で自分の居場所が見えなくなったら、私は本屋か古本屋に行くことにしている。
しかし、そんな良心の砦のような書店にも残酷な現実はある。ワシントンDCのベッドタウン、メリーランド州ロックビルの書店では、バイデン政権の行方に関する本が書庫を賑わせていたが、同じ書庫の低い目立たないところに、派手な装丁の本が置かれていた。
「トランプは左翼を粉砕し必ず勝つ!」
白人低所得者層が多いと言われるトランプ支持者が手に取りやすいよう、編集者が扇情的な装丁にしたのだろう。
しかしその表紙の右肩に、「5割引」のシールを見つけた。他のトランプを賛美する本にも、例外なくこのシールが貼られていた。
少なくともアメリカの書店では、いまだ資本主義の論理が健在のようである。