またも非難決議案は見送り

 新疆のウイグル人に対する極めて深刻な人権侵害(ジェノサイド)の非難決議案が今期国会で見送りとなった(令和3年12月19日)。中国共産党によるジェノサイド非難と即時停止を求める文言が決議草案から削除され、ウイグル人の人権の取り扱いについて中国に説明を求めるという「ゆるい」内容に変更されたあげく、今国会での採択さえ見送られたのである。

 この一連の流れについて、茂木敏充自由民主党幹事長は党内の「人権擁護派」である古屋圭司政調会長代行らに対し、北京冬季五輪の「外交的ボイコット」をまず先に議論すべきだとの姿勢を明らかにした。しかし、ジェノサイド非難決議と外交的ボイコットは、まったく違う問題である。

 この情況を俯瞰すれば、政権内に「基本的人権の否定」と「大量殺戮の容認」という現代の倫理からみて到底弁護することができない意思が存在している指弾されても、否定はできまい。
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橋本琴絵:「対中人権侵害非難決議」見送り・人権擁護への"思考停止"が日本を滅ぼす

「どっちつかず」は最悪の選択だ
 これに対して、「人権」を常に声高に唱える人たちがすぐにでも異論を唱えると思いきや、12月17日の参議院本会議の代表質問では、日本維新の会の鈴木宗男議員が岸田総理に対して以下の内容の質問をしていた。

(アメリカのように)黒人差別をしている人が、人権を声高に言って良いのかという思いもあります。北京五輪の外交ボイコットを言う人もいますけど、日本は大人の対応をすべきだ。平和を守るためにあの祭典があるんですね。そのためには日本も協力すべきだ

 しかし、北京五輪に対する「外交的ボイコット」とジェノサイド批判が関係ないように、黒人差別の歴史と現在進行中のジェノサイドもまったく関係がないであろう。アメリカ政府が「黒人差別」をした歴史はあっても「黒人ジェノサイド」をした事実は存在しない。つまり、この質問内容は、人権意識が低すぎるという以前の問題として、そもそも「ジェノサイドとは何か」という観念的理解を何らできていない様相が露呈しているのである。

日本のエトスは「基本的人権擁護」ではないのか?

 さて、人間にはその歴史で培われた重要な脳機能がある。それはギリシャ語で「ethos」(エトス)といわれるもので、日本語に直訳することは難しいが、個々人が共有して持つ特性、共通概念、所属意識、幅広く受け入れられた習慣、同一の価値観、常識など訳することができる。これによって、人は他人と異なるあゆみをたどってきたにも関わらず、人と人は「連携」できたのだ。

 ここの「エトス」の重要性を指摘したのはアリストテレスの『弁論術』である。人と人が言語によって連携するためには、「話し手の属性(エトス)」と「話題の論理性(ロゴス)」と「聞き手の共感(パトス)」という三つの要素が必要であることを説いた。この三要素によって弁論が成立し、政治にとって最も重要な人と人の連携や団結が可能となるのだ。
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橋本琴絵:「対中人権侵害非難決議」見送り・人権擁護への"思考停止"が日本を滅ぼす

エトス・ロゴス・パトスの三要素の必要性を説いたアリストテレス
 この「エトス」(共通観念)という観点から今回の「対中非難決議見送り」を分析してみよう。素直に受け取れば、非難をしないということは「中国共産党によるジェノサイドの支援」ということになるのであるから、「ジェノサイド」という点に関して共通した観念(エトス)があるかのように思える。

 しかし、長い人類の歴史上、多くの社会では「ジェノサイドは悪」ということがエトスになっている。だとすれば、通常は「ジェノサイド」という悪を塗布するためのさまざまな弁明である「ロゴス」(論理的説明)が仮に詭弁だったとしても主張されるはずであり、聞き手である私たち国民の「パトス」(共感)に訴える何らかの政治的宣伝もあるはずだ。本件で言えば「ウイグル人虐殺の正当化」である。ウイグル人が中国人に対して悪質なテロ行為を実は繰り返していた等、いくらでも言うことができるであろう。しかし、日本政府はウイグル人虐殺を「非難しない=肯定する」という理由づけの説明を何もできていないのである。ただ「タイミング」や「時機みて」など述べて傍観しているだけ。これは他者から見れば「エトス」(共通観念)が不存在ということになる。

 歴史を振り返ると、かのナチスでさえ、ユダヤ人迫害をエトスとするためにさまざまな「ロゴス」(※ユダヤ人の裏切りによって第一次世界大戦でドイツが敗北したという"背後の一突き論"など)を主張し、ドイツ国民の反ユダヤ感情という共感(パトス)を引き出したのである。ソ連も「ブルジョアジーの抹殺」というエトスのため、人民は搾取されているという「ロゴス」を主張してソ連国民の共感(パトス)を引き出すさまざまなプロパガンダを行った。しかし、日本政府はそれさえもしていない。ただ、結論を先延ばしにして傍観しているだけのように見える。

 つまり、今回の中国によるジェノサイド非難に協力しない人々を観察すると、そうした「ジェノサイドを支援する」という確固とした悪意の観念(これもエトス)すら見られず、まるで何も考えていないようなのだ。これは政治を行うという点から評価すると極めて異例・異常ともいえる。

"思考停止"という異常

 現代の人類社会における「ジェノサイドとは一体何か」という「共通観念」(エトス)すら理解していなければ、当然、ジェノサイドを非難する側の共通観念(エトス)を理解することも不可能であろう。これでは、日本がその同盟国と連携することは到底できない。
 しつこいようだが、アメリカ議会が度々発表している非難声明の内容からは、人権問題について「極めて深刻なメッセージ性」を持つエトスを普通ならば読み取ることができる。しかし、脳の認知機能上そもそも「連携に必要なエトス」自体を認識していなければ、情況を飲み込めないことであろう。いま世界がどうなりつつあるのかまったく把握できていない、ということだ。

 しかも、日本は天安門事件における深刻な人権侵害を容認した「前科」がある。事実としては何も考えていないゆえに容認したかもしれないが、外観からみれば「虐殺支援」に等しいとの評価を免れない。ここにきて21世紀になってもウイグル人ジェノサイドを日本が容認した場合、それを許さないという「基本的人権の擁護」という同盟国のエトスから大きく離脱することになる。そうなったとき、取り返しがつかない。「価値観の共有」がなければ、もはや同盟は成立しなくなるからだ。
橋本琴絵:「対中人権侵害非難決議」見送り・人権擁護への...

橋本琴絵:「対中人権侵害非難決議」見送り・人権擁護への"思考停止"が日本を滅ぼす

日本は天安門事件の際も判断ミスを行ったが、これも実は「思考停止」状態だったのか?
 政治とは調整ではない。政治とは敵味方の境界線を明らかにする行為である。誰が味方(友)で誰が敵なのか曖昧な状況から、明確な線を引くことをいう。つまり、特定のエトスを他者と共有できるか否かを明確にする行為が政治である。

 いま、日本最大の同盟国であるアメリカ合衆国がウイグル人ジェノサイドに強い懸念を表明している。現在の状況を適切に判断するための方向性を政治哲学者のカール・シュミットから以下に引用したい。

ここで問題なのは、擬制や規範ではなく、この友か敵かの区別の現実性と現実的可能性なのである。その期待や教育的努力に共鳴しようとしまいと、諸国民は、友・敵の対立にしたがって結束するのであり、この対立は今日なお現実に存在するし、また政治的に存在するすべての国民にとって現実的可能性として与えられているものである"(カール・シュミット『政治的なものの概念』田中浩・原田武雄共訳)

 ジェノサイドを容認する者がジェノサイドをされても文句は言えない。

 日本は「ウイグル人抹殺」という中国共産党側のエトス(共通観念)に属するのか、「ジェノサイドは許されない」という国々のエトス(共通観念)に属するのか。「何も考えていない」では政治を行う者の在り方として許されない。

 したがって、日本政府は一刻も早く対中非難決議を可決し、「基本的人権の擁護」という「エトス」を日本が米国と共に共有している事実を国際社会に示さなければならない。そうならねば、自らの滅びを招くことになるであろう。エトスの無い人々は戦わずして滅びることを歴史は証明しているのだ。
橋本 琴絵(はしもと ことえ)
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第五区より立候補。2021年8月にワックより初めての著書、『暴走するジェンダーフリー』を出版。

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