Vチューバ―"戸定梨香"騒動で見えたフェミ・アンチフェ...

Vチューバ―"戸定梨香"騒動で見えたフェミ・アンチフェミの「どっちもどっち」

 千葉県警が公開していた交通安全の啓発のための動画が、苦情を受けて削除されるという事件が起きました。

 問題の動画は千葉県松戸市のご当地キャラの戸定梨香(Vチューバ―)が、同じくご当地キャラのばけごろうと共に交通ルールを呼びかけるというもの。両者は地域振興のためのそれぞれ萌えキャラ、ゆるキャラであり、子供にもアピールできていいのではと思うのですが、削除の原因は案の定、フェミニスト。「全国フェミニスト議員連盟(以降、同連盟)」が女性蔑視だとの抗議文を送りつけた、というのです。

 もっとも、松戸警察交通課は「市民から意見を寄せられた」とするのみで、同連盟を直接の理由と明言しているわけではありません。しかしその抗議文を見ると「当局の謝罪、並びに動画の使用中止、削除を求めます。」と強い調子で要求されており、無関係とも考えにくいでしょう。

 さて、抗議文を読み進めますと、同連盟はこの梨香ちゃんのスタイルに怒りを覚えていることが見て取れます。
youtube (8790)

ご当地Vチューバ―の戸定梨香
via youtube

加速する「性的」表現の封じ込め

 ≪セーラー服のような上衣で、丈はきわめて短く、腹やへそを露出しています。体を動かす度に大きな胸が揺れます。下衣は極端なミニスカートで、女子中高生であることを印象づけたうえで、性的対象物として描写し、かつ強調しています。
 公共機関である警察署が、女児を性的対象とするアニメキャラクターを採用することは絶対にあってはならないことです。≫

 上にはアニメキャラクターとありますが、この梨香ちゃんは厳密にはバーチャルユーチューバー、略してVチューバー。Vチューバーもまたアニメキャラの一種とも言え、間違いではないのですが、基本的には「キズナアイ」を元祖とする、CGで表現されたキャラクターのことを指します。

 さて、確かに梨香ちゃんのコスチュームはおへそが丸見えで、少々刺激が強いといえば強い。警察が登用するキャラクターとしてはどうか……ということが問題視されたのかもしれません。

 しかし、フェミニストによる「萌えキャラ」に対する「キャンセル」運動はこの7、8年、繰り返し繰り返しずっと起こってきたことです。

 三重県志摩市の地元振興キャラ、碧志摩メグちゃんは肌の露出など全く高くないのに文句をつけられ、市の公認を取り消されました。漫画『宇崎ちゃんは遊びたい!』のヒロイン、宇崎花ちゃんも日本赤十字社の献血振興ポスターに起用され、普通にセーターを着た姿にもかかわらず、巨乳に描かれていることが問題となりました。フェミニスト弁護士、太田啓子氏が「環境型セクハラ」と批判するなど問題は大きくなり、これに対抗して献血拒否を呼びかけたフェミニストもおりました。

 すなわち、「露出を下げればフェミ様にお許しをいただける」ということでは、残念ながらないのです。
Vチューバ―"戸定梨香"騒動で見えたフェミ・アンチフェ...

Vチューバ―"戸定梨香"騒動で見えたフェミ・アンチフェミの「どっちもどっち」

問題視された日本赤十字社の献血振興ポスター
via twitter

カウンターへの違和感

 さて、そんなフェミニストたちの横暴に対し、オンライン署名サイト「Change.org」では「有志一同」との名義で「全国フェミニスト議員連盟宛抗議と公開質問状」が提出されました。

 もちろん、ぼくもオタクの1人としてこのキャンペーンを応援したい気持ちもあるのですが、一方で声明を見ていて疑問を覚えないでもありません。

 彼らは以下のように主張します。


 ≪しかし、服装や体型を理由に、「性的対象物だ」とレッテルを貼り、公共の場から追い出そうとするあなた方の活動は、本来、フェミニズムが擁護すべき、女性の多様な在り方と自由を称揚する立場とまったく矛盾するものです。≫
 う~ん……何だか奇妙な意見です。

 彼らの言う「本来、フェミニズムが擁護すべき、女性の多様な在り方」とは一体、何を意味しているのでしょうか。

 そもそもが女性が露出の高いスタイルで登場すること自体は大いに歓迎すべきことだと思うのですが、果たしてそれは「多様な在り方」と言えるのでしょうか。

  アメリカの玩具メーカーマテル社が販売する女児向けの着せ替え人形、バービーには近年、多様な人種、髪質、体型のものがラインナップされています。皮膚疾患を持つバービー、義足のバービー、車椅子のバービーなどが登場したことが、「多様性に配慮していて素晴らしい」と話題になったのをご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 つまり、「多様性」という時、それは白人に対する黒人、健常者に対する障害者のような「マイノリティ」を受け容れることが常に、想定されるのです。

 一方、「女性を性的に描く」ことは、上の例で言えば「(白人であり、健常者であり)美人のバービー」人形のようなものであり、それがいかに何種類ラインナップに並ぼうが、「多様性に配慮していて素晴らしい」と誉めてもらえるとは思えない。「マイノリティ」をモチーフにしたものではないからです。

 であれば、梨香ちゃんを否定することが「多様性」の侵害である、というのは違うのではないかと言わざるを得ないのです。


  そもそもフェミニズムにとって「女性は性的な存在」であるとの「ステロタイプ」が、即ちメジャーな価値観こそがけしからんわけであり、彼女らにしてみれば「美少女VTuber」が数多く存在していることこそが、「多様性」の侵害なのですから。
Vチューバ―"戸定梨香"騒動で見えたフェミ・アンチフェ...

Vチューバ―"戸定梨香"騒動で見えたフェミ・アンチフェミの「どっちもどっち」

そもそも「素敵な」女性像を追い求めることは男女ともに普遍的なものであるのでは?
 VTuberだって人気商売なのだから、「多様性」にばかり配慮しているわけにはいかないでしょう。事実、上に挙げた多様なバービーは、今では購入することができないようです。

 何故かとなると、やはりそれは「女児の好みがそうだから」としか言いようがありません。

 同様に、梨香ちゃんのおへそが見えていること、胸が揺れることは明らかに男性の目を意識したお色気要素でしょうが、女児たちに支持されるアニメのヒロイン、プリキュアもそれは同じで、彼女らもミニスカートから脚をすらりと伸ばしていますし、おへその見えたコスチュームを着ているキャラもいます。女児たちもまた、そうしたキャラクターをこそ望んでいるわけです。

 つまり少女を「性的な対象として描いており、女性の定型化された役割に基づく」ものであるとの同連盟の指摘自体は別段、間違ってはおらず、それは女児向けのプリキュアでも、オタク向けの萌えアニメでも、同様なのです。

 そんな普遍性を持った、言い換えれば当たり前の表現を「女性の多様な在り方」として抗議の根拠とすることは、何だかずれていないでしょうか。
 それこそ美少女ではなく、不器量なVTuber、プリキュアでも出てくれば「多様」と言えるかもしれませんが、それでは男性たちの、女児たちの支持を得られないでしょう。

 つまり「女性を性的な対象(可愛いもの、セクシーなもの)として描く」ことは男女のニーズにあったものであり、普遍性のあるものである。しかしそれは画一的と言ってしまうならばそうであり、フェミニズムの主張は「女性は性的である」との画一性から解放する多様性を獲得せよ、というものなので、そうした意見を「フェミニズムに反する」という彼らの言い分は全く見当違いなのです。

 お断りしておきますが、「だからフェミニストの言い分が正しい」と言っているのでは、全くありません。 先に書いたように可愛らしく、色っぽい女性像は男性ばかりか女性自身も求めるもので、そうしたニーズは極めて普遍的なものであり、それのどこが悪い、と抗議すべきではないか、というのがぼくの考えなのです。

フェミも反・フェミも同根⁉

Vチューバ―"戸定梨香"騒動で見えたフェミ・アンチフェ...

Vチューバ―"戸定梨香"騒動で見えたフェミ・アンチフェミの「どっちもどっち」

日本ではフェミもアンチフェミも同根だった?
 さて、こうしたフェミニストによる萌えへの攻撃の度、「表現の自由を守る」と称して運動をしている人たちのことを、ぼくは「表現の自由クラスタ」と呼んでいます。往々にして、そうした人たちがオタクの代表者のように前に出て、彼女らを批判してきました。

 しかし上に見たように、彼らの物言いはどこか、おかしい感じがするのです。

 実のところ、オタクの多くはノンポリだと思うのですが、上の世代には左派寄りの人が大変多く、ことに表現の自由クラスタは(想像するに、若い人たちが多いように思われるのですが)そうした価値観に強く影響を受けている。これはまた、オタクの先輩格と言える「サブカル」がオタクを右翼的だとして罵ってくる傾向がある、といった形でご説明したこともあるかと思います。

 そのため、彼らは実のところフェミニズムそのものは、決して否定できない。また、自らの政治意図にオタクを利用しようとして、強引なロジックを組み立てる傾向があるように思われるのです。

 先に同連盟への講義キャンペーンを張ったのは「有志一同」とされていると述べましたが、キャンペーンの発信者は「青識亜論」という名の「ネット論客」です。

 彼はこの数年、ずっとフェミニストたちの萌えキャラに対するキャンセル運動に反対しつつも、左派であるため、本質的なところでフェミニズムに逆らうことができずにいるのです。彼は「フェミニストであり、アンチフェミニストでもある」という奇妙なスタンスを自称し、そのため、その主張は上に見たような奇妙なものにならざるを得ないのです。

 表現の自由クラスタは「ツイッターで萌えキャラに文句をつけるフェミニストは、本物のフェミニストではない」と強弁し続けてきました。彼らが「ツイフェミ(ツイッターフェミニスト)」という言葉を使いたがるのはそのためで、そこには「彼女らは学会やマスコミにいる本物のフェミニストとは別だ、本物ならば表現の自由を侵犯しないのだ」といった含意があるわけですが、もちろんそれは過ちです。

 彼らは「リベラルフェミニスト」はよきフェミニストだ、との詭弁も弄してきました。「過激なポルノ撲滅論を謳うのはラディカルフェミニストという悪しきフェミであり、リベラルフェミニストはよきフェミだ」というわけなのですが、残念ながらその主張もデタラメです。

 学会やマスコミにいるフェミニストもポルノや萌えには否定的だし、「リベラルフェミニズム」というのは既に古びた流派、ないし一般的な女性たちに広まっている俗流のフェミニズムを(往々にして揶揄的に)指す言葉であり、別段「性に寛容なフェミ」を意味しません。

 昨今、いよいよ本物の(学会やマスコミにいる)フェミニストたちの馬脚も露わになる一方なのですが、表現の自由クラスタはいまだ、フェミニズムへの夢を捨て去ることができずにいます。先の全国フェミニスト議員連盟への「本来のフェミニズムと矛盾する」と批判するという、ある種「釈迦に説法」な態度は、その表れなのです。

 さて、以上のような理由で「表現の自由クラスタ」もまた一面ではフェミニストであると言えます。「ツイフェミ」と彼らとのバトルは「閉ざされた地方の名家で起こった、遺産相続を巡る骨肉の争い」といった感じがしないでもありません。どちらもがフェミニズムという看板を自分こそが引き継ぎたいと願っているわけです。

 次回はその辺について、もう少々詳しくお伝えしたいと思います。
兵頭 新児(ひょうどう しんじ)
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
ブログ『兵頭新児の女災対策的随想』を運営中。

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