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「私の方が被害者よ!」

存在しない賛同者

 以前、イギリス文学者、北村紗衣氏と歴史学者の呉座勇一氏について書かせていただきました。

 呉座氏はツイッターの非公開アカウントで北村氏に関する「ミソジナス(女性差別的)」なツイートを繰り返していたとされ、それに腹を立てた北村氏は多くの発起人と共に「オープンレター 女性差別的な文化を脱するために」というサイトを立ち上げました。

 これを理由に、呉座氏は国際日本文化研究センターのテニュア(終身在職権)つき准教授昇格の内定を取り消されてしまいました。

 しかしこのオープンレターが目下、問題となっています。

 賛同者に名の挙がっていた評論家の古谷経衡氏、事業創造大学院大学上席研究員の渡瀬裕哉氏、ノンフィクション作家の高野秀行氏など複数の人間が、「自分は署名していない」と言い出したのです。

 このオープンレター、賛同者が署名するためにメールアドレスすら記入する必要のない仕様のようで、あまりにも管理が杜撰(ずさん)なのではないでしょうか。北村氏はこれを悪意のある第3者のなりすましと説明しており、もちろんその可能性が大かと思うのですが、そもそも署名者に確認くらいすべきだろう、と突っ込まずにはおれません。

 何しろ一時期、国際信州学院大学の学生も賛同者となっていました。「それがどうしたんだ」と思われる方は、この大学名で検索してみてください。そう、これは5ちゃんねる発のジョークの一種で、存在しない架空の大学なのです。

 もう1つ、ネット論客の青識亜論(せいしきあろん)氏は同オープンレターに署名したのにもかかわらず、先述の例とは逆に、いつまで経ってもリストに名が挙がらなかった、といった一幕もありました。青識氏は、ぼくが時々言及する「表現の自由クラスタ」の代表格で、左派でフェミニストを自称していながら、同時に萌え表現を守ろうとしているため、フェミニストの多くから蛇蝎(だかつ)のごとくに嫌われている人物です。

 青識氏が「弾かれていた」ということは、署名については明らかに手動の作業がなされ、選別も行われていたにもかかわらず、その身元確認については雑すぎた、ということが言えるでしょう(もっとも、キャンセルカルチャーに反対していると自称する青識氏が、一体全体何故、このキャンセルカルチャーの権化のような運動に賛同したのかもまた、不思議でなりませんが……)。

 さらに最近、発起人のリストからも一人、(特に説明なく)名前が消えるという事態も発生しています。当初から本件を追っている評論家、與那覇潤(よなはじゅん)氏によれば、この人物はこのオープンレターについて賛意を示したのみで、当人としては発起人になった意図はなく、名前が掲載されていたこと自体を最近知ったということだそうです。
 
 多くのフェミニスト、左派の人物たちが発起人として名を連ね、1300人もの賛同人が集まっていた同オープンレターでしたが、事態を重く見て、署名の撤回をする人も現れました。

運営側の「責任転嫁」

 しかしオープンレター側の人たちはそうした不手際を顧みている様子が、あまりありません。発起人の1人、東北学院大学の准教授、小宮友根氏は以下のように述べています。

個人的には、オープンレターを出すきっかけとなった事件の被害者である北村さんへの2次加害とも言える誹謗中傷が最近になってまた盛んにおこなわれていることに強い憤りを覚え、レターの意義をあらためて感じています

 何しろ、この時点で古谷氏への謝罪も行われていなかったようで、いや、まずサイトの運営側が確認し、謝罪するのが先だろうと突っ込まれていました。

 やはり発起人である名古屋大学大学院教授の隠岐さや香氏は、以下のようにツイートしました。

Change.org ですらそうですが、法治国家である限り、行政組織以外には、署名の完全な身元確認は原理的に不可能です。自由な市民による草の根民主主義を支えるこのような署名活動は市民個々の責任と相互信頼により成り立っています
その根本原理を理解せず軽々しく署名偽造を働いた者、その偽造行為を咎めるのではなく、署名を集めた側の事務的不備をあげつらって暇つぶしをしていた全ての個人に告げます。恥を知れ。

 北村氏自身も以下のように発言していました。

私、14日以降、今回の件がはじまってから初めて、完全に仕事を休みました。二次加害がひどくなりすぎて、何もしてないといきなり泣き出したりするようになったので。

 いえ、そりゃあ、尻馬に乗って度を超えた罵声を浴びせた者もいたのかもしれませんが、まずは自分たちの雑なやり方こそ反省すべきでしょうに、何だか全て他人が悪いのだと言っているかのようです。
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常に「私は悪くない!」と主張したい人々
 1月31日になってから、オープンレターにも「氏名詐称による賛同への対応と本オープンレターの今後について」といった一文が掲載されるようになりました。一応、不手際に対して説明すると共に謝罪する内容なのですが、同時に本年4月4日をもってWeb展開を終了し、紙媒体に記録を残す計画があることが述べられています。

 それは結構なのですが、この時点(1月31日)で上に挙げた高野氏の名前が、賛同者リストからまだ消えていないのです! 結局、本人確認を行っているのかいないのかすら、いまだ不明というグダグダぶりで、これでは「当オープンレターに様々な嫌がらせがあった、決して許さぬ(大意)」という勇ましい声明も説得力が減じるというものです。

結局狙いはキャンセル(言論封殺)か

 確かにネットの炎上というものは不特定多数から集中砲火を浴びせられるものであり、自業自得とは言え、辛いだろうことはお察しします。しかし、最初に呉座氏に対してそうした振る舞いに出たのは、彼女らの方なのです。

 同オープンレターの声明文をもう一度確認してみましょう。ここには呉座氏についての事実と異なる誹謗中傷などが書き並べ立てられている、といった批判もあるのですが、そこはまず置いて、以下の部分に注目したいと思います。

以上により、私たちは、研究・教育・言論・メディアにかかわる者として、同じ営みにかかわるすべての人に向け、中傷や差別的言動を生み出す文化から距離を取ることを呼びかけます。

 ここだけを見れば、正しいとしか言いようがありません。しかしこの文章は以下のように続くのです。

中傷や差別を楽しむ者と同じ場では仕事をしない、というさらに積極的な選択もありうるかもしれません。
 ここで発起人たちの本意が明らかになります。

 同オープンレターは「女性差別的な文化を脱するために」と高邁な理想を謳(うた)っています。しかし、上よりも前の部分では呉座氏の「中傷と差別発言」についての批判が延々と続けられており、その最後がこれでは「みんなで呉座氏(のようなけしからぬ人物)をキャンセル(粛清)しよう」という個人攻撃、キャンセルこそが主目的なのでは……と思わずにはおれません。

 フェミニストたちのこうしたやり方は、ネットでは「女子校の学級会」と揶揄(やゆ)されることがあります。「悪の弾劾」といった目的を掲げているものの、やり方は「仲間外れの敵をつくって団結する」という「女子校政治」の様相を呈しているというわけです。

 いや、男だってそうしたことはするだろう、とフェミニストからの反論が聞こえてきそうです。実際に北村氏自身が呉座氏の振る舞いを「ボーイズクラブ」と評していました(これは「ホモソーシャルな集まり」とでもいった意味の言葉です)。

 しかし、それは違います。ホモソーシャルというのは、「男たちは結束して、女性を排除し、利を独占しているのだ」というフェミニズムの概念です。『ミステリと言う勿れ』でも近しい理論が語られていたことは、前々回にご紹介しました。

 男より女の人間関係の方が同性同士のつながりは強固ではないか、と言いたいところですが、フェミニズムの理論では「女にはそもそも独占するべき権益などない、だからホモソーシャルはない(問題とすべき点はない)」とされるのです。そう主張しておきながら、女性同士の連帯は「シスターフッド」「レズビアン共同体」と称され、無条件で尊ぶべきものということになっているのです。

「議論せず即排除」のフェミ・リベラル

 近年、サンリオキャラクターのアニメ『おねがいマイメロディ』のバレンタイン商品にクレームがつき、発売中止となるという事件がありました。これはマイメロママの名言、「女の敵は女」というものが女性蔑視であるとされたためであり、これまたフェミニストによるキャンセルなのですが、彼女らはこの「女の敵は女」といった通念に極めて過敏に嫌悪を示す傾向にあります。女同士はいついかなる場合も連帯しているべきであり(これはフェミニズムに従順であれ、ということでしかないのですが)、自分たちが「シスターフッド」「レズビアン共同体」でつながれないのは、全て「男の陰謀」というのが彼女らの世界観なのでしょう。

「女子校政治」と前述しました。もちろん、フェミニストが見たら憤激しそうなワードではありますが、「同質性」を求め、結果、「敵」を村八分にしてしまう傾向は女性の側にこそ強いのではないでしょうか。

 しかし、その上で、これは左派の持つ党派性とも深く関わっているとの印象も持ちます。やはり、フェミニズムに批判的なネット論者の小山晃弘氏も本件を憂慮し、noteに記事を書いているのですが、町山智浩氏が同記事を引用RTし、左派の人たちから集中砲火を浴びました。しかし、それが見事に記事の内容に触れることもなく、ただ「小山などの記事をRTするな」「小山などにかかわるな」と言うだけのものばかり。

 左派は保守と認めた相手はただひたすら全否定するのみで、「議論」というものができない、という印象を持ちます。

 本件はそうした「ただ仲間同士だけで集まり、外部の意見を求めない」、というフェミニスト、左派の独善性が見事に裏目に出てしまった事件だったと言うことができるのではないでしょうか。
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「その発言はやめなさい!そして、これについての議論には応じません」というのがフェミニストやリベラル勢の十八番です。

常に「被害者」でいたい人たち

 それともう1つ、今回、いくつか不祥事発覚後の発起人たちの声を引用しました。隠岐氏の「恥を知れ」などが顕著ですが、いずれも読んでいて正直、「お前が言うな」と声をかけたい衝動に駆られます。

 しかし、それ以上に、ぼくにはこれらに「被害者にしかなれない女性の悲哀」とでもいったものを感じてしまいました。

 フェミニストたちは男性の持つ攻撃性、暴力性などを「有害な男性性」と呼びます。ぼくもそれ自体を否定しようとは思いませんが、以前、女性向けの人気漫画『ミステリと言う勿れ』においてヒロインが「戦争は男たちが好きでやっていることだ(から、死のうと知ったことではない)」と暴言を吐いたことに対して批判をしたことがあります

 いかに戦争はよくないと言っても、現実問題としてそうした状況に追い込まれることもあるわけで、銃後で守られた後に(もちろんこのヒロインは戦後の生まれでしょうが)全てを「有害な男性性」のせいにしてしまうというのは身勝手な話です。
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被害者は私よ!
 同様に本件で見えてきたのは「いついかなる場合も被害者にしかなれない」という「有害な女性性」なのではないでしょうか。

 女性性を無謬の正義としておいて、女性にはジェンダーにまつわる有害さなどないのだと誇っていたフェミニストが引き起こしたのが今回の事件であると考えてみると、それはどうなんだと言わざるを得ないでしょう。

 男たちも自死を防ぐため、「必要に応じて被害者になる」ことに慣れておかなくてはなりませんが、それにはまず、女たちも「加害者になること」に慣れていただかなくてはなりません。

 さて、オープンレターの問題はこれに留まるものではなく、呉座氏や本件について言及したツイッタラーやブログ記事などが弁護士からの内容証明が届けられるなどして圧力をかけられ、また次々削除されていること、そもそも呉座氏が本当に「差別発言」「誹謗中傷」をしていたのかが疑わしいことなど、まだまだお報せすべきことがいくつもあります。

 ある意味ではそれらの方が大問題とも言えますが、これらについては次回にお伝えすることにしましょう。
兵頭 新児(ひょうどう しんじ)
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
ブログ『兵頭新児の女災対策的随想』を運営中。

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