「フェミサイド」の危険に覆われる日本⁉
いずれにせよ許されない卑劣な犯行であることは言を待ちませんが、案の定と言いますか、フェミニストたちが早速反応し、本件は「フェミサイド」だと主張しだしました。
「フェミサイド」とは被害者が「女性であること」を理由に被害者となった殺人事件のことであり、確かに本件において当初は女性に殺意を持って危害を加えたとの自供も報じられておりました。が、容疑者は先日それを翻し「殺意があったか覚えていない」などとも言っており、どうにも判断しかねる状況です。
※ミソジニー:女性嫌悪のこと(参考記事)
これもフェミニストである笛美さんは「#幸せそうという理由で私たちを殺さないで」というハッシュタグ運動を提唱しました。「あなたの幸せな瞬間の写真を投稿して抗議しませんか?」というのがその主旨なのですが…いえ、それってむしろフェミサイドを煽っているし、フェミニズムの理念を鑑みるならば、「女性たちは男性よりも大変なのだから、羨むな!」と称するべきなのでは…?
もっとも、『朝日新聞デジタル』によれば、容疑者の供述は「6年くらい前から幸せな人を見たら殺したいと思っていた」「座っている女性を殺してやろうと思い突き刺した」といったものとされ、これだけで「女性一般を強く憎み、女性一般を殺してやりたいとの強い感情を抱いていた」と即断できるかは、いささか疑問です。しかし、フェミニストにしてみればとにもかくにも「日本ではミソジニーが渦巻いており、女性たちはフェミサイドの危険にさらされているのだ!」との世論を喚起したくて仕方がないのでしょう。
対女性の事件をなんでも「フェミサイド」とする人々
彼はかつてより「弱者男性」の「ミソジニー」を深く憎んでおり、「フェミニズムの敵は体制などではなく弱者男性になりつつある」といった(ある意味では、左派の本音をあけすけに吐露した)ツイートをしていたこともあります。
本件においてもネットにおける男性から女性への罵倒などを理由に(もちろん、その逆もそれ以上にあるのですが、そこはスルーです)、勝部氏は、
≪実際、似たようなフェミサイド事件は近年立て続けに発生しています。≫
として、近似の例を挙げるのですが、それが2020年6月に静岡県沼津市で起こった女子大学生ストーカー刺殺事件、2021年6月に東京都立川市で起こったホテル殺傷事件の2件なのです。
≪結局のところ、彼らの中には「女性が憎い」という憎悪と殺意が既に膨大に蓄積されており、その殺意を爆発させるきっかけとなった特定の人物を狙うのか、不特定多数を狙うのかの違いは、単に偶然でしかないのかもしれません。≫
フェミサイドとは「女性(一般)が女性であるというだけの理由で殺される」ことであるはずで、だからこそそれは「ジェンダーに基づくヘイトクライム」、要するに「女性差別」と言い得るものであるはず。それに特定の女性が被害者になることまで含めては、定義の拡大に他なりません。
例えばですが特定の人種、A人が殺害され、その原因が個人的な怨恨だったとしたら、いかがでしょうか。それはA人へのヘイトクライムではないというのが(怨恨の正否など何ら関係なく)一般的な考え方ではないでしょうか。
「普通の男性にも危険がいっぱい」論
≪彼女さえいれば、というのは、実際は、女性1人を所有すれば男としてのアイデンティティが保てたのに、という解釈の方が正しいでしょう。女性は男性のために存在するものだと無意識に思っているのです。
こうした意識は、事件の犯人となるような人物の特異な歪みではなく、ふつうの男性にも潜んでいる感情なのです。≫
が、実のところこの飛躍は、フェミニズムの中ではごく常識的な「正論」なのです。ドゥオーキンは結婚制度そのものがレイプの合法化であると言い募りましたし、また、リッチが女性は「異性愛」を強制されているのだと言い張ったことは以前、お伝えしました。もしそうであれば、これから人類がどう存続していくのかすらも不明ですが、しかしそこさえ諦めれば、上野氏の、そして勝部氏の意見が正しい、という結論を導き出すことができます。そう、合意の結婚ですらレイプなのだから、本件が「フェミサイド」でないわけが、どう考えたって「ない」、という理屈なのです。
ナンパ師と非モテは同類…らしい
氏は本件と「インセル」の犯行との類似点とを指摘します。インセルとはアメリカの非モテのことを言い、例えば2014年、インセルだとされるエリオット・ロジャーが銃を乱射して6人を殺害したという事件などがしばしば例として挙げられます。彼はネット上で女性たちへの憎悪を書き込んでいたといいます。
ここで「ん?」と思った方もいらっしゃるかもしれません。そう、本件(小田急線事件)の容疑者は「ナンパ師をしている」と語っていた時期がある。それでは「非モテ」とは言いにくいはずです。
が、しかしここで勝部氏はチート技を繰り出します。
そう、これは日本の「恋愛工学」みたいな、ある種のテクニックを駆使したナンパ師たちを指す言葉。つまり「非モテ」とは180度違う存在のように思われるのですが、しかし勝部氏は以下のようにばっさり。
≪ですが、「インセル」と「PUA」はともに女性憎悪をこじらせた結果生まれた“モンスター”であることには変わりありません。憎悪を女性にぶつける手段の一つとしてナンパを捉えているか否かの違いだけであり、「同じ穴の狢」なのです。≫
手品でよくある「右を選んでも左を選んでも双方に正解が仕込まれており、いずれを選んでも術者が成功できる」というトリックを見せつけられているかのようです。
勝部氏は近年の恋愛工学にはそうした(自分を相手にしなかった女性への復讐目的の)ものが多いのだと説くのですが、本当でしょうか。何しろ氏は「法律でナンパを禁止しろ」との極端な主張の主です。
しかし、これも先のフェミニズムの論理を鑑みれば納得です。
すなわち、「結婚がレイプ」である以上、ナンパもミソジニーでないはずはない。両者(非モテもナンパ師も)はまさに勝部氏の言うように「同じ穴の狢」なのです。
結局、非モテであろうとモテであろうと、男が女に性的欲望を感じる限りは許してもらえない、みなミソジニストなのです。フェミニストが同性愛者を崇拝するのは、こんな理由があったわけですね。(さらに言えば、そんなわけなのでこの「インセル≒PUA」論はフェミニズム界隈でよく言われることで、決して勝部氏のオリジナルではありません。)
無視される「幸福格差」
本件において、容疑者は「不特定の女性に殺意を持った」のかもしれない。しかし「勝ち組の」「幸せそうにしている」者(対象限定)を恨んでいたと言っている以上、これはどちらか言えば、貧困問題と捉えることは自然ではないでしょうか。
事実、日本は男女で驚くべき「幸福格差」のある国である、との指摘は時おりなされます。即ち、仮にこの世に「女性憎悪」とやらいったものが存在するのであれば、それは「女性の方が幸福だから」であると言え、むしろ問題はそうした「男女格差」にあるのではないか。いかにフェミニストが男性が富を独占していると叫ぼうが、実際には専業主婦として分配を得ているのが普通であり、その逆はほぼないのが実情です。
「待て、女性殺害が許されないのは当たり前だ。しかし男性殺害ならいいわけでもあるまい」と。
もちろんその通りです。
しかしそれ以前の問題として、世界中で普遍的に、殺人事件の被害者は男性が圧倒的に多く、そしてまた、日本では世界でも殺人事件が圧倒的に少ないのです。
ただし、日本においては殺人事件の絶対数が少ないがため、比率が接近し、一時的に女性の被害者率が上がったこともありました。ハフポストにおける小笠原泰氏の記事など、「フェミサイド続発!」としていますが、この事実を恣意的に採り挙げてミスリードがなされているとしか思えません(※参考記事:Prof. Nemuro氏 「日本にフェミサイドは存在しない」)。
ましてや、現代社会では女性の生命は実際には男性のそれよりも何倍も慮られている様に感じます。例えば、女性が一人過労死すると大騒ぎされるという社会の状況は、それを雄弁に物語っています(過労死はもちろん問題ですが、現実として男性の過労死者数は女性の15~30倍にもなります。労働人口で言えば、男性は女性の1.5倍ほど多いのにも関わらずです)。
そんな中、フェミニズムが「商売」をやっていくにはどうすればいいか。
容疑者の供述から「勝ち組の」「幸せそうな」を削るしかなかったのではないでしょうか(逆に上記の笛美氏は自分たちの勝利を確信し、堂々と「幸せ」を相手に見せつけたところでその地位が揺らがぬと確信なさっているのでしょう)。
無理がありすぎる「フェミサイド」の一般化
問題は非正規労働者などワーキングプアの救済だと思うのですが、フェミニストたちはあくまで「弱者男性たちを矯正せよ」「ついてはそのために我々に予算をよこせ」と絶叫する(事実、勝部氏はそうツイートしていました)。
今回の事件の状況は明らかに下層の男性が上にいる女性を羨んでいる、というものです(容疑者が当初、コンビニ店員を狙ったように常に女性が上にいると限らないとはいえ、です)。
しかしフェミニストたちはそんな男性たちをこそ攻撃し続けます。
おそらく勝部氏の、そして全フェミニストの悲願は日本版エリオット・ロジャーの出現だったのではないでしょうか。容疑者がSNSに女性への憎悪を書き込んでいた……といった展開こそが、理想であったことでしょう。そうすればそうした反フェミ的思想を攻撃する口実ができるのですから。
では勝部氏のような男性フェミは何故そんなことの片棒を担ぐのかとなると、もちろん、女性の味方のフリをすることでモテようという算段もありましょうが、それ以上に男の中の弱い者をいじめる口実がほしいのではないか、ということが彼らの中の男性への憎悪ともいえる表現を見ていると、ひしひしと感じられてならないのです。
こう見てくると、「フェミサイド」とは、女性が被写体となった表現を何でもかんでも性差別であると強弁するのと全く同じで、女性が被害者となった事件を何でもかんでも性差別に結びつけるだけの、雑な概念としか思えません。
そしてその本丸は(女性表現のキャンセルと全く同様に)フェミニズムの思想や価値観を押しつけ、それに反する考えをキャンセルしようというものだったのです。
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
ブログ『兵頭新児の女災対策的随想』を運営中。