世間の対応は「自業自得」か
お忘れになった方のために再度事案を確認しますと、小山田氏は東京五輪・パラリンピック開会式の楽曲担当だったのですが、過去のいじめ問題が問題視され、辞任することになりました。その上、辞任以降も関わった番組の放送中止や楽曲差し替えが続き、所属しているバンド「METAFIVE」が発表予定であったアルバムまでが発売中止となりました。
そこまでする必要があるのか…と思わせるような処置ですが、小山田氏が行っていたいじめが、障害のある同級生に対する「排泄物を食べさせる」「服を脱がせ裸で歩かせる」「自慰行為を強要する」などなど、どう考えても擁護のしようのないものであり、しかもそれを雑誌インタビューで再三、得意げに話していた、といった常軌を逸しているとしか言いようのない悪質性が今回の世間の対応を招いたのではないでしょうか。
問題のインタビューは『月刊カドカワ』1991年9月号、『ロッキング・オン・ジャパン』1994年1月号、『クイック・ジャパン』1995年9月号などに掲載されたもの。いずれもサブカル雑誌といっていいものです。
自分より弱いものを虐げる哀しき「弱者」
もちろん本件で一番悪いのは小山田氏ですし、いくら何でもその悪質さは度を越しており、サブカルの連帯責任とするわけにはいかない、と思われるかもしれません。しかし複数の雑誌にこのようなインタビューが掲載されたということは、スタッフや読者がそれを面白がり、称揚していたということでもあります。その意味でやはりこれらの問題は小山田氏一人ではなく、「サブカル」全体がある程度でも内包していたもの、と考える他はないのです。
精神病者や障害者、ドラッグや性犯罪、殺人や動物虐待、死体などを見世物のように扱い、それが気の利いたことであるかのように面白がるという機運があったのです。業界全体に不謹慎な行動や発言を「武勇伝」として語り、それが受けるというムードがあったわけです。
これは「エログロ」と呼ばれるように、左派にとってはグロテスクなものもポルノ同様、体制へのカウンターだからなのでしょう。
町山智浩氏が本件に反応し、ツイッターで「当時の悪趣味文化は80年代的なオシャレ、モテ文化に対する反抗であり、小山田と自分たちは別だ(大意)」とつぶやいていました。
確かにサブカルとはいっても小山田氏は「渋谷系」と呼ばれたりで、それらに比べるともう少しお洒落なジャンルで活躍していた人物だったかとは思います。インタビューが載った三誌も本来、そういう路線に近かったように記憶しております。
しかしそれでも、サブカル全体にそうした厨二的な不謹慎を楽しむムードがあったのは事実でしょう。
学校内の「主人公」ではなかった小山田氏
イジメ対象であった彼は『月刊カドカワ』では「K」、『クイック・ジャパン』では「沢田君」とされていますが、小山田氏は彼の障害を散々笑いものにし、縛り上げて段ボールに閉じ込め、黒板消しの白墨で攻撃するなど、とにかく凄惨にいじめていたのです。
小山田氏は再三、自らを彼の「ファン」と表現します。実のところ、鼻炎の非道い彼のためにボックスのティッシュを買ってやり、首から下げるようにしてやったりもしていて、「いい話」と自画自賛してもいます。
しかしこの「ファン」という表現こそが彼が沢田君をおもちゃにしていた、つまり友人として見ていなかった証拠です。
想像ですが、沢田君も他に構ってくれる者がおらず、両者は「共依存」的関係に陥っていたのでしょう。また、小山田氏の振る舞いに多少なりとも節度があれば「いじめもしたが、面倒も見ていた」といった関係になり得たものを、彼の振る舞いはそうした次元を軽く踏み越えたものでした。
≪ 暗記には異常に強かった。俺はいつもビクビクしてたの。ある日、突然キリっとした顔して真面目なこと言い出したら怖いなって。「本当は俺は……」って。≫(351p)
意味がおわかりでしょうか。この沢田君(K君)は学習障害がある一方、博覧強記的一面があり、小山田氏にとってはそこが脅威でした。自分よりも下の者をいじめることで心の安定を得ていた小山田氏ですが、もしその相手の方が頭がよかったという大逆転劇が起こったらどうしよう…という怯えが、彼には常にあった。だからこそいじめていた、という仮定も成り立ちましょう。
そして、先走るようですが、ぼくはこれを見ていると、サブカルとオタクとの関係性を想起させずにはおれないのです。
この『クイック・ジャパン』は90年代、盛んに『エヴァ』特集を組みながら、一方でやたらとオタクをこき下ろす特集や投稿を掲載しており、「妙な雑誌だなあ」との印象を持っておりました。三誌の中でもなまじ路線がオタク寄りであるが故に、オタクを馬鹿にし続けていたわけです。
階層の逆転を恐れる人たち
サブカルはオタクを自分より下と考え、バカにしてきた。しかしどこかで自分たち以上のポテンシャルを持っているのではないかと怯えていた。そしてまさにオタクたちは社会的成功を得た。ある日、「本当は俺は…」と口を開き、彼らを凌駕してしまったのです。
上の町山氏の発言は、「自分たちは小山田氏よりもヒエラルキーが下であった、だからカウンターで反社会的なことをやってみせたのだ」というものであると言えます。自分をある種の「反体制」に位置づけての発言です。
しかし悪趣味・鬼畜ブームはさらに弱い者への攻撃でしかありませんでした。結局、自分の不遇さを根拠に攻撃性を発露しつつ、自分が踏みつけにした者への想像力を全く欠いた、「バイクを盗られたりガラスを割られたりした者」のことを考えることのできない反体制ごっこでしかなかったのです。
これはフェミニストや左派が「上に対するルサンチマン」を出発点にしながら、結局は攻撃性をさらに弱い者に向ける傾向と「完全に一致」しているというべきでしょう。前回、フェミニストがトランス女性を政治の道具として使おうとしたがため、一般女性がその被害に遭い兼ねない状況に陥っているとお伝えしましたが、本件と構造が大変似ているのではないでしょうか。
「いじめをポジティブにとらえる」という謎の価値観
そもそもがこの記事は村上清氏の連載、「いじめ紀行」の記念すべき第一回。
村上氏は先行する『ロッキング・オン・ジャパン』の記事を読んで心ときめかせ、「いじめってエンターテイメント!?(52p)」との信念の下、小山田氏と沢田君、そしてもう一人の被害者であった村田君にも連絡を入れ、対談させようとします。
(村田君も当然仮名であり、裸にした(※)、自慰を強要したのは彼の方だったようですが、「排泄物を食べさせた」に関しては同誌に記述がなく、誰が被害者なのか判然としません)
※8月11日追記:このいじめの件については、コメントで「小山田氏が率先してやったというわけではない」とのご指摘をいただきました。確かにその通りで、インタビューにおいても「笑ってたんだけど、ちょっと引いている部分もあった」とされています。ご指摘、ありがとうございました(筆者)。
村田君については実家に電話するも、彼のお母さんが出て、本人はパチンコ屋に住み込みで働いているとの答え。お母さんは「(小山田氏にいじめられていた)中学時代には自殺も考えていた」と話すのですが、村上氏は構わず村田君の連絡先を聞き出そうとし、電話を切られてしまいます。
沢田君の家にはノーアポで突撃、卒業後、人とあまりしゃべらなくなり、社会復帰できずにいるという本人に直接の面会を果たします。「小山田君とは、仲良くやってたと思ってましたけど(67p)」と驚く母親に対談を要求し、断られてしまいます。
その結果、記事は小山田氏へのインタビューという形を取ることになるわけですが、小山田氏はやましくはないのかと聞かれても、
≪「うーん……。でも、みんなこんな感じなのかもしれないな、なんて思うしね。いじめてる人って。僕なんか、全然、こう悪びれずに話しちゃったりするもんねえ」≫(68p)
と返すのみ。村上氏も、
≪――ええ。ぼくも聞きながら笑ってるし。≫(68p)
と平然たるものです。
これら記事をまとめ、村上氏は、
≪以上が2人のいじめられっ子の話だ。この話をしている部屋にいる人は、僕もカメラマンの森さんも赤田さんも北尾さんもみんな笑っている。残酷だけど、やっぱり笑っちゃう。まだまだ興味は尽きない。
≫(64p)
とご満悦。
赤田とは当時の同誌編集長、赤田祐一氏のことで、北尾は編集者の北尾修一氏。ちなみにこの北尾氏は上に挙げた記事でも述べたように『嫌オタク流』の仕掛け人でもあります。同記事の価値観は『クイック・ジャパン』全体に共有されていたことに、ここまで来て異論のある方はいらっしゃらないでしょう。
≪今回ぼくが見た限りでは、いじめられてた人のその後には、救いが無かった。でも僕は、救いがないのも含めてエンターテイメントだと思っている。それが本当のポジティブってことだと思うのだ。
≫(71p)
何がポジティブなのかさっぱりわかりませんが、記事の最終ページは、沢田君から小山田氏の下へと届いた年賀状が一ページ丸々使って掲載されています。インタビュー内で、字の下手さを嘲笑していた年賀状を、です。
恐らく村上氏の言う「本当のポジティブ」というのは「自分より下の者を見下すことで、心の安寧を得ること」そのものだったのではないでしょうか。
一つに、上にも挙げた北尾氏が、釈明めいたことを述べていたのですが、それがまた、非道いものあること。
もう一つ、小山田氏は和光学園の出身であり、当然、件のいじめもそこが舞台となっているのですが、そこでは障害者と健常者との共同教育(両者を同じ環境で学ばせようという教育方針)が行われているとのことで、これがある意味では、本件の原因となっていたのでは…と思えるということ。
次はこれら二点について、幾度かに分けてご紹介させていただこうかと思っております。
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
ブログ『兵頭新児の女災対策的随想』を運営中。