「真実」は関係がない形骸国会
日頃、ヤジを浴びせる側が「ヤジは許せない」と開き直って一国の総理に謝罪させたり、事実そっちのけで白を黒と言いくるめて印象操作したり、今の国会のありさまは一般社会の常識では考えられない「不見識」で「異常」な場になり果てている。
これが国権の最高機関だというのだから、日本のレベルも推して知るべし、である。主役は今回も立憲民主党、国民民主党、共産党、社民党である。そのレベルの低さを、森雅子法相謝罪事件を例にとって考えてみよう。
3月9日の参院予算委員会で、森雅子法務大臣が「震災の時に検察官は福島県いわき市から市民が避難していない中で最初に逃げた」「その時に身柄拘束している十数人を理由なく釈放した」と答弁。これに対して立憲民主党の安住淳国対委員長は「全く事実無根。政府見解を出してもらいたい」と、政府が公式見解を示すまで衆参両院の審議を拒否する戦術を採った。
新型インフルエンザ等特措法改正案を通す折も折、結局、森法相は安倍首相から厳重注意を受け、謝罪と発言の撤回に追い込まれた。だが、森発言は本当に「事実無根」だったのだろうか。
私は2011年3月11日に起こった東日本大震災、あるいは福島第1原発事故を取材するために福島県いわき市を拠点にしていた。その経験を踏まえ、いわき市で見聞きしたことを記述する。
福島第1原発は大津波で全電源を喪失し、原子炉がメルトダウン。格納容器爆発による放射能汚染の危機が迫った。いわき市民も浮き足立った。自家用車を持つ家庭の中には、いわきを後にした家庭も少なくなかった。それは公の機関も同じだった。
福島地検いわき支部には震災発生時に強制猥褻犯を含む容疑者12人が勾留されていた。しかし、汚染危機が迫る中、いわき支部はこの12人を処分保留で釈放したうえ3月16日に閉庁し、郡山に移ったのである。検事たちは、原子炉が落ち着いた9日後に郡山からいわきに帰り、日常業務に戻った。
これが明らかになった時のいわき市民の怒りは大きかった。強制猥褻犯を含む容疑者たちを解き放って自分たちがさっさと郡山に逃げてしまったのだから無理もない。いわきは当時、避難地域ではなく、市民の大半は同地に残っていたのだ。
これを問題にしたのが、いわき出身の弁護士で自民党参議院議員の森雅子氏だった。森氏は当時の民主党政権を徹底的に追及し、2カ月後、江田五月法相が福島地検検事正を更迭したのである。釈放された容疑者がすぐに再犯したことで、いわき市民の怒りが頂点に達したことからも森氏の心情は想像がつく。私は江田法相、そのあとの平岡秀夫法相といった当時の民主党政権が執拗(な森氏の追及にしばしば立ち往生となったことを記憶している。
今の立憲民主党は当時の民主党政権の議員たちを中心に構成されている。もちろんこの問題の事情は熟知している。だが、そんなことはおくびにも出さず、「事実無根」「謝罪せよ」と噓で塗り固めた攻撃に終始したのだ。特にひどかったのは蓮舫氏だ。3月16日、質問に立った蓮舫氏は、「3月11日、その当日に国会で東日本大震災に関する噓を言う森法務大臣。なぜ辞めさせないんですか」と言ってのけた。事実を知っていながらこの質問をする神経には恐れ入る。人として許されるのか、という類いの話である。
そして野党は 〝いつもの〟欠席戦術に出た。だが、ここで驚くのは自民党の森山裕国対委員長が自党の大臣を守るのではなく、野党の言い分を丸呑みして謝罪させるべく動いたことである。国民から見れば、野党が欠席戦術を採れば、そのまま放っておけばいい。いつまでも〝寝かせた〟ままにしておけばいいはずである。その方が聞くに堪えないような難癖質問を聞かずに済むし、国民も愛想を尽かすだろう。
しかし自民党は野党にすり寄り、「謝罪させますから、どうぞ国会にご出席下さい」とお願いするのである。自民党と社会党でつくり上げた馴れ合いの〝55年体制〟がこれだ。60年以上も続く国会の悪しき慣行が未だに幅を利かしているのだ。
国会での質疑はテレビ中継され、ネットでも多くのやりとりを観ることができる。つまり、国会とは国民の手本であるべき存在だ。そこで「真実」が無視され、「虚偽」が大手を振る。これを許す自民党国対と、それを任命している安倍首相──国民がこんな茶番をいつまで許しているのか、私にはそちらの方が問題のように思える。
門田 隆将 (かどた りゅうしょう)
1958年、高知県生まれ。作家、ジャーナリスト。著書に『なぜ君は絶望と闘えたのか』(新潮文庫)、『死の淵を見た男』(角川文庫)など。『この命、義に捧ぐ』(角川文庫)で第十九回山本七平賞を受賞。最新刊は、『新聞という病』(産経セレクト)。
これが国権の最高機関だというのだから、日本のレベルも推して知るべし、である。主役は今回も立憲民主党、国民民主党、共産党、社民党である。そのレベルの低さを、森雅子法相謝罪事件を例にとって考えてみよう。
3月9日の参院予算委員会で、森雅子法務大臣が「震災の時に検察官は福島県いわき市から市民が避難していない中で最初に逃げた」「その時に身柄拘束している十数人を理由なく釈放した」と答弁。これに対して立憲民主党の安住淳国対委員長は「全く事実無根。政府見解を出してもらいたい」と、政府が公式見解を示すまで衆参両院の審議を拒否する戦術を採った。
新型インフルエンザ等特措法改正案を通す折も折、結局、森法相は安倍首相から厳重注意を受け、謝罪と発言の撤回に追い込まれた。だが、森発言は本当に「事実無根」だったのだろうか。
私は2011年3月11日に起こった東日本大震災、あるいは福島第1原発事故を取材するために福島県いわき市を拠点にしていた。その経験を踏まえ、いわき市で見聞きしたことを記述する。
福島第1原発は大津波で全電源を喪失し、原子炉がメルトダウン。格納容器爆発による放射能汚染の危機が迫った。いわき市民も浮き足立った。自家用車を持つ家庭の中には、いわきを後にした家庭も少なくなかった。それは公の機関も同じだった。
福島地検いわき支部には震災発生時に強制猥褻犯を含む容疑者12人が勾留されていた。しかし、汚染危機が迫る中、いわき支部はこの12人を処分保留で釈放したうえ3月16日に閉庁し、郡山に移ったのである。検事たちは、原子炉が落ち着いた9日後に郡山からいわきに帰り、日常業務に戻った。
これが明らかになった時のいわき市民の怒りは大きかった。強制猥褻犯を含む容疑者たちを解き放って自分たちがさっさと郡山に逃げてしまったのだから無理もない。いわきは当時、避難地域ではなく、市民の大半は同地に残っていたのだ。
これを問題にしたのが、いわき出身の弁護士で自民党参議院議員の森雅子氏だった。森氏は当時の民主党政権を徹底的に追及し、2カ月後、江田五月法相が福島地検検事正を更迭したのである。釈放された容疑者がすぐに再犯したことで、いわき市民の怒りが頂点に達したことからも森氏の心情は想像がつく。私は江田法相、そのあとの平岡秀夫法相といった当時の民主党政権が執拗(な森氏の追及にしばしば立ち往生となったことを記憶している。
今の立憲民主党は当時の民主党政権の議員たちを中心に構成されている。もちろんこの問題の事情は熟知している。だが、そんなことはおくびにも出さず、「事実無根」「謝罪せよ」と噓で塗り固めた攻撃に終始したのだ。特にひどかったのは蓮舫氏だ。3月16日、質問に立った蓮舫氏は、「3月11日、その当日に国会で東日本大震災に関する噓を言う森法務大臣。なぜ辞めさせないんですか」と言ってのけた。事実を知っていながらこの質問をする神経には恐れ入る。人として許されるのか、という類いの話である。
そして野党は 〝いつもの〟欠席戦術に出た。だが、ここで驚くのは自民党の森山裕国対委員長が自党の大臣を守るのではなく、野党の言い分を丸呑みして謝罪させるべく動いたことである。国民から見れば、野党が欠席戦術を採れば、そのまま放っておけばいい。いつまでも〝寝かせた〟ままにしておけばいいはずである。その方が聞くに堪えないような難癖質問を聞かずに済むし、国民も愛想を尽かすだろう。
しかし自民党は野党にすり寄り、「謝罪させますから、どうぞ国会にご出席下さい」とお願いするのである。自民党と社会党でつくり上げた馴れ合いの〝55年体制〟がこれだ。60年以上も続く国会の悪しき慣行が未だに幅を利かしているのだ。
国会での質疑はテレビ中継され、ネットでも多くのやりとりを観ることができる。つまり、国会とは国民の手本であるべき存在だ。そこで「真実」が無視され、「虚偽」が大手を振る。これを許す自民党国対と、それを任命している安倍首相──国民がこんな茶番をいつまで許しているのか、私にはそちらの方が問題のように思える。
門田 隆将 (かどた りゅうしょう)
1958年、高知県生まれ。作家、ジャーナリスト。著書に『なぜ君は絶望と闘えたのか』(新潮文庫)、『死の淵を見た男』(角川文庫)など。『この命、義に捧ぐ』(角川文庫)で第十九回山本七平賞を受賞。最新刊は、『新聞という病』(産経セレクト)。