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いわた あつし
1983年生まれ。日本学術機構代表理事。早稲田大学政治経済学部政治学科在学中に『日本人の歴史哲学』(展転社)を出版。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。著書に『平和の敵 偽りの立憲主義』(並木書房)、『「リベラル」という病 奇怪すぎる日本型反知性主義』(彩図社)、『政治学者、ユーチューバーになる』(ワック)などがある。

「河野は偽悪者なんだ」

 血筋、血統で他者を批判するのは愚かなことだろう。たしかに、小林秀雄や江藤淳の両親、祖父母を徹底的に調べ上げたとしても、評論家としての小林秀雄や江藤淳の真の姿に肉薄することはない。思想評論はあくまで個人の思索の産物であり、そこに血筋や血統を持ち出すのは筋違いである。

 だが、世襲政治家の場合はどうか。最も身近に存在する政治家としての父、祖父の影響を抜きにその政治家を論ずることは不可能だろう。岸信介を論ずることなく安倍晋三を語るのは滑稽でしかない。憲法改正、日米安保の改定。岸は保守政治家として力の限りを尽くした。だが、日米安保改定で挫折した政治家でもあった。安倍は祖父の志を果たさんと果敢に取り組み、挫折を乗り越えようと命の限りを尽くした。岸なくして安倍なし。誰もが理解できる。常識だろう。
 政治家を志す原点が父や祖父にあった場合、彼らの志や無念を語らずに当人を論じても無意味である。

 私は河野一郎、洋平、太郎の河野家3代について論ずる。懐古趣味であったり物好きという立場から論じようとは思わない。河野3代の歴史を辿ることにより、次期総理との呼び声高い河野太郎を分析する。極めてアクチュアルな現代的課題として、河野3代の功罪を問う。

 河野一郎は首相にこそなれなかったが、日本政界・自民党の実力者だった。『河野一郎自伝』(徳間書店)を一読すれば明らかなように、一郎は豪放磊落な政治家だったのだろう。保守陣営に属しながら、国会で吉田茂を徹底的に批判する。この迫力は余人をもって代えがたいものがあった。だが、厳密に精査してみると一郎は豪放磊落な政治家を演じていたと評すべきであろう。(続きは本誌にて!)
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『WiLL』2023年5月号(3月24日発売!)

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