「人間の盾」とマリウポリ
念のため簡単に振り返ると、NATO軍は3月8日の国際女性デーに公式アカウントに載せたツイートを削除せざるを得なくなった。
その理由は、ツイートに添えた写真に写っていたウクライナ政府軍女性兵士の胸章が、マリウポリを本拠地とするウクライナ内務省の軍事組織「アゾフ連隊」が採用しているネオナチのシンボルだったからだ。
しかし他の警ら隊と異なり、アゾフ連隊はナチスドイツが使っていたシンボルを多用するなど反ロシアの極右ネオナチ組織とみなされていて、ドンバス地方の紛争で敵の攻撃対象になりそうな地点に女性や子供、妊婦など脆弱(ぜいじゃく)な市民を半ば強制的に配置して「人間の盾」とした前科がある。
国際社会からアゾフ連隊を始めとするウクライナ国内のネオナチ勢力の伸長に懸念の声が広がる中、アゾフ連隊をつくったアヴァコフ氏が内務大臣に昇格し、アゾフ連隊について「国家防衛闘争の質のしるし」などとその活動を公然と支持する発言を繰り返したことから、ウクライナ政府の中枢にまでネオナチ勢力が入り込んでいる実態が明らかになっていた。
「人間の盾」を配置した建物が攻撃されれば子供や女性や市民が死に、負傷し、逃げ惑うことになる。その映像を撮影して世界に配信すれば、プーチンとロシア人の残虐性を世界に強烈にアピールすることができる。実際にドンバス地方では2014年以降、アゾフ連隊によって「つくられた被害者」の映像が数限りなく発信され続けてきた。
脆弱な市民の被害を強調する情報戦によって敵国と敵国のリーダーを「悪魔化」する手法は、第1次世界大戦の頃から英米のメディアで多用されている。
第1次世界大戦では英米が「ドイツ軍がベルギー女性の腹をかき切って殺した」とか「子供を持ち上げて銃剣で刺した」といった残虐映像を捏造(ねつぞう)して、自国のメディアに報道させ国際世論を「ドイツ性悪説」に誘導したことで知られている。
こうしたフェイクニュースによる大衆プロパガンダは、「被害を捏造する当局」と「それを報道するメディア」の共犯関係によって成立する。
NHKの露骨な視聴者誘導
私は「マリウポリの総合病院がアゾフ連隊の支配下に入っている」という情報を事前に得ていたので、まず「人間の盾」戦術によるプロパガンダを疑った。
ところが日本の大手メディアはこの「産院爆撃」がウクライナ政府内のネオナチ勢力による情報戦の一環である可能性を全く検証する事なく、徹頭徹尾「ロシア軍の残虐行為」を強調した。
一つの例として、3月11日夜の『NHKニュースウォッチ9』を検証してみる。
この日はトルコでロシアとウクライナの外相会談が行われたので、冒頭トルコの会談会場からの中継記者レポートがあり、その後キャスターの和久田麻由子アナウンサーが原稿を読み上げた。
「ロシアが軍事侵攻を始めてから2週間です。ロシアの圧倒的な軍事力を前に、市民の犠牲者の増加に歯止めがかかりません」
この和久田アナのコメントは、テレビ業界では《総合リード》と呼ばれる。ウクライナ情勢などの重大ニュースの場合、ニュース項目は複数のブロックが組み合わされるが、その全体像を示すものが総合リードだ。
総合リードは番組サイドではなく、外信部長と外信デスクが執筆し、重大ニュースの場合には報道局長も口出しする。短い文章の中に、NHKという組織がこのニュースをどうとらえ、どう伝えるかという意思を込めるのが総合リードということだ。
VTRは最初に露・宇外相会談のドキュメントを3分ほど伝えたあと、マリウポリの「産院の被害」を報道するパートに入ると、映像のつくりが一変する。
まず、瓦礫(がれき)を踏みつけるような音から、ドーンという爆発音。女性の叫び声と泣き叫ぶ子供の声。
手持ちの不安定なカメラは、不安げな女性と「パニックにならないで」と大声を出す男性を映し出す。
画面が変わると、身重の妊婦を乗せた担架が、瓦礫だらけの階段をそろそろと降ろされている。担架はそのまま病院の外に出て、廃墟の街をゆっくりと運ばれていく。
画面には大きなフォントで「出産を控えた妊婦」。
「ウクライナ東部のマリウポリでは産院などが入る病院が ロシア軍の攻撃を受けました」
「病院内の映像です」
「新生児の治療に使う器具やベッドが散乱しています」
「ケガ人の中には、容易に動くことができない妊婦も」
次に映し出されたのは、マリウポリ当局の警察幹部と見られる中年男性のインタビューだ。
「産院で女の子と子供たちが負傷した」
「これは言い訳が通らない戦争犯罪だ」
「ロシア国防省は10日、『マリウポリ市郊外の複数の地区を掌握した』として、さらなる被害が懸念されています」
というナレーションには「ロシア国防省」という字幕スーパーが当てられ、そこに負傷して手当を受ける子供と女性、そしてブランケットに包まれて立ち尽くす女性の印象的な映像が当てられていた。
「ただの無知」か「意図的な報道」か
今回のように戦争が始まれば情報戦はさらに激化する。双方が戦況を有利にするためにフェイクニュースを流し、あるいは本当の被害をフェイクニュースとして否定する。
報道機関に求められるのは、そうした情報操作の片棒を担がされないように、ファクトを慎重に見極めることだ。
例の「産院」は元はマリウポリ有数の総合病院だったが、アゾフ連隊の支配下に入っている事は事前にわかっていた。
空爆当時この総合病院がどういう状態だったかは確認のすべがないが、少なくともロシア側がこの施設をネオナチの拠点と受け止めていたことはよく知られており、いつ攻撃を受けてもおかしくない状態だった。
それなのに、なぜ身重の妊婦は攻撃が本格化する前に避難しなかったのだろうか?
今回の「産院攻撃の被害者」が
・本当にたまたま出産を控えてあの病院にいた不運な被害者なのか
・アゾフ連隊によって「人間の盾」にさせられた被害者なのか
・被害を捏造するために仕込まれた「クライシス・アクター」なのか
3月10日段階で真実を確定できる人物は、日本にはいなかったはずだ。
しかも、マリウポリの警察など当局の幹部は、ほとんどがアゾフ連隊の幹部か関係者だと見られている。NHKのVTRで出てきた「産院で女の子と子供たちが負傷した」「これは言い訳が通らない戦争犯罪だ」と語った「マリウポリ当局の男」も、アゾフ連隊の構成員か関係者である可能性が極めて高いのだ。
しかし戦争当事者ではない日本の大手メディアが、産院の被害が「人間の盾」戦略である可能性や、被害そのものが捏造されたり誇張されたりしている可能性を検証しないまま、マリウポリ当局の主張を無批判に報道すべきだったか。
今回の「産院の被害」を巡るNHKをはじめとする日本の大手メディアは、「人間の盾」戦術でたび重なる前科があるにもかかわらず、アゾフ連隊の本拠地であるマリウポリの「産院の被害」が、人間の盾による作られた被害だった可能性も、あるいは被害そのものがフェイクニュースだった可能性も検証しないまま、「ロシア軍の無辜の市民への蛮行」と断定し強調する報道を繰り返した。
この一点だけをとらえても「公正公正な姿勢で真実を伝える」という報道機関としての社会的機能を果たす気がないことは明白である。
前述の通り、大衆プロパガンダは「被害を捏造する当局」と「それを報道するメディア」の共犯関係によって成立する。
もう一度、NHKの「総合リード」を思い出してほしい。「ロシアの圧倒的な軍事力を前に、市民の犠牲者の増加に歯止めがかかりません」という文言は、NHKが組織としてプロパガンダの片棒を担ぐと宣言したに等しい。
その上で問われなければならないのは、彼らが「ジャーナリズムの基本すら知らない無邪気なバカ者」なのか、あるいは「悪意を持って日本人を特定方向に誘導しようとする特定勢力の出先機関なのか」という、重大な疑惑である。
1966年、東京都生まれ。フリージャーナリスト。
1990年、慶應義塾大学経済学部卒後、TBS入社。以来25年間報道局に所属する。報道カメラマン、臨時プノンペン支局、ロンドン支局、社会部を経て2000年から政治部所属。2013年からワシントン支局長を務める。2016年5月、TBSを退職。
著書に『総理』『暗闘』(ともに幻冬舎)、新著に『中国に侵略されたアメリカ』(ワック)。