江戸時代の対日ヘイトスピーチ

「(日本人は)穢(けが)れた愚かな血を持つ獣(けもの)人間だ!」
「日本人は人柄が軽率で凶悪であり、女はうまれながらに淫(みだ)らである」
「その淫らな気風は禽獣(きんじゅう)と何の変りもない」

 これらの人種差別的な暴言は、現代の〝ヘイトスピーチ〟ではありません。江戸時代に朝鮮王朝から徳川幕府にやってきた外交使節団「朝鮮通信使」が、帰国後に書いた「日本紀行」や「日本論」に出てくる記述です。彼らは日本に対して、いたるところで罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせていました。
 朝鮮使節団は何も、日本で差別的な待遇を受けたわけではありません。むしろ当時の江戸幕府と接待に当たった沿道の各藩は財力と誠意の限りを尽くし、最高級の賓客として〝おもてなし〟しました。通信使のために、わざわざ宿舎を新造する大名もいたほどです。現代も変わらぬ日本人の「おもてなし精神」は、〝新参者の日本人〟である私も実感しています。
 だからこそ、朝鮮通信使たちの暴言を目にしたとき、ショックで怒りを抑えられませんでした。同時に、あれほどの〝おもてなし〟を受けていながら、日本人のことを「禽獣」とか「獣人間」と言う朝鮮の知識人がどんな精神構造なのかが気になりました。資料を読み込むと、韓国が病的な日本批判を繰り返す〝謎〟を解くことができたのです。

 朝鮮通信使は江戸時代の200年あまり、将軍の代替わりや、将軍家の長男誕生といった慶事に日本を訪問しています。日本の教科書や歴史書には、彼らのことを「〝信を通じ合う〟ための親善外交団だった」と書かれていますが、それは大きな誤りです。
 本来、国家間の善隣外交は対等的なものです。しかし朝鮮王朝は12回も使節団を派遣しているのに、江戸幕府が朝鮮に使節を派遣したことは一度もありません。朝鮮は一方的に、将軍家の慶事への祝賀のために日本に使節団を送り続けた。当時の中華帝国皇帝に対する周辺国の朝貢と何の変わりもありません。つまり、朝鮮通信使とは「朝貢使節団」だったのです。

 1回目の朝鮮通信使が江戸に到着したのは、1607年5月24日のこと。江戸城大広間で「国書伝達」が行われたあと、朝鮮側の上使・福使の3使臣は将軍秀忠に対して「4度半の礼」をしています。
「4度半の礼」とは、主君に対する臣下の拝礼です。本来、朝鮮側の上使は朝鮮国王の名代なので、もし朝鮮王朝と徳川幕府が対等な関係なら、朝鮮の3使臣は「4度半の礼」ではなく「2度半の礼」を行うはずです。しかし、中華帝国を頂点とした当時の東アジアの華夷秩序において、外国の君主に「4度半の礼」を行った場合、それは相手国への「朝貢の礼」となるのです。
 当時、のちに清を建国する満洲族に圧迫されていた朝鮮は、彼らに朝貢しながらも、安定的なアジアの一等国である日本にも朝貢してきたのです。朝鮮半島国家の生存戦略である「事大主義」(「強い勢力に従う」という外交方針)です。

 ところが、「朝鮮通信使は朝貢使節団だった」という事実を指摘している日本の学者はほとんど皆無です。自国を批判することを「仕事」としているような〝左〟だらけの日本の歴史学会ですから、ムリもありません。
 また江戸の日本は、江戸という世界最大級の大都市と、「天下の台所」といわれた商業都市・大坂を中心に物流システムが全国に広がり、経済が大きく栄えました。
 朝鮮通信使たちは、このような隣国の繁栄ぶりに驚愕し、「日本紀行」などに記しています。後年、旅行家のイザベラ・バードが同時期の朝鮮を訪問し、「ソウルこそこの世で一番不潔な町」と評しましたが、対照的な現象といえるでしょう。

 華夷秩序に従い、「朝鮮こそが文明の頂点に立つ中華に次ぐ〝小中華〟であり、文明秩序では日本よりはるかに上位だ」と妄信していた朝鮮通信使たちは、日本へ朝貢しているという事実、そして圧倒的な文明の差を見せつけられ、プライドは崩壊させられました。

コンプレックスの裏返し

 そこで彼らはまず、朝鮮版の「精神的勝利法」でアイデンティティを保とうとします。「精神的勝利法」とは近代中国の大作家、魯迅が『阿Q正伝』で描いた主人公・阿Qの考え方で、客観的には明らかな敗北を、心のなかで勝利に置き換える思考法です。ここでは「阿Q思考」と呼びましょう。
 阿Qはいつも理由なく人に殴られますが、力の弱い彼は抵抗することができません。そこで阿Qは「いま殴られたのは、息子に殴られたようなものだ。いまの世の中は息子が父親を殴る変な世の中だから、親の自分が殴られても不思議ではない。だから気にしなくていい」と考えるのです。

 朝鮮王朝は自分たちの事大主義外交を、阿Q思考を使って解釈しました。そもそも「事大」という言葉は、儒教の経典『孟子』に由来します。
 斉の国王である宣王が孟子に「隣国と交わるためにはどうあるべきか」と聞いたところ、孟子は「仁の心のある者(仁者)だけにできることですが、大国であっても小国に事えることです(以大事小)」「智のある者(智者)だけができることですが、小国が大国に事えることです(以小事大)」と答えました。
 朝鮮王朝は孟子の教えを、阿Q思考で都合よく解釈しました。対中外交は「以小事大」をそのまま解釈し、知恵を持つ小国(朝鮮)が、大国(中国)に事えていると考えたのです。

 しかし日本に対しては、小国であることを認めるわけにはいきません。そこで朝鮮王朝は、孟子の一言目「以大事小」を当てはめ、「朝鮮という『仁』を持つ格式高き大国が、あえて小国に事えている」と解釈しました。上から目線の「仁者が行う素晴らしい外交」と曲解することで、精神的に勝利することができたのです。
 さらに彼らは、劣等感から抜け出し、破壊された自尊心を守るため、徹底して日本を貶めるしかありませんでした。そこに「真実」は関係ありません。彼らの日本を侮辱する暴言は、コンプレックスの裏返しにほかならないのです。

 このような歪んだ精神構造は、朝鮮通信使の時代から現在まで受け継がれ、知識人のみならず韓国国民の多くに共有される国民的なものになりました。
 そう考えれば、「日本は残虐な植民地支配を行った」「婦女子を強制連行し、強姦する野蛮な民族だ」「日本は歴史に謙虚になるべきだ」という現代の韓国が行う歴史の捏造、侮辱、上から目線も、当時の延長線上にあるとわかるでしょう。「反日」は日本のせいではなく、歪んだ精神構造だからこその言動なのです。
 また最近のGSOMIA(軍事情報包括保護協定)の継続・破棄をめぐる「引き延ばし戦略」からも、大国に阿って決断できない「事大主義」根性が見て取れます。そんな彼らに、仲介や援助をする必要はありません。

 人間関係でも、敵意剝(む)き出しで常に上から目線の人とは、関わらないほうがいいに決まっています。それは国家関係でも変わりません。いくら日本が「礼」を尽くしたところで、返ってくるのは侮辱だけ。読者諸賢ならもうお分かりでしょう。そう、あの国とは関わってはいけないのです。
 朝鮮通信使たちの想像を絶する侮日(日本侮辱)ぶりや、精神構造については『朝鮮通信使の真実』(ワック)に詳述しています。興味のある方は、ぜひご一読ください。

石 平(せき へい)
1962年、中国四川省成都生まれ。北京大学哲学部卒業。四川大学哲学部講師を経て、88年に来日。95年、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関に勤務の後、評論家活動へ。2007年、日本に帰化。『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』で、第23回山本七平賞受賞。

関連する記事

関連するキーワード

投稿者

この記事へのコメント

コメントはまだありません

コメントを書く