濱田浩一郎:「毛沢東崇拝」再び~冷酷な支配者を称える恐怖

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毛沢東像に拝礼する若者たち

 今年(2021年)は、中国共産党成立から100年。それを記念して、中国では様々な式典や催しが開催されている。なかには「赤い聖地ツアー」といって、党の歴史の重要な舞台となった場所を訪れるものもある。それに、若者の参加が増加しているようだ。テレビ番組で「赤い聖地ツアー」の映像を見ていて私が気になったのは、中国建国の父と言われる毛沢東の銅像の前での中国人の振る舞いである。

 何と、我々、日本人が神社で二礼二拍手一拝するように、毛沢東像に向かい、拝礼しているのだ。ツアー参加者の中には「困難な状況下で新たな中国を建国したことは、全く簡単なことではなく、心から尊敬している」と語る者もいた。もちろん、毛沢東崇拝というものが過去にあったのは知っている。しかしそれは、既に過去のもので「絶対的権威者としての神聖化は崩壊」(韓敏「近代中国における毛沢東崇拝の成り立ち」『国立民族学博物館調査報告』127巻 20153.25) したと思われていた。
 しかし、前述の映像を見る限り、その神聖性が復活している様に見えるのだ。これは同国にとっても、または我々近隣諸国にとっても危険な兆候としか思われない。なぜなら、毛沢東が如何なる人物かをしっかりと認識しているならば、神聖化などありえないからだ。先ほどのツアー参加者は「困難な状況下で新たな中国を建国したことは、全く簡単なことではなく、心から尊敬している」と述べていたが、そもそも国は創れば良いというものではないのである。

 例えば、ポルポト(1928~1998)。彼はカンボジアの農家の出だが、最終的にはクーデターと内戦を戦い抜き、民主カンプチアの首相にまで上りつめた。しかし、その後、彼が何をやったかは周知であろう。自国民約300万人の大虐殺である。飢餓・虐殺の恐怖の王国を築いたのだ。そのポルポトを「民主カンプチア」を創ったからといって、崇拝・尊敬する人など、余程の変わり者以外にはいないだろう。

 私は、これから述べる理由から毛沢東を崇拝することは、ポルポトを崇拝するのと何ら変わらないと思っている。だから、毛沢東を尊敬する中国人には目を覚ましてほしいと感じているのだ。
濱田浩一郎:「毛沢東崇拝」再び~冷酷な支配者を称える恐怖

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自国民を大量虐殺したポル・ポト
via wikipedia

「漁夫の利」で建国できた毛沢東

 毛沢東は「困難な状況下で新たな中国を建国」したとの言説が中国ではあるようだが、これも間違いである。先ず、日中戦争における日本軍との戦い。中国人の中には、毛沢東率いる共産党軍が果敢に戦ったと思っている人もいるのかもしれないが、実はそうではない。毛沢東は、日本軍との戦いは、殆ど蒋介石の国民党軍に任せ、自らの兵力は温存していたのだ。そのような有様であったから、戦後の第二次国共内戦で共産党が勝利し、中華人民共和国を建国できたのは当然と言えば当然と言えよう。つまり、毛沢東は祖国が危機の時に逃げていた男だったのだ。ずる賢いと言えばずる賢いが、このような人物、尊敬できようか?
 中国の人々にとっては、日本軍と言えば「侵略」「悪」とのイメージがあるかもしれない。しかし、その「侵略」「悪」の日本軍を毛沢東は大いに感謝していたのだ。例えば、1956年、元陸軍中将の遠藤三郎氏との会談では、毛沢東は「あなたたち(日本皇軍)はわれわれの教師だ。われわれはあなたたちに感謝しなければならない。あなたたちがこの戦争で、中国国民を教育してくれ、撒かれた沙のような中国国民を団結させることができた。だから、われわれはあなたたちに感謝しなければならない」(王俊彦『大外交家周恩来』(上)、経済日報出版社出版、1998年)と述べている。

 一度の発言ならば社交辞令ということもあろうが、毛沢東は訪中した日本の政治家や左派知識人に何度も日本軍への感謝を述べているのだ。毛沢東の日本軍への感謝は本物と言えよう。なぜなら、日本軍の「侵略」がなければ、毛沢東が天下を獲ることもなかったし、中華人民共和国の建国もなかったからだ。


 敢えて皮肉を込めて言うのだが、毛沢東を尊敬する中国人は、その前提として日本軍を尊敬してもらわなければいけない。崇拝する毛沢東がそう言っているのであるから。
濱田浩一郎:「毛沢東崇拝」再び~冷酷な支配者を称える恐怖

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実は日本を尊敬していた?毛沢東

自国の「破壊者」が英雄でいいのか?

 さて、私はなぜポルポトと毛沢東を同一視するのか。それは、自国民に多大な苦痛と被害を与えたからである。建国を成し遂げた毛沢東は「イギリスを15年以内に追い越す」ことを目標として、大躍進政策を発動(1958年)。

 しかし、それは失敗し、旱魃などの自然災害、飢饉、拷問、処刑などによって、諸説あるが数千万人が死亡したと言う。更には文化大革命(1966~1976年)。事の起こりは、毛沢東の野心・奪権運動なのだが、大衆を扇動し、紅衛兵によって、政敵を攻撃し、ついには数十万から数千万の死者を出すに至った。貴重な歴史文化遺産も「旧思想・旧文化」として破壊された。以上のことを纏めると、毛沢東は中国人民虐殺の張本人であり、貴重な歴史遺産を破壊した破壊者であるのだ。このような人物を拝礼する中国人がいることに、私は戦慄する。
濱田浩一郎:「毛沢東崇拝」再び~冷酷な支配者を称える恐怖

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文革では人民の虐殺のみならず、数々の歴史遺産も破壊した
 真の歴史を知らない中国の特に若者が、洗脳・宣伝によって、毛沢東の教えに「感染」することは、世界にとっても脅威である。毛沢東は社会主義陣営の各国首脳会議(1957年)において「われわれは西側諸国と話し合いすることは何もない。武力をもって彼らを打ち破ればよいのだ。核戦争になっても別に構わない。世界に27億人がいる。半分が死んでも後の半分が残る。中国の人口は6億だが半分が消えてもなお3億がいる。われわれは一体何を恐れるのだろうか」と述べたという。何という好戦的で非情な考えであろうか。要するに、自国民が何億人死のうとどうでも良いと主張しているのだ。毛沢東を崇拝・尊敬する中国人の皆さん、それでもあなたは毛沢東を尊敬しますか?
濱田 浩一郎(はまだ こういちろう)
1983年、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員・姫路日ノ本短期大学講師・姫路獨協大学講師を歴任。現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。現代社会の諸問題に歴史学を援用し迫り、解決策を提示する新進気鋭の研究者。著書に『日本人はこうして戦争をしてきた』、『日本会議・肯定論!』、『超口語訳 方丈記』など。

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