日本共産党の志位和夫委員長。「暴力革命」を否定している...

日本共産党の志位和夫委員長。「暴力革命」を否定しているが……。

「敵の出方論」

 日本共産党の志位和夫委員長は9月8日、党本部で開いた中央委員会総会で、党内で1950年代以降に使われた「敵の出方論」という表現を使用しない方針を表明した。敵の出方論とは「革命の形態が平和的になるか非平和的になるかは敵の出方による」とする考え方であり、共産党は暴力革命を否定していないのではないかという論拠にもなっていた。

 志位氏は、
「共産党は社会変革の道筋に関して過去の一時期に敵の出方論という説明をしたが、どんな場合でも平和的、合法的に社会変革事業を進める立場だった」
「ねじ曲げた悪宣伝に使われる。この表現は使わないことを明確にしたい」
 との意見を表明し、敵の出方論を使わないと宣言したのだ。
 2016年3月、日本政府は、
「共産党のいわゆる敵の出方論に立った暴力革命の方針に変更はないものと認識している」
 との答弁書を閣議決定したが、志位氏の今回の表明は、それに改めて対抗したものととれる(総選挙が近かったということもあるのかもしれない)。

暴力革命を信奉しているのか

 それにしても、気になるのは、
「共産党はどんな場合でも平和的、合法的に社会変革事業を進める立場だった」
 という志位氏の見解である。
 また、共産党の機関紙『しんぶん赤旗』(2020年2月14日付)においても、
「日本共産党は、暴力主義的破壊活動の方針なるものを、党の正規の方針として持ったり、実行したりしたことは、ただの一度もありません。これは私たちが繰り返し明確に述べてきたことです」
 と言っていることも気になる点である。

 つまり、共産党側は、自分たちは一貫して平和主義団体であり、暴力破壊活動を実行したことはないと主張しているのだ。
 しかし、これは本当であろうか?
 1951年、共産党はいわゆる「51年綱領」というものを作成、それとともに「武装の準備と行動を開始しなければならない」という軍事方針を決定した。これにより、各地で殺人事件や騒擾事件が引き起こされたのである。
 しかし、このことを共産党は、
「当時のソ連、中国による干渉が行われ党中央委員会が解体・分裂した時代、分裂した一方の側に誤った方針・行動がありましたが、これは党が統一を回復したさい明確に批判され、きっぱり否定された問題」(前掲・赤旗)
 と片付けている。
 要は「分派した一方の側が悪かったのだ、自分たちは悪くない」と主張しているわけだ。

 ところが、これに対して共産党自身が過去に5全協(日本共産党第5回全国協議会)を、
「ともかくも一本化された党の会議であった」(51年綱領は5全協で採択された)
 と言っている(1958年、第7回党大会中央委員会報告)。
濱田浩一郎:日本共産党は一貫して平和主義だったのか?

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党の方針に共産党支持者は何を思う?

結局、同じ穴の狢(むじな)

 不破哲三前議長と上田耕一郎元副委員長の共著『マルクス主義と現代イデオロギー』(大月書店、1963年)においても武装闘争について、
「たんに常識はずれの一場の悪夢としてすまされることのできない、一国の共産党が全組織をあげ、約2年間にわたって国民にさし示した責任のある歴史的行動であった」
 と高々と話している。

 これらは「分派がやったことだ」「自分たちは悪くない」という現在の共産党の見解と、まっこうから反対するものではないか。不破氏というと、共産党委員長を務める志位氏の前任者である。現在91歳で、党の重鎮といえよう。
 しかも、この不破氏はかつて次のように主張していた。
「暴力革命唯一論者の議論は、民主主義を擁護する人民の力を無視した受動的な敗北主義の議論である。しかし、反対に平和革命の道を唯一のものとして絶対化する平和革命必然論もまた、米日支配層の反動的な攻撃にたいする労働者階級と人民の警戒心を失わせる日和見主義的楽観主義の議論であり、解放闘争の方法を誤まらせるものなのである」(「日本社会党の綱領的路線の問題点 日本における社会主義への道批判」『前衛』日本共産党中央委員会、1968年)
 と。

 平和革命は「日和見主義」「楽観主義」の側面があるとして、いたずらにこれを採るべきではないとしているのだ。
 共産党は「野党共闘の分断をもくろむ日本共産党へのいわれなき攻撃」(日本共産党国会議員団事務局、2019年3月23日)においても、51年綱領のことを「外国の干渉者たちが押しつけてきた武装闘争方針」、武装闘争のことを「党が分裂した時期の一方の側の行動であって」と述べている。
 しかし、それは果たして客観的な評価なのであろうか?
 党が分裂した時期にあったといっても、共産党の人々による行動には違いない。また、党の要職を歴任した人のなかにも、共産党が武装闘争を主導していた、または暴力革命も時にはやむなしと言っている党員がいることを、どのようにとらえているのであろうか?

 武装闘争を主導したと言える所感派の大物・野坂参三(1992年にソ連のスパイだったことが発覚、共産党を除名)を1958年に共産党議長(82年以降は名誉議長)に就任させているのはなぜなのか?
 そこまで関係ないと言い張るなら、速やかに排除するべきではなかったか(所感派と対立したのが、宮本顕治ら国際派である)。
 排除していたなら、まだ話は分かるが、野坂氏をこのように遇しておきながら、武装闘争路線を「党が分裂した時期の一方の側の行動」と無関係を装うのは、良識ある国民ならば「それはないよ。最終的には和解・合体したわけで、同じ穴の狢(むじな)だったということではないか」と感じるのは当然ではないか。
濱田浩一郎:日本共産党は一貫して平和主義だったのか?

濱田浩一郎:日本共産党は一貫して平和主義だったのか?

ソ連のスパイだった野坂参三
via wikipedia

独善的かつ歴史を都合よく書き換えてきた党

 ちなみに、以上、ここまで指摘してきたことは、前掲の『赤旗』などには書かれていない。
「分派がやったことです、はい、終わり」とするのではなく、今回、私が書いたことも含めて記したうえで、ではそれらをどう総括するのか、今後の共産党はどうあるべきかということを主張するべきではないか。
 政治学者の富田武(成蹊大学名誉教授)は、
「どうやら戦後日本共産党史は、保守派が無視するだけではなく、当の日本共産党がコミンフォルム批判を発端とする武装闘争路線の過去を抹消するために沈黙する(党内的には『日本共産党の八十年』に見られる野坂参三・徳田球一の大国追随的・家父長制的指導への批判で納得させる)ことによっても、研究対象から外されている」
 と指摘しているのみならず、共産党を「独善的で、指導部の無謬性を維持している」「歴史を都合良く書き換えてきた」と鋭く批判する(同氏「戦後日本共産党史の見直しを」『現代の理論』第5号、2015年)。

 自党の暗部を知らぬ存ぜぬで通すのでは、安倍晋三前政権のモリ・カケ・桜問題を「隠蔽(いんぺい)・改竄(かいざん)・捏造(ねつぞう)」と批判できないではないか。
 共産党は過去の過ちを認め、未来につなげることの重要性をよく知っているのではないか。であるならば、分派がやったことだと言わずに「過去はこうしたことでご迷惑をかけました。ごめんなさい。でもそれからは、反省して、頑張っています」と潔く述べたほうが、よほど、正々堂々としているだろう。
 ちなみに、51年綱領が採択された翌年の総選挙において、共産党の候補者は落選している。ここからも、当時の多くの国民が共産党の行動をどのように見ていたかが分かろうというものだ。

 私は、何も今も共産党が暴力革命を画策しているなどと言うつもりはない。「選挙と議会を通じて、一歩一歩と社会を改革する」(共産党HP)ことをしているのだろう。
 だが、一貫して平和主義だったという論調には疑義を呈したいのである。
 あと、共産党の現在の綱領を見ていて、気になったことがある。「闘争」とか「たたかう」という文言が多いことだ。戦うということは、時には必要だし、否定すべきでないが、余りにも多いように思う(ちなみに自民党の綱領には「日本らしい日本を損なう政策に対し闘わねばならない」と一点、闘うという文字が見える)。しかし、ここまで「闘争」「たたかい」を連発されたら、特に今の若い人は引いてしまうのではないか。余計なお世話かもしれないが、綱領を抜本的に見直したほうが良いと感じた。
 濱田浩一郎:日本共産党は一貫して平和主義だったのか?

濱田浩一郎:日本共産党は一貫して平和主義だったのか?

総選挙で立民と日本共産党は閣外協力を決めたが、その結果は……。

猛省せよ

 さて、共産党と立憲民主党は、今回の衆院選で政権を獲得した場合は限定的な閣外からの協力を目指すことで合意していた。
 「共産党の99年の歴史で、こうした合意を得て総選挙をたたかうのは初めてのこと」
 と志位委員長は言っていたが、いざフタを開けて見たら、自民党が単独で絶対安定多数を確保。「野党共闘」しても野党が勝利することはなかった。今回の野党共闘は、共産党が多くの選挙区で候補者を取り下げることで実現したと言われている。しかし、候補者を出さず、勝利後は権力側に回るというのは邪道であろう。日本共産党は、政党として存立する資格はあるのかと疑問を呈されても仕方ない。猛省すべきである。
濱田 浩一郎(はまだ こういちろう)
1983年、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員・姫路日ノ本短期大学講師・姫路獨協大学講師を歴任。現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。現代社会の諸問題に歴史学を援用し迫り、解決策を提示する新進気鋭の研究者。著書に『日本人はこうして戦争をしてきた』『日本会議・肯定論!』『超口語訳 方丈記』など。

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