橋本琴絵:河野太郎候補は説明責任を果たすべし

橋本琴絵:河野太郎候補は説明責任を果たすべし

政治活動に影響ナシ?

 「李下に冠を正さず」という言葉がある。他人から疑われかねない行動は慎まなくてはならないという意味で、スモモの木の下で帽子類などを触れば、遠目には実を盗んでいるように見えるということから来ている。出典は古楽府(三国志の呉の時代以前の漢詩)「君子行」の「君子(立派な人)は未然を防ぎ、嫌疑の間に処らず、瓜田に履を納れず(ウリを栽培している田に入らず)、李下に冠を正さず」である。昔の中国には斯くも学ぶところが多いものかと驚かされる。

 ところが、その中国を特別視するいわゆる我が国の「親中派」は、そうでもない。現在、自民党総裁選候補者となっている河野太郎氏の親族が経営する会社と中国共産党傘下企業が共同出資して中国国内の複数地域で事業を行っていることについて、河野太郎氏は「私の政治活動に影響を与えるということは全くない、問題ない」との認識を示したことが報道された(産経新聞・令和3年9月21日付)。

 これは、河野太郎氏の実弟河野二郎氏が経営者であり、ご自身も株主である神奈川県平塚市内(河野氏選挙区)に所在地を置く「日本端子株式会社」(河野太郎氏選挙事務所も同社隣接)が、中国共産党の傘下にある企業(共産党委員会配置済み)と、およそ6:4の割合で資本提携をして太陽光パネル関連部品の製造をし、また河野太郎氏に数百万円の政治献金をしている事実を指している。

 確かに、親族経営の会社がいま世界から問題視されている中国共産党と経済的に近しい関係にあるからといって、それ自体で河野太郎氏の政策批判をするにはあたらない。懸念されるのは親族関係ではなく、河野氏の政策方針と親族経営会社の経営方針が親和性を持つことではないかと思われる。

「再エネ普及」=「国防上の懸念」ではない

 週刊文春は、今年8月24日に河野太郎氏と資源エネルギー庁幹部職員のオンライン会議のやり取りを記録した動画を公開配信した。そこには、再生可能エネルギーを議題にして官僚を怒鳴りつける河野氏の姿が記録されている。以下に引用をしてみよう。

 河野氏「おめぇ、北朝鮮がミサイルを撃ってきたらどうすんだい。テロリストの攻撃受けたらどうすんだい、今の原発。そんな恣意的な記載を認めるわけねえだろうが!いい加減にしろよ」

 河野氏「日本語では、36~38以上と言うのが日本語だろ」

 エネ庁幹部「いや、積み上げて36から38程度・・」

 河野「積み上げて36から38になるんだったら、以上は36から38を含むじゃないか!日本語わかる奴出せよ、じゃあ!」

 このやり取りを見て、多くの方が大臣という優越的地位を利用した部下に対する「パワハラ」に問題点があると感じたかもしれない。しかし、河野氏は資源エネルギー庁職員の上司ではない点も含め、問題の本質はそこではない。というのも、私は最初、河野氏が「攻撃」という単語を言及していることから、「オシラク原発」(下記参照)がのことを言っているのではないだろうかと思った。

 1981年6月、イスラエル空軍は「オベリスク作戦」を発動し、F16およびF15戦闘機で構成された攻撃隊をイラク国内に向けて発進させた。そして、同国中部に建設中だったオシラク原子炉を強襲し、複数の900kg爆弾を命中させてこれを破壊した。幸いにも同原発は稼働前であったために放射能漏れは起きなかったが、以後、通常兵器の使用でありながら核攻撃に準じた放射能汚染を敵国にもたらすことが期待できる「原発攻撃」という戦術が確立された(なお同攻撃隊のイラン・ラモーンは軍功により、その後NASAに転属して宇宙船コロンビア号に乗船、2003年同機の爆発炎上で事故死する)。

 現在、我が国の原発は日本海沿岸に多く建設されており、万が一という確率ではなく、有事の際には甚大な被害をもたらす原発攻撃が確実に予見される。そうした事態に備えるため、昨今の豪雨被害による土砂崩れで批判が高まってはいても、太陽光パネルの敷設率を高めようとする目的が河野氏にはあり、「国防上の懸念」から官僚を怒鳴りつけてでも再生可能エネルギーを普及させたかったのではないか、と好印象を筆者は抱いた。航空機やミサイルによる攻撃に対する対空砲・対空ミサイルの原発周辺配備や、工作員による破壊活動から原発を防衛できるだけの十分な兵力(歩兵)が、現状配置されていないからである。

 しかし、河野太郎氏と実父河野洋平氏が株主である企業が当の中国大陸において「再生可能エネルギー関連事業」を中国共産党傘下企業と提携して行っているのであれば、評価の前提が異なってくることは不本意ながらも避けられない。
橋本琴絵:河野太郎候補は説明責任を果たすべし

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沿岸の原発を守るための「熱意」なら納得できるが―

疑義が生じる「再エネ」施策の推進

 すでに行われた総裁選四候補による討論会において、高市早苗氏と岸田文雄氏は我が国が世界の多くの国々同様、敵基地攻撃能力を有することに前向きな見解を示した一方、河野太郎氏と野田聖子氏は「敵基地攻撃能力」そのものに否定的見解を示している。河野氏に至っては、我が国の防衛力向上について「昭和の概念」「勇ましい掛け声が良いというものでない」「かえって不安定化させる要因」などと国際社会とは相容れない独自の見解を述べた。

 だとすれば、河野氏が持つ再生可能エネルギーへの「強い意欲」に矛盾が生じる。「国防上の懸念」から反原発と再生可能エネルギーを求めるならば、より強い国防能力の獲得に意欲的であるはずなのに、そうではないからだ。

 先の記事にある通り、河野氏は資源エネ庁幹部に対して、省庁の枠を越権した強い「再生エネルギー利用率の向上」を要求した。その理由には「原発が攻撃を受けたらどうするのか」といった国防上の懸念があるのだと筆者は読み取った。

 しかし、総裁選が始まってみると、同じく国防上の懸念を払しょくする理由となるはずの我が国の防衛能力の向上に対しては否定的と思われる見解を述べている。そして、河野氏親族経営の会社は再生可能エネルギー関連事業を日中間で営んでいるという。いくら当人が「政治判断には全く影響しない」と言っても、河野氏が脱原発と再生可能エネルギーに強い意欲を示している理由に疑義が沸くのはごく自然のことではないだろうか。
橋本琴絵:河野太郎候補は説明責任を果たすべし

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「温」もいいが、国益上の障害となりうる事実については、明確に説明していただきたい―

いささかでも国益に懸念があれば説明すべき

 現代でも、先進国ではない地域においては政権に近しいものが親族の経営する会社に公共事業を発注するなど、政治的権力を換金する行為が散見される。当の日本国においても、明治14年にはいわゆる「北海道開拓使官有物払い下げ事件」が起き、北海道開拓使長官だった黒田清隆が同じ薩摩出身の五代友厚が経営する関西貿易商会に、国民の税金で建設したインフラ資材を格安の値段で払い下げた背任事件が起きている。しかし、成熟した民主主義国家においては、こうした行為は忌むべきものとされる。

 河野氏は、自らの政治的スタンスを「保守主義」であると自称している。なればこそ、憲政史上において最初に「政治家は、人格的資質を保ち謂れなき嫌疑を受ける余地がないほどに清廉潔白でありつつけるべきだ」と指摘した保守主義の父、エドマンド・バークが庶民院議員に立候補した際、自身の選挙区であるブリストルの有権者たちに向けた言葉を引用したく思う。

 “parliament is a deliberative assembly of one nation, with one interest, that of the whole; where, not local purposes, not local prejudices, ought to guide, but the general good, resulting from the general reason of the whole. You choose a member indeed; but when you have chosen him, he is not member of Bristol, but he is a member of parliament. If the local constituent should have an interest, or should form an hasty opinion, evidently opposite to the real good of the rest of the community, the member for that place ought to be as far, as any other, from any endeavour to give it effect.”(EDMUND BURKE SPEECH TO THE ELECTORS OF BRISTOL, on Thursday the 3d of November, 1774)

 「議会は、一つの関心事を持つ一つの国民から成る国家全体を審議すべき場所である。そこでは、地域的な目的や地域的な先入観ではなく、国家全体をみた普遍的理性から生じる普遍的利益を導くべきである。確かにあなた方は議員を選ぶが、あなた方が議員を選んだとき、その者はブリストル選挙区の議員である前にイギリス議会の議員である。地元の有権者が、共同体に属する他の人々の真の利益とは明らかに対立する利害関係を持ち、急進的な意見を形成した場合、その選挙区の議員は、他の議員と同様に、それらを実現しようとする如何なる努力からも距離を置くべきである」(訳:筆者 原典1774年11月3日木曜日、ブリストル有権者へのスピーチ)

 つまり、民主国家における政治とは、特定の誰かのための利益を代表する行為ではない。国家国民の利益全体を代表する行為であるという意味である。これは立憲主義に基づく保守政治の基本である。

 自らを保守政治家と自称するならば、河野氏は有権者の不安に対して説明する義務があるのではないだろうか。日本の将来を決める一票は、すべてが情報公開されて秘めたる所が無い清廉潔白に身を置く者に対して捧げられるべきであるからだ。
橋本 琴絵(はしもと ことえ)
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第五区より立候補。日本会議会員。
2021年8月にワックより初めての著書、『暴走するジェンダーフリー』を出版。

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