白川司:中国におもねるIOC、毅然と対応したWTA

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衝撃の告白を行った彭帥氏

中国におもねるIOCバッハ会長

 WTA(女子テニス協会)のスティーブ・サイモン会長が12月1日、香港を含む中国でのWTA主催のトーナメントをすべて停止すると発表した。中国人女子テニス選手の彭帥(ポン・ショワイ)氏が中国元副首相による性的暴行を訴えたあとの中国当局の対応があまりに不透明であったことに抗議しての措置である。

 彭氏は11月2日に性的暴行の経緯を中国版ツイッター「ウェイボー(微博)」に投稿した。

 彭氏の投稿は20分で削除されたのだが、スクリーンショットに撮られていた投稿画像があっという間に世界中に拡散された。さらには、この投稿から彭氏と連絡がとれなくなり、「消息不明になった」という情報が駆け巡った。実際、彭氏はこの投稿のあと公の場に現れなくなり、彼女と親しかった世界のテニス選手たちがSNSで心配のツイートを次々と投稿した。

 中国では女子テニスが人気スポーツとなっており、有名女子テニス選手だった彭氏は抜群の人気を誇っていた。そんな彼女による「張高麗(チャン・カオリー)前副首相から同氏宅で性行為を強要された」という訴えと、その後の「消息不明」状態は、国際問題に発展していく。
 ところが、状況は急展開を見せた。

 IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長が11月21日の声明で、IOC関係者を交えて中国のスポーツ当局と彭氏とオンライン上で会話をしたと発表したのである。

 IOC側は「彭氏は元気であり、リラックスしている様子である。彼女は『自分のプライバシーを尊重してほしい』と述べている」と公表した。

 だが、このとってつけたような話に、「彭氏が元気だったと印象づけることで、IOCは彼女が当局から拘束などを受けていないと、暗に印象づけようとしたのではないか」などと、かえって底意を疑われることとなった。

 実際、IOC側はこの会話の録画を公開しておらず、なぜ会話することになったのかなどの経緯について触れなかったことで、彼女のことを心配していた人たちからIOCに抗議が集中した。

 IOC側が数ヶ月後に迫った北京冬季五輪の成功を願ってこの件を仲介したのは明らかで、これでは中国当局と組んで国際世論をなだめようとしたと誰もが考えるはずだ。まるで「なんとかの浅知恵」だ。
白川司:中国におもねるIOC、毅然と対応したWTA

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「浅知恵」で事態の収拾を図ろうとしたIOCのバッハ会長(左)

「不倫問題」と扱う日本メディア

 そんな弱腰のIOCに対して、WTAとEU(ヨーロッパ連合)は彭氏の訴えについて徹底的かつ透明性が高い調査をおこない、無事である検証可能な証拠を示すように要求した。WTAはさらにそれができないのあれば中国から撤退するとまで明言したのである。

 中国でのテニス人気の高まりで、同国内では数多くの大会が開催されている。WTAにとっても中国から撤退すれば大打撃ではあるが、自分たちが受け持っているテニス選手の人権に関わるとして腹を決めたわけだ。

 だが、中国当局はこの要求を黙殺し、冒頭に示したようにWTAがついに中国撤退を明言する至る。
 この事件で興味深いのは、欧米メディアの多くがこれを「性的暴行」などの人権問題として扱っているのに対して、日本のメディアの多くが「不倫」として扱っていることである。

 これまで報じられたところでは、彭氏の投稿内容はこうだ。

 7年前に、天津市の党幹部であった張高麗氏(75)一度だけ性的関係を持ったが、その後は張氏が北京へ異動になって連絡がなくなった。だが、彼女が引退してから再び彭自宅に呼び出されて性的関係を強要されて、それ以降3年間関係が続いたというものだ。

 彼女がウェイボーに投稿したのは、どうやら口論がきっかけとではないかというところまでわかっている。

 ここまで聞くと「これは単なる不倫ではないか」という印象を持つ人が多いかもしれない。たしかに彼女も「愛情があった」といったことをほのめかしているのであり、ここだけを取り出せばそう考えても仕方がないだろう。

 だが、中国において「共産党幹部」という肩書きは圧倒的であり、たとえ世界的なテニス選手であってもあがなうことはできないと考えるべきだろう。実際、世界中で賞金を稼いでいる彼女たちは、その半分以上を国(中国共産党)に上納しなければならないと報じられている

 たとえ暴力を使っていなくても、相手が購えないほどの圧倒的な権力を利用して性的関係を持つことは「暴行」に準じると考えるのが欧米流である。私たちはやはりこれを人権問題にとって、「性的暴行」と考えるべきだろう。

 そもそも普通の国では、不倫を投稿したら、投稿者が消息不明になることなどといったことはありえないだろう。
白川司:中国におもねるIOC、毅然と対応したWTA

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普通の国ならば「不倫の暴露」で消息不明になることはないはずだ

バッハ会長と張氏の関係

 この話の厄介なところはもう1つある。それは、彭氏が「性的暴行」を告白した相手である張高麗氏が、北京五輪招致を含めて、五輪の監督をまかされていたことだ。

 さらに、2016年に北京五輪でバッハ氏が張氏と握手している画像が発掘されてSNSで出回り、以前よりバッハ会長と懇意だったと発覚してしまったのである。

 そうなると、バッハ会長と彭帥氏の会話が「やらせ」である可能性が高まらざるをえない。

 張氏は、今をときめくIT都市の深圳において、かつてイノベーション政策を担った重要人物である。これまでさほど知名度が高くなかったのは、地味ながら裏方で重要な実務をこなしてきたからではないだろうか。そのぶん国内外で関係者の評価は高かったとも考えられる。

 だから、バッハ会長の動きが彭氏ではなく、張氏の救済のためだったのではないかと疑われる理由は十分にある。

 ただ、彭氏を「消息不明」にしなければ、おそらくここまでの騒ぎにはならなかっただろう。いつものように、いったん公から隠したことで世界中の反感を買ってしまって、「下手をこいた」わけである。
白川司:中国におもねるIOC、毅然と対応したWTA

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いかにも緊密なIOCと中国(習近平と会談するバッハ会長)
 中国はウイグル人への人権蹂躙で世界中から批判されており、北京五輪についても不参加が議論されている国もある折に、一人の有名選手を隠すなぞ、国際感覚に欠け、あまりにも無神経だ。それどころか、中国当局やIOCに疑念を持ち、いまだに彭氏の安否を気遣う声が続く始末だ。

 WTAのサイモン会長は、「彭氏はいま自由に意思疎通ができない状態にあり、中国当局が性的暴行被害の訴えを否定するよう圧力をかけていると考えられる中で、良心に従えば中国において選手たちにプレーするように求めていいのかわからない。現状では来年の中国におけるトーナメントを開催したときに、選手やスタッフがリスクを受けることを懸念している」などと述べている。

 中国側に分が悪いのは間違いないのだが、かといって中国側が「反省」などするはずもなく、このままま「人権の軽い国」というイメージを深めるだけだろう。

 今回は中国以上にバッハ会長が大きな傷を負い、IOCの深刻なイメージダウンを招いた。五輪が平和の祭典だったのは遠い昔のこと。いや、そもそも本当に平和の祭典であったのかすら怪しい。
白川 司(しらかわ つかさ)
評論家・翻訳家。幅広いフィールドで活躍し、海外メディアや論文などの情報を駆使した国際情勢の分析に定評がある。また、foomii配信のメルマガ「マスコミに騙されないための国際政治入門」が好評を博している。

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