理解できないツイート
これに対し、菅政権の成長戦略会議で「有識者委員」を務める国際政治学者の三浦瑠璃氏がこんなツィートをした。
「正直、愚かな動きだとしか思えない」
「自分たちの政権だけで、冷戦中も列強の対立の時代も、平和の祭典として連綿とつづいてきたオリンピックの歴史を覆そうとするとはね」
「単に傲慢なのか、頭に蝶々が飛んでるのか」
まず、「自分たちの政権」という表現がわからない。バイデン政権を指していると思われるが、国務省の報道官とバイデン大統領らを集合体として「自分たち」と表現しているのであれば、国際政治の世界で常用される語法・用法ではない。
あるいは、北京オリンピックをボイコットする可能性のある、アメリカと同盟国を、総体として「自分たち」と表現しているのだろうか。いずれにしてもわかりにくい、国際政治学者らしからぬ日本語だ。
意味の分かりにくい文章から一つだけ見えてくるのは、彼女の自意識だ。三浦氏は「アメリカ側=them」と「me」を対峙・対置した上で「愚か」と断じているわけで、「自分は愚かではなく、アメリカ側ではないグループに所属している」という、彼女なりの立ち位置が滲む。
間違いがなさそうなのは、バイデン政権の北京オリンピックのボイコット検討は「愚かな動き」だと、三浦氏が思っているという事だ。
中国西部の新疆ウイグル自治区におけるウイグル人に対する様々な虐待に対しては、欧米各国が証拠と証言に基づいて「現在進行形の深刻な人権侵害」「中国共産党による民族虐殺」と認定した上で、中国に制裁を課している。この事はこの連載でも繰り返し指摘してきた。
アメリカ国務省は、こうした中国によるウイグル人虐待を止めさせるための一つの手段として、「人権弾圧を許さない国家が共同して、北京オリンピックのボイコットを検討する」という立場を示した。
「今そこにある深刻な人権問題」の解決手段としての「ボイコット検討」が、なぜ三浦氏には「愚か」だと映るのか。
これについて三浦氏は、「平和の祭典として連綿とつづいてきたオリンピックの歴史を覆そうとする」行為だからだと説明する。
しかし、近代オリンピックは「平和の祭典」という掛け声とは裏腹に、戦争や国際紛争によって多くの大会が中止やボイコットのリスクに晒され、いくつかは実際に中止になったりボイコットされたりした。言い換えれば、「オリンピックの歴史」は、世界情勢と国際紛争に翻弄される事を宿命づけられていると言っても過言ではない。
度重なるボイコットに翻弄された五輪
この大会は、3つの国際紛争に翻弄された。まずスエズ動乱。英仏によるエジプト侵略の意味合いが強かった武力行使に抗議して、エジプト・レバノン・イラクがボイコット。
これとは別に、ソ連によるハンガリー侵攻に抗議してスペイン・オランダ・スイスが、さらに台湾(中華民国)の参加に抗議して中国もボイコット。合わせて7つの国がボイコットするに至った。
1968年の第19回メキシコシティ大会では、アパルトヘイト(黒人を差別する人種隔離政策)が続いていた南アフリカの五輪参加に抗議して、アフリカ26ヶ国とソ連や共産圏、合わせて55ヶ国がボイコットを表明した。激しい国際論争の末、国際オリンピック連盟(IOC)が南アフリカの参加許可を取り消した事で、ギリギリで大規模ボイコットは回避された。
続く第20回のミュンヘン、第22回のモスクワ、第23回ロサンゼルスでも、大規模ボイコットが立て続けに起きた。
また、戦争や国際紛争を理由に中止されたオリンピックも、1940年の東京・札幌大会を含め、過去5回ある。
「愚かな動き」とする理由は何か?
それならばなぜ、三浦氏は何度も中止され、ボイコットされたオリンピックを、「冷戦中も列強の対立の時代も、平和の祭典として連綿とつづいてきた」と表現したのか。
三浦氏の文章は、論理の飛躍が多く、凡人には理解しかねる部分が多いが、あえて理解しようとすれば、
▷オリンピックは、(中止やボイコットなどを含めて)連綿と続いてきたという前提で、
▷バイデン政権の「ボイコット検討」は、「連綿と続いてきた歴史を覆す」と言っているのだから、
▷これまでの「ボイコット」と、今回の「ボイコット」は、種類が全く違うものだ、と主張していることになる。
この理解し難い論理について、三浦氏は追加ツィートでこう解説した。
「バイデン政権がウイグル弾圧を理由にボイコットしたら、戦争と内政の間に引かれた一線を踏み越えてしまう」
「スターリンによる処刑弾圧とソ連のアフガン侵攻の間には違いがある」
「オリンピックは戦争を食い止める一つの手段であって、理想を体現するための外交手段ではありません」
これも極めてわかりにくい文章だが、いくつかのヒントはある。1980年のモスクワ大会について三浦氏は「ソ連のアフガン侵攻は外国への侵略戦争だからボイコットに値するのであって」、「ウイグル問題は中国の国内問題なのだから、ボイコットの対象とすべきではない」と言いたいようだ。
だとすれば、三浦氏の主張は少なくとも3つの点で看過できない。
①ウイグル人の弾圧が中国の内政問題であるという断定
②これまでの五輪は各国の「内政問題」が無縁だったかなような主張
③人権問題解決のための五輪ボイコットを認めないという、意味不明な独善的主張
①ウイグルは純粋な内政問題か
ウイグル自治区は、かつて東トルキスタン共和国として2度の独立を実現した後、非常に不透明な経緯で中国の領土に組み込まれ、今なお漢人の大量入植などウイグル人の「民族自決」「民族自立」を阻む中国共産党の工作が今なお続いているという現実を、三浦氏は無視している。この点は連載(26)でも詳述した。
②内政問題での五輪ボイコット
ある国の内政問題がボイコット騒動に繋がったのは今回が初めてではない。第19回と第20回の大会では、南アフリカ国内のアパルトヘイト政策が国際的なボイコットの対象となった。この経緯と意義は、後で詳述する。
③人権こそ五輪憲章の根幹
三浦氏は、ウイグル問題でのボイコット検討を「愚か」と非難するのだから、オリンピック開催予定国で凄惨な人権侵害や民族虐殺が行われているとしても、内政問題を理由に参加を拒否すべきではないという立場である事になる。
本気でそう主張するのであれば、三浦氏はオリンピック憲章の根本理念を全く理解していない人物だと断じるほかない。
スポーツをする権利どころか、ごく普通に生きる権利すら奪われて、無実の罪で長期間拘束され、拷問や強制不妊手術に耐え忍んでいる民族を見捨てるのであれば、三浦氏にはオリンピックはおろかいかなる人権についても語る資格はない。
そもそも「オリンピックは戦争を食い止める一つの手段であって、理想を体現するための外交手段ではありません」という三浦氏の言葉は、どのような立場から、誰に対して向けられたものなのかが全くわからない。
前段で唐突に「オリンピックは戦争を食い止める一つの手段である」と断定しているが、そんな事を誰が決めたのだ?オリンピック憲章のどこにも書いていないし、主張の根拠が全く示されていない上に、歴史的にオリンピックによって回避された戦争など、一つもない。
そして、オリンピックは「理想を体現するための外交手段ではない」とは、どういう物言いだろう?
「オリンピック開催国の凄惨な人権弾圧を何とか止めさせたい」と考えた国が、オリンピックのボイコットを外交手段として使う事を「愚か」と断ずる国際政治学者は、世界でも三浦氏だけだろう。
「内政」で五輪不支持のダブスタ
もちろん、どのような主張をしようとそれは三浦氏の勝手だ。ところが、三浦氏はわずか2ヶ月前、戦争とは全く関係のない理由で、あるオリンピックへの不支持を表明している。
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長だった森喜郎氏の発言を巡って三浦氏は2/4、
「リーダーは若者に大志を抱けと言い、チャンスを与え続けなければならない」という唐突な主張を開陳した上で、
「残念だが(森氏発言のような)メッセージに基づくオリンピックは支持できない」と断言したのである。
世界各国がオリンピックをボイコットする理由は様々だ。例えば前述の第20回ミュンヘン大会では、「アパルトヘイト政策を続ける南アに遠征に出かけたニュージーランドの五輪参加に反対する」として、タンザニアなど22カ国がボイコットした。完全な南アの内政問題である人種隔離政策で虐げられた黒人層に、同じアフリカの黒人が連帯の声を挙げたのである。
それぞれの国や個人には、それぞれの政治的立場や考え方があり、「許せない一線」を超えた時に、それぞれの判断でそれぞれに行動する。
大国であれば他国を侵略したり政権を転覆したりするし、そうでない国は様々な手段を使って抗議の意思を示す。
ある個人が森会長の辞任を求める意見を発信するのが自由であるように、ある国がオリンピックのボイコットという形で自国の強い意思を示すのも、重要かつ効果的な外交手段の一つなのであって、第三者に「愚か」などと言われる筋合いのものではない。
ネルソン・マンデラの遺した重い言葉
1994年4月、南アフリカ共和国史上初めて行われた、全人種が参加する普通選挙取材のため、ヨハネスブルクとケープタウンを訪れた時のことである。
この選挙で圧勝して黒人初の大統領となるネルソン・マンデラへの共同インタビューで、私は日本メディアの代表カメラマンを務めた。
初めて間近に見たマンデラ氏は、座っているだけで不思議なオーラが部屋中に充満する、圧倒的な存在感を身に纏っていた。そして、静かな口調で淡々とインタビューに応じるマンデラの口から飛び出した言葉が今でも忘れられない。
「1968年のメキシコオリンピックと、1972年のミュンヘンオリンピックで、世界の多くの国が、ボイコットという形で人種隔離政策への強い抗議の意思を示した事は、南アフリカと世界の将来に対して、大変大きな意味があった」と述べたのである。
マンデラは1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受け、ケープタウン沖のロベン島の刑務所に収監された。だから1968年のメキシコシティ大会や1972年のミュンヘン大会の期間中、マンデラは絶海の孤島で囚われの身だったのだ。
先の見えない獄中生活の中で、世界の多くの国がボイコットという手段で反アパルトヘイトの声を挙げてくれた事が、マンデラにどれどけ大きな力を与えたか、想像に難くない。
そして、27年もの収監生活を耐え抜いたマンデラは、1990年に釈放されると差別と戦う政治運動を圧倒的な指導力でリードし、ついにアパルトヘイト完全撤廃という宿願を実現した。
そのマンデラが、「オリンピックのボイコット」という世界各国の意思表示が、アパルトヘイトという南アの「内政問題」解消の為の大きなモメンタムを生んだと明言したのである。
ウイグル問題を巡るボイコット検討を「内政干渉」「愚かな動き」と断じる三浦氏の立場に立てば、南アの内政問題を巡ってメキシコシティ大会でボイコットを表明した55カ国と、ミュンヘン大会で実際にボイコットした22カ国も、「愚かな国」という事になる。
私は、この延べ77カ国の、虐げられた民族や人種の為に声を挙げた国々こそ、日本が見習うべき先達だと信じる。
そして、彼らの勇気ある行動がアパルトヘイト撤廃という人類史に残る大きな成果に繋がったように、「北京オリンピックのボイコット検討」という動きが、「ウイグル人の自由と安寧の獲得」という成果に繋がる事を、強く願っている。
ウイグル問題と「土地所有規制法」反対の不思議な共鳴
「中国人による土地購入について疑問視する声があるが、これは中国の体制がわかっていない意見と言わざるを得ません」
「中国排除ではなく、(日中が)相互に依存していく関係を構築していく必要がある」
またも理解不能な「三浦語」の登場である。日本人は中国の土地を1坪たりとも買うことができないのに、土地所有について、中国とどうやって「相互依存」するというのか。
前回の記事では、公明党がウイグルでの人権問題について「根拠が示されていない」との立場を示す一方、中国人の土地大量購入を規制する法案を「骨抜き」にしている実態をお伝えした。
ウイグル問題を「中国の内政問題」「根拠がない」などと矮小化する「政治家」や「有識者」に、中国人の土地購入規制に反対する人が多いのはなぜだろうか。
しかも三浦氏は、菅首相肝煎りの「成長戦略会議」の有識者委員だ。
「よく『中国を締め出せ』とか『インド太平洋構想は中国包囲網である』という言い方をする人がいますが、これは大いなる間違いです。むしろ、私達の参加する、ありとあらゆる枠組みに中国を入れるべきです。」
バイデン政権は、ウイグルやチベットなど人権問題については、中国に一歩も譲らない姿勢を明確にしている。
ところが、初の首脳会談の相手として選んだ菅首相が、アメリカの人権外交を「愚か」と批判する一方で、中国との宥和を唱える三浦氏を「有識者」とし、定期的にアドバイスを聞いていると知ったら、どのように受け止めるだろうか。
三浦氏はバイデン政権について、こうまで言って退けた。
「単に傲慢なのか、頭に蝶々が飛んでるのか」
総理を支えるはずの「有識者」が、菅首相の訪米を目前に控えたタイミングで、アメリカの新政権に対して「傲慢」という表現を使う事については、センスの問題で片付けられるかもしれない。
しかしに「頭に蝶々が飛んでいる」となると、外交儀礼上看過できない暴言である上に、支離滅裂と言わざるを得ない。
「蝶々が飛んでいる」という表現は、「お花畑のような」「非現実的な平和主義者」というニュアンスなのだろうが、近現代のアメリカ政権が、一度でもそうしたフェイズにあった事があったか。
アメリカは、76年前に2発の原爆と東京大空襲で30万人もの無辜の日本人を大量殺戮した。その後も朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東での数々の戦争など、血塗られた戦争と殺戮を繰り返してきた、凶暴な大国だ。
一見平和的に見えたオバマ政権も、シリア、リビア、アフガンなどの戦争を継続し、無人機を使って世界中に毎年2万5千発もの爆弾を落とし、数々の暗殺作戦を実行した。その時副大統領を務めていたバイデンが今年大統領となり、来週菅首相と向き合うのだ。
圧倒的な武力を背景に五輪ボイコットをチラつかせるからこそ、敵側も震え上がる。そんな唯一の超大国の外交に対して「頭に蝶々が飛んでいる」とは、失礼以前に頓珍漢の極みである。
もちろん日米同盟をあからさまに毀損したり、間違った歴史理解から頓珍漢な主張をしたりする人物はどの世界にもいる。どんな主張をしようと、それは個人の勝手だ。
しかし、そうした人物を政権が重用しているとすれば、話は別だ。日本という国そのものが、頓珍漢な主張や政策を是認していると受け止められ、国家と国民に重大なダメージを与える。そしてその咎を最初に背負うのは、「有識者」の任命権者である菅首相自身である。