「ベージュの戦車」の衝撃
しかし、これまでの連載でも指摘してきたように、北朝鮮の軍事パレードには多くのメッセージが埋め込まれ、重要な情報が意図的に開示され、あるいは図らずも暴露されている。その中には、日本の安全保障に直結する大問題も含まれているのに、日本の大手メディアは全く触れない。
例えば、一番時間をかけて報道された新型ICBMの射程は1万5000キロ程度と見られており、ターゲットは日本ではなくアメリカなのだ。もちろん北朝鮮のICBMは米朝関係やアジア地域の軍事バランスという意味では大きな意味を持つから、日本としてもウォッチしていく必要がある。
しかし、パレードに登場した他の兵器は、もっと直接的に日本の安全保障環境を激変させかねない問題を、我々にはっきりと突きつけていた。
その内の1つが「ベージュの戦車」だ。今回のパレードでは、18種類の自走式兵器が披露された。装甲車、戦車、自走砲に加え、弾道ミサイルを運搬・発射する巨大なTEL車輌もあった。ほとんどの車輌は濃緑系の迷彩塗装や単色塗装が施(ほどこ)されていた。
ところが、鮮やかなベージュに塗られた自走兵器が3つだけあった。中でも注目されたのが、ベージュの戦車だった。これまで北朝鮮が持っていた戦車より格段に大きいこの戦車は、「M1エイブラムス」というアメリカの戦車に酷似(こくじ)していた。
兵器の塗装は、その兵器がどういう環境でどう使われるかによって慎重に選ばれる。今回ほとんどの車両が緑色系で塗られていたのは、北朝鮮が主たるバトルフィールドを朝鮮半島の植生を前提とした38度線周辺と想定しているからに他ならない。
要するに、朝鮮人民軍が「自分で使う事を前提に」塗装したのである。
それでは「M1エイブラムス風」戦車はなぜ明るいベージュに塗られたのか。
米陸軍と海兵隊の主力兵器であり、世界最強と称されるM1エイブラムスを一躍有名にしたのは1991年2月の湾岸戦争だ。「砂漠の剣作戦」の中でも最も有名な「73イースティングの戦い」で、27両のM1エイブラムスはその脅威的な戦闘能力と防御能力でイラク軍を圧倒。敵軍の戦車30両を含む120両以上を瞬く間に壊滅させた。
ちなみに、この時現場の戦車隊を指揮したのが、その後トランプ政権で安全保障担当大統領補佐官を務めたハーバート・マクマスター中隊長だ。
M1エイブラムスの武勇伝は枚挙にいとまがない。湾岸戦争では、砂漠のぬかるみで走行不能に陥ったM1エイブラムスが、敵陣の餌食となったことがある。イラク軍最精鋭の改良型T-72戦車の主砲や、最新式の対戦車砲で繰り返し攻撃され、車体の各所に着弾したが、M1エイブラムスと中の兵士は無傷で、逆に主砲で反撃し、戦車3両を含むイラク軍の車両を次々と大破させた。
さらに、その後この動けなくなった車両を敵に奪われないよう、米軍が破壊しようと何度か対戦車砲で砲撃したが壊せなかった。結局大型車両で牽引して回収すると、ダメージを受けた部分を改修して、また現場復帰したという。
こうした逸話が物語る通り、M1エイブラムスは高度な攻撃性能に加えて比類なき防御性能を兼ね備えており、文字通り「世界最強の動く要塞」なのである。
これまで、北朝鮮の陸軍は3世代前の旧ソ連製兵器しか持たず、兵士も栄養失調で特殊部隊以外は恐るるに足りないと見られていた。
しかし、もし北朝鮮がM1エイブラムスと同等の性能を持つ戦車を獲得したとすると、陸戦能力の評価を根本的に変えなければならなくなる。
一方、パレードに登場した9両の戦車は基本的な構造やサイズはM1エイブラムスに酷似しているが、その性能は現段階では確認のしようがなく、外見を似せただけのハリボテである可能性もある。
しかし、ミサイルがハリボテなら軍事的な価値はゼロだが、戦車の場合はそうではない。湾岸戦争やイラク戦争の事例を見ればわかるように、戦車同士が対決する陸上での戦闘は、多くの場合「戦車の形」によって敵味方を識別してから攻撃が始まる。敵陣営が持っているはずのない、アメリカ製の戦車がいきなり目の前に現れた場合、即座に砲撃に踏み切れない可能性があるのだ。実際ロシア軍は敵を幻惑し自陣営の戦力を大きく見せるために、風船で膨らませるニセ戦車を実戦配備している。
今回の「M1エイブラムス風戦車」は、少なくとも数人の兵士を乗せて自走していた。これだけでも戦術的価値は十分ある。
北朝鮮を利する闇のネットワーク
国際社会は、2006年に北朝鮮が核実験を強行したことを受けて国連決議1718を採択し、北朝鮮に対する兵器の禁輸を決めた。その後も幾度となく国連決議が追加され、核ミサイル関連に加えて、戦車、装甲戦闘車両、大口径火砲システム、戦闘機、軍艦艇、ミサイル・システムなど、あらゆる兵器と、その部品の輸出が厳しく禁じられた。
また、2017年9月にはトランプ大統領が対北制裁リストを拡充するとともに、北朝鮮とのあらゆる貿易と金融システムを遮断するなど、欧米各国の独自制裁と監視の目が北朝鮮の武器輸入を阻止すべく、万全の体制を敷いているはずだった。
ところが今回の軍事パレードで、1両65トンもの重さがある世界最強・最大級の戦車が9両、平壌に突然姿を現した。国際社会の監視の目をいとも簡単に掻い潜って、今なお巨大な兵器が北朝鮮国境を自在に往来していることが明らかになったのだ。
そして、その戦車はなぜ鮮やかなベージュに塗られたのか。「敵に見つからないこと」が最も重要な戦車をベージュに塗装するのは、灼熱の砂漠での使用を想定しているからに他ならない。
北朝鮮と中東各国との武器売買の歴史は、少なくとも1970年代前半の第4次中東戦争まで遡る。北朝鮮がミグ戦闘機とパイロットを派遣した事への謝礼として、エジプトがソ連製弾道ミサイルを北朝鮮に供与したのだ。
北朝鮮の弾道ミサイル開発は、このミサイルを分解・研究する事からスタートした。そして20年後の1993年5月、日本を標的にした最初の弾道ミサイル・ノドンとして結実してしまう。
また、北朝鮮と中東の軍事的関係を一気に深化させたのが、1980年のイラン・イラク戦争だ。北朝鮮は数千人とも言われる兵士と指揮官を派遣し、イラン国軍や革命防衛隊と共に戦った。そしてイランとのミサイル技術の往来も本格的に始まった。
これをきっかけに、北朝鮮は中東各国との武器売買を活発化させる。イランと関係が深いシリアやイエメンなどのシーア派勢力を皮切りに、イラク、エジプト、アラブ首長国連邦(UAE)、オマーン、カタール、サウジアラビア、リビアへと食指を伸ばした。
2002年12月には、イエメン沖の公海上で国旗を掲げずに航行していた北朝鮮の貨物船から15基のスカッド・ミサイルが発見された。その後このミサイルはイエメン政府に引き渡された事が確認されている。
さらに北朝鮮は中東以外の紛争国、紛争地域へも武器輸出を拡大。中国、エルサルバドル、ガーナ、インド、ニカラグア、セルビア、タイ、ロシア、メキシコ、ボリビア、コスタリカ、マレーシア、ホンジュラス、南アフリカへの、兵器並びに関連物資輸出が確認されている。
こうした北朝鮮の国際兵器ネットワークという意味で、今なお重要な役割を果たしているのがイランだ。シャッハーブ3というイランの中距離弾道ミサイルは、北朝鮮のノドンの改良型だ。また、2017年1月にイランが発射した中距離弾道ミサイルは、ムスダンと見られている。
そして、北朝鮮とイランは、武器売買のみならず、核ミサイルを共同開発していることも明らかになっている。
2009年5月には、北朝鮮がイラン・シリアと共同開発したと見られる短距離弾道ミサイル「スカッド」改良型の発射実験がシリア国内で行われた。
北朝鮮はミサイルのエンジンを、弾頭部分や誘導システムはイランとシリアが開発を担当したという。要するに北朝鮮とイラン・シリアが分業体制を敷いて新型弾道ミサイルを開発していたのだ。
そして、このミサイル試射の直後の5月25日には、北朝鮮は史上二回目となる核実験を強行した。
核兵器と、その運搬手段である弾道ミサイルは両方が揃ってこそ意味がある。北朝鮮の核実験施設では、たびたびイラン人科学者の姿が目撃されている。北朝鮮は核開発の現場を見せる対価として、イラン政府から毎回数千万ドルを得ていたと言われている。
そして、半年後の11月、当時のイランのアフマディネジャド大統領は、「完全な核燃料サイクル技術を獲得した」と発表した。
2018年2月にはアメリカ国防総省が、M1エイブラムスが、イランの革命防衛軍の支配下にある民兵組織の手にわたっていたと発表した。
イスラム教スンニ派の過激組織「イスラム国」によって混乱したイラクで、アメリカがイラク国軍に売却したM1エイブラムスが、巡り巡って親イラン勢力の手に落ちたと見られている。
このように、中東の混乱と紛争が、結果として北朝鮮の核・ミサイルに加え、通常兵器をも大きく発展させてきた。
そして、軍事技術と表裏一体なのが、資金源としての兵器ネットワークだ。厳しい経済制裁の中、兵器輸出は北朝鮮にとって貴重な外貨獲得手段だ。
中東を始めとする世界の紛争地域から北朝鮮に供給される資金が、長年にわたって日本の安全保障環境をどんどん悪化させてきたのである。
「国を守る」という事
そしてスカッドの射程を伸ばしてノドンを完成させたように、これらの最新型ミサイルも、日本をターゲットにした最新型中型弾道ミサイルにいつ化けてもおかしくはない。
アメリカの大統領は、クリントンもブッシュジュニアもオバマもトランプも、「アメリカ本土に届く核ミサイルを北朝鮮に持たせない」という事を、アメリカの国土と国民を守る絶対的なラインとして内外に宣言し、これを守るために様々な外交交渉を行い、安全保障政策を立ててきた。
それでは日本のリーダーはどうだったか。1993年にノドンの初めての発射実験が行われた時。2006年10月最初の核実験を行った時。その後の5回にわたる核実験と数え切れないミサイル実験。当時の日本の政治家に、日本の国土・国民を守る決意はあったか。意味のない「遺憾砲」を発表するだけで、お茶を濁しただけだったのではなかったか。
そして当時の日本のマスコミに、日本の安全保障環境が根本的に変わったという危機感はあったか。北朝鮮の核・ミサイル開発を幇助(ほうじょ)してきた中東各国のネットワークの存在の意味を国民に伝えたメディアはあったのか。
「ベージュの戦車」は、今なお北朝鮮が中東各国との武器売買を活発に行っている、動かぬ証拠である。国際社会の監視の目は、いとも簡単に破られているのである。
こうした武器取引を経て獲得した資金と技術が、日本をターゲットとした核ミサイルの大量配備に結実し、日々進化を続けているという厳然たる事実を、今どれだけの日本人が自覚しているだろうか。
1966年、東京都生まれ。フリージャーナリスト。
1990年、慶應義塾大学経済学部卒後、TBS入社。以来25年間報道局に所属する。報道カメラマン、臨時プノンペン支局、ロンドン支局、社会部を経て2000年から政治部所属。2013年からワシントン支局長を務める。2016年5月、TBSを退職。
著書に『総理』『暗闘』(ともに幻冬舎)がある。