もはや「新聞記者」を名乗るに値せず
一連の作品には、
(1)映画『新聞記者』
(2)ドキュメンタリー『i-新聞記者』
(3)ドラマ『新聞記者』
の3種類がある。
これらの3作品の原作者は東京新聞記者の望月衣塑子。そして現在、巷(ちまた)を騒がせているのは、(3)のネットフリックス版のドラマだ。
このドラマを制作した際の、望月らによる非常識な行動と不誠実な対応が大問題を引き起こしているというのだ。
特に、自殺した近畿財務局職員・赤木俊夫さんの妻、赤木雅子さんから様々な情報提供を受けておきながら、赤木さんを欺(あざむ)き、気持ちを踏みにじるような制作過程が厳しく批判されているという。
この件をスクープした週刊文春は、次のように伝えている。
(前略)
(問題の)発端は、2020年3月、赤木雅子さんが相澤冬樹氏(フリー記者)に亡くなった夫の遺書を託しそれが公表されたことだった。直後、それを読んだ望月記者が赤木さんの自宅に感想をしたためた手紙を送付。そこに河村氏の手紙も同封していたことからすべては始まった。
ドラマ版「新聞記者」制作に向けた最初の話し合いは、2020年5月下旬に望月記者と河村氏、赤木雅子さんの3者で、Zoom上で行われた。
だが赤木俊夫さんを診ていた精神科医に責任があるかのような河村氏の物言いなど、いくつかの点に不信感を抱いた赤木さんは“財務省に散々真実を歪められてきたのに、また真実を歪められかねない”と協力を拒否。その後、同年8月10日に再度話し合いが行われたが、そこでも設定などを巡って溝が埋まらなかった。
河村氏は赤木さんに、「どうしても気になる設定があれば変えられます」「脚本をある段階でお見せして、そちらが納得できるようにします」などと提案したが、結局それらは履行されなかった。その後、「あくまでフィクション」なので、赤木さん側の要望をほぼ受け入れずに制作を進めることが一方的にメールで通告されたという。
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そして、文春のスクープはこう続く。
(前略)すべての撮影が終わって配信を待つばかりとなった昨年12月27日に、河村氏は赤木さんと相澤氏と都内で会談を持った。そこで、開口一番、河村氏はこう謝罪したという。
「言い訳にしか聞こえないと思いますが、お詫びしなければいけないと思っていまして、どうお詫びするかずっと考えていました」
だが、2020年8月以降、一方的に話し合いを打ち切り、翌年の配信直前になって急に連絡してきた河村氏に赤木さんは不信感を強め、こう語ったという。
「夫と私は大きな組織に人生を滅茶苦茶にされたけれど、今、あの時と同じ気持ちです。ドラマ版のあらすじを見たら私たちの現実そのままじゃないですか。だいたい最初は望月さんの紹介でお会いしたのだから、すべてのきっかけは彼女です。なぜ彼女はこの場に来ないのですか」
河村氏はこう返すのが精一杯だった。
「望月さんには何度も同席するよう頼んだんですが、『会社の上層部に、もう一切かかわるなと止められている』と」
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ところが、自身に疑惑が降りかかると「借りた資料は返した」「ドラマの内容には関与していない」とツイートするのみで、少なくとも本稿執筆時点の2月中旬段階まではメディア各社やジャーナリストの取材にも応じず雲隠れ状態だという。
一連のトラブルで、これまでの望月の政治家追及は正義感からくるものでも、真実を探求するための行為でもなく、気に入らない政治家に声高(こわだか)に因縁をつけていただけの、いわば職業クレーマーだったことが判明した。
しかも、夫の死に苦しんでいる赤木雅子さんのような方すら利用するだけ利用して、都合が悪くなると頰被(ほおかむ)りするという、ジャーナリストの風上にも置けない唾棄(だき)すべき人物だったことも明らかになった。
「ルール違反」でも居直り、脅す
伊藤詩織氏との民事訴訟の一審、東京地方裁判所で行われた2019年の意見陳述の様子が何者かによって隠し撮りされ、それが一連の映像作品の中の一つ「i 新聞記者」の中で使われたのである。
傍聴人による法廷内の撮影は、刑事・民事ともにに法律によって明確に禁じられている。
・刑事訴訟規則第215条(公判廷の写真撮影等の制限)
公判廷における写真の撮影、録音又は放送は、裁判所の許可を得なければ、これをすることができない。
・民事訴訟規則第77条(法廷における写真の撮影等の制限)
法廷における写真の撮影、速記、録音、録画又は放送は、裁判長の許可を得なければすることができない。
法廷での撮影を認めると、
・被告や証人のプレッシャーとなり、
・被告人や証人に不当な圧力をかける手段となりかねなず、
・裁判の公平公正な進行が阻害され、
・撮影された映像の編集のされ方流布のされ方によっては、名誉毀損などの重大な人権侵害を引き起こしかねない
からである。
こうした数々の危険性を共有しているからこそ、東京新聞を含む全ての大手メディアは裁判撮影禁止のルールを受け入れて、その代わり裁判が始まる前の「冒頭カメラ撮影」が許されているのである。
他の記者が裁判長に向かって右側の指定されて記者席に直行したのに対して、望月だけは動きが違った。
傍聴人席の前のスペースを横切って、伊藤詩織氏側の席に歩み寄ると、柵越しに伊藤氏に目で合図を送り、伊藤氏はしっかりと頷(うなず)いて合図を返していた。
その動きは、望月が記者証を使って傍聴席を確保していながら、実態は伊藤氏の支援者であることを如実に表していた。
そして、今にして思えば、傍聴席を埋め尽くした一般の傍聴人の中に、盗撮用の特殊なカメラをかけた森達也がいたのだ。
民事訴訟規則に明確に違反する犯罪行為の末に撮影された映像が、「i 新聞記者」というドキュメンタリーの本編と、そのメイキング映像で使用されているというのだ。
まさかとは思ったが、その後、森達也本人がツイッターで盗撮を認めたため、犯罪行為の実行犯が「i新聞記者」の監督本人だったことが判明した。
もちろん、世の中には、映画監督を標榜(ひょうぼう)した活動家や工作員もいるだろう。
しかし看過できないのは、盗撮とその映像使用を容認した望月衣塑子と、その雇用主である東京新聞である。
法廷内の撮影禁止というルールを守る代わりに、報道各社は幹事社が撮影した裁判冒頭の映像の分配を受ける。東京新聞は映像配信を受けて置きながら、所属記者の関係者がルールを破って撮影した盗撮映像を使用した映像作品に深く関与した。こんな事が許されたら、報道各社は今日からどんどん注目裁判の隠し撮りを始めるだろう。
望月衣塑子は森達也の犯罪行為を止めなかったばかりでなく、自身が主役を務めるドキュメンタリー映画で盗撮映像の使用にも異議を申し立てなかった。望月の雇用主である東京新聞は法廷盗撮という望月一味の犯罪行為を黙認しただけではない。報道全社が尊重するルールを蹂躙した盗撮映像を使った「i新聞記者」の撮影に社屋を貸すなど全面協力した以上、東京新聞という組織も、犯罪行為の共犯だという事になる。
他の全ての報道機関が守っているルールを平気で破り、ルール破りの映像を使った映像作品に主演するような人物は、金輪際記者を名乗る資格はない。そして、法廷盗撮という犯罪を幇助し助長する共犯者であり、報道機関のルールやモラルを破り続ける望月衣塑子に「社会部記者」の名刺を与えて恥じない東京新聞も、報道機関とは言えない。
少なくとも、司法記者クラブは東京新聞を除名するなり一定期間資格を剥奪(はくだつ)するなどの厳しい処分をする必要がある。さもなければ、司法クラブ所属の報道機関が裁判の盗撮を幇助(ほうじょ)する行為に歯止めをかけることはできないだろう。
一連の「新聞記者」騒動ではっきりしたのは、望月衣塑子は「新聞記者」とは到底呼べない人物であるという皮肉な事実である。
それでは、一体、彼女は何者なのか。そのヒントは、ネットに転がっていた。
「報道」ではなく「破壊」を目的とする
タイトルは『ジャーナリズムの役割は空気を壊すこと』。
まともなジャーナリストは、どんなテーマでも取材を始めるにあたっては先入観を捨て虚心坦懐(きょしんたんかい)に現実を直視することから始める。そうでないと、真実に到達できないからである。
ところが、ジャーナリズムの役割が望月の言うように「何かを壊すこと」だとすると、ジャーナリストは壊すという目的ありきで取材を始めることになる。すると、当然目的に合った事実の断片を集めるようになり、彼らの取材と報道は確実に真実から乖離(かいり)していく。
だから、取材の際に真実追求以外の目的を持っている人物は、ジャーナリストとは呼べない。
ただ、自分の目的のためには平気でルールを破る望月衣塑子や森達也に、ジャーナリズム論を諭しても時間の無駄だろう。その一方で、『ジャーナリズムの役割は空気を壊すこと』というタイトルの本を書いたという事実は、2人の正体を暴く際に重要な入り口となる。
空気を壊すことをジャーナリズムの役割と考える人物は、社会に「壊すべき空気がある」という前提に立っていることになる。
彼らの言う「空気」とは、言い換えれば社会が培(つちか)ってきたルールやマナー、規範や慣習のことだろう。もちろん社会には古臭い因習や無駄なルールもある。しかし、特定のルールやマナーに意味があるかないか、壊すべきか残すべきかという判断は、人によって千差万別であり、誰かが誰かに押し付けるべきものではない。
この問題に対して、真っ当なジャーナリストならどう向き合うだろうか?
双方の主張を先入観を捨てて虚心坦懐に取材し、客観的な証拠や証言、インタビューなどを収集して国民に提供するのが、ジャーナリズムの王道だ。一方、「空気を壊すこと」を目的としている「自称ジャーナリスト」は、壊すべきものを選ぶところから仕事が始まるはずだ。
すると、一つの課題について意見対立が起きている場合、どちらかのサイドを擁護して、他方を攻撃することになる。「双方の言い分にそれぞれ理がある」という結論では、何も壊せないからだ。
そして、どちらを選択するかも自動的に決まる。ローマ法王を選択すると、社会的には「現状維持」ということになり、何も壊せない。結局フェミニズム側を支持しローマ法王を攻撃する以外の選択肢はない、という結論になる。
だから、「壊すことがジャーナリズムの役割」と考える人物にとっては、ほとんどのテーマで取材前からどのような原稿になるか骨格が決まってしまうのだ。
東京新聞の責任は重い
「安倍政権を攻撃する」「自民党政権を転覆する」という目的のためには手段を選ばない。法廷も盗撮するし、赤木さんの気持ちも踏みにじる。そもそも彼らにとってジャーナリズム自体も破壊のための武器であり、真実かどうかは二の次なのだ。
そして、森友問題がファクトや報道という枠組みでの攻撃が手詰まりになると、事実とフィクションをごちゃ混ぜにした映像作品「新聞記者」をつくり、いかに自民党政権や保守政治家が悪質かという印象操作を行った。
だからこそ、本来は「物語」であるはずの映画やドラマに、ノンフィクションのスパイスを振りかけるため、赤木さんの遺書は不可欠だったのだ。しかし、そんな国民を欺くための捏造(ねつぞう)体質を敏感に感じ取った赤木さんが、キッパリとNOを突きつけたというのが、今回の騒動の顛末だった。
望月衣塑子の思考回路は、共産主義テロリストに酷似(こくじ)している。
▶︎世界は弁証法的に「進歩」していくもの
▶︎進歩を妨げる人や組織は攻撃し殲滅(せんめつ)することこそが「正義」
▶︎正義の実現のためには、いかなる手段をとっても構わないと考える
そして、望月は孤独ではない。手前勝手な「進歩」に至上の価値を置き、伝統文化を重んじる保守層を執拗に攻撃するという意味で、望月の同志は無数にいる。
だからこれまで望月は「反権力のスター」などと持ち上げられ、立憲民主党の政治家と共著を出したり、左翼知識人から称揚されたりし続けた。
そういう意味では、望月の最大の支援組織は、いうまでもなく雇用主の東京新聞である。
問題となったドラマ「新聞記者」では、撮影に全面協力した東京新聞の社是を記した額縁(がくぶち)が大写しになっている。
「真実・公正・進歩的」
望月衣塑子も東京新聞も、今回の騒動で「真実」とも「公正」とも無縁であることが判明した。ただ一つ、「進歩的」のいう言葉だけが、彼らの本質と病理を象徴しているように思えてならない。
1966年、東京都生まれ。フリージャーナリスト。
1990年、慶應義塾大学経済学部卒後、TBS入社。以来25年間報道局に所属する。報道カメラマン、臨時プノンペン支局、ロンドン支局、社会部を経て2000年から政治部所属。2013年からワシントン支局長を務める。2016年5月、TBSを退職。
著書に『総理』『暗闘』(ともに幻冬舎)、新著に『中国に侵略されたアメリカ』(ワック)。