橋本琴絵:日本にもいる――タリバンの女性差別に意を同じ...

橋本琴絵:日本にもいる――タリバンの女性差別に意を同じくする者たち

「女性の基本的人権」を認めないタリバン

 アフガニスタンのカブール陥落に対して、アメリカのバイデン政権は「アフガニスタンからの完全撤兵は国民の望むところである」と発表した。もちろん、逃げ惑うアフガニスタンの民衆が、必死の思いでアメリカ軍の航空機にしがみついた光景を見た後のアメリカ世論がどのような形になるかまだわからないが、20年間にわたる派兵の結果がタリバンの勝利に終わったことは私たちを驚かせた。

「自ら国のために戦おうとしない者のためにアメリカ軍の兵士が命をかけることはない」というバイデン政権の主張の背景には、アフガニスタン軍の汚職があった。アフガニスタン軍は書類上30万人の兵力があるとされているが、存在しない分の兵士の給料を司令官が汚職する事件などが相次ぎ、実体としてどれほどの兵力があったのか定かではない。現在もタリバン政権の支配に抵抗する人々が「北部同盟」の旗を掲げて一部地域で抵抗を続けているが、多くのアフガニスタン兵士はタリバンとの戦闘から逃亡した様子がこれまで報道されている。

 我が国もアフガニスタンの農業インフラの整備に対して、これまでの累計で7000億円近い支援をしてきた。その〝甲斐"もあってか、タリバンの支配地域拡大に伴い、活動資金源である麻薬栽培は順調となり、過去最大の出荷高となっていることを2017年11月25日の朝日新聞が報じた。すべてが裏目にでたかのような感覚に襲われる。

 日本の自衛隊もこれまでアフガニスタンに展開した同盟国のための給油作戦に従事してきたが、それも全て「異なる価値観」の延長線上にある女性差別とテロリズムの撲滅にあったことを思えば、やるせなさを覚えざるを得ない。

 こうしたおよそ20年間にわたる戦争は、タリバンのカブール市街占拠によって終結したかのように見えた。タリバン兵士によって占領されたアフガニスタン国会議事堂のあるダルラマン宮殿からカブール空港までは直線距離で14キロメートルであり、空港になだれ込んでアメリカ軍の航空機にしがみつく民衆の姿は、絶対に相容れない価値観の違いの溝の深さを表徴していた。

 その価値観の違いとは何か。

 女性の身分である。タリバンの持つ暴力性や言論の自由の否定などの価値観は、別にタリバン固有のものではない。しかし、「女性の基本的人権を認めない」とする思想を反映した国家体制は、極めて目立つ特徴といえるだろう。

 アフガニスタンに生まれた少女ビビ・アイシャは、親族がした犯罪の慰謝料(補償)として、タリバン戦闘員に引き渡された。14歳のときであった。この地域では、損害賠償として女性を売買することが認められているため、アイシャは引き渡されたのであった。しかし、彼女は引き渡された先で激しい身体的暴力を振るわれたため、父親の元に逃げ帰った。この罪を咎めたタリバンは、「DVから無断で逃げた罪」として彼女の耳と目の切除を決めた。そして、実際にナイフで彼女の鼻を麻酔もなく切り落としたのだ。彼女はその場で遺棄されたが、命からがらアメリカ軍の基地までたどり着き、保護を求めた。アイシャはアメリカへの入国が認められ、TIME誌2010年8月7日号の表紙に「鼻の無い肖像」が掲載され、世界中の人々がタリバンの持つ「女性思想」を改めて知ることになった。

 そして、その2年後の2012年には、「女性にも教育を受ける権利がある」と主張していた14才のマララ・ユフスザイさんの頭に銃弾が撃ち込まれた。タリバン報道官は犯行を認めた上でマララさんを非難する声明を発表した。(2021年10月10日・ロイター通信)その後、マララさんは女性の基本的人権の擁護についての活動を評価され、最年少でノーベル賞を受賞したことは私たちの記憶に新しい。
Wikipedia (7858)

TIME誌(2010年8月7日号)の表紙に掲載されたビビ・アイシャ氏の写真
via Wikipedia

世界がアフガニスタンに関わり続けてきた理由

 異なる価値観の対立は世界に多くある。民主主義と共産主義、民族同士の憎悪など、多くの場合において歴史的に凄惨な殺し合いに発展した例も珍しくない。しかし、「女性を人間として扱うか否か」という対立軸は、実はこの地域だけに限定される特殊な対立軸だ。女性を財物として売買し、殺害しても金銭の損害賠償で弁済できる器物破損となり、特にタリバン政権が採用するハッド刑では、「4人以上の男性の前で性行為を強要された場合のみ強姦となる」という世界でも大変珍しい「強姦罪」の定義などが知られている。

 性犯罪自体はどの地域でも決してなくならないが、脅迫または暴力を用いて女性を姦淫したときに成立するという「定義」自体は各国で大差ない。しかし、タリバン政権下では、「加害者とは別に4名以上の男性が見ている前で姦淫」でなければ強姦は成立しないのである。

 こうした特殊性から、アメリカをはじめとする世界はこの20年間、アフガニスタンに多額の費用を投じ続けていた。もともと、アメリカがアフガニスタンを攻撃した理由は、2001年に起きた911テロ事件の実行組織アルカイダをタリバン政権が匿っていたためだ。2011年5月に首謀者のウサマ・ビンラディンをパキスタン北部で発見して射殺した時点で、その目的は果たされた。しかし、それでもアメリカ軍をはじめとする世界各国が駐留を続け、多額の費用と米英をはじめとする世界各国で累計3587名の戦死者を出してまでアフガニスタンに関わり続けてきた理由は何だろうか。それは、「価値観の違いを埋めるため」ではなかったのだろうか。

 たとえば「女性は人間ではない」という価値観を前提とした国家があれば、当然、女性をテロリストに仕立て上げることは容易である。実際、女性の方が体内に爆発物を隠すこと可能な身体構造をしているため、これまで各地で女性による自爆テロが為されてきた。King's College London のKatherine Brown博士の調査によれば、1981年から2007年のあいだに発生した自爆テロリストの26%以上が女性であったという。

 アメリカ軍が撤退した際に遺棄した兵器は膨大な数であり、それらを回収したタリバンが更に兵力を高めて国際テロリストを世界に再び送り出すようになる懸念以上に、「女性は人間ではない」とする価値観と文明社会に生きる私たちが果たして共存できるのかといった強い懸念がある。それは、タリバンと手を結ぼうとする人々の存在だ。

先進国に潜むタリバンと手を結ぼうとする人々

 読売新聞(令和3年8月17日付)によると、中国外務省の華春瑩報道局長が「アフガン国民の意志と選択を尊重する」と発表し、タリバンによる武力制圧を事実上容認する方針を公表したと報道した。また、日本でも大分県県議会議員の浦野英樹氏(立憲民主党)がツイッターで「日本はタリバン政権を認めるべき」と発表した(現在は削除済み)。立憲民主党が浦野氏に何ら処分を決定していない事実から、現時点においてこの発言を容認する姿勢を明らかにしている。
gettyimages (7862)

中国の王毅外相も、7月下旬にタリバンのナンバー2を天津市に招き、タリバンを「アフガンの重要な軍事・政治勢力」と持ち上げた。習政権はタリバンと関係構築を進め、タリバンが主導する形でのアフガニスタンの政治体制構築に協力していく気でいる
 実は、タリバン政権の苛烈な「女性差別思想」は、先進国の中にも一定数支持する人々の存在が散見できるのだ。国家の前提として女性の基本的人権を認めていたとしても、それに納得できない人々の存在を浮き彫りにしたのが、今回のタリバン政権の誕生の側面でもある。

 たとえば、日本国憲法9条の熱心な擁護者として知られていた医師の中村哲(故人)さんは、アフガニスタンでの人道支援活動に従事し、実際にタリバン勢力と間近で触れ合った経験から、次のような言葉を残している。

 「タリバンは訳が分からない狂信的集団のように言われますが、我々がアフガン国内に入ってみると全然違う。恐怖政治も言論統制もしていない」(日経ビジネス2001年10月22日号掲載)

 そこには、「4人以上の男性が目撃していなければ強姦をしても強姦にはならない」といったタリバン政権の女性差別政策は、特段の「恐怖政治ではない」とする一人の日本人の純粋な性差別思想が述べられていたのである。

 つまり、タリバン政権の女性差別思想は同時に、そのタリバン政権に対して異を唱えないどころか共感する人々が、私たちの社会にも潜んでいる事実を明らかにしたのだ。

 その様子は、タリバン政権による女性差別だけではなく、たとえば中国共産党によるウイグル人女性への強制堕胎などが明らかになったにもかかわらず、この政党を支持し、大学構内にこの政党の政治思想教育機関(孔子学院)を設置し続けている大学法人が多くある様子からも見て取れる。彼らは同じ日本国籍を持ち、同じ日本語を使い、同じ日本社会で暮らしているにもかかわらず、「性差別思想」の熱心な支持者が私たちに社会に存在するという「深い溝」があることが既に可視化されているのだ。

 ギリシャ哲学のアリストテレスは、「政治学」という著作で次のような言葉を残している。

 「野蛮人のあいだでは女性と奴隷とは同じ地位にある」(『政治学』山本光雄訳)

 女性を奴隷としてこれまで扱ってきたタリバンに対してどう向き合うかという事実は、その者が文明人なのか野蛮人なのかを客観的に判断できるメルクマールになる。中国共産党、立憲民主党、そしてリベラルな人々による女性差別思想の支持に対して、文明社会に生きる私たちはどう向き合うべきか。

 今後、議論してくべきであろう。
橋本 琴絵(はしもと ことえ)
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第五区より立候補。日本会議会員。
2021年8月にワックより初めての著書、『暴走するジェンダーフリー』を出版。

関連する記事

関連するキーワード

投稿者

この記事へのコメント

コメントはまだありません

コメントを書く