パキスタンの北西辺境州の州都ペシャワルの路地に踏み込んだときのことだ。粗末な駄菓子屋で道を聞くと、たちまち子供の群れに囲まれた。外国人を見るのは珍しいらしく、「ハロー」といって体に触ってくる。背中をつつかれ振り向くと女の子がニッと笑った。
それは2001年の秋、米同時多発テロ「9.11」の後に、米軍がアフガニスタンの北部同盟を支援して首都カブールを制圧した頃のこと。アフガン義勇兵が逃げ帰っていると聞いて、入り組んだ細い路地を探し回っていたときだった。崩れたレンガや泥で固めた家々が軒を連ね、女たちはアフガン難民らしく顔を隠すブルカをかぶっていた。その若者は、アフガンの首都カブールから米軍に追われて逃げ帰ってきたばかりだった。土壁がはげ落ちた粗末な部屋で、彼は戦闘の激しさを語りつつも、気落ちしている様子はない。その彼がなお、「カブールに戻るか、インドのカシミールでヒンズー教徒と戦うべきか」とつぶやいた。彼の心をかき立てるジハード(聖戦)とは、「相手が異教徒なら、どちらでも構わないのか」と愕然とした記憶がある。
反米ジハードの戦士らを募るテロ組織は冷酷非道である。イスラム学校で教条的に育った若者をリクルートしては「テロの戦場」に送り込んでいく。ここペシャワルは、アフガンのイスラム原理主義勢力タリバンと同じパシュトゥン族の戦士を絶え間なく生み出していたのである。
インドの経済都市ムンバイのテロ事件でも、犯人の供述から、彼らがパキスタン三軍統合情報部(ISI)で訓練され、支援を受けていたことが分かった。2001年11月にISI元長官のハーミド・グル将軍へのインタビューでそれを確信した。将軍は「イスラム戦士のゴッドファーザー」を自任し、「カブールで行われたタリバンの軍事パレードにも招かれた」と語り、米軍のタリバン攻撃を激しく非難した。米捜査当局は、将軍が国際テロ組織アルカーイダにも関与しているとみていた。
当時のブッシュ政権はアフガンからの越境攻撃を手控えていたが、続くオバマ政権は、「アフガンとパキスタンの部族エリアこそが焦点であり、少なくとも2個旅団をアフガン側に増派する」と述べていた。やがてトランプ政権がタリバンと停戦合意し、バイデン政権が2021年8月末までの撤収を決断した。
東京五輪閉会式で聖火が消されて1週間後の今年8月15日、首都カブールがタリバンの手に落ちたとの衝撃的ニュースが飛び込んできた。世界最強の米軍が、イスラム武装勢力に過ぎないタリバンと20年間も戦って敗北を喫したのだ。あの「ゴッドファーザー」グル将軍が語った言葉がよみがえる。
「空爆など現代戦に持ち込んでも通用しない。彼らは中世に生きているのだ」
パキスタンはその後も、タリバンをひそかに保護し、武器を与え、訓練までして、米国のアフガン政策を失敗に導いた。タリバンのカブール陥落で歓喜の声を上げたのはイムラン・カーン首相で、「アフガンは奴隷の足かせを解いた」と本音を吐いた。
それは2001年の秋、米同時多発テロ「9.11」の後に、米軍がアフガニスタンの北部同盟を支援して首都カブールを制圧した頃のこと。アフガン義勇兵が逃げ帰っていると聞いて、入り組んだ細い路地を探し回っていたときだった。崩れたレンガや泥で固めた家々が軒を連ね、女たちはアフガン難民らしく顔を隠すブルカをかぶっていた。その若者は、アフガンの首都カブールから米軍に追われて逃げ帰ってきたばかりだった。土壁がはげ落ちた粗末な部屋で、彼は戦闘の激しさを語りつつも、気落ちしている様子はない。その彼がなお、「カブールに戻るか、インドのカシミールでヒンズー教徒と戦うべきか」とつぶやいた。彼の心をかき立てるジハード(聖戦)とは、「相手が異教徒なら、どちらでも構わないのか」と愕然とした記憶がある。
反米ジハードの戦士らを募るテロ組織は冷酷非道である。イスラム学校で教条的に育った若者をリクルートしては「テロの戦場」に送り込んでいく。ここペシャワルは、アフガンのイスラム原理主義勢力タリバンと同じパシュトゥン族の戦士を絶え間なく生み出していたのである。
インドの経済都市ムンバイのテロ事件でも、犯人の供述から、彼らがパキスタン三軍統合情報部(ISI)で訓練され、支援を受けていたことが分かった。2001年11月にISI元長官のハーミド・グル将軍へのインタビューでそれを確信した。将軍は「イスラム戦士のゴッドファーザー」を自任し、「カブールで行われたタリバンの軍事パレードにも招かれた」と語り、米軍のタリバン攻撃を激しく非難した。米捜査当局は、将軍が国際テロ組織アルカーイダにも関与しているとみていた。
当時のブッシュ政権はアフガンからの越境攻撃を手控えていたが、続くオバマ政権は、「アフガンとパキスタンの部族エリアこそが焦点であり、少なくとも2個旅団をアフガン側に増派する」と述べていた。やがてトランプ政権がタリバンと停戦合意し、バイデン政権が2021年8月末までの撤収を決断した。
東京五輪閉会式で聖火が消されて1週間後の今年8月15日、首都カブールがタリバンの手に落ちたとの衝撃的ニュースが飛び込んできた。世界最強の米軍が、イスラム武装勢力に過ぎないタリバンと20年間も戦って敗北を喫したのだ。あの「ゴッドファーザー」グル将軍が語った言葉がよみがえる。
「空爆など現代戦に持ち込んでも通用しない。彼らは中世に生きているのだ」
パキスタンはその後も、タリバンをひそかに保護し、武器を与え、訓練までして、米国のアフガン政策を失敗に導いた。タリバンのカブール陥落で歓喜の声を上げたのはイムラン・カーン首相で、「アフガンは奴隷の足かせを解いた」と本音を吐いた。
そのパキスタンの友邦である中国は、米軍撤退と混乱を利用して、そんなアフガンに生じた「力の真空」を埋めるだろうか。しかし、撤退が必ずしもロシアや国境を接する中国、イランの利益になるとは限らない。この20年間の歩みは、皮肉なことに米軍のアフガン駐留によって周辺地域が「テロの温床」になるリスクから守られてきたからだ。
今後、中国が狙うのは、ハイテク産業の原材料となるリチウムなど地下資源である。さらに、カラコルム山脈を越えてパキスタンに至る「中国・パキスタン経済回廊」の安全を強化したいとの思いがある。だが、中国がすでに投資済みのメス・アイナック銅鉱山やアム・ダリヤ油田の不本意な現状をみれば、アフガンでの足跡は慎重に進めざるを得ない。この地域の政治、安全保障環境が不安定であるため、何年たっても操業が開始できないのだ。
この7月と8月にも、パキスタン国内で中国人労働者がイスラム過激派に相次いで殺害されている。本土から送り込まれた中国人が、異民族・異教徒を嫌うイスラム武装勢力の標的になっている。
静岡大学の楊海英教授はタリバンと中国はいずれ衝突すると大胆に予測する。厳格なイスラム法に基づく統治を理想とするタリバンは、超原理主義であり、反対に中国は超現実主義。「帝国の墓場(アフガニスタンの異名)は早晩、中国の野望を葬る地となるだろう」。
今後、中国が狙うのは、ハイテク産業の原材料となるリチウムなど地下資源である。さらに、カラコルム山脈を越えてパキスタンに至る「中国・パキスタン経済回廊」の安全を強化したいとの思いがある。だが、中国がすでに投資済みのメス・アイナック銅鉱山やアム・ダリヤ油田の不本意な現状をみれば、アフガンでの足跡は慎重に進めざるを得ない。この地域の政治、安全保障環境が不安定であるため、何年たっても操業が開始できないのだ。
この7月と8月にも、パキスタン国内で中国人労働者がイスラム過激派に相次いで殺害されている。本土から送り込まれた中国人が、異民族・異教徒を嫌うイスラム武装勢力の標的になっている。
静岡大学の楊海英教授はタリバンと中国はいずれ衝突すると大胆に予測する。厳格なイスラム法に基づく統治を理想とするタリバンは、超原理主義であり、反対に中国は超現実主義。「帝国の墓場(アフガニスタンの異名)は早晩、中国の野望を葬る地となるだろう」。
湯浅 博(ゆあさ ひろし)
1948年、東京生まれ。中央大学法学部卒業。プリンストン大学Mid-Career Program修了。産経新聞ワシントン支局長、シンガポール支局長を務める。現在、国家基本問題研究所主任研究員。著書に『覇権国家の正体』(海竜社)、『吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一』(文藝春秋)など。
1948年、東京生まれ。中央大学法学部卒業。プリンストン大学Mid-Career Program修了。産経新聞ワシントン支局長、シンガポール支局長を務める。現在、国家基本問題研究所主任研究員。著書に『覇権国家の正体』(海竜社)、『吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一』(文藝春秋)など。