正しい「歴史認識」?
石破茂首相は衆院予算委員会(2025年1月31日)において、選択的夫婦別姓の導入について、
「何がより多くの理解をいただけるか。いつまでも引きずる話だと思っていない」
と強調、早期導入に前向きな姿勢を示した。野党第1党の立憲民主党も選択的夫婦別姓の導入には意欲的であり、これまでにないほど、選択的夫婦別姓が導入される可能性が高まっている。
日本人の姓(苗字)に対する正しい「歴史認識」に基づき、更には選択的夫婦別姓の導入によって起こり得る様々な問題の解決策をしっかり提示した上で、導入に意欲を示すのならば百歩譲って納得できる部分もあるが、現状、そうはなっていないと筆者は感じている。
例えば、選択的夫婦別姓の導入に前々から並々ならぬ意欲を見せてきた立憲民主党の枝野幸男氏は取材に対し、
「夫婦が同姓になったのは、たかだか明治以来の150年にすぎないですよね。たとえば鎌倉時代、源頼朝と結婚した北条政子は、北条政子のままだった」(秋山訓子「立憲・枝野氏に聞いた「選択的夫婦別姓」を実現するための3つの方法」(『MASHINGUP』2020年12月30日)
と述べている。このような「歴史認識」を示す人は、選択的夫婦別姓の導入に前向きな知識人の中にもいる。一例を挙げると、大阪府立大学名誉教授の堀江珠喜氏はコラム「夫婦別姓選択制法制化考」(『大阪府立大学女性学研究センター』2020年1月19日)において「夫婦同姓は日本の伝統」とする見解に対し、
「ふうん、そうなんだ。じゃ、源頼朝の正妻は、北条政子と呼んじゃいけないのね。日本歴史教科書改訂!そういえば、日野富子って、誰の配偶者でしたっけ? 夫は日野義政? 私、ずっと足利義政だと思っていましたけど? そもそも名字帯刀って、庶民に許されてましたっけ? じゃ、夫婦同姓の伝統って、いつからでしょうねえ? ふん!」
と反駁(はんばく)していた。
「何がより多くの理解をいただけるか。いつまでも引きずる話だと思っていない」
と強調、早期導入に前向きな姿勢を示した。野党第1党の立憲民主党も選択的夫婦別姓の導入には意欲的であり、これまでにないほど、選択的夫婦別姓が導入される可能性が高まっている。
日本人の姓(苗字)に対する正しい「歴史認識」に基づき、更には選択的夫婦別姓の導入によって起こり得る様々な問題の解決策をしっかり提示した上で、導入に意欲を示すのならば百歩譲って納得できる部分もあるが、現状、そうはなっていないと筆者は感じている。
例えば、選択的夫婦別姓の導入に前々から並々ならぬ意欲を見せてきた立憲民主党の枝野幸男氏は取材に対し、
「夫婦が同姓になったのは、たかだか明治以来の150年にすぎないですよね。たとえば鎌倉時代、源頼朝と結婚した北条政子は、北条政子のままだった」(秋山訓子「立憲・枝野氏に聞いた「選択的夫婦別姓」を実現するための3つの方法」(『MASHINGUP』2020年12月30日)
と述べている。このような「歴史認識」を示す人は、選択的夫婦別姓の導入に前向きな知識人の中にもいる。一例を挙げると、大阪府立大学名誉教授の堀江珠喜氏はコラム「夫婦別姓選択制法制化考」(『大阪府立大学女性学研究センター』2020年1月19日)において「夫婦同姓は日本の伝統」とする見解に対し、
「ふうん、そうなんだ。じゃ、源頼朝の正妻は、北条政子と呼んじゃいけないのね。日本歴史教科書改訂!そういえば、日野富子って、誰の配偶者でしたっけ? 夫は日野義政? 私、ずっと足利義政だと思っていましたけど? そもそも名字帯刀って、庶民に許されてましたっけ? じゃ、夫婦同姓の伝統って、いつからでしょうねえ? ふん!」
と反駁(はんばく)していた。
戦国時代から「夫婦同氏」が
これらの人々の日本人の姓の歴史に対する認識には複数の間違いが含まれている。今回はその中の1つを指摘したい。
それは何か。
源頼朝(鎌倉幕府初代将軍)の「源」も、その妻・北条政子の「北条」もともに「姓」だとみなしていることである。
源は「姓」(天皇から授与された氏の名)であり、北条(伊豆国田方〈たがた〉郡北条)は地名に由来する「苗字」(名字)であるにもかかわらず。北条氏の姓は「平」である。政子は頼朝と結婚してからも「平政子」(鎌倉時代後期の歴史書『吾妻鏡』)であり、実家の姓を名乗っていた。そうした意味で、源頼朝と平政子は夫婦別姓だったのである。
話が少し逸(そ)れるが、成立の歴史が短いから変えて良いと言うのであれば、日本国憲法の歴史は100年にも満たないものである。よって日本国憲法も改正しても良いのではないか。閑話休題(かんわきゅうだい)。
本論に入ると「夫婦同氏」の歴史は、枝野氏らが主張されるような、百数十年ではない。古文書を繙くと、戦国時代の文書には「夫婦同氏」の事例が見られるのである。例えば丹波国山国荘(やまぐにのしょう)(現在の京都市右京区京北〈けいほく〉)の大永8年(1528)の文書には「方(坊)ひめ」「方(坊)又二郎」などと夫婦同氏の事例が存在する。
また江戸時代、上流武家などを除いて、庶民の多くは同氏(同苗字)だったと考えられている。そうしたこともあり、明治時代になり、政府が夫婦別姓を推進しようとした時、地方から毎年のように続々と反対の声が沸き上がったのだ。
妻が夫家の氏を名乗るのは「地方一般の慣行」であるのに、政府が夫婦別姓にこだわれば、世上が混乱すると懸念されたのである。
それは何か。
源頼朝(鎌倉幕府初代将軍)の「源」も、その妻・北条政子の「北条」もともに「姓」だとみなしていることである。
源は「姓」(天皇から授与された氏の名)であり、北条(伊豆国田方〈たがた〉郡北条)は地名に由来する「苗字」(名字)であるにもかかわらず。北条氏の姓は「平」である。政子は頼朝と結婚してからも「平政子」(鎌倉時代後期の歴史書『吾妻鏡』)であり、実家の姓を名乗っていた。そうした意味で、源頼朝と平政子は夫婦別姓だったのである。
話が少し逸(そ)れるが、成立の歴史が短いから変えて良いと言うのであれば、日本国憲法の歴史は100年にも満たないものである。よって日本国憲法も改正しても良いのではないか。閑話休題(かんわきゅうだい)。
本論に入ると「夫婦同氏」の歴史は、枝野氏らが主張されるような、百数十年ではない。古文書を繙くと、戦国時代の文書には「夫婦同氏」の事例が見られるのである。例えば丹波国山国荘(やまぐにのしょう)(現在の京都市右京区京北〈けいほく〉)の大永8年(1528)の文書には「方(坊)ひめ」「方(坊)又二郎」などと夫婦同氏の事例が存在する。
また江戸時代、上流武家などを除いて、庶民の多くは同氏(同苗字)だったと考えられている。そうしたこともあり、明治時代になり、政府が夫婦別姓を推進しようとした時、地方から毎年のように続々と反対の声が沸き上がったのだ。
妻が夫家の氏を名乗るのは「地方一般の慣行」であるのに、政府が夫婦別姓にこだわれば、世上が混乱すると懸念されたのである。
メリットばかり強調するのはなぜ?
よって、夫婦同氏は1000年の歴史を誇るわけではないが、約500年の歴史は有しているのだ。これは十分「伝統」と言って良いであろう。
筆者は伝統の中には悪習もあると考えているので、伝統だからといって何でもそのままで良いとする立場ではない。しかし、家族の根幹にかかわる問題、しかも長い歴史を有し、民衆に馴染んできた「夫婦同氏」を間違った歴史認識に基づき、弊履(へいり)を棄てる如く変えてしまうことには反対である。
「選択的夫婦別姓」制度の導入により、日本の家族に様々な問題が発生してくることも懸念される。例えば、子供の姓を選ぶ時に、どちらの姓にするか揉めることもあろう。さらには、両親(夫婦)の名字が異なることについて、子供に好ましくない影響があると考える向きもある。家族としての一体感が損なわれる可能性も指摘されている。同制度の導入により、日本の家族に混乱と不和を生じさせることが懸念されているのだ。
「夫婦別姓」推進論者は、その「メリット」(改姓に必要な手続が不要。結婚や離婚の事実が周囲に知られにくい。アイデンティティ喪失の回避。キャリアの断絶を防ぐことができる)しか主張しないように筆者には思うのだが、デメリットとそれへの対策をどこまで真剣に考え、議論を尽くしてきたのだろうか。
筆者は伝統の中には悪習もあると考えているので、伝統だからといって何でもそのままで良いとする立場ではない。しかし、家族の根幹にかかわる問題、しかも長い歴史を有し、民衆に馴染んできた「夫婦同氏」を間違った歴史認識に基づき、弊履(へいり)を棄てる如く変えてしまうことには反対である。
「選択的夫婦別姓」制度の導入により、日本の家族に様々な問題が発生してくることも懸念される。例えば、子供の姓を選ぶ時に、どちらの姓にするか揉めることもあろう。さらには、両親(夫婦)の名字が異なることについて、子供に好ましくない影響があると考える向きもある。家族としての一体感が損なわれる可能性も指摘されている。同制度の導入により、日本の家族に混乱と不和を生じさせることが懸念されているのだ。
「夫婦別姓」推進論者は、その「メリット」(改姓に必要な手続が不要。結婚や離婚の事実が周囲に知られにくい。アイデンティティ喪失の回避。キャリアの断絶を防ぐことができる)しか主張しないように筆者には思うのだが、デメリットとそれへの対策をどこまで真剣に考え、議論を尽くしてきたのだろうか。
(主要参考文献一覧)
・濱田浩一郎「夫婦同姓は高々百年ばかりの歴史に過ぎないは本当か」(『祖国と青年』554号、2024年)
・濱田浩一郎「明治政府の夫婦別姓に国民が反対した理由」(『明日への選択』467号、2024年)
・洞富雄『庶民家族の歴史像』(校倉書房、1966年)
・坂田聡『苗字と名前の歴史』(吉川弘文館、2006年)
・大藤修『日本人の姓・苗字・名前』(吉川弘文館、2012年)
・尾脇秀和『氏名の誕生』(筑摩書房、2021年)
・濱田浩一郎「夫婦同姓は高々百年ばかりの歴史に過ぎないは本当か」(『祖国と青年』554号、2024年)
・濱田浩一郎「明治政府の夫婦別姓に国民が反対した理由」(『明日への選択』467号、2024年)
・洞富雄『庶民家族の歴史像』(校倉書房、1966年)
・坂田聡『苗字と名前の歴史』(吉川弘文館、2006年)
・大藤修『日本人の姓・苗字・名前』(吉川弘文館、2012年)
・尾脇秀和『氏名の誕生』(筑摩書房、2021年)
濱田 浩一郎(はまだ こういちろう)
1983年、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員・姫路日ノ本短期大学講師・姫路獨協大学講師・大阪観光大学観光学研究所客員研究員を歴任。現在、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー、日本文藝家協会会員。著書に『日本人はこうして戦争をしてきた』『日本会議・肯定論!』『超口語訳 方丈記』など。
1983年、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員・姫路日ノ本短期大学講師・姫路獨協大学講師・大阪観光大学観光学研究所客員研究員を歴任。現在、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー、日本文藝家協会会員。著書に『日本人はこうして戦争をしてきた』『日本会議・肯定論!』『超口語訳 方丈記』など。