池田信夫氏にかみついた橋下氏
賛成できるものとしては、住民(非戦闘員)保護のために「戦う一択」ではいけない、よって「完全包囲される前に逃げたい人はどんどん逃がす。今のうちからやっておかなければなりませんし、ウクライナ軍は住民避難をも目的にすべきだと思います」(3月6日、ツイッター)という見解である。
非戦闘員の避難はドンドンやるべきだ。
一方で、アゴラ研究所の池田信夫氏に向けた反論には違和感を覚えた。
池田氏の《この2人の話を聞くと、戦争のリアリティを伝えないで「戦争はいけない」とか「原爆は悲惨だ」としか教えなかった日教組とマスコミの罪を痛感する》(3月5日、ツイッター)
という記述に対する反論である。
ちなみに、池田氏の言う「この2人」とは、橋下氏とキャスターの玉川徹氏のことだ。
橋下氏は先の池田氏の言葉に対し、
《あんたらみたいに戦争を安全地帯から精神論で語ると救える者も救えない。戦争は究極の災害や。災害対策の思考がなければできる限りの国民を救うことはできんよ。あんたらの祖国防衛、国際秩序維持をはじめとするリアリティなき話はほんま勉強になったわ》(3月5日、ツイッター)
と強い語句で言い返したのだ。
戦争のリアリティ?
まず
《あんたらみたいに戦争を安全地帯から精神論で語ると救える者も救えない》
という箇所だ。
安全地帯で戦争を語っているのは、池田氏のみではなく、橋下氏も(そしてもちろん筆者も)同様であろう。そこを何か自分だけは、危険地帯に身を置いて、高みに立って語っていると言わんばかりの言葉に驚いたのだ。
また、橋下氏は先の池田氏の一文に対し、
《あんた、どう考えても戦場で戦えるとは思えんな。泣いて敵に命乞いするか、真っ先に助けてくれと味方に懇願するか、逃げるか、隠れるかちゃうの?これまでの人生の中で殴り合いの喧嘩を一度でもやったことある?あんたの戦争の話には全くリアリティがないわ》(3月5日、ツイッター)
と言い放っている。
「殴り合いの喧嘩」を何度かやれば、戦争についてリアリティのある発言ができるのであろうか?
喧嘩から学べることはあるとしても、戦争と喧嘩は全然違うものだ。それをまるで、似たもののように語ることこそ、リアリティがないだろう。また橋下氏の言葉の裏には(俺は、殴り合いの喧嘩をしたことがあるぜ。どうだ、お前はないだろう。臆病者)と言わんばかりの感情が見え隠れしていて、嫌なものを感じた。
橋下氏は、逃げることは恥ずかしいことではない、戦う一択ではいけないと何度も繰り返して主張しているが、前掲の「逃げるか、隠れるかちゃうの?」との発言からは、戦場から逃げることが、さも卑怯で恥ずべきことであるかのように、私には聞こえるのだが、思い過ごし、勘違いであろうか。
戦争と災害は全く違う
戦争を災害と同義と見なしているのだ。住民保護の観点から見れば、災害対策と被る面もあるのかもしれないが、戦争と災害とは全く違う。そこを同じと見なしているから、ウクライナの人々がなぜ命懸けでロシア侵略軍と戦っているかが、橋下氏には見えないのではないか。
橋下氏は、在日ウクライナ人のナザレンコ・アンドリー氏に対し、
「戦っているウクライナの人には敬意を表しますが、戦争が始まってしまった以上、壮大な意義に熱くなってはいけません。結局利用されるだけになってしまいます。戦争が始まれば究極の災害として対応しなければなりません」(3月5日)
と主張しているが、これは、アンドリー氏の、
「「この人(筆者註・橋下氏の意)の言っていることを聞かないでください。今、何十万人ものウクライナ人、軍人・民兵・レジスタンスは、ウクライナの文明的選択肢を守るために命を捧げている。侵略者のロシアではなく、関係ないNATOに妥結を促すことはウクライナ人の犠牲を無駄にする冒涜かつ侵略の正当化。現地の人は望んでいない」(2月27日)
との言葉に向けられたものである。
災害、例えば地震ならば数分で収まる。しかし、戦争とその結果としての、敗戦・占領ともなれば、ロシア軍(もしくはその傀儡政権)は、反乱でも起こさない限りは、半永久的に居座ることになろう。
その過程では、多くの人が殺され、投獄され、筆舌に尽くし難い、苦しみを舐めることになるはずだ。自由もなくなる。だからこそ、ウクライナ人は命を懸けて、侵略軍と戦っているのである。
無責任な発言
橋下氏は「めざまし8」(フジテレビ)で、アンドリー氏に対し、
「あと10年、20年(国外で)頑張りましょうよ。そこからウクライナ立て直したっていいじゃないですか、プーチンだっていつか死ぬんですから。(ウクライナ国民を)どんどん国外退避さしたらいいんですよ」
とアドバイスしているが、この発言も無責任なものだ。
プーチンが死んだら、(仮定の話として)ロシアに占領されたウクライナの状況が変わる保証はどこにもないだろう。
地震のように収まると楽観的に考えることは現実的ではない。状況が悪化する可能性だってある。一度、祖国が外国に占領されてしまったら、取り返したり、再建するのは近現代史を振り返っただけでも容易ではないことは一目瞭然。日本政府は、竹島や北方領土を韓国やロシアから取り返したか? 政治家は「島は日本固有の領土です」と欺瞞(ぎまん)的主張するだけで、何十年経っても、不可能ではないか。
橋下氏の言うように、人間の命は当然、大事である。しかし、人間には命を懸けてでも守らなければいけないものがあるし、そのために懸命に戦っている人々がいるのだ。
1983年、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員・姫路日ノ本短期大学講師・姫路獨協大学講師を歴任。現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。現代社会の諸問題に歴史学を援用し迫り、解決策を提示する新進気鋭の研究者。著書に『日本人はこうして戦争をしてきた』『日本会議・肯定論!』『超口語訳 方丈記』など。