政治家が先に死ね?
元大阪府知事の橋下徹氏のロシア・ウクライナ戦争に関するツイッターでの発言が止まらない。連日のように長文を書き連ねている。
ウクライナ国民の死傷者が増えていくことに怒りを禁じ得ないというのは分かるが、それら発言の中には、首を傾(かし)げざるを得ない感情論も散見される。
例えば、
《今の時代にあっても政治家が生き残って、兵士や一般市民が犠牲になる戦争指導が行われる。マリウポリの状況では、一般市民が死ぬよりもまずは政治家たちが死ぬのが先だろ。戦う一択の戦争指導は、政治家が自分の命と引き換えに市民の命を守るという思考にならなくなる。日本で戦争指導の研究が必要だ》(3月21日)
という主張もそうだろう。
橋下氏は「今の時代にあっても」、戦争においては政治家が生き残り、兵士や市民が犠牲になると憤るが、冷厳な事実として、戦争とは往古よりずっとそうしたものである。
橋下氏は「政治家が死ぬのが先だろ」と言うが、ウクライナの政治家や指導層が先に戦場で死んでしまえば、ウクライナ国民はどうなるのか? 選択肢としてあがっている停戦交渉を担う者がいなくなるし、何より自国民を保護すべき政治家が死ねば、国民の犠牲はロシア軍の攻撃等により、さらに増えてしまうのではないか?
「民主国家においては政治家はいくらでも補充できる」(同日)と橋下氏は言うが、平時においてはそうした側面はあるにしても、戦時において、そうした悠長なことは言っていられないのではなかろうか。
橋下氏は、政治家が安全地帯にいて、悠長に構えていると見えるのだろうが、戦争を指導しているウクライナの政治家も命懸けで、事に臨んでいるはずだ。ウクライナの市長がロシア軍に拉致されていることも、場合によっては命の危機を伴うものだし、ゼレンスキー(ウクライナ大統領)にも暗殺の危機が何度もあったという報道もある。政治家も、命懸けで戦争指導をしているのだ(亡命せず、最後まで自国で戦い、敗れた場合は、大統領が自決する、もしくはロシア軍に殺害される、裁判にかけられて処刑されてしまうこともあり得る)。
ウクライナ国民の死傷者が増えていくことに怒りを禁じ得ないというのは分かるが、それら発言の中には、首を傾(かし)げざるを得ない感情論も散見される。
例えば、
《今の時代にあっても政治家が生き残って、兵士や一般市民が犠牲になる戦争指導が行われる。マリウポリの状況では、一般市民が死ぬよりもまずは政治家たちが死ぬのが先だろ。戦う一択の戦争指導は、政治家が自分の命と引き換えに市民の命を守るという思考にならなくなる。日本で戦争指導の研究が必要だ》(3月21日)
という主張もそうだろう。
橋下氏は「今の時代にあっても」、戦争においては政治家が生き残り、兵士や市民が犠牲になると憤るが、冷厳な事実として、戦争とは往古よりずっとそうしたものである。
橋下氏は「政治家が死ぬのが先だろ」と言うが、ウクライナの政治家や指導層が先に戦場で死んでしまえば、ウクライナ国民はどうなるのか? 選択肢としてあがっている停戦交渉を担う者がいなくなるし、何より自国民を保護すべき政治家が死ねば、国民の犠牲はロシア軍の攻撃等により、さらに増えてしまうのではないか?
「民主国家においては政治家はいくらでも補充できる」(同日)と橋下氏は言うが、平時においてはそうした側面はあるにしても、戦時において、そうした悠長なことは言っていられないのではなかろうか。
橋下氏は、政治家が安全地帯にいて、悠長に構えていると見えるのだろうが、戦争を指導しているウクライナの政治家も命懸けで、事に臨んでいるはずだ。ウクライナの市長がロシア軍に拉致されていることも、場合によっては命の危機を伴うものだし、ゼレンスキー(ウクライナ大統領)にも暗殺の危機が何度もあったという報道もある。政治家も、命懸けで戦争指導をしているのだ(亡命せず、最後まで自国で戦い、敗れた場合は、大統領が自決する、もしくはロシア軍に殺害される、裁判にかけられて処刑されてしまうこともあり得る)。
亡国の道へまっしぐら
橋下氏の戦争論で疑問な点は、まだある
《防衛力が不十分なウクライナではロシアに狙われるのでレッドラインを公表できないだろうが、日本では戦争指導の在り方として議論する必要がある。戦争終結妥結案確定のプロセス。被害レッドラインを定めることは、そこに達しないための防衛力強化の目標になる》(3月22日)
についてだ。
これは、ゼレンスキー大統領が、ロシアとの戦争終結案を国民投票で決定する必要もあるとの意向を示したことを受けた発言である。橋下氏は、あらかじめ想定している被害を上回ったら(レッドライン)、停戦交渉を推進し、妥結し、終戦にもっていくべしと主張している。確かに、政治家、戦争指導者が、戦争が始まる前から、様々な事態を想定し、対策を練り、色々なプランを用意し、備えておく意義はある。
しかし、日本がそれを「公表」するのは、いかがなものであろうか?
レッドラインを公表すれば、日本の領土を狙う外国からすると、これほど嬉しいことはあるまい。
「日本に、これくらいの打撃を与えて、これくらいの死傷者を出せば、日本は我が方の言うことを聞いてくれるのか。ならば、レッドラインを超える被害を与えてやろう」と、安易な考えで、攻撃を加えてくるだろう。
日本に侵略してきた外国の軍隊は、(日本側が公表している)レッドラインを超える被害を日本に与え、日本側から停戦交渉の声をあげさせる。そこで、日本に不利な要求を突きつけ、呑ませることもあり得よう(侵略国に戦争目的を容易に達成させて終戦に追い込まれる)。
レッドラインを超える被害を与えれば、日本は我らが思うがままと、見くびられては、侵略者の思う壺だろう。抑止力も何もあったものではない。
どこまで痛めつければ「泣き寝入り」するかを、わざわざ日本側から示すなんて、安全保障の観点からあり得ない。外国を利するだけである。私が橋下氏の戦争指導を「亡国の道」とまで指摘するのは、以上の理由からだ。
《防衛力が不十分なウクライナではロシアに狙われるのでレッドラインを公表できないだろうが、日本では戦争指導の在り方として議論する必要がある。戦争終結妥結案確定のプロセス。被害レッドラインを定めることは、そこに達しないための防衛力強化の目標になる》(3月22日)
についてだ。
これは、ゼレンスキー大統領が、ロシアとの戦争終結案を国民投票で決定する必要もあるとの意向を示したことを受けた発言である。橋下氏は、あらかじめ想定している被害を上回ったら(レッドライン)、停戦交渉を推進し、妥結し、終戦にもっていくべしと主張している。確かに、政治家、戦争指導者が、戦争が始まる前から、様々な事態を想定し、対策を練り、色々なプランを用意し、備えておく意義はある。
しかし、日本がそれを「公表」するのは、いかがなものであろうか?
レッドラインを公表すれば、日本の領土を狙う外国からすると、これほど嬉しいことはあるまい。
「日本に、これくらいの打撃を与えて、これくらいの死傷者を出せば、日本は我が方の言うことを聞いてくれるのか。ならば、レッドラインを超える被害を与えてやろう」と、安易な考えで、攻撃を加えてくるだろう。
日本に侵略してきた外国の軍隊は、(日本側が公表している)レッドラインを超える被害を日本に与え、日本側から停戦交渉の声をあげさせる。そこで、日本に不利な要求を突きつけ、呑ませることもあり得よう(侵略国に戦争目的を容易に達成させて終戦に追い込まれる)。
レッドラインを超える被害を与えれば、日本は我らが思うがままと、見くびられては、侵略者の思う壺だろう。抑止力も何もあったものではない。
どこまで痛めつければ「泣き寝入り」するかを、わざわざ日本側から示すなんて、安全保障の観点からあり得ない。外国を利するだけである。私が橋下氏の戦争指導を「亡国の道」とまで指摘するのは、以上の理由からだ。
小国が軍事大国を打ち負かすことも
橋下氏は、
《戦争は時間が経つにつれて死者が増え、その死を無駄にさせないためにも徹底抗戦が必要だ!という声が強くなり妥結が困難になる。ゆえに先を見通した強力かつ冷厳な戦争指導が必要となる。ロシアを軍事的に叩き潰すか、政治的妥結か。抗戦ではエスカレーションするだけで不十分叩き潰さなければならない》(3月23日)
とも主張している。
しかし、小国が軍事大国を打ち負かした事例はある。例えば、アメリカ対ベトナムのベトナム戦争や、ソ連のアフガン侵攻もそうだろう。イラクやアフガンにおけるテロとの戦いも然(しか)り。
それらの戦争は、別にアメリカ軍やソ連軍を全て叩き潰したわけではない。侵略軍に抗戦し、大きな打撃を与えたから、大国の軍隊は撤退したのだ。大国の軍隊を全て叩き潰さなくても、戦争に勝つことはあり得る。
もちろん、非戦闘員の犠牲を少なくする努力は必要であるし、先を見越した戦争指導も大事だが、こちらが膝を屈するレッドラインなるものを公表することは、日本を危うい状況へと追いやる可能性があろう。
《戦争は時間が経つにつれて死者が増え、その死を無駄にさせないためにも徹底抗戦が必要だ!という声が強くなり妥結が困難になる。ゆえに先を見通した強力かつ冷厳な戦争指導が必要となる。ロシアを軍事的に叩き潰すか、政治的妥結か。抗戦ではエスカレーションするだけで不十分叩き潰さなければならない》(3月23日)
とも主張している。
しかし、小国が軍事大国を打ち負かした事例はある。例えば、アメリカ対ベトナムのベトナム戦争や、ソ連のアフガン侵攻もそうだろう。イラクやアフガンにおけるテロとの戦いも然(しか)り。
それらの戦争は、別にアメリカ軍やソ連軍を全て叩き潰したわけではない。侵略軍に抗戦し、大きな打撃を与えたから、大国の軍隊は撤退したのだ。大国の軍隊を全て叩き潰さなくても、戦争に勝つことはあり得る。
もちろん、非戦闘員の犠牲を少なくする努力は必要であるし、先を見越した戦争指導も大事だが、こちらが膝を屈するレッドラインなるものを公表することは、日本を危うい状況へと追いやる可能性があろう。
濱田 浩一郎(はまだ こういちろう)
1983年、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員・姫路日ノ本短期大学講師・姫路獨協大学講師を歴任。現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。現代社会の諸問題に歴史学を援用し迫り、解決策を提示する新進気鋭の研究者。著書に『日本人はこうして戦争をしてきた』『日本会議・肯定論!』『超口語訳 方丈記』など。
1983年、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員・姫路日ノ本短期大学講師・姫路獨協大学講師を歴任。現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。現代社会の諸問題に歴史学を援用し迫り、解決策を提示する新進気鋭の研究者。著書に『日本人はこうして戦争をしてきた』『日本会議・肯定論!』『超口語訳 方丈記』など。