白川司:三原じゅん子氏が選んだ「茨の道」

白川司:三原じゅん子氏が選んだ「茨の道」

野田氏と三原氏の仲の良さが伺えるツーショット
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「保守派の女神」がなぜ野田氏を応援?

 「顔はやばいよ、ボディやんな、ボディを」

 今回の総裁選は、河野太郎氏と、それを支持した小泉進次郎氏や石破茂氏の評判を一気に落とした。

 それ以外にも評判を落とした自民党議員がいる。三原じゅん子氏だ。

 冒頭の言葉は1979年放映の『3年B組金八先生』で不良中学生の役で出ていたときに三原氏が言った台詞だ。私はドラマを見ていなかったので知らなかったのだが、これは同級生をリンチしているときの名台詞として長く語り継がれているという。

 その三原氏が、この40年以上前の名台詞を彷彿させる言葉を、国会議員として国会という大舞台で吐いたことがある。

 「恥を知りなさい!」

 2019年6月24日、野党が年金問題を「政争の具」にしたことを批判し、「民主党政権の負の遺産の尻ぬぐいをしてきた安倍総理に、感謝こそすれ、問責決議案を提出するなど常識外れ。愚か者の所業とのそしりは免れません」と徐々に
語気を強め、「恥を知りなさい」と叫んだ。万感の思いと怒りに満ちており、絶叫にも近かった。
 ドラマは虚構の世界だが、三原じゅん子氏はヤンキー精神を内に抱えたまま芸能生活を送り、現在は政治に身を置いている。野党側からは批判が殺到したが、この度胸と気っぷの良さに惚れ込む人も続出した。

 その三原氏が総裁選で野田聖子氏の推薦をするとわかったとき、多くの保守層が絶句して、「信じられない」といった感想を漏らした。野田氏といえば、自民党内においてはリベラル左派の立場にあり、三原氏に対して「保守派の女神」のような存在だとイメージしてきた人たちには、何が起こっているのか想像がつかなかったのである。
白川司:三原じゅん子氏が選んだ「茨の道」

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『3年B組金八先生』出演時の三原氏の雄姿
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「仁義」を優先した三原氏

 その理由は9月23日にデイリー新潮が掲載した関係者の談話で明らかになる。

 「まだ三原さんが政界進出していなかった16年ほど前に、野田さんの著書を読んで感動した三原さんが連絡をとったのが、最初でした。すぐに意気投合し、姉貴と慕うように。三原さんが出馬するきっかけを作ったのも野田さんだったのです」

 三原氏は野田氏を15年以上、姉貴と慕い続けていて、飲むと「前世で姉妹だったんだね」と話すほど親しかったのである。つまり、三原氏が野田氏の推薦人になったのは、政治的な立場を乗り越えて「仁義」を通したからだというのだ。
 9月22日、TBSのニュース番組(news 23)内の総裁選論戦で興味深い場面があった。キャスターが候補者4名に「飲食店でのお酒の提供の解禁など制限の緩和はいつごろを目指しますか」という質問を投げかけて、「11月ごろ」「年末年始」「来年春の卒業式・入学式ごろ」という三択を示した。

 ところが、河野氏が答えること自体を拒む。「私はこういう無責任な質問はよくないと思います。特にメディアが」といきりたって、メディア批判まで始めたのである。それに対して、野田氏は「メディアが悪いとかいうことは私は、政治家としてどうかと思う」とたしなめるように反論した。

 このときのツイッターなどの反応を見ると、総裁選論戦での堂々とした物言いに感心した人が多く、野田氏の気っぷの良さに惚れ込む人たちも続出していた。政治的な立場を超えて三原氏が野田氏を推薦した理由の一端が見える話だ。
白川司:三原じゅん子氏が選んだ「茨の道」

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野田聖子氏の「気っぷの良さ」は評価されたが―
 はたして、政治に「仁義」を持ち込むことが正しいのかどうか。だが、少なくとも自民党の中には「野田組」とでも言うべき仁義が支配する世界があって、その住人に野田聖子と三原じゅん子という二人の政治家が棲み続けているのは間違いない。

 そもそも私が子供のときは「政治家だかやくざだかわからない」などという表現もごく普通に使われていて、政治と任侠はごく近しい存在だった。しかし、それぞれが抱える「経済」が大きくなると、政治における経済が「非合法」であることは許されなくなり、政治的なものと任侠的なものはやがて共存できなくなった。
 ※参考記事:山口敬之氏投稿記事

 だが、政治信条を棚上げにして仁義を通した三原じゅん子を、世の中が許容するかというと、それは別問題だろう。

有権者との「仁義」はどうなるのか

 三原氏が損得勘定抜きで「仁義」を通したことは、ある一部の人たちには立派に見えるだろうが、政治家の仕事は政治をやることである。政治は同じ理想を持つ者ができるだけ多く集まって、政策を実現することが基本原理となっている。

 もちろん、保守やリベラルといった政治的な立場とは矛盾しない、福祉や人権で共闘していくことは可能だろうし、「野田組」の二人にとってはそれこそが政治の本題なのかもしれない。

 野田氏の推薦人になったのを受けて、三原氏のアカウントには批判ツイートが殺到した。それに対して三原氏は反論を何度か試みて、9月15日には次のようにツイートで締めくくっている。

 「私が誰推しであろうが、真の保守である事は変わらない。変わる筈がない。どんどん皆んなで議論を闘わせればいい。良い総裁選になりますよ、きっと。」
白川司:三原じゅん子氏が選んだ「茨の道」

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「真の保守」として重要だったのは果たして何だったのか―
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 すなわち、「仁義を通していれば、いつかはそれが正義だったことはみんなにわかってもらえる」という楽観論だった。

 ここからわかるのは、三原氏にとって重要なのは信頼できる政治家との人間関係であり、「真の保守」とはその中で仁義を通すことなのだろう。つまり、三原氏にとって保守であるとは、何があっても内なる仁義を突き通すことなのである。

 政治信条の違いがあっても相手の信頼を裏切らない姿勢は人間的には立派だ。だが、三原氏は重要な点を見落としている。それは、野田氏を推薦したことで「裏切られた」と感じた多くの有権者のことは「二の次」に考えている、とみずから公に晒してしまったことだ。

 野田聖子の気っぷの良さに惚れ込むことは理解できる。だが、人々にとっては彼女の気っぷの良さは「二の次」なのであり、最も重要なのは野田聖子という政治家が政治的にどの立場に立つかということなのである。

 政治家は国民のために働くものだ。三原じゅん子は野田聖子との仁義を通して、有権者との仁義を通すことを怠ってしまったのであれば、隣の政治家よりもっと大事な、多数の国民の信頼を裏切ったことになる。それでは、彼女が再び支持を取り戻すのは困難であろう。

 それにへこたれずに突き進むのが三原じゅん子という政治家の真骨頂なのかもしれない。だが、それは果てしない茨の道である。
白川 司(しらかわ つかさ)
評論家・翻訳家。幅広いフィールドで活躍し、海外メディアや論文などの情報を駆使した国際情勢の分析に定評がある。また、foomii配信のメルマガ「マスコミに騙されないための国際政治入門」が好評を博している。

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この記事へのコメント

兵六玉 2021/10/1 09:10

総裁選を仲良しクラブの人気投票か何かと勘違いしているように感じましたね。
「こどもまんなか」以外はほとんど政策らしいものがなく、立民と大して変わらない主張をする候補の推薦人になるというのは、国民の代表としてそれを積極的に支持する、ということですから、類友と思われても仕方がない。
白川さんの言われるとおり、彼女が再び支持を取り戻すのは非常に困難でしょう。

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