アフガン邦人救出も阻害した「憲法9条」
周知のとおり、タリバン勢力に占拠されたアフガニスタンへ自衛隊は邦人輸送任務のため、輸送機を同国カブール空港に派遣した。しかし、実際に輸送できたのは共同通信社に所属する女性1名のみであった。というのも、カブール空港周辺においてイスラム国による自爆攻撃があり、米兵13名の死亡を含む数百名が殺傷されたために現地に大規模な混乱が生じ、カブール空港まで僅かな距離まで来ていたJICA(国際協力機構)職員および在アフガニスタン日本大使館に雇用されていたアフガニスタン人らが空港にたどり着けなかったのである。
今回の輸送任務の根拠法は、自衛隊法第84条の4第1項が定める「当該輸送を安全に実施することができると認めるときは、当該邦人の輸送を行うことができる」という条件であった。よって、空港の敷地内においてのみ、自衛隊は邦人輸送を行うことができた。言い換えれば、空港の外に救出部隊が向かうことは禁じられていた。つまり、自力で空港までたどり着くことができた者のみ救出し、そのほか空港外にいる邦人の基本的人権は事実上保障してはならないという法体制であった。しかし、今回の救出条件をみると、そもそも「安全」ならば、自衛隊を呼ばなくても自分で民間航空会社を使って帰国できるという指摘もできる。
今回のアフガニスタン動乱で、カブール空港から救出できた人数を諸外国と比較してみると、他の先進国は1万人以上もの人数を救出し、韓国も400名以上を救出しているのに対して、上記の事情があるとはいえ自衛隊はわずか1名である。この背景にあるものは、御存知の通り「憲法第9条」であったと指摘せざるを得ない。
というのも、自衛隊法は平成27年に改正され、同法第84条の3が新設されて武装した自衛隊が邦人救出任務に就くことが可能になってはいるものの、その発動条件が極めて厳格化されているのである。次に、その「救出可能条件」を挙げてみたく思う。第一に「戦闘行為が無い」、第二に「相手国の同意がある」、第三に「相手国との協力体制があること」である。
この条件を客観的にみると、当該地域の主権者が統治能力を有しておりかつ日本国との外交関係が良好であるならば、そもそも相手国の治安維持能力によって邦人の基本的人権が保障されるため、自衛隊が派遣されるべき合理的理由がない。卑近例を言うのであれば、「消防器具が備わっており、管理人がその消防器具を使用できる情況かつ管理人の同意がなければ、当該家屋に消防車を派遣してはならない」というようなものである。
なぜ、このような不合理な条件が設定されたのか。これこそ、前述の通り憲法第9条で「武力行使」が全面的に禁止されているからである。
つまり、この議論の元となった今回のアフガニスタン邦人救出問題は、日本国憲法の存在目的である「基本的人権の保障」と「戦争放棄」という二つの法益が対立軸に置かれたケースであるといえる。そして、現在の法体制は「基本的人権の保障」よりも「戦争放棄」を上位の法益であると位置づけ、結果として海外邦人の基本的人権は憲法上保護に値しないという判断が下されているともいえよう。
今回の輸送任務の根拠法は、自衛隊法第84条の4第1項が定める「当該輸送を安全に実施することができると認めるときは、当該邦人の輸送を行うことができる」という条件であった。よって、空港の敷地内においてのみ、自衛隊は邦人輸送を行うことができた。言い換えれば、空港の外に救出部隊が向かうことは禁じられていた。つまり、自力で空港までたどり着くことができた者のみ救出し、そのほか空港外にいる邦人の基本的人権は事実上保障してはならないという法体制であった。しかし、今回の救出条件をみると、そもそも「安全」ならば、自衛隊を呼ばなくても自分で民間航空会社を使って帰国できるという指摘もできる。
今回のアフガニスタン動乱で、カブール空港から救出できた人数を諸外国と比較してみると、他の先進国は1万人以上もの人数を救出し、韓国も400名以上を救出しているのに対して、上記の事情があるとはいえ自衛隊はわずか1名である。この背景にあるものは、御存知の通り「憲法第9条」であったと指摘せざるを得ない。
というのも、自衛隊法は平成27年に改正され、同法第84条の3が新設されて武装した自衛隊が邦人救出任務に就くことが可能になってはいるものの、その発動条件が極めて厳格化されているのである。次に、その「救出可能条件」を挙げてみたく思う。第一に「戦闘行為が無い」、第二に「相手国の同意がある」、第三に「相手国との協力体制があること」である。
この条件を客観的にみると、当該地域の主権者が統治能力を有しておりかつ日本国との外交関係が良好であるならば、そもそも相手国の治安維持能力によって邦人の基本的人権が保障されるため、自衛隊が派遣されるべき合理的理由がない。卑近例を言うのであれば、「消防器具が備わっており、管理人がその消防器具を使用できる情況かつ管理人の同意がなければ、当該家屋に消防車を派遣してはならない」というようなものである。
なぜ、このような不合理な条件が設定されたのか。これこそ、前述の通り憲法第9条で「武力行使」が全面的に禁止されているからである。
つまり、この議論の元となった今回のアフガニスタン邦人救出問題は、日本国憲法の存在目的である「基本的人権の保障」と「戦争放棄」という二つの法益が対立軸に置かれたケースであるといえる。そして、現在の法体制は「基本的人権の保障」よりも「戦争放棄」を上位の法益であると位置づけ、結果として海外邦人の基本的人権は憲法上保護に値しないという判断が下されているともいえよう。
時代に合わせた「憲法」解釈の柔軟性
だが、憲法が定める権利であっても例外はある。一例を挙げると、日本国憲法が第33条および35条で定めている令状主義(裁判官の発した令状がなければ、人を逮捕拘束したり、私物を押収したり、私有地や住居に国家権力は立ち入ることができないこと)には、緊急逮捕・児童保護・精神障害者保護という3つの例外がある。
その例外の根拠は、秩序の安寧という社会的利益と被疑者の個人的利益を比較衡量した結果、前者が優先されたものだ。また、児童や精神障害者といったように判断能力が無いまたは未熟な人々の基本的人権を保護するためには、やはり裁判官の判断を必要とせず、身体拘束を含む「保護」が憲法上も肯定できるという判断でもある。
ほかにも、憲法第37条第2項では、刑事裁判の被告人は証人審問権を持つことを定めているが、性犯罪の刑事裁判では、被告人本人が証人に審問する権利が否定されている。性犯罪被害者が直接加害者から声をかけられて質問されることで恐怖感情があふれ、証言能力を喪失してしまう恐れがあるためだ。
つまり、いくら憲法で定められているとはいっても、憲法制定当初には想定され得なかった問題が新たに発生した際には、憲法解釈を柔軟にしてきたのだ。そうであれば、上記に見たような「海外邦人の基本的人権」という憲法上最も重要な法益が否定されている現実に対して手を打つこともできるのではないだろうか。
すなわち、ただちに自衛隊法を審議し、「相手国が邦人の基本的人権を保障する意思および能力を有していないとき、自衛隊は邦人保護ができる」と改正すべきと考える。なぜならば、憲法第9条が禁止する「国権の発動たる戦争」すなわち武力行使は「保護」とは異なるからである。仮に、邦人救出任務にあたる自衛隊と何らかの武装勢力が銃撃戦をしても、それは「基本的人権の保護」を目的にした正当防衛であって「交戦」ではない。もし、保護が大義名分にならないというのであれば、現に行われている令状なしの児童保護措置がすべて憲法違反となるため、整合性がつかない。国民の基本的人権の保護こそ、日本国憲法の存在意義である。憲法改正の議論は勿論必要であるが、そもそも憲法の存在目的を忘却することは許されない。
その例外の根拠は、秩序の安寧という社会的利益と被疑者の個人的利益を比較衡量した結果、前者が優先されたものだ。また、児童や精神障害者といったように判断能力が無いまたは未熟な人々の基本的人権を保護するためには、やはり裁判官の判断を必要とせず、身体拘束を含む「保護」が憲法上も肯定できるという判断でもある。
ほかにも、憲法第37条第2項では、刑事裁判の被告人は証人審問権を持つことを定めているが、性犯罪の刑事裁判では、被告人本人が証人に審問する権利が否定されている。性犯罪被害者が直接加害者から声をかけられて質問されることで恐怖感情があふれ、証言能力を喪失してしまう恐れがあるためだ。
つまり、いくら憲法で定められているとはいっても、憲法制定当初には想定され得なかった問題が新たに発生した際には、憲法解釈を柔軟にしてきたのだ。そうであれば、上記に見たような「海外邦人の基本的人権」という憲法上最も重要な法益が否定されている現実に対して手を打つこともできるのではないだろうか。
すなわち、ただちに自衛隊法を審議し、「相手国が邦人の基本的人権を保障する意思および能力を有していないとき、自衛隊は邦人保護ができる」と改正すべきと考える。なぜならば、憲法第9条が禁止する「国権の発動たる戦争」すなわち武力行使は「保護」とは異なるからである。仮に、邦人救出任務にあたる自衛隊と何らかの武装勢力が銃撃戦をしても、それは「基本的人権の保護」を目的にした正当防衛であって「交戦」ではない。もし、保護が大義名分にならないというのであれば、現に行われている令状なしの児童保護措置がすべて憲法違反となるため、整合性がつかない。国民の基本的人権の保護こそ、日本国憲法の存在意義である。憲法改正の議論は勿論必要であるが、そもそも憲法の存在目的を忘却することは許されない。
過去と現代で大きく異なる「邦人救出」の目的
しかし、ここで「邦人救出」を目的に海外派兵をしてきた過去との対比が問題になるだろう。1920年代、中国大陸には多くの日本企業が進出し、綿花栽培や鉄鉱石、石炭採掘などの産業を起こし、鉄道旅客運送も行っていた。これに対して、当時の中国大陸には統一政権による統治が為されておらず、各地には日本の戦国時代の大名のような「軍閥」が割拠し、各々の法体制で地域を占拠していた。ここにきて、蔣介石率いる国民党が「北伐」といって中国全土の統一を試みると、末端の兵士による略奪暴行が多発した。現地の日本人が殺害され、死体を猟奇的にもてあそばれる残酷な殺人事件も起きた。なかには、日本領事館が襲撃され、外交官の身分を持つ日本領事の妻子が領事館内で国民党兵士らによって輪姦されるという前代未聞の事件も発生した。
これに対応するため、日本は山東省に出兵を決めた。このとき起きたのが済南事件(1928年)であった。日本だけではなく、アメリカは駆逐艦「ノア」そしてイギリスは重巡洋艦「ヴィンディクティヴ」などの戦闘艦艇を南京近海に派遣、砲撃を開始して大量の中国市民を殺傷するなどの報復をした(1927年の南京事件)。こうした一連の流れは、まそに「邦人救出」がその目的であり、歴史を繰り返すことを禁じた日本国憲法の精神を潜脱するのではないかといった危惧も当然あることだろう。
しかし、過去と現代の「邦人救出」の目的には大きな違いがある。当時は、海外在留邦人の生命と共に「権益」を防衛する目的があった。権益とは、すでに中国大陸に多額投資した資本である工場、採掘施設、鉄道路線などである。当時の日本は日露戦争によって大量の外貨を賃借した債務国であり、国内製品の海外販売によって国民の雇用を確保していた。したがって、海外に資本投下したインフラや市場を失うことは、国内の雇用を失うことに直結したため、「満蒙は日本の生命線」といったフレーズが当時の日本社会で幅広く受け入れられたように、海外権益が国内経済に大きく影響を及ぼしていたのである。
これに対応するため、日本は山東省に出兵を決めた。このとき起きたのが済南事件(1928年)であった。日本だけではなく、アメリカは駆逐艦「ノア」そしてイギリスは重巡洋艦「ヴィンディクティヴ」などの戦闘艦艇を南京近海に派遣、砲撃を開始して大量の中国市民を殺傷するなどの報復をした(1927年の南京事件)。こうした一連の流れは、まそに「邦人救出」がその目的であり、歴史を繰り返すことを禁じた日本国憲法の精神を潜脱するのではないかといった危惧も当然あることだろう。
しかし、過去と現代の「邦人救出」の目的には大きな違いがある。当時は、海外在留邦人の生命と共に「権益」を防衛する目的があった。権益とは、すでに中国大陸に多額投資した資本である工場、採掘施設、鉄道路線などである。当時の日本は日露戦争によって大量の外貨を賃借した債務国であり、国内製品の海外販売によって国民の雇用を確保していた。したがって、海外に資本投下したインフラや市場を失うことは、国内の雇用を失うことに直結したため、「満蒙は日本の生命線」といったフレーズが当時の日本社会で幅広く受け入れられたように、海外権益が国内経済に大きく影響を及ぼしていたのである。
「基本的人権」を保護するための自衛隊法改正を
一方で、現代は産業構造がまったく異なる。戦後の国際社会は、各国が国家主権において海外製品に関税をかけること(関税自主権)を禁止し、各国が協議して関税率を定める協定関税制を定めたGATTを設立し、現在はWTOとなっている。もはや、イギリスのブロック経済やアメリカのホーリー・スムート法のように「日本製品に高額関税をかけて売れないようにする」といったことができない経済体制になっている。そもそも、邦人の基本的人権の保障が懸念されている地域は、アメリカやオーストラリアといったように我が国の工業製品を大量に消費してくれる地域の話ではなく、何ら資本投下がされず、邦人の渡航目的が経済的利益を得るためではなく、医療や水道インフラなどの「人道支援」を目的にしたものである。
つまり、大日本帝国における海外派兵の目的と、日本国の現在における海外派兵の目的は、その構造がまったく異なるのである。前者は権益保護であり、後者は人権保護である。
とすれば、大日本帝国の反省から定規杓子に「とにかく自衛隊を使って邦人救出をしてはならない」とする姿勢は、思考停止以外の何物でもない。
現在までの自衛隊海外派兵の実績は、災害派遣、海賊対策、国連のお墨付きを得たPKO派遣、そして個別具体的に措置法が制定されたイラクとアフガニスタンの例である。しかし、これらの保護法益は「外交関係における我が国の国際的地位」を保護法益としたものであり、海外邦人の生命を救済する「基本的人権の保障」とはまったく目的が異なることに留意すべきである。したがって、これからも同じ法体制で自衛隊を運用していくことは日本を取り巻く国際状況から許されるべきではない。
ただちに自衛隊法第84条の3を改正し、武装した自衛隊が海外邦人を保護する条件を「相手国が邦人の基本的人権を保障する意思および能力を有していないと総理大臣が判断したとき、自衛隊は閣議決定で直ちに邦人保護ができる」とするべきである。
自衛隊の救出作戦は「基本的人権の保障」なのだから。
つまり、大日本帝国における海外派兵の目的と、日本国の現在における海外派兵の目的は、その構造がまったく異なるのである。前者は権益保護であり、後者は人権保護である。
とすれば、大日本帝国の反省から定規杓子に「とにかく自衛隊を使って邦人救出をしてはならない」とする姿勢は、思考停止以外の何物でもない。
現在までの自衛隊海外派兵の実績は、災害派遣、海賊対策、国連のお墨付きを得たPKO派遣、そして個別具体的に措置法が制定されたイラクとアフガニスタンの例である。しかし、これらの保護法益は「外交関係における我が国の国際的地位」を保護法益としたものであり、海外邦人の生命を救済する「基本的人権の保障」とはまったく目的が異なることに留意すべきである。したがって、これからも同じ法体制で自衛隊を運用していくことは日本を取り巻く国際状況から許されるべきではない。
ただちに自衛隊法第84条の3を改正し、武装した自衛隊が海外邦人を保護する条件を「相手国が邦人の基本的人権を保障する意思および能力を有していないと総理大臣が判断したとき、自衛隊は閣議決定で直ちに邦人保護ができる」とするべきである。
自衛隊の救出作戦は「基本的人権の保障」なのだから。
橋本 琴絵(はしもと ことえ)
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第五区より立候補。日本会議会員。
2021年8月にワックより初めての著書、『暴走するジェンダーフリー』を出版。
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第五区より立候補。日本会議会員。
2021年8月にワックより初めての著書、『暴走するジェンダーフリー』を出版。