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橋本琴絵:ゼレンスキー国会演説――日本へ対して戦争協力を求めないという危機

ウクライナまで知れ渡った日本の「平和主義」

 ウクライナのゼレンスキー大統領が衆参両議院約500名の議員を前に演説をした (令和4年3月23日) 。

 その内容は、保守派が期待した「日露戦争」や日ソ中立条約の一方的破棄による侵略とシベリア抑留など歴史に関するものではなかった。

 また、共産党の田村智子議員が参院予算委員会(3月22日)で、安倍元総理の「ウラジミールとは赤い糸で結ばれている」「ロシアの健康寿命を伸ばすことが第一」という過去の発言を引き出してウクライナ侵略を利用した姑息な政権批判を助長するような「外交姿勢批判」でもなかった。

 演説内容は、第1に、チェルノブイリ原発周辺で埋め立て処理された放射性物質がロシア軍の装甲車両によって大気中に巻き上げられたことや、欧州最大規模の ザポリージャ原発が攻撃を受けた事実を挙げて日本人の「核」に対する拒絶反応を期待した表現を多用したこと。

 第2に、ロシア軍がシリア戦線で毒ガスの「サリン」を実戦投入したことに触れ、現在も化学兵器使用の恐れが強いことを述べるなど、日本人がよく知る単語で被害を連想しやすい表現を選択したこと。

 第3に、ロシア軍の侵略を「津波」という自然現象に例えることで、ロシアへの敵愾(てきがい)心を喚起することなく、ウクライナが悲惨な状況であり、日本人の情緒に訴えたこと。

 以上、3点が注目すべき内容であったといえる。
 演説の目的は戦争への具体的協力ではなく、戦争がウクライナの勝利に終わった際、戦後復興の出資者となってくれることを主眼に置いたものだったと考えられる。

 これまでゼレンスキー大統領は世界主要各国の議会で演説をしてきたが、その内容は日本で行われた演説とは大きく違う。

 最初に演説をしたイギリス議会(3月8日)では、ハムレットの有名な一説「To be or not To be」(生きるべきか死ぬべきか)を引用したうえで「明らかに生きるべきである」と述べ、第2次世界大戦中の戦時宰相であったチャーチル卿による不退転の戦時訓「決して降伏しない」という言葉とともにイギリスへの明確な「戦争協力」を呼びかけた。

 また、アメリカ議会演説(3月16日)では、日本人にしてみれば不快な「真珠湾奇襲攻撃」を引き合いに出し、「ある日、突然戦争になる」という場面をアメリカ人に連想させ、そこから黒人差別撤廃を訴えたキング牧師の「I have a dream」の名句を引用し、ウクライナの上空に飛行禁止区域を設定してロシア空軍の制空権の制限という具体的な「戦争協力」を呼びかけた。

 ところが、今回の日本演説では、アジアで最初にロシア非難決議を採決したリーダーシップと防弾チョッキ支援などの謝辞を述べつつも、具体的な戦争協力に言及することはなく、ただ、日本人に同情とウクライナが置かれた悲惨な状況に対する共感を喚起することに演説の目的があったように思える。これは、裏を返せば日本の「平和主義」が遠く離れたウクライナにまで知れ渡り、「最初から日本の戦争協力には期待しない」という判断をゼレンスキー大統領にさせた結果といえるだろう。

 これは同時に「日本の対外的危機に際しても、諸外国は戦争協力しない」という可能性を示唆するものといえる。

侵略戦争を受け入れるほどの平和"ボケ"主義

 3月23日の衆院外務委員会では、松原仁議員(立憲民主党)が、
「ならず者国家が日本の領土を侵略すると仮定した場合、国連安保理や日米同盟が果たして機能するのか」
 との旨を内閣に質問したところ、林芳正外務大臣は、
「日本の領土が侵略されるような場合、日米首脳テレビ会談など累次の機会にあらゆる種類の能力を用いた日本の防衛へのゆるぎないコミットメントを(アメリカは)表明している」
 と答え、侵略戦争が起きた際には、日米同盟に基づき米国が日本を防衛すると繰り返し表明していると答弁した。
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「平和ボケ」しすぎていないか?
 しかし、肝心な日米安保条約を逐条ごとに読むと、第5条に「危険に対処するように行動すること」が定められているものの、「防衛義務」や「報復義務」を定めたものではないことがわかる。何をもって「危険対処行動」だと定義できるかは、米国の裁量に委ねられているからだ。

 だからこそ、昨年10月5日は、新しく総理大臣に就任した岸田文雄総理が米バイデン大統領と電話会談をして、尖閣諸島(沖縄県石垣市)が日米安保第5条の「適用地」であることを確認している。言い換えれば「確認しなければ適応されないかもしれない」からだ。日本国施政下の土地すべてに「適応されるか否か」を確認しなければ、日米同盟が果たして適応されるか不確定であることを意味している。そう、北方領土に至っては、まったく議論さえされていないのだ。

 逢坂誠二議員(立憲民主党)が、
「返還後の北方領土を日米安全保障条約の適用除外とする可能性を否定したのは事実か」
 と質問したところ、政府は、
「日米安全保障条約(昭和35年条約第6号)の北方領土への適用に関するやり取りは行っていない」
 と回答している(平成20年2月2日/内閣衆質196第16号)。

 また、令和2年11月には、当時の加藤勝信官房長官が「北方領土に日米同盟は適用されない」と明確に述べていることが報道されている。

 このような「平和主義」とは、当初は暴力を忌避する考えから出発したものであったとしても、現在起きている侵略戦争に対して何ら具体的な武器支援も出来ない実態をみると、結局は第二次世界大戦前夜にヒトラーの野望へ寛容を示したイギリスの如く、「暴力を承認」ないしは「暴力を助長」するものに変質している懸念がある。暴力による国際秩序の変更に対して寛容を示すことは、その動機が平和主義であれなんであれ歴史的に暴力を誘発することは明らかだ。

 先のゼレンスキー大統領演説をみると、前述の通り、明らかに日本の戦争協力要請を当初から放棄している主旨が読み取れる。それは、外交のあり方においては基本的なルールであるが、すでに遠く離れたウクライナにおいても「侵略戦争を受け入れるほどの平和主義」であるとみなされていたとしたならば、これほど危険なことはない。
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日本人の国防意識で北方領土は取り戻せるのか(写真は国後島)

「男女共同参画」は戦争や国防も例外ではない

 17世紀から18世紀にかけたフランス外交官のフランソワ・ド・カリエールの主著『外交談判法』(坂野正高訳)は、今日においても外交の教科書として位置づけられているものであり、その中にはこのような一節があるので引用したい。

外交に臨む交渉者は、相手国の風俗習慣・価値観に順応することが必要である。しかし、これに順応しないで嫌悪の情を示し、軽蔑する交渉者も少なくない。こうした交渉者は相手国の様式に文句をつけるために自分の国の様式を絶えず讃える。そういう人たちの真似をしてはいけない。交渉者がはっきりと納得しておくべきことは、「交渉者は相手国全体を交渉者の祖国と同じ様式流儀に変えさせる権限はない」ということだ。交渉にあたる短い時間のあいだ、相手国の流儀に順応する方が遥かに道理にかなっているのである

 日本の「平和主義」が、そのまま「平和主義」として理解されていることを通り越して、暴力を見て見ぬふりをするただの「臆病主義」であると世界から思われていないか、最も心配するところだ。
 だからこそ、ゼレンスキー大統領は日本に「戦後復興」の要請や、ウクライナの置かれた過酷な状況に対する同情を求めた一方、現在進行形の戦争に対する日本の協力に触れなかったのではないだろうか。この事実が、「平和主義」に対する失望や諦めによるものであった可能性を何よりも筆者は懸念している。日本の「孤立無援」に通じるからだ。

 令和3年度の防衛予算はおよそ5兆4897億円であり、前年度より4210億円ほどの増額となったが、それでも男女共同参画予算の約半分近くの金額である。国が滅びれば男女平等も何もあったものではないという至極当然の批判が、わが国ではあまりにも希薄であることに戦慄(せんりつ)する。

 すでにウクライナでは、戦闘能力がある健康な成人男性の国外逃亡が禁止され、また女性であっても戦闘訓練経験がある者は兵役に参画するなど、国防と男女共同参画が一体となったあるべき「男女平等」が実現されている。一方で、わが国は国家防衛に関する国民意識は国民各自が私的にしているのみであり、国家として何一つしていない。

 その甲斐もあってか、2015年3月に「WIN―ギャラップ・インターナショナル」(本部チューリヒ)が世論調査した「自国のために戦う意思の有無」についてのアンケートでは、調査対象国64カ国中、日本人はわずか10%しか「国のために戦う」と回答せず、挙句「国のために戦う意思はない」と明確に回答した者が43%もいた。これでは、有事にどうなるか結果は目に見えている。

 日本は変わらなければならない。仮に男女共同参画の社会思想を今後も継続するならば、「侵略を受けた場合、女性も男性とともに銃を取れ」などの教育を政府主導で行うべきだといえば大きな批判を受けることが予想できるが、恐れるべきは批判ではなく実際の侵略ではないか。

 世界から日本の「平和主義」がどのように思われているか熟慮すべきだ。日本は国際協調によって防衛を行うという前提があるにもかかわらず、その国際協調から日本だけが道を外れて「臆病な平和孤立主義」を貫き戦争協力を放棄した場合、日本が襲われたときに世界もまた日本と同じ「平和主義」を宣言したらどうなるかという想像力を働かせるべきだ。

「日本が侵略されたが、アメリカは平和主義を宣言して介入を差し控えた」という未来も想定した安全保障政策を議論すべきである。ウクライナは今まさに「平和維持を期待していた国連安保理が何も役に立たなかった」という局面に突き落とされ、その代替案もなかったことから苛酷な現実に直面しているのである。

 ゼレンスキー大統領が日本へ対して具体的な戦争協力を一切求めなかった「判断」をした背景に対して、日本人は深刻に受け取めるべきだ。もう、時間はあまり残されていない。
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都合のいいことばかり「女性の権利」を主張することは許されない。積極的に女性も銃を持って国を守るべきだ
橋本 琴絵(はしもと ことえ)
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第五区より立候補。令和3(2021)年8月にワックより初めての著書、『暴走するジェンダーフリー』を出版。

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