ツイッターが物議を醸している菅直人元首相

ツイッターが物議を醸している菅直人元首相

泥沼の様相を呈している菅直人のツイッター

 民主党政権時代の総理大臣、菅直人氏(現在は立憲民主党に所属)による、ツイッターでの発言が波紋を呼んでいる。

 菅氏が、橋下徹氏(元大阪府知事、大阪維新の会創設者)について、
橋下氏をはじめ弁舌は極めて歯切れが良く、直接話を聞くと非常に魅力的。しかし「維新」という政党が新自由主義的政党なのか、それとも福祉国家的政党なのか、基本的政治スタンスは曖昧。主張は別として弁舌の巧みさでは第一次大戦後の混乱するドイツで政権を取った当時のヒットラーを思い起こす。》(1月21日)
 と言及したことに対して、ヒトラーに見立てるとは何事かと、維新の会が大反発、立憲民主党に抗議したのだ。

 しかし、菅氏は謝罪について「ツイッターは党の指示ではなく私の一存で発した、私の感想を述べたもの。維新からは私には直接何も言ってきていない。私のツイッターに抗議するなら私にするべき。的外れな謝罪要求に応ずるつもりはない」と拒否。さらに、泥沼の様相を呈している。

 この問題はどのように考えるべきだろうか?
菅直人氏のツイッター(1月21日)

菅直人氏のツイッター(1月21日)

悪しき慣習を改めよ

 菅氏の発言だが、「橋下氏をはじめ」「維新という政党が」との文言があるように、橋下氏単独をヒトラーに見立てたというよりは、維新の会やそこに属する議員も指したとみるべきだろう。よって、維新の会が抗議するのは、当然と言えば当然である。

 一方で、維新の会も、立民だけに抗議するのではなく、立民+菅氏、もしくは菅氏のみに抗議すればよかったのではないか。

 では、政治家をヒトラーに見立てることの是非はどうであろうか?

 これに対して、菅氏の発言を擁護する意見もある。例えば衆議院議員の米山隆一氏は、
《そもそも、「ナチスに例えるだけでアウト」なんてことはない。例えられた人は怒るけど、トランプ元大統領だって何度も例えられてきた。そういう事実を無視して、菅氏を言いくるめようとするやり方が本当に嫌だなと》
 と述べている(米山隆一氏、「ヒトラー発言」を追及する維新の姿勢に緊急反論「橋下氏はダブルスタンダード」FLASH 1月29日)。

 確かに、トランプ元大統領のみならず、ブッシュ元大統領やバイデン大統領、そしてドイツのメルケル首相ですら、ヒトラーに例えられたことがある。「国際的に御法度」というわけではないが、私自身は、たとえ世界にそうした風潮があるとしても、それは悪しき慣習として改めるべきだと思う。

 政党や政治家を厳しく批判するのはもちろん大事であるし、真にヒトラーのような政治家ならば、それは「ヒトラーみたいだ」とたとえて良いだろう。


 しかし、橋下氏や維新の所属議員、またはメルケル首相が、ガス室をつくり、そこで民族を抹殺しようとしたか? 大規模な戦争を引き起こしたか? ヒトラーのような「独裁的権力」でもって、政治を押し進めたのか?
 ――いずれもノーと言わざるを得ない。
演説する橋下徹氏

演説する橋下徹氏

巧みな演説力はヒトラーと評すべきか?

ヒトラーを過小評価するな

 ヒトラーは現代において「悪の権化(ごんげ)」として通用している。政治家や民衆にしても、安易に敵対する者をヒトラーに例えたがるが、それはヒトラーという男がなした悪行を過小評価することにつながるのではないか。

『小説アドルフヒトラー』(全3巻、アルファベータブックス)を刊行し、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所跡を見た私としては、危惧(きぐ)するところである。ナチスのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を称揚したり、揶揄(やゆ)すれば、当たり前の話だが、大バッシングを受ける。

 であるならば、人を安易にヒトラーに喩(たと)えることも非難されるべきである。何度も言うように、厳しい政治家批判は必要だが、同じ喩えるなら、もっと別の表現にするべきだ。

 立憲民主党の泉健太代表は、ヒトラーを持ち出して個人を批判することについて「警鐘を鳴らすということはあり得る」「一律ダメとはならない」としたうえで、民主党政権時代に当時の自民党の谷垣禎一総裁が、鳩山由紀夫首相の演説の際に民主党議員らが節目で一斉に拍手と歓声でたたえたことについて、「『ヒトラーとヒトラー・ユーゲント(ナチス党の青少年組織)みたいだ』と言った」と指摘。さらに「揶揄、批判、警鐘を鳴らすとかは枚挙にいとまがない」(インターネットテレビAbemaの番組において)と述べたという。

 これは、他人や他党もやっているのだから、そうした発言は良いという風に聞こえかねない。「安易にヒトラーに喩えるのは良くない」と断固とした姿勢を見せるべきではなかったか。
 これからも、政治家の間で、安易にヒトラーが持ち出されるのかと思うと、うんざりしてしまう。
『小説 アドルフ・ヒトラー I 独裁者への道』

『小説 アドルフ・ヒトラー I 独裁者への道』

濱田 浩一郎(はまだ こういちろう)
1983年、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員・姫路日ノ本短期大学講師・姫路獨協大学講師を歴任。現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。現代社会の諸問題に歴史学を援用し迫り、解決策を提示する新進気鋭の研究者。著書に『日本人はこうして戦争をしてきた』『日本会議・肯定論!』『超口語訳 方丈記』など。

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