河野太郎氏:「河野談話」に対する姿勢の変遷

河野太郎氏:「河野談話」に対する姿勢の変遷

 令和3年4月27日、日本維新の会所属馬場伸幸衆議院議員の「従軍慰安婦なる用語の適切性」に関する質問に対して、政府は次のように答弁・決定した。

 『政府としては、「従軍慰安婦」という用語を用いることは誤解を招くおそれがあることから、「従軍慰安婦」又は「いわゆる従軍慰安婦」ではなく、単に「慰安婦」という用語を用いることが適切であると考える』

 この背景にあったものは、平成26年12月23日に朝日新聞が「従軍慰安婦」に関して虚偽の報道を続けていた事実を認めて「御詫び」を発表したことであった。故吉田清治氏が「日本軍の命令で韓国済州島内において女性狩りをして従軍慰安婦にした」と書いた創作ポルノ小説を「事実である」としてこれまで報道してきたことに対する「御詫び」であり、これを受けて政府も前記答弁をしたものであった。

検証の甘かった「河野談話」

 しかし、そうするとひとつの矛盾が浮き上がる。前述した政府答弁と、平成5年8月4日に発表された河野談話(慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話)が対立する事実を主張していることである。政府答弁は法律に基づくものであるのに対して、河野談話は法的根拠がないものであるから、どちらが優先されるかは自明であるものの、未だ訂正ないし撤回されていない「河野談話」とは如何なるものなのか。

 河野談話は、朝日新聞の前記フェイクニュースを根拠にして、韓国から斡旋された「元従軍慰安婦」を自称する16名に政府が聞き取り調査を行い、「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけ(中略)いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験させた」と結論付け、現在自民党総裁選に立候補している河野太郎氏の実父河野洋平氏が発表したものである。
 しかし、この16名の証言内容は未だ非公開であり、一切の検証や反対尋問はされていない。普通、政府の調査とは事実の調査であるから、あらゆる角度から真実性を検証するのに対して、「河野談話」はそれがされず、また第三者が証言を検証できないように非公開措置にされているという極めて政治色の強い性質を持つ。

 結局のところ、客観的根拠に基づいたものではない以上、河野洋平氏個人の政治思想を談話として発表したものであると思われても致し方ないであろう。
 というのも実は、アメリカ軍占領下の日本においても「Recreation and Amusement Association」(特殊慰安施設協会)という組織によって、若い日本人女性が十数万人もアメリカ軍の「従軍慰安婦」とされていた。当時、日本には主権がなかったため、日本人女性がどのような性被害を受けても警察には女性を守る権限が無かった。その際に「アメリカ軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけいわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験させた」ことは多く証言されているが、河野談話は「日本人女性の証言」は一切採用せず「朝鮮人女性の証言」は「朝鮮人」という人種的属性を根拠に採用している「非対称性」を持つ。証言の信用性を「人種」で決めて「河野談話」として発表している事実は、一種の人種差別ともいえまいか。
河野太郎氏:「河野談話」に対する姿勢の変遷

河野太郎氏:「河野談話」に対する姿勢の変遷

父・洋平氏の残した「談話」にどう対応するのか―

以前は談話の見直しに前向きだった?

 このような問題点を多く指摘されている「河野談話」に対して、今日まで多くの批判がされている。

 今回、自民党総裁選に立候補している河野太郎氏ご本人のブログ「ごまめの歯ぎしり」の平成24年8月31日の記事にはこんなくだりがある。

 “「河野談話」を修正または撤回するためには、これまでの内閣の意思を変更するわけですから、「河野談話」に替わる内閣の新しい見解、意思を発表する、「河野談話」を踏襲しないという内閣の意思を明示する、または何らかの形での否定をすることが必要だと思われます。内閣の意思をとりまとめ、総理または官房長官が新しい見解を発表するなどが必要です。そのためには、1993年8月4日付け内閣官房内閣外政審議室の「いわゆる従軍慰安婦問題について」に替わる事実が出てくるか、あるいはこの調査結果を破棄するかということが必要になります。”
 この一文を読む限りでは、河野談話の見直しに意欲を持たれているとの印象を持つ。私(筆者)自身、当時この記事を読んだときには「立派な志が河野太郎氏にはあるのではないか」と感心した。

 しかし、それから5年後が経つと『「河野談話」の河野さんって俺じゃないですから。別の河野さんだ。「河野談話」への評価は「本人に聞けよ」という話じゃないですか?』(平成29年11月24日付産経新聞)との考え方を表明している。

中韓メディアの高い評価

 そして現在、特段「河野談話見直し」の公約の類は河野太郎氏の総裁選立候補所信演説には見られない。

 そんな河野太郎氏に対して、中韓の報道は極めて高い評価を下している。例えば、韓国のハンギョレ新聞は「次期日本首相にふさわしい人物1位…父親は「河野談話」の主役」と題した記事を配信し、中国共産党の報道機関である環球時報は本年9月11日付け(※中国語記事)で「河野太郎氏実父の河野洋平氏は、「河野談話」で日本軍が慰安所を設置し、女性たちを「従軍慰安婦」として強制的に売春をさせていたことに日本軍が直接関与していたことを認めている」と河野太郎氏の「血筋の良さ」を大絶賛しているほど「中韓のお墨付き」だ。

 繰り返すが、法的根拠のない河野談話は「従軍慰安婦」の語句を使用し、菅義偉内閣は「従軍慰安婦という語句は無い」との立場を明らかにしている矛盾がある。そもそも、河野談話の根拠とされた従軍慰安婦報道を当の朝日新聞が虚報であった旨を認めた中、「河野談話」が果たして私たち日本国の国益にどのように資するというのだろうか。

 そして、河野太郎氏は「河野談話の見直し」ではなく「歴代内閣の歴史観を踏襲する」と表明している。
 河野談話最大の問題点は「証言の検証をしていない」ことと「恣意的に選択された証言のみを採用している」ことの二点に集約される。しかし、「買われた側」の女性証言のみではなく、「買った側」の男性証言にはどのようなものがあるだろうか。一例として紹介してみたい。

 ラバウル航空隊の高射砲部隊を指揮していた齋藤睦馬陸軍中尉は、大東亜戦争中における戦地の慰安婦について、次のような証言をしている。

 “ある日の朝、慰安所に行きたいという非番の兵隊たちにコンドームと性病予防薬の軟膏と外出許可証を渡した。それからすぐに、その兵隊たちが帰ってきた。私が「なんだ、もっとゆっくり遊んでくればいいのに」といったら、兵隊たちが憤慨して「慰安婦にどこの部隊ですかって聞かれて、高射砲だって答えたら、敵の飛行機を落としてから来てくださいねって追い返されたんです」と悔しがっていた”(『激闘ラバウル高射砲部隊』光人社NF文庫)
※編集部注:上記証言は慰安婦が客に対して拒否が可能であったことの証左となりうる。

 実は、河野談話の発表過程においても「慰安婦が強制されていたとする証拠は一切なかった」ことは認められている。とすれば、「証拠がないからと言って強制がなかったとはいえない」という結論となっている。そこには「日本人の証言は採用しないが、朝鮮人の証言は採用する」という基準(人種主義)があることが明らかではないだろうか。

 河野談話はもはや日本国内の問題ではなく、世界中で独り歩きしている。より簡単に言うと、私たち日本人に対して「あなたの祖父または曽祖父は性犯罪者だ」とするレッテルを今日まで30年近く張り続けているのである。

「河野談話」の見直しは国家観の問題だ

 もともと、慰安婦問題とは文玉珠という慰安婦が、売春給与を貯金していた郵便貯金口座残高およそ2万6145円(現在の貨幣価値に換算すると4千万円以上)の払い戻し請求訴訟を提起したが、日韓請求権並びに経済協力協定を理由に棄却され、その訴訟代理人に現在の社民党の福島瑞穂氏が就任したことから始まる。この時点で給与の支払いがあったことを前提に問題が生じており、争点となった郵便貯金も平成20年8月13日付け日経新聞によると、1900万もの日本国籍離脱者の口座が今も残っているため、この中の一つに過ぎない。

 慰安婦の問題は、「証言」というエピソードを前提にされているのに対して、その反論が証言の変遷(慰安所が存在しない場所であったのに慰安婦として働いていた等)や年齢や時期(1937年にインドネシアで日本軍の慰安婦所で働かされていた等)の矛盾を突く「エビデンス」の争いとなっている。裁判の場であればエビデンスが重要であるが、政治的闘争となるプロパガンダ戦であれば、観念的なエピソードが重要となる。
河野太郎氏:「河野談話」に対する姿勢の変遷

河野太郎氏:「河野談話」に対する姿勢の変遷

慰安婦には実際は多くの裁量や自由があったと考えられる
via wikipedia
 しかし、日本政府はエピソードの点において現時点では何ら反論をしていない。前述したように「敵を落としていないことを理由に慰安婦からサービス提供を断られて憤慨する兵士たち」のように、慰安婦には客を拒否する裁量権があったことなどの事実を認めていない一方、「朝鮮人慰安婦限定」という偏った手法で証言を採用している。これでは公正性の担保は出来ない。よって、当時の社会に生きていた関係者全員に焦点を当てた多角的かつ総合的な証言を採用した新たな「談話」が必要である。

 しかし、こうした国益にかかわる重要な国家観を示している候補者は高市早苗候補のみであり、河野太郎氏は依然として「歴代内閣の歴史観を踏襲する」との立場であり、河野談話の踏襲を事実上宣言しているに等しい。党益と国益は一致させなければならない。

 総裁選投票権を持つ自由民主党の党員におかれては、一体誰が将来にわたって日本の国益を守る守護者となり得るのか十分な吟味の上で投票権を行使されたい。少なくとも、「今のまま」では、無慈悲にも性犯罪者の冤罪レッテルを張られた私たちの祖父の名誉と国益は回復しないのである。
橋本 琴絵(はしもと ことえ)
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第五区より立候補。日本会議会員。
2021年8月にワックより初めての著書、『暴走するジェンダーフリー』を出版。

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