慰安婦=人道に対する罪 であったのか
1月8日、ソウル中央地方裁判所は、元従軍慰安婦を自称する女性12人による日本国を被告とした請求に対し、1億ウォン(日本円にして約950万円)の支払いを命じる判決を下した。これに対して、茂木敏充外務大臣は翌9日、韓国の康京和外務大臣に電話をかけ、当該判決を受け入れることはできない旨抗議した。
従軍慰安婦にまつわる諸経緯は、多くの日本人が知るところである。
日韓基本条約の締結に因る請求権の相互放棄によって、終戦後の朝鮮半島で起きた無数の日本人女性と赤ちゃんたちの虐殺といったヘイトクライムおよび大量の性犯罪(10歳未満の女子児童に対する強姦含む)に対する責任追及を日本が放棄する代わりに、韓国も請求権を放棄した。また、近年には基金設立によって日本政府は10億円を拠出して「心からのお詫びと反省」を当時の安倍総理が表明した。
これらの過程を経たにもかかわらず本判決が主張する「人道に対する犯罪は国家を被告にできないとする国際慣例に該当せず、また既に締結された条約も影響しない」とする見解は、到底受け入れることは出来ない。こうした国際法の解釈についての議論は専門家に譲ることとして、本論では「そもそも人道に対する罪なのか」といった事実認定について言及したく思う。
従軍慰安婦にまつわる諸経緯は、多くの日本人が知るところである。
日韓基本条約の締結に因る請求権の相互放棄によって、終戦後の朝鮮半島で起きた無数の日本人女性と赤ちゃんたちの虐殺といったヘイトクライムおよび大量の性犯罪(10歳未満の女子児童に対する強姦含む)に対する責任追及を日本が放棄する代わりに、韓国も請求権を放棄した。また、近年には基金設立によって日本政府は10億円を拠出して「心からのお詫びと反省」を当時の安倍総理が表明した。
これらの過程を経たにもかかわらず本判決が主張する「人道に対する犯罪は国家を被告にできないとする国際慣例に該当せず、また既に締結された条約も影響しない」とする見解は、到底受け入れることは出来ない。こうした国際法の解釈についての議論は専門家に譲ることとして、本論では「そもそも人道に対する罪なのか」といった事実認定について言及したく思う。
憲兵兵長の証言
私たち日本人は、誰かが任意に選択した情報を目にする。しかし、それは情報提供者の認知バイアスを経た情報であるから、正確性は担保されない。では、「従軍慰安婦」と実際に過ごした当事者は、どのような視点から慰安婦たちを語っているだろうか。本論はその部分に注目してゆく。
従軍慰安婦には、日本陸軍の憲兵が付いていた。何故ならば、スパイが慰安婦に紛れ込んで将兵に軍事機密を盗んでくるように教唆(犯意が無い者に対して犯意を新たに生じさせる行為)することを防ぎ、また将兵が慰安婦に暴言や暴力を振るった場合、ただちに逮捕起訴できるように治安の維持を担当していたからである。
そこで、憲兵兵長だった中川公平氏の証言を紹介する。
大東亜戦争中、中川氏は憲兵兵長として湖北省漢口市の憲兵隊に所属し、市内の積慶里という場所で従軍慰安婦(朝鮮人含む)たち約200人の警備を担当していた。慰安所の警備任務を上官の服部守次憲兵少佐から命令されたとき、中川氏は軍隊では珍しく抗弁をした。上官が理由を尋ねると、「憲兵学校では慰安婦の警備など習ったことが無いし、何より女性経験が無い」と素直に申告した。その話が当然噂となって慰安婦たちに伝わり、慰安婦たちは面白がって「誰が中川憲兵兵長を男にするか」と志願者が殺到した。200名の慰安婦による童貞争奪戦である。そこで、慰安婦たちは相談し、中川氏がハンカチを渡した者が、童貞をもらう権利を獲得することとなった。中川氏本人は「馬鹿げたことをするな」と慰安婦たちに申し伝えるも、慰安婦たちは「私たちのお願いをきけないのですか?」と強気だったが、中川氏は誰にもハンカチを渡さなかった。
しばらくたち、中川氏に転勤命令が下された。駅の警備担当になったのだ。その話を聞いたある慰安婦が中川氏に駆け寄り、「転勤なのですね。これ食べてください」といってイチジクを差し出した。中川氏は日本を出て初めてみたイチジクであったため、慰安婦に感謝して食べた。そして、果汁のついた手をハンカチで拭こうとすると、その慰安婦はさっと素早くハンカチを取り上げた。「これ、私にください」。慰安婦は、中川氏のためにその日は一切客を取らず、入浴し、美容院に行っていた。中川氏は、ついに「ハンカチを返せ」とは言えなかった。
従軍慰安婦には、日本陸軍の憲兵が付いていた。何故ならば、スパイが慰安婦に紛れ込んで将兵に軍事機密を盗んでくるように教唆(犯意が無い者に対して犯意を新たに生じさせる行為)することを防ぎ、また将兵が慰安婦に暴言や暴力を振るった場合、ただちに逮捕起訴できるように治安の維持を担当していたからである。
そこで、憲兵兵長だった中川公平氏の証言を紹介する。
大東亜戦争中、中川氏は憲兵兵長として湖北省漢口市の憲兵隊に所属し、市内の積慶里という場所で従軍慰安婦(朝鮮人含む)たち約200人の警備を担当していた。慰安所の警備任務を上官の服部守次憲兵少佐から命令されたとき、中川氏は軍隊では珍しく抗弁をした。上官が理由を尋ねると、「憲兵学校では慰安婦の警備など習ったことが無いし、何より女性経験が無い」と素直に申告した。その話が当然噂となって慰安婦たちに伝わり、慰安婦たちは面白がって「誰が中川憲兵兵長を男にするか」と志願者が殺到した。200名の慰安婦による童貞争奪戦である。そこで、慰安婦たちは相談し、中川氏がハンカチを渡した者が、童貞をもらう権利を獲得することとなった。中川氏本人は「馬鹿げたことをするな」と慰安婦たちに申し伝えるも、慰安婦たちは「私たちのお願いをきけないのですか?」と強気だったが、中川氏は誰にもハンカチを渡さなかった。
しばらくたち、中川氏に転勤命令が下された。駅の警備担当になったのだ。その話を聞いたある慰安婦が中川氏に駆け寄り、「転勤なのですね。これ食べてください」といってイチジクを差し出した。中川氏は日本を出て初めてみたイチジクであったため、慰安婦に感謝して食べた。そして、果汁のついた手をハンカチで拭こうとすると、その慰安婦はさっと素早くハンカチを取り上げた。「これ、私にください」。慰安婦は、中川氏のためにその日は一切客を取らず、入浴し、美容院に行っていた。中川氏は、ついに「ハンカチを返せ」とは言えなかった。
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皇軍の妻として―
また別の話もある。転勤前のある日、中川氏はある慰安婦が号泣しているのを見つけた。何事かと駆け寄って理由を聞いてみると、慰安婦の手には札束を握られていた。
「明日、作戦のために出陣する若い兵隊さんがこのお金をくれたの。この作戦で自分は死ぬから、お金はいらない、全部あげる。今日がはじめてだった。女の人の身体は、本当に柔らかいのですねって」
慰安婦は大粒の涙を流して嗚咽していた。
憲兵の証言は、慰安婦について最後にこう締めくくる。「かつての遊女のように借金で縛られることはない。自由の身だから旅費さえあればいつでも故郷に帰ることが出来る。それでも退職して帰るという女性はいなかった」(『憲兵伍長ものがたり』山内一生著より)
上記エピソードは「あくまで一例」と切り捨てることもできるだろう。しかし、公務中の司法警察職員である憲兵による重要な証言である。少なくとも、年齢や居場所がたびたび変遷する元慰安婦の証言に比べて、信用性は全く異なる。そもそも、従軍慰安婦に違法性があったとする根拠自体が証言のみである。なればこそ、これまで日本政府は従軍慰安婦問題について法解釈の部分に重点を当ててきたが、性奴隷といった荒唐無稽な主張に対して、事実認定を争うべきではないだろうか。
従軍慰安婦は売春婦ではない。皇軍将兵の妻であったのだから。だからこそ、夫たちの戦死に妻は泣いたのである。
「明日、作戦のために出陣する若い兵隊さんがこのお金をくれたの。この作戦で自分は死ぬから、お金はいらない、全部あげる。今日がはじめてだった。女の人の身体は、本当に柔らかいのですねって」
慰安婦は大粒の涙を流して嗚咽していた。
憲兵の証言は、慰安婦について最後にこう締めくくる。「かつての遊女のように借金で縛られることはない。自由の身だから旅費さえあればいつでも故郷に帰ることが出来る。それでも退職して帰るという女性はいなかった」(『憲兵伍長ものがたり』山内一生著より)
上記エピソードは「あくまで一例」と切り捨てることもできるだろう。しかし、公務中の司法警察職員である憲兵による重要な証言である。少なくとも、年齢や居場所がたびたび変遷する元慰安婦の証言に比べて、信用性は全く異なる。そもそも、従軍慰安婦に違法性があったとする根拠自体が証言のみである。なればこそ、これまで日本政府は従軍慰安婦問題について法解釈の部分に重点を当ててきたが、性奴隷といった荒唐無稽な主張に対して、事実認定を争うべきではないだろうか。
従軍慰安婦は売春婦ではない。皇軍将兵の妻であったのだから。だからこそ、夫たちの戦死に妻は泣いたのである。