第49回衆議院総選挙が公示された。野党は候補者を一本化することで票割れを防ぐ共闘戦術を行ったため、立憲票と共産票の合算が保守票を上回ると予想され得るいくつかの小選挙区では、与党の苦戦が予想される。
そうしたなか、政策の争点の一つに挙げられているのが、「改憲・護憲」だ。同一の政党内にも様々な立ち位置があるので一概には分けることはできないが、概ね与党=改憲、リベラル系野党=護憲というスタンスなのは、よく知られている通りであろう。
多くの政策は往々にしてすり合わせが可能なものが多いが、この問題については毎回真っ向から対立している。それでは、なぜこれほどにも与野党の候補では「考え方」が異なるのだろうか。
今回は特に「護憲」色が強い立憲民主党所属人物の発言を分析することで、「護憲」にこだわる理由を探ってみたい。
そうしたなか、政策の争点の一つに挙げられているのが、「改憲・護憲」だ。同一の政党内にも様々な立ち位置があるので一概には分けることはできないが、概ね与党=改憲、リベラル系野党=護憲というスタンスなのは、よく知られている通りであろう。
多くの政策は往々にしてすり合わせが可能なものが多いが、この問題については毎回真っ向から対立している。それでは、なぜこれほどにも与野党の候補では「考え方」が異なるのだろうか。
今回は特に「護憲」色が強い立憲民主党所属人物の発言を分析することで、「護憲」にこだわる理由を探ってみたい。
候補者のドン引きツイート
まずは、衆議院愛知第4区で立候補予定であった杉山啓氏。氏は、自身のTwitterにおいて未成年者児童に対する性的言動を多数主張していたことによって、公認取消となった。また、参議院岡山県選挙区の原田ケンスケ氏は、「性交中に紐で首を絞めたら過失致死罪になるけど手で首を絞めて死んでも違法性はない」などと主張した。
趣味嗜好は人それぞれなので、お二方の嗜好については筆者もとやかく言うつもりはない。そもそも立憲民主党がこの二名に一旦は公認を出したのだから、同党が目指す「多様性」にこの手の嗜好も含まれているのだろうとも考えた。杉山氏の公認が取り消されたので、そうではなかったようだが…。
さて、ここに不思議なことがある。客観的事実として、このような「変質的(と言ってしまいます)」ツイートは改憲派には見られない一方で、護憲派には何故かこのような「変質的」ツイートが数多くあることだ。
筆者は、ここに「護憲思想」を私たち日本人が理解するうえでの重要なヒントを読み取ることができると考える。
筆者は、ここに「護憲思想」を私たち日本人が理解するうえでの重要なヒントを読み取ることができると考える。
「護憲」は本人の意思では止められない
実は脳には「可塑性(かそせい)の欠如」という状態がある。これは「本人を取り巻く状況が変わっても一度学習した経験を変更できない」という脳の働きを言う。
先の2名に照らして、「JK(女子高生の意)好き」を例にとって説明する。男子高校生ならば「JK大好き」と発言しても社会通念ならびに法規範に照らしてもさほど問題はない。そこで、当人が高校生時代に「JK好き」を公言したり、それにまつわる下ネタトークなどで周りから受けを取ったとしよう。
通常は成長に伴い社会通念を学び、(本心はどうあれ)そのような発言は慎むようになるものだが、本人が30才以降になったという状況の変化があっても、当初形成された認識(JKトークで受けを取った)を自らの意思では変更できない場合がある。そのような場合、脳の可塑性に欠如がある…と疑われるのだ。
それが「護憲」にどう関係があるのか?と思われるかもしれないが、以下のような類推が可能である。
よく知られている様に、日本の進学校はリベラルな教育方針を取るところが多く、現状の「平和憲法」を尊重せよと生徒に学習させる。そして、教師や親に「褒められる」のはそのような教育方針に従い、良い成績をとる生徒だ。
「褒められる」ことは快楽的経験の一種であるので、その生徒が教育を通じて「平和憲法」を学習し、その学習に対して「親や教師から褒められる」経験をしてしまうと、もし脳の可塑性に欠如があった場合に、その「認識」を変更することができないという状況が生まれるであろう。
そして、例に挙げたツイートを行った二人とも日本の最高学府である東京大学を卒業しており、優等生であったことは十分にうかがえる。
30を超えても「JK好き」を発信してしまう、そして護憲…一見関連がないように見えるが、脳の状態という点に着目すると、「JK好きツイート」を止められないのと同様、「護憲」をやめることももはや自らの意思では難しい、のではないか。
しかし、「受験勉強をして高得点をとる」という行為に快楽を覚えて繰り返したり、「社会的ボランティアをして他人から感謝されることに快楽を覚えて繰り返す」、「筋肉トレーニングをした快楽を覚えて繰り返す」といった状態が、仮に本人の意思では止められないようになっていたとしても問題ないが、話が「JK好き」、そして「護憲」になると周辺にも被害が及ぶ話であり、当然看過できない。
先の2名に照らして、「JK(女子高生の意)好き」を例にとって説明する。男子高校生ならば「JK大好き」と発言しても社会通念ならびに法規範に照らしてもさほど問題はない。そこで、当人が高校生時代に「JK好き」を公言したり、それにまつわる下ネタトークなどで周りから受けを取ったとしよう。
通常は成長に伴い社会通念を学び、(本心はどうあれ)そのような発言は慎むようになるものだが、本人が30才以降になったという状況の変化があっても、当初形成された認識(JKトークで受けを取った)を自らの意思では変更できない場合がある。そのような場合、脳の可塑性に欠如がある…と疑われるのだ。
それが「護憲」にどう関係があるのか?と思われるかもしれないが、以下のような類推が可能である。
よく知られている様に、日本の進学校はリベラルな教育方針を取るところが多く、現状の「平和憲法」を尊重せよと生徒に学習させる。そして、教師や親に「褒められる」のはそのような教育方針に従い、良い成績をとる生徒だ。
「褒められる」ことは快楽的経験の一種であるので、その生徒が教育を通じて「平和憲法」を学習し、その学習に対して「親や教師から褒められる」経験をしてしまうと、もし脳の可塑性に欠如があった場合に、その「認識」を変更することができないという状況が生まれるであろう。
そして、例に挙げたツイートを行った二人とも日本の最高学府である東京大学を卒業しており、優等生であったことは十分にうかがえる。
30を超えても「JK好き」を発信してしまう、そして護憲…一見関連がないように見えるが、脳の状態という点に着目すると、「JK好きツイート」を止められないのと同様、「護憲」をやめることももはや自らの意思では難しい、のではないか。
しかし、「受験勉強をして高得点をとる」という行為に快楽を覚えて繰り返したり、「社会的ボランティアをして他人から感謝されることに快楽を覚えて繰り返す」、「筋肉トレーニングをした快楽を覚えて繰り返す」といった状態が、仮に本人の意思では止められないようになっていたとしても問題ないが、話が「JK好き」、そして「護憲」になると周辺にも被害が及ぶ話であり、当然看過できない。
「護憲」では国は守れない、と意識せよ
つい先日、北朝鮮が再びミサイルの発射実験をした。中国軍は台湾の武力制圧の意志を表明している。軍用機による領空侵犯は連日ある。このような国際情況の中で、「平和憲法」が「戦争抑止」の目的を果たすという合理的目的において機能するという理由は、未だ護憲派から説明されていない。にもかかわらず、護憲派はひたすら護憲を唱えている。
説明してきた通り、「JK好き」という衝動を本人の意思では止めることができないように、「護憲」という概念や単語の認識による快楽を本人が知覚していた場合、本人の意思では「護憲」を止めることができない可能性が高い。
飲酒や競馬(賭博)は本来的には合法であるが、度が過ぎて本人の健康を害するほど飲酒し、また本人の生活基盤を失うほどの金額で賭博を繰り返せば、現代医学では精神病の診断基準を満たす。
国民全体の基本的人権を害するほどに追い込まれている状況下にあるいま、同じく「護憲」も度が過ぎれば本人を害するどころか、日本国を害するであろう。
厚生労働省の調査によると、ギャンブル依存の問題を抱える人々は18歳から74歳のうち2.2%だという。(共同通信令和3年8月21日記事) 「護憲依存」がこれ以上いても何らおかしいことではない。護憲という行為は本人の意思というよりも戦後半世紀以上に渡る「多方面の刷り込み」の結果、「止められない」のではないか。
これ以上国を危機にさらさないためにも、選挙という選択を迎えるにあたり、候補者の過去の言動などから、その者が「理性によって認識や衝動を弁識・抑制できるか否か」(「護憲」中毒になっていないか)という視点もぜひもっていただきたい。
説明してきた通り、「JK好き」という衝動を本人の意思では止めることができないように、「護憲」という概念や単語の認識による快楽を本人が知覚していた場合、本人の意思では「護憲」を止めることができない可能性が高い。
飲酒や競馬(賭博)は本来的には合法であるが、度が過ぎて本人の健康を害するほど飲酒し、また本人の生活基盤を失うほどの金額で賭博を繰り返せば、現代医学では精神病の診断基準を満たす。
国民全体の基本的人権を害するほどに追い込まれている状況下にあるいま、同じく「護憲」も度が過ぎれば本人を害するどころか、日本国を害するであろう。
厚生労働省の調査によると、ギャンブル依存の問題を抱える人々は18歳から74歳のうち2.2%だという。(共同通信令和3年8月21日記事) 「護憲依存」がこれ以上いても何らおかしいことではない。護憲という行為は本人の意思というよりも戦後半世紀以上に渡る「多方面の刷り込み」の結果、「止められない」のではないか。
これ以上国を危機にさらさないためにも、選挙という選択を迎えるにあたり、候補者の過去の言動などから、その者が「理性によって認識や衝動を弁識・抑制できるか否か」(「護憲」中毒になっていないか)という視点もぜひもっていただきたい。
橋本 琴絵(はしもと ことえ)
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第五区より立候補。日本会議会員。
2021年8月にワックより初めての著書、『暴走するジェンダーフリー』を出版。
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第五区より立候補。日本会議会員。
2021年8月にワックより初めての著書、『暴走するジェンダーフリー』を出版。