ナザレンコ・アンドリー:"参政権"は当たり前ではない:...

ナザレンコ・アンドリー:"参政権"は当たり前ではない:貴重な「権利」を放棄するな

自ら参政権を放棄する日本人

 2021年10月31日に第49回衆議院議員総選挙が行われる。選挙前から結果が決まっている隣国(中露北)と違って、日本は自由民主主義国家なので、開票前にどうなるか確実なことは何とも言えない。しかし、高確率で当たる予測は一つだけできるのではないかと思う。それは「今回の選挙も、半分近くの日本人が参政権を自ら棄権する」という予測だ。

 政治への関心が高いとは言えない日本人の投票率が年々下がっていく現状を見ると、「どうして!?」と叫びたくなる。もちろん「悪夢の民主党政権」が終わって以降、多くの人が安定した暮らしを送れるようになった事実が大きく影響していると想像できる。だが、民主党政権時代はわりと最近の話のはずだし、当時、国を滅ぼしかけた政治家たちは、今もメディアにちやほやされて元気に活動しており、再び政権を握ることを諦めていない。現状維持を望んでいる人ほど投票所に行かないと言われているが、現状を維持するためにだって努力が必要だ。自分が投票しに行かなくても「自民党が勝つ」「(自分の)一票くらいでは何も変わらない」と勘違いしているなら、取返しのつかない損を被る結果になりかねない。
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ナザレンコ・アンドリー:"参政権"は当たり前ではない:貴重な「権利」を放棄するな

国を滅ぼしかけた政治家って……

体験した民主主義の崩壊

 私自身も民主主義が壊れることを体験したことがある。私のプロフィールに「2013年11月~14年2月、首都キエフと出身地のハリコフ市で、親欧米側学生集団による国民運動に参加」とあるが、その運動に参加せざるを得なく経緯について少しだけ説明したい(詳しく知りたい方は拙著『自由を守る闘い』の第一章を読んでいただければ)。

 ソ連が崩壊した後でも、独立した国の大半は民主化せずに、そのまま政権交代を知らない独裁国家になってしまった(例:ベラルーシ、ロシア、ウズベキスタン等々)。そういう国と対照的に、ウクライナは「ほとんどの大統領は一つの任期満了で変わる国」だった。もちろん、汚職や不正といった問題もあったものの(ソ連支配の名残)、せめて投票で民意を示せる自信や、表現の自由と集会の自由が侵害されない自信はあった。しかし、リーマンショックの影響で2010年に親露派大統領が誕生してから、国はどんどん非民主的な方法に進み始めた(その大統領当選後、野党のリーダーが即時に投獄された)。

 しばらくの間、国民は「次の選挙で落とせば良い」と思って我慢していた。ところが、ある日、我慢の限界を突破する出来事が起きた。

 ことは、2013年、ヤヌコヴィッチ大統領(当時)がプーチンと会談した後にそれまでの外交方針を正反対に変えて、大半の国民が望んだEUとの自由貿易協定書を締結することを拒否、代わりにロシアと接近することを決定したことに起因する。

 この動きに対して、当初はそれに反対する小さなデモ(参加者100人未満)が起きただけであった。政府がこのデモに対して何もしなければ、そのまま何もなく終わっただけだろう。しかし、プーチンに煽られたヤヌコヴィッチは、その権威を示したくて、このデモを暴力で鎮圧することを命じたのだ。特殊部隊が無防備な若者たちを無差別に叩き、その前例のない残虐な光景は全国のメディアによって報道された。すると次の日、参加者が100万人を超える反独裁化デモが各地で起きた。私も参加するために東部から首都に向かった一人だった。
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ヴィクトル・ヤヌコヴィッチ元大統領

当たり前の「権利」も海外では血を流さないと得られない

 それはとても長い闘いだった。温度は0度以下だったなかで何日間も首都最大の広場で過ごし、交代で限られたテントのなかで寝るとき以外は、ずっと抗議運動に参加——焦る政府は憲法に反してデモ活動自体を違法化し、(凍死の恐れを無視して)法改正で0度以下でも放水砲の使用を認め、警察が閃光弾とゴム弾でデモを解散させようとしたが、国民の怒りは強くなっていく一方だった。

 その結果、さらに恐怖政治はひどくなった。特殊部隊がデモ参加者を特定し、群衆から離れるところを狙って拉致。拷問したうえで殺し始めた。こうして拷問死にされたのは、ユリ―・ウエルビツキー(Юрій Вербицький)、ユリ―・ネチポルク(Юрій Нечіпорук)、ヴィクトル・プロホルチュック(Віктор Прохорчук)等。それでも民主運動は収まらなかったため、今度は警察に実弾を打つ命令が下され、スナイパーや治安維持部隊の発砲によって100人以上が無差別に殺された。

 結論から言うと、われわれ民主派が勝利し、独裁政権の大統領も総理も民間人を殺していた警察官の大半もロシアへ逃げた。では、私はなぜここでこの話をしようと思ったのか。実は、私たちの要求は外交方針の変更でも政権交代でもなく、単に「自由かつ公正な選挙で民意を聞け」ということだったからだ。

 それが拒否されていたから、ずっと運動するしかなかったのだ(世界では自民党のように、国民の不満が少しでも高まればすぐに国会を解散し「民意を確かめる」優しい政党ばかりではないのだ)。日本人が当たり前のように持っている投票権は、海外の多くの国では血を流さないと得られないという事実を知ってほしい。ウクライナの人も、香港の人も、そのためだけに闘い、そのためだけに命を落としていたわけだ。

「天気」で投票を放棄する愚

​ そう考えると、「天気は投票率に影響している」といったニュースを目にすると、絶望的な気持ちになる。撃たれることもない、叩かれることもない、どんな不利を被ることもないのに、ただ"面倒くさい"という理由だけで投票しない行為ほどバカバカしいことはないと思うし、その態度は自由民主主義を守るために命を懸けた、今なお懸けている人々への冒涜に等しいとすら思う。独立の意義は自己決定権を保障することにあるからだ。それに「国防が重要」という話をよく耳にするが、敵に支配される前から国民が主権を放棄するようでは、いくら防衛費があっても上手く国を守れことはできないだろう。

 これからの選挙は、とくに大事になってくる。なぜなら、反日リベラルが「共闘」という名目で、世界で最も人を殺したイデオロギーである共産主義を賛美する人たちと手を組んだからだ。民主主義と相容れない主義を唱える者たちが権力を握る危機が迫ってきたのは戦後初めてのこと。負けてしまえば、毛沢東やスターリン、ポル・ポト、金日成を生み出した思想に共感する政治家たちが連合政権に入る恐れがあり、それがどんな悲惨な結果をもたらすのか、計り知れない。

 民意を示すのに血を流さなくてもいい国であり続けるように、日本人の一人一人が当事者意識を持ち、参政権のありがたさと尊さを再認識し、反民主的勢力の台頭を防げなければならない。国政に対して思うことがある人はもちろん、特にいま思うことがない人でも、来る10/31日、まずは投票に行ってほしい。
ナザレンコ・アンドリー
1995年、ウクライナ東部のハリコフ市生まれ。ハリコフ・ラヂオ・エンジニアリング高等専門学校の「コンピューター・システムとネットワーク・メンテナンス学部」で準学士学位取得。2013年11月~14年2月、首都キエフと出身地のハリコフ市で、「新欧米側学生集団による国民運動に参加。2014年3~7月、家族とともにウクライナ軍をサポートするためのボランティア活動に参加。同年8月に来日。日本語学校を経て、大学で経営学を学ぶ。現在は政治評論家、外交評論家として活躍中。ウクライナ語、ロシア語のほか英語と日本語にも堪能。著書に『自由を守る戦い―日本よ、ウクライナの轍を踏むな!』(明成社)がある。

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