左翼陣営が盛んに五輪中止運動を展開し、実施する場合は「無観客」を主張した末、菅政権はこれを追認した。無観客五輪を都議選の重点政策に掲げた都民ファーストと小池百合子都知事による〝無観客攻勢〟に白旗を上げたのである。欧米に比べ、コロナ制御に成功し、感染者・死亡者ともに何十分の一、何百分の一に過ぎない〝さざ波〟日本。国際社会から当初「五輪が日本開催でよかった」と思われていた。それが一転、無観客開催。あり得ないことだった。
うがいや手洗いなどを励行した日本では、コロナの死者は出たとしても、インフルエンザなどほかの感染症も抑えた結果、例年より死者数が減少したのである。こんな国があるのか──それは欧米各国にとって衝撃だったのだ。しかし、それより驚愕したのは、それでも日本が無観客という「コロナ敗北宣言」をしたことだ。まさに「なぜ?」である。
ツイッターやフェイスブックといったSNSを利用し、ここでツイデモ(※ツイッターによるデモ)などを駆使し、あたかも大きな世論が動いているかのように見せるやり方だ。
日本では、参院選を2カ月後に控えた2013年5月、日本共産党中央委員会が32万党員に「ツイッターとフェイスブックを始めよ」と通知し、SNSで世論を構築する〝組織票づくり〟に着手した。同年7月の参院選では、これが功を奏し、改選3議席は8議席に躍進。以来、同党は〝共産党〟という名を出す必要がないSNS戦略を大いに利用するのである。
問題は、これに簡単に騙され、追随する国民がアトを断たないことだ。「本質」を見ることができず、無理がまかり通り、道理が引っ込む国。七月半ばにはワクチン接種6千万回を超え、陽性者の7人に一人の命が奪われていた80歳以上の感染率、死亡率は激減した。
若者にとっては、例えば20代の死亡率は0.0044%に過ぎず、交通事故より遥かに低い。30代も同じで、40代になって初めて死亡率0.1%。つまり若者の陽性者が増えても何の問題もない。そして死亡率の高い高齢者が守られることにより、日本はコロナを〝普通の風邪〟にすることができたのである。
「日本では〝科学〟より〝風評〟が圧倒的に強いのです。それが日本です」と。
一九五八年、高知県生まれ。作家、ジャーナリスト。著書に『なぜ君は絶望と闘えたのか』(新潮文庫)、『死の淵を見た男』(角川文庫)、『オウム死刑囚 魂の遍歴』(PHP)など。『この命、義に捧ぐ』(角川文庫)で第19回山本七平賞を受賞。最新刊は『新・階級闘争論』(ワック)。