【橋本琴絵】少子化と「命の尊厳」――中絶は「日本人口抑...

【橋本琴絵】少子化と「命の尊厳」――中絶は「日本人口抑制政策」だ

「中絶」と「堕胎」

 令和3年3月4日、日本医師会は「妊婦がDV被害を受けていると申告した場合、配偶者の夫が不同意であっても妊婦本人の同意だけで胎児を中絶してよいか」と厚労省へ照会したところ、厚労省は10日付でこれに同意する回答を発表した。

 しかし、母体保護法(昭和23年法律第165号)第14条では、中絶の要件として明確に「配偶者の同意」を法定している。立法機関の定めた法律に対して、厚労省が超法規的に法律を否定する行為は、生活保護法が外国人受給権を否定しているにもかかわらず、受給が為されていることと同様、わが国の法治を破壊するものである。

 たとえば、アメリカの保守派は堕胎反対の政治運動を展開し、堕胎推進派のリベラルとの対立軸の一つとなっている一方、本邦の保守派はこの問題に関心が低い。堕胎禁止がキリスト教の問題だと解されている節もある。しかし必ずしもそうではなく、人口抑制政策として「日本人の数を増やさないこと」を目的に導入された歴史的背景があるのだ。

 そこで本論は、保守主義の立場から年間十数万人もの胎児を殺処分する人工妊娠中絶に対し、どのように向き合うべきか論考を述べたく思う。


 ではここで、「中絶」と「堕胎」の違いについての解説をしたく思う。

 まず、現行刑法の第212条から第216条に堕胎の罪が定められている。堕胎は現在も犯罪だ。しかし、刑法第35条に「正当行為は罰しない」という規定がある。正当行為とは、法律で犯罪だと定められていても、別の法律で正当性が認められている場合だ。たとえば、警察官や自衛官の銃所持、薬剤師の覚せい剤管理などである。ここで、前述した母体保護法が定める法律上の条件を満たしたあと、胎児を自然分娩期より先に絶命させて母体と分離した場合、堕胎ではなく刑法第35条が適用されて中絶という。つまり、堕胎は犯罪であるが、中絶は合法でなのである。

 一方で、アメリカには中絶という言葉はない。これは、堕胎を犯罪とする法律が憲法違反であると米最高裁が判決を下したため、堕胎を処罰できないということである。日本は堕胎を犯罪であると法律で定め、別の法律で条件が揃えば例外的に合法化できるという構図であるが、アメリカの場合はそもそも堕胎を処罰することが違憲であるという構図である。

 アメリカで「堕胎を処罰できない」と定めた背景は、1973年に「Jane Roe, et al. v. Henry Wade, District Attorney of Dallas County」という判決が下され、アメリカ修正憲法第14条を根拠に、女性のプライバシー権には「自己の体内にある胎児を殺処分するかしないか」を選択できる権利が含まれ、この権利は憲法で保障されるという考えがあるためだ。

 しかし、日本では中絶の理由にプライバシー権は無関係であり、あくまで「精神障害者などの劣悪な遺伝子が増加することを防止するため」に中絶を認めた。現代の感覚からすると違和感の強い表現であるが、後述の通り中絶法の立法趣旨が国会でそのように説明されているため、本論も同じ表現を使用する。

 現在、精神障害者などの出産は経済的問題を必ず内包するため、強姦など犯罪被害や多胎・子宮外妊娠などの医学的理由を除き、「産んで育てる能力がないのに避妊しなかった精神」等、劣悪な遺伝子の持ち主が中絶する場合は「経済的理由」に一元化された。法律の名称も「優生保護法」から「母体保護法」に改称され、優生学であるとの国際的非難を回避し、また中絶を選択した女性の名誉感情を害さないよう配慮されている(しかし、どちらも同じ昭和23年法律第156号である)。

中絶法(母体保護法)の制定

 ここで、本邦で中絶法が制定された歴史的過程について述べたく思う。

 日本で最初に中絶という単語が使用されたのは、ナチスドイツと軍事同盟を締結した1940年に制定された国民優生法である。当時の日本は、ナチスからさまざまな制度を学んだ。特に、現在も運用されている年金制度や教育制度である。この中に「中絶制度」があり、劣悪な因子が存在することは民族の質を低下させるため、殺処分することを定めた。しかし法律はあるものの、実際に「何が劣悪な遺伝子だと、なぜ断言できるのか」といった問題が発生し、法律があるだけで運用されることはなかった。

 中絶の運用が注目されたのは、実は大東亜戦争の終結後である。このとき大陸から引き揚げする結婚適齢期の女性は、ことごとく異民族によって凌辱され、強制的に妊娠させられた。このままでは、大量の異民族が日本国内で生まれることとなる。そこで政府は翌1946年3月25日、福岡県筑紫野市に「二日市保養所」という施設を開設し、医師や医学部生らを集めて、「暴力によって体調が悪化した女性はおいでください」と強姦被害を受けた女性を救済するため、無料の堕胎手術を提供した。

 ここで問題なったのは、法律の問題である。当時も現在も刑法第37条には緊急避難といって、不正な侵害を回避する目的で第三者の権利を侵害しても罰することはできないと定めている。たとえば、犯罪者に追いかけられている人が、他人のバイクを盗んで逃走したとしても、バイクの窃盗罪は罰することができない、というものだ。

 異民族から強姦された「不正な侵害」によって、身体的精神的に傷つき、それを救済するための堕胎手術は確かに緊急避難であるが、あくまで妊婦の被害申告のみを根拠とするため、法律上の確実性に欠く。しかし、そうはいっても大陸や朝鮮半島における日本人ジェノサイド被害を傍観するわけにもいかず、やむを得ず医師らに超法規的措置を要請したのが前述した堕胎施設であった。


 そこで、日本医師会の会長だった谷口弥三郎参議院議員は、中絶法の早期立法を必要として議員立法に取り組んだのである。これに対して、時の総理大臣だった芦田均は「人口増加はあまり遠くない時期に停止する。場合によって人口は次第に減少する時期に入るであろうということが有力な見解。法律を持って産児制限をおこなうことは考えていない」と反対意見を表明したが、谷口弥三郎は積極的に中絶法の立法を主張した。

 この様子は、第2回国会の参議院厚生委員会第13号昭和23年6月19日(※答弁の記録はこちら)に記録されているので、現代の感覚だと理解しづらい部分もあるが、要約して述べたい。

 「わが國は敗戰によりその領土の四割強を失いました結果、甚だしく狭められたる國土の上に八千万からの國民が生活しておるため、食糧不足が今後も当分持続するのは当然であります。総司令部のアツカーマン氏は「八千万人口までは自給自足し得るも、それ以上は困難である」と言つております。産兒制限は、優秀な人々が産兒制限を行い、低脳者は行わないため、國民素質の低下即ち民族の逆淘汰が現われて來る虞れがある。現に我が國においてはすでに逆淘汰の傾向が現われ始めておるのであります。たとえば精神病患者は増加し、浮浪兒收容所における調査成績を見ますると、低脳兒はおのおの八〇%に増加しております。從つてかかる先天性の遺傳病者の出生を抑制することが、國民の急速なる増加を防ぐ上からも、亦民族の逆淘汰を防止する点からいつても、極めて必要であると思いますので、ここに優生保護法案を提出した次第であります」

 こうして中絶法は立法され、以後最盛期で年間約114万人が処分され、現在も毎年十数万人が処分されている。しかし、一つの問題点がある。立法当時問題視された精神障害者は1万人あたり9.98人であったのに対し、2002年では1万人あたり186.58人、2017年は313.79人に増加している(※)。これは、高齢化社会における認知症発症年齢を差し引いても、莫大な増加である。つまり法律の目的を果たさず、立法目的を失い、ただ少子化と精神障害者の増加に貢献する法律となっている。
※内閣府・障害者の状況より

 なぜならば、1人目で健常児が生まれたら、もう1人欲しいと産んで異常児であっても無事生まれることができるが、1人目に異常児を授かれば失望して、2人目にできた健常児を中絶する母体の心理を否定できないからだ。中絶法施行以後、異常者が増加して少子化が起きている現実は否定できない。

胎児に「基本的人権」はナシ

 前述したようにアメリカでは女性のプライバシー権を理由にして「堕胎を処罰しない」という方針であるから、妊娠週数13週未満まではいかなる理由でも堕胎できるが、13週以上は強姦であっても堕胎は認められない。胎児の脳が成長し、痛みを知覚すると推定されているからである。(ただし、近親相姦被害の場合は26週まで例外的に認められる州がある)

 一方、日本は「劣悪な遺伝子を淘汰する」ことが中絶の主目的であるため、女性の一存ではなく男性の同意が法律上要求されている。女性に異常があっても、男性に異常があるとは限らないからである。また、妊娠週数の制限が法律上ない。しかし、それでも胎児の苦痛を慮り「慣習的に」週数制限があるが、たとえば最判昭和63年1月19日(刑集第42巻1号1頁)では、推定体重1キログラムの未熟児を保育器等の整った病院の医療を受けさせれば、生育する可能性があることを認識し、かつ、そのような措置をとることができたにもかかわらず、放置したため、出生の約54時間後に赤ちゃんが死亡した事案について、業務上堕胎罪と保護責任者遺棄致死罪が成立した例がある等、人道上きわめて残酷な実情が記録されている。

 本論は強姦被害、近親相姦被害、多胎や子宮外妊娠など母体の生命に危険が及ぶ妊娠以外の中絶を一律して禁止すべきであると考える。なぜならば、すでに法律上の目的を果たしていないどころか、「ホモサピエンスであり人間の父母をもっていたとしても胎児に基本的人権はないから殺害しても良い」とする法律が、現代社会の倫理観に照らして合法であるとは到底思えないからである。いわば「法定人権主義」である。憲法で基本的人権は認めているが、何が基本的人権を持つ主体かは法律が決めているのが日本の実情である。

 アメリカのように胎児の人権と母親の人権(プライバシー権)を比較した上で、妊娠13週未満は母親の人権が尊重され、13週以上は絶命時の痛みを知覚する胎児の人権が尊重されるという比較衡量論の結果ではなく、そもそも「胎児に基本的人権はない」と法律で定める日本の方法は、先進国の法体制としてあるまじき人権姿勢であると本論は考えるからである。
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「胎児に基本的人権はない」はありえない!

先進国たる「命の尊厳」を

 日本の胎児処分の様子はきわめて残酷であり、また法律がまったく遵守されていない実情があるので、最後に紹介したく思う。

 中絶とは、胎児を絶命させて母体より分離する行為をいう。では、胎児とは何か。それは母体の中にいる生命体をいう。そのため、母体より手足の一部でも生きたまま露出すれば、それは胎児ではなく児童となる。(大審院判決大正8年12月13日刑録25輯1367頁)

 したがって、中絶とは母体内で胎児を絶命させなければ成立しない。生きたまま母体から出てくれば、胎児ではなく基本的人権を持つ児童になり、胎児の法的身分を喪失するからだ。中絶とは胎児に対するものであり、児童を処分すれば中絶ではなく殺人という。

 しかし現代の中絶は胎児を生きたまま出産させ、氷などに漬けて殺害するか、絶命するまで放置する手法が多く採られている。前者は殺人罪であり、後者は保護責任者遺棄致死罪である。堕胎医の多くは刑法の知識が無く、また密室で殺害された児童は被害申告が出来ないため、捜査機関が犯罪を覚知することができない。また覚知したとしても、起訴便宜主義(刑事訴訟法第248条)によって、検察官はどのような凶悪犯罪でも不起訴にする権利を持つため、前述した「精神障害者を淘汰する」という立法目的のため、殺人罪の責任を求めないことができる。

 たとえば、ここにある犯罪記録が証言されているので紹介したい。日本助産学会誌『Journal of Japan Academy of Midwifery』( Vol. 24, No. 2, 227-237, 2010)に収録された助産師の証言である。

 「悲しい。すごい見ちゃう、赤ちゃんを。中期だから生まれたらクーラーボックスにいれるんですよね、氷の入った。(中略)生きて出てきたときの赤ちゃんは、えっどうしたらいいの? って。この子まだ死んでないのに…、ガーゼも置けないし、氷の中に入れたら寒いだろうしっていう気持ちがすごい働きました。で、ずっとみてました。30分くらいずっと心臓が動いてましたね。だから30分くらい何もできなかったです。」

 繰り返すが、中絶とは母体内で胎児を絶命させる行為である。生きて産まれたら胎児ではなく児童となるため、中絶は成立しない。かつ、13週以上で死産すれば墓地に埋葬できるが、13週未満は東京都など特別な条例を定めて胎児の尊厳を守る地域を除き(東京都条例 胞衣及び産汚物取締条例(昭和23年4月1日条例第48号)、多くの県で医療産廃、つまりゴミとして胎児を捨てている。

 中国共産党がウイグル人を虐殺しているのも、「法律で認められているため」であることを鑑み、基本的人権の擁護が先進国の根源的価値観であることを踏まえ、私たちはこの現実を真摯に受け止めなければならない。少なくとも、海外旅行をするお金はある一方で経済的理由で中絶をし、また冒頭で述べたように裁判所の確定判決を経ずに「妊婦の自己申告」のみで父親の意向を無視して胎児を殺処分する違法を是認するようなことは認められないことを強く主張する。月並みな表現ではあるが、先進国であればこそ「命の尊厳」を多くの人々に意識していただきたい。
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橋本 琴絵(はしもと ことえ)
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第五区より立候補。日本会議会員。

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