改憲の精神――「憲法」とは何か
安倍前総理は5月3日夜に放送されたテレビ番組に出演し、「帝国憲法も日本国憲法も一般国民が参加していない手法で採決されている。国会議員は国民を信じて憲法改正の発議をすべき」との旨を発言された。
また、各新聞・テレビによる世論調査でも、令和3年度の最新調査ではいずれも「改正すべき」が「すべきではない」を上回る結果となった。朝日新聞や毎日新聞の世論調査でも同じ結果が出ており、いま世論は憲法改正へと確実に歩みつつある。
そこで本論は、改めて「憲法とは何か」といった歴史的背景を解説しつつ、あるべき改憲の精神について主張する。
改憲を論じる前に、「憲法とは何か」という説明を次のたとえ話から始めたいと思う。
私がある朝、窓を開けようとすると、外側に蜘蛛が巣を張っていた。まだ新しい巣だ。私が気にせず窓をあけると、巣は壊れてしまった。窓の可動部分に糸を張っていたからだ。翌日、また朝になって私が窓をあけると、新しく張りなおした蜘蛛の巣は再び壊れた。相変わらず、窓の可動部分に糸を張っていたからだ。3日目の朝、私が窓をあけると、蜘蛛の巣は壊れなかった。窓の縁という不稼働部分に蜘蛛は糸を張ったからだ。
このように、蜘蛛のような下等生物でも「経験による学習」ができる。おそらく、稼働・不稼働という認識ではなく、単に無作為に糸を張る場所を選択した結果、「たまたまうまくいった」のだ。そして、これが蜘蛛にとっての「成功経験」となる。実は、これが「憲法」なのである。
歴史的に憲法という概念はイギリスで発達した。18世紀の憲法学者William Blackstoneは、憲法について次の言葉を残している。
「記録のない時代から人を律してきた慣行である神の法」
つまり、古代から人々が経験し、「そうした方がうまくいったこと」を抽出する。それが憲法の材料となるのだ。しかし、ここで問題が生じる。「経験」と一言で言っても、地域によってさまざまな種類の経験則がある。この場合、どのようにしたらよいのだろうか。
そこで考え出されたのが「ドイツ式憲法」という、いわば「憲法とは言っているが、実質上ただの法律」が生み出されたのである。
イギリスは早い時期に国家が統一され、また王国併合もドイツより早く行われたため、人々が経験則を共有できていた。しかし、ドイツは神聖ローマ帝国の諸王国が乱立しており、プロイセン国王を皇帝にしてドイツを統一したのは、実は日本の明治維新よりも時期が遅い。したがって、「ドイツ人で共有できる歴史的経験則」というものがない情況、すなわちドイツ皇帝自体がまだ誕生して数年の時期に憲法制定をしなければならなかった。
そこでドイツでは「考え出された憲法」を採用することになる。イギリス憲法は「歴史の中から発見された憲法」であるが、ドイツの場合は「現在の人々が思弁して生み出した憲法」だ。ここに大きな違いがある。何しろ皇帝の権限を定めるにしても、その皇帝が生まれたのは憲法制定から数年前の話であり、何をどうしたら皇帝の役割になるのか、人々が納得する経験則を得る歴史がそもそもなかった。
そこで色々と考えた結果、「皇帝は議会が予算を可決できなかったとき、前年度の予算を今年度の予算として執行できる」といった皇帝大権などが生まれた(これが、第一次世界大戦でドイツが敗退する遠因となる)。一方でイギリスの国王大権は、「思い付き」ではなく「過去そうした方がうまくいった」というものの集大成であった。具体的には「ほかの誰も引き受けることができない大きな責任を伴う執行が国王大権に属する」(前掲ブラックストンより)というものであった。
また、各新聞・テレビによる世論調査でも、令和3年度の最新調査ではいずれも「改正すべき」が「すべきではない」を上回る結果となった。朝日新聞や毎日新聞の世論調査でも同じ結果が出ており、いま世論は憲法改正へと確実に歩みつつある。
そこで本論は、改めて「憲法とは何か」といった歴史的背景を解説しつつ、あるべき改憲の精神について主張する。
改憲を論じる前に、「憲法とは何か」という説明を次のたとえ話から始めたいと思う。
私がある朝、窓を開けようとすると、外側に蜘蛛が巣を張っていた。まだ新しい巣だ。私が気にせず窓をあけると、巣は壊れてしまった。窓の可動部分に糸を張っていたからだ。翌日、また朝になって私が窓をあけると、新しく張りなおした蜘蛛の巣は再び壊れた。相変わらず、窓の可動部分に糸を張っていたからだ。3日目の朝、私が窓をあけると、蜘蛛の巣は壊れなかった。窓の縁という不稼働部分に蜘蛛は糸を張ったからだ。
このように、蜘蛛のような下等生物でも「経験による学習」ができる。おそらく、稼働・不稼働という認識ではなく、単に無作為に糸を張る場所を選択した結果、「たまたまうまくいった」のだ。そして、これが蜘蛛にとっての「成功経験」となる。実は、これが「憲法」なのである。
歴史的に憲法という概念はイギリスで発達した。18世紀の憲法学者William Blackstoneは、憲法について次の言葉を残している。
「記録のない時代から人を律してきた慣行である神の法」
つまり、古代から人々が経験し、「そうした方がうまくいったこと」を抽出する。それが憲法の材料となるのだ。しかし、ここで問題が生じる。「経験」と一言で言っても、地域によってさまざまな種類の経験則がある。この場合、どのようにしたらよいのだろうか。
そこで考え出されたのが「ドイツ式憲法」という、いわば「憲法とは言っているが、実質上ただの法律」が生み出されたのである。
イギリスは早い時期に国家が統一され、また王国併合もドイツより早く行われたため、人々が経験則を共有できていた。しかし、ドイツは神聖ローマ帝国の諸王国が乱立しており、プロイセン国王を皇帝にしてドイツを統一したのは、実は日本の明治維新よりも時期が遅い。したがって、「ドイツ人で共有できる歴史的経験則」というものがない情況、すなわちドイツ皇帝自体がまだ誕生して数年の時期に憲法制定をしなければならなかった。
そこでドイツでは「考え出された憲法」を採用することになる。イギリス憲法は「歴史の中から発見された憲法」であるが、ドイツの場合は「現在の人々が思弁して生み出した憲法」だ。ここに大きな違いがある。何しろ皇帝の権限を定めるにしても、その皇帝が生まれたのは憲法制定から数年前の話であり、何をどうしたら皇帝の役割になるのか、人々が納得する経験則を得る歴史がそもそもなかった。
そこで色々と考えた結果、「皇帝は議会が予算を可決できなかったとき、前年度の予算を今年度の予算として執行できる」といった皇帝大権などが生まれた(これが、第一次世界大戦でドイツが敗退する遠因となる)。一方でイギリスの国王大権は、「思い付き」ではなく「過去そうした方がうまくいった」というものの集大成であった。具体的には「ほかの誰も引き受けることができない大きな責任を伴う執行が国王大権に属する」(前掲ブラックストンより)というものであった。
憲法に盛り込まれた「思い付き」
このような英独の相違がある中、大日本帝国はドイツを参考にした。というのも、江戸時代までに日本の分断は進み、薩摩と弘前(青森)ではもはや経験則を共有することは不可能な状態となっていたため、国民が経験則を共有していることを前提にしているイギリス式は導入不可能だったからだ。
そこで、神聖ローマ帝国に参加していた諸王国を統一したドイツ帝国の方式こそ、各藩があった大日本帝国の状況に近似していたため、これを参考にした。大日本帝国の起草者たちはそれでも「日本の慣習とは何か」という抽出作業に邁進し、結論として天皇がすべてに共通する経験則であるとしたことまではよかったが、一つの「思い付き」を憲法に盛り込んだ。
それは、天皇大権に統帥権をもたせたことである。これは、帝国憲法制定の12年前に西郷隆盛ら文民の政治家が統帥権を濫用して内乱を起こしたことから、今後の内乱を防ぐためにも統帥権を天皇大権に含ませたものと推認できるが、「天皇の統帥権」は、残念ながら日本の歴史的経験則にない「思い付き」であった。誰もが知る通り、神話と古代の天皇を除き、令外官の征夷大将軍を設置してからは、天皇が統帥権を行使した「歴史的経験則」をわが国は持たない。
したがって、天皇の統帥権は歴史的経験則を欠くことから適切に運用することができず、軍部大臣現役武官制などの制度利用に加えて、結果的に「戦争に勝つ能力のない軍人」を親任することとなった。次に制定された日本国憲法に至っては、「平和主義」という思い付きも甚だしい「歴史的経験則の欠如」を採用するに至る。
イギリスの憲法は「国家権力の規制」にその存在目的があるが、ドイツ式憲法は本来の憲法の意味とは異なり「国家がすべきこと」を定めている。そこに「国権の規制」という主目的は副次的である。これは、帝国憲法よりもはるかに歴史的経験則を欠いた日本国憲法も同じである。日本国憲法第9条のように、一体わが国のどこに「女性が拉致されても国家は救出してはならない」という経験則があるというのだろうか。
このように、憲法とは本来「歴史的経験則」が何らかの形で成文化されたものをいい、例外的に「歴史的経験則の無い新興国」の場合は、思い付きで考え出されたものが制定される。では、来たる改憲に向けて、私たちはどのような基準でその判断をすべきだろうか。
そこで、神聖ローマ帝国に参加していた諸王国を統一したドイツ帝国の方式こそ、各藩があった大日本帝国の状況に近似していたため、これを参考にした。大日本帝国の起草者たちはそれでも「日本の慣習とは何か」という抽出作業に邁進し、結論として天皇がすべてに共通する経験則であるとしたことまではよかったが、一つの「思い付き」を憲法に盛り込んだ。
それは、天皇大権に統帥権をもたせたことである。これは、帝国憲法制定の12年前に西郷隆盛ら文民の政治家が統帥権を濫用して内乱を起こしたことから、今後の内乱を防ぐためにも統帥権を天皇大権に含ませたものと推認できるが、「天皇の統帥権」は、残念ながら日本の歴史的経験則にない「思い付き」であった。誰もが知る通り、神話と古代の天皇を除き、令外官の征夷大将軍を設置してからは、天皇が統帥権を行使した「歴史的経験則」をわが国は持たない。
したがって、天皇の統帥権は歴史的経験則を欠くことから適切に運用することができず、軍部大臣現役武官制などの制度利用に加えて、結果的に「戦争に勝つ能力のない軍人」を親任することとなった。次に制定された日本国憲法に至っては、「平和主義」という思い付きも甚だしい「歴史的経験則の欠如」を採用するに至る。
イギリスの憲法は「国家権力の規制」にその存在目的があるが、ドイツ式憲法は本来の憲法の意味とは異なり「国家がすべきこと」を定めている。そこに「国権の規制」という主目的は副次的である。これは、帝国憲法よりもはるかに歴史的経験則を欠いた日本国憲法も同じである。日本国憲法第9条のように、一体わが国のどこに「女性が拉致されても国家は救出してはならない」という経験則があるというのだろうか。
このように、憲法とは本来「歴史的経験則」が何らかの形で成文化されたものをいい、例外的に「歴史的経験則の無い新興国」の場合は、思い付きで考え出されたものが制定される。では、来たる改憲に向けて、私たちはどのような基準でその判断をすべきだろうか。
イギリス式憲法を導入せよ
明治初期には分断されていた日本であったが、その後に施行された帝国憲法と日本国憲法は、一つの素晴らしい効果を日本にもたらした。それは、「日本人の経験則」の統一である。
大東亜戦争という国家総力戦を戦い抜くためには、分断があってはならない。そこで、単に法的統一のみならず、実体として日本人の統一が図られた。たとえば、現在でも妊婦に交付される母子手帳は大東亜戦争貫徹の国策のために導入された制度であり、今日では北海道から沖縄まで妊婦は母子手帳の交付を受け、各時期の児童健診で障害や疾病を早期特定して治療することができる。一見すると憲法とは無関係に見える「母子手帳」も、「日本の妊婦は国家から出産・育児まで保護を受けることができる」といった意識を芽生えさせることに成功し、日本人の統一に貢献したといえる。
大東亜戦争という国家総力戦を戦い抜くためには、分断があってはならない。そこで、単に法的統一のみならず、実体として日本人の統一が図られた。たとえば、現在でも妊婦に交付される母子手帳は大東亜戦争貫徹の国策のために導入された制度であり、今日では北海道から沖縄まで妊婦は母子手帳の交付を受け、各時期の児童健診で障害や疾病を早期特定して治療することができる。一見すると憲法とは無関係に見える「母子手帳」も、「日本の妊婦は国家から出産・育児まで保護を受けることができる」といった意識を芽生えさせることに成功し、日本人の統一に貢献したといえる。
つまり、大日本帝国のように初期は各藩の分断があり、中期には異民族を併合した多民族国家となり、イギリスのように徹底した分離政策をしない状態では「経験則の共有」は不可能であったが、大東亜戦争という国家総力戦を経験し、経験則が異なる異民族の分離にも成功したこの「日本国」は、いままでのどの時代よりも「日本人としての経験則が共有されている時代」だと考えられる。
そこで、ドイツ式の憲法を再び導入すべき謂れはない。いまこそ、本場の憲法であるイギリス式の憲法を導入すべきである。
そこで、ドイツ式の憲法を再び導入すべき謂れはない。いまこそ、本場の憲法であるイギリス式の憲法を導入すべきである。
「道理」と「先例」
イギリス憲法典の重要な一部を占めるマガナ・カルタとほぼ同時期に、日本では御成敗式目が制定された。これは、イギリス式憲法と全く同じと言っても良いほどの性質があり、国家権力を規制する目的で制定されている。つまり、恣意的な裁判など国家権力の不正な行使を禁止または抑制していることである。
では、何を根拠にして国家権力を規制しているのか。イギリス憲法とは「同意と先例」によって国家権力を規制することにした。つまり、国家権力の恣意的な権力行使は議会や裁判所による「同意」(最大多数の人々による同意)が必要であり、統治される側の同意がなければ権力は行使できないとの精神を憲法で定めている。
一方、御成敗式目が制定された当時の日本にとっての「国権を規制する根拠」とは何か。それは、「道理と先例」である。御成敗式目起草者による「泰時消息文」には、次の重要な一文があるので引用したい。
『さてこの式目をつくられ候事は、なにを本説として被注載之由、人さだめて謗難を加事候歟。ま事にさせる本文にすがりたる事候はねども、ただ道理のおすところを被記候者也。』
先例に従い、国家権力を規制することは日英共々共通している。本論が繰り返し述べた「成功した経験則」のことである。しかし、イギリスが「同意」を重要視したのに対して、わが国は「道理」を重要視した。実は、「同意」と「道理」は言葉が違うが、「道理」とは「道理でそう思う」という言葉の用法の通り、「誰もが納得できること」すなわち「誰もが同意できること」を意味する。
では、何を根拠にして国家権力を規制しているのか。イギリス憲法とは「同意と先例」によって国家権力を規制することにした。つまり、国家権力の恣意的な権力行使は議会や裁判所による「同意」(最大多数の人々による同意)が必要であり、統治される側の同意がなければ権力は行使できないとの精神を憲法で定めている。
一方、御成敗式目が制定された当時の日本にとっての「国権を規制する根拠」とは何か。それは、「道理と先例」である。御成敗式目起草者による「泰時消息文」には、次の重要な一文があるので引用したい。
『さてこの式目をつくられ候事は、なにを本説として被注載之由、人さだめて謗難を加事候歟。ま事にさせる本文にすがりたる事候はねども、ただ道理のおすところを被記候者也。』
先例に従い、国家権力を規制することは日英共々共通している。本論が繰り返し述べた「成功した経験則」のことである。しかし、イギリスが「同意」を重要視したのに対して、わが国は「道理」を重要視した。実は、「同意」と「道理」は言葉が違うが、「道理」とは「道理でそう思う」という言葉の用法の通り、「誰もが納得できること」すなわち「誰もが同意できること」を意味する。
ここにきて、イギリス憲法典のマグナ・カルタと御成敗式目が同じ立法趣旨を持っていたことに驚かされる。
そこで、本論が憲法改正について望むことは、次の通りである。
「道理と先例に基づく改憲をされたい」
いま議論されている女性宮家や女系天皇が先例にあっただろうか——いや、ない。
では、憲法があるから拉致された人々の救出作戦ができないという理屈に道理があるだろうか——いや、ない。外国軍隊が領海を我が物顔で通航しているのを見過ごすべきだろうか——そんなことは断じてない。
日本国憲法がさまざまな矛盾を抱えている要因は、すべて「道理と先例」を度外視した立法がされているからである。
冒頭で述べたように、安倍晋三前総理が「帝国憲法や日本国憲法は一般国民がかかわることなく制定されたが、今回の改正は国民投票という一般国民によって制定される」とは、まさに普遍的同意をもたらす「道理」を意識したものではないだろうか。
道理と先例に基づき、憲法改正が為されることを本論は強く望む。
そこで、本論が憲法改正について望むことは、次の通りである。
「道理と先例に基づく改憲をされたい」
いま議論されている女性宮家や女系天皇が先例にあっただろうか——いや、ない。
では、憲法があるから拉致された人々の救出作戦ができないという理屈に道理があるだろうか——いや、ない。外国軍隊が領海を我が物顔で通航しているのを見過ごすべきだろうか——そんなことは断じてない。
日本国憲法がさまざまな矛盾を抱えている要因は、すべて「道理と先例」を度外視した立法がされているからである。
冒頭で述べたように、安倍晋三前総理が「帝国憲法や日本国憲法は一般国民がかかわることなく制定されたが、今回の改正は国民投票という一般国民によって制定される」とは、まさに普遍的同意をもたらす「道理」を意識したものではないだろうか。
道理と先例に基づき、憲法改正が為されることを本論は強く望む。