国内最大規模のサイバーテロ

 動画配信サイト、ニコニコ動画がランサムウェアによる攻撃を受け、サービスを停止してから1カ月が経とうとしています。

 ニコニコ動画を運営する株式会社ドワンゴはKADOKAWAの完全子会社。サイバー攻撃はKADOKAWAグループ全体に及んでおり、出版事業における物流は言うに及ばず、書籍の制作、刊行にも影響を及ぼしているという有様です。
 ニコニコはかつての動画を公開するなどサービスの一部を復活させつつ、復旧作業を続けているところなのですが……6月27日、ロシアのサイバー犯罪集団「BlackSuit」がニコニコから1.5TBのデータの窃取を行ったことを公表しました。彼らはドワンゴ経営陣の自動車免許証の画像などをダークウェブ上でアップし、データの身代金の支払いを要求してきたのです。

 7月2日には再びデータのリークが行われ(これはおそらく、ドワンゴ側が支払いに応じなかった結果だと想像できます)、そこにはドワンゴが運営する通信制高校・N高等学校の生徒やVTuberについての個人情報なども含まれていました。
 KADOKAWAはこうしたデータの拡散、共有などをせぬよう、また、悪質な行為には法的措置をとるとも発表していますが、正直、一度広まった情報は、物品とは異なり回収のしようがないのが実情です(もちろん、怪しいデータの安易なダウンロードはマルウェア感染などのリスクにもつながるので、そうしたことはしないのが賢明であることは、言うまでもありません)。

 ともあれ日本では最大規模であろうサイバーテロ、情報の漏洩(ろうえい)騒動であり、より以上の個人情報の漏洩があるのか、またそれらに対する補償はどうなるのか、これからまたニコニコが復活できるのか、復活したとして利用者の激減は避けられないのではないかなど、状況は暗澹(あんたん)たるものです。
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復旧はいつになるのか(X「ニコニコ公式」より)

ニコニコは日本の自由の砦?

 さて、一方でニコニコ動画については、事件の前から批判の声が囁(ささや)かれていました。この数年でYouTubeに水を開けられ、オワコン(流行遅れ)扱いをする人も、少なくありません。実際、YouTubeがあるのだから、ニコニコのことなどいいではないか、といった声も囁かれています。

 例えば、YouTubeからはヒカキンをはじめとして、多くのYouTuberが誕生しました。もちろん、ニコニコからも初音ミクといったヴォーカロイド、また元はボカロP(プロデューサー)として登場したシンガーソングライター米津玄師(よねづけんし)なども誕生しています。ただ、それもまた、YouTubeに比べれば小粒だとか、それを含め、そもそもニコニコそのものが全体的にオタクっぽいのだと言われたりもしているのです。

 しかしそれでは、本当にニコニコがなくなっても、これからのネット文化に変わりはないのでしょうか。
 いえ、ぼくにはこのニコニコこそがネット文化の、いえ、日本の自由の砦(とりで)だったのではないかと思えるのです。
 さすがに大げさに思われるでしょうか。

 順を追って説明していきましょう。
 ニコニコ動画をYouTubeと比べた時、まず一番の違いは「視聴者のコメントがリアルタイムで画面上に流れる」機能があるところでしょう。これだけでも大きなアドバンテージであり、ぼく個人としては、こうもYouTube一強の状況になること自体が、意外でもありました。

 これは単純に、動画に対して「ツッコミ」を入れる機能であり、みんなでわいわい盛り上がりながら動画を観ることが楽しいわけなのですが、その意味あいは存外に大きいのです。
 2012年、AKB48の総選挙番組の放送権が、(ネットにおいては)YouTubeに売られたということがありました。これはしかし、単純にニコニコよりYouTubeの方が視聴者が多いといった話ではないのではないか、とオタク評論家の岡田斗司夫氏が指摘しています。先に挙げた「ツッコミ」機能をこそ、秋元康氏が脅威と感じていたということなのではないか、というのです。ニコニコだと番組の配信中、アイドルのスキャンダルについてや罵倒(ばとう)のコメントもついてしまいかねないのですから。

 鳥越俊太郎氏も2016年、都知事選に出馬しながらニコニコ生放送の候補者討論会に出演しなかった件について、ハフポストのインタビュー記事で「僕はニコ生は基本的にメディアとして認めていない、悪いけど。あんな文字がどんどん画面に出てくるようなところに出たくないですよ。あんなのおかしいじゃないですか」と答えていますが、これも同様の理由によるでしょう。

 もう一つの大きな違いは検索機能です。キーワードで検索するとニコニコでは一応、タグにそう記されている、ないしタイトルや説明欄にキーワードの記載のある動画がフラットに表示されます。
 ところがYouTubeでは、ここが極めて恣意的なのです。ネット上には「YouTube検索で(自分の動画を)上位表示させる方法」といった主旨の記事が、いくつも転がっています。
 要するにこの「検索」結果は運営側の胸三寸であり、YouTuberが動画をバズらせたければ、運営様の顔色をうかがうしかないのです(ただし、今試してみるとかなり改善されていて驚きました。ちょっと前まではキーワードで検索しても5~6の関連動画が表示されて終わりで、その次にはそれこそヒカキンの動画や何か、関係のないものが表示されてしまっていたのです)。

開かれた視聴者からの「ツッコミ」

 もうおわかりかと思いますが、ニコニコではある程度、自由な情報の発信が許されている。それは動画投稿者に対してもそうなのですが、何より視聴者の「ツッコミ」に対して開かれているというところが大きいのです。

 先にニコニコはオタクっぽいという評をご紹介しました。オタク文化とは何かとなるとなかなか定説もありませんが、一つには80年代、テレビメディアというものに対してリテラシーを持った差し詰め「テレビネイティブ世代」がテレビにツッコミを入れ始めた、例えば子供向けアニメに深いテーマを見出したりしたことが、始まりだと言えます。
 その意味でニコニコは確かにオタク的なのですが、しかしだからこそ、例えばですが『チャージマン研!』といったアニメのブームが起こったりもしたのです。これは70年代に放映されていた(当時の目から見てもすでに)古くさい、クオリティ的にも正直あまり評価できない作品なのですが、それがあまりにシュールで、いっそギャグに見えてしまう。それが(ことにコメントつきで観ると)面白い、というわけです。

 この『チャージマン研!』ブームは当時の声優さんを探し出し、話を聞きに行ったり、また劇中で名前だけが登場した(つまり実在しない架空の)曲である『バカっちょ金魚』がファンの手によって実際に制作、ニコニコに投稿され、ついにはカラオケで配信されるといった広がりも見せました。そもそも古いアニメ作品をアップロードすること自体が(著作権などにおいてさまざまな問題もあるので、手放しでは肯定できない一方で)、本来なら歴史の影に埋もれて顧(かえり)みられなかった文化を発掘するという大きな意義を持っているわけです。

日本のポップカルチャーの終焉

 また、コメント機能で作品に対してツッコんでいる間に、新たなネットジャーゴンが生まれるといった現象も頻繁に起こっていました。それは例えば「こ↑こ↓」など他愛ないものなのですが(動画中の演技者が「此所」の意味で「ここ」と言ったものの、そのイントネーションがヘンだったがために流行したワードです)、『朝日新聞』が「アベる」という言葉を「流行っているのだ」と強弁して発信するよりは、はるかにいいわけです。
 事実、2016年当時の社民当主、吉田忠智氏が演説で同様のことを言っていたところをニコニコで中継していたのですが、「聞いたことない」「流行ってない」とのコメントが並んだそうです。

 ちなみにこの「こ↑こ↓」は「淫夢」と呼ばれるゲイビデオに登場するフレーズであり、この「淫夢」を愛好するファンは「淫夢厨」「ホモガキ」などと呼ばれ、一大勢力をなしているのです。何しろネット全体で広範に使われる「○○スギィ!」といったフレーズも「淫夢」発のモノなのだから、その発信力は侮(あなど)れません。

 おっと、大前提としてこの「淫夢厨」は基本、ノンケです。つまりゲイビデオをそのケのない者が面白コンテンツとして消費しているわけで、これは著作権の問題もさることながら、同性愛者に対する差別ではないかとの声もあり、確かに誉められたことではありません。
 ですが、少し前であれば漫画誌などでも「ホモに迫られた、ゲッ」というような漫画は頻繁に掲載されていました。それは繰り返すように決して誉められたものではないですが、しかし男性にとっては現実にそうした経験は身近にあるものであり、そうした嫌悪感は、必ずしも否定されるべきものではありません。

 つまり、こうしたコンテンツは「ある意味では自然なものだが、表立ってはしにくい感情の発露の代替」という一面も持っているわけです。「淫夢」もまたそうしたものの一環と言えましょう(だって、これが差別というなら女性向けの「キモい男に迫られた、ゲッ」といったような表現も差別のハズですが、それがいかに大量に、しかも表のメディアで流通していることか、ちょっと考えてみてください)。

 つまり、せめてアングラな場でだけでも延命させるべき表現というものは(まさにポルノのように)この世に厳然と存在しており、ニコニコはそうしたものを全てキャンセルしようとする世界的なポリコレ的趨勢に対抗しうる、日本では唯一のプラットフォームと言えるわけです。

 これはまた、アメリカのポップカルチャーがポリコレに配慮することで勢いを失いつつあるのに反し、日本ではまだ一応、活気があることとも相通じています。これについては幾度も書いているのですが、一例として「市場原理無視の"LGBT迎合"はコンテンツの自殺行為だ」を参照していただければ幸いです。
 このことは、ITジャーナリストの宮脇睦(あつし)氏も指摘していて、「誹謗中傷や罵詈雑言(ばりぞうごん)、差別的な表現を流通させることのできるのはニコニコだけ」「ニコニコの終了は日本のポップカルチャーの終了にもつながりかねない」とおっしゃっていました。

 本件はいまだ不明点が多く、犯行声明を出した「BlackSuit」はロシア系と言われているものの、それも確かなことではありません(単純に詐称しているだけの可能性もあるでしょう)。
 犯人たちの目的も純粋に金銭目的の可能性が高く、政治的な意図(つまり、反ポリコレであるニコニコを疎ましく思ったというような)があったと判断するのは早計でしょう。

 しかし、それは措いても、いずれにせよニコニコ動画が潰(つい)える時、日本の損失は大きいと言わざるを得ないのです。
兵頭 新児(ひょうどう しんじ)
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
「兵頭新児のnote」を運営中。

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