ナザレンコ・アンドリー:五輪阻止失敗の左派

ナザレンコ・アンドリー:五輪阻止失敗の左派

次は「問題だらけ」ということで貶める予定-
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新型コロナという「神風」で五輪中止を目論んだ左派

 7月23日、東京オリンピックの開会式が無事に開催された。多くの国民に感動と喜びを与えたイベントであると同時に、〝特定の思想〟を持つ方々がずっと目の敵にしてきたイベントでもある。そう、安倍前首相の言葉を借りれば、「歴史認識などにおいても一部から反日的ではないかと批判されている人」のことだ。彼らは2020年のオリンピックが東京に決まった時から世界に向けて反日プロパガンダを拡散し、「こんな国は開催国に相応しくない」と主張しながら、あらゆる手段を用いてオリンピックを潰そうとしてきた。だが嬉しいことに、その試みは失敗した。

 なぜ反日勢力は、これほどまでに五輪にこだわっているのだろうか。

 それは今回の東京五輪を安倍前首相が招致し、無事開催を成し遂げるために全力を尽くしたという理由が大きいと思う。安倍氏の総理辞任からほぼ1年が経った今なお、いまだに野党支持者は安倍前首相に凄まじい恨みを持ち続けており、ことあるごとにツイッターなどで誹謗中傷を繰り返している。憎しみの塊である左派からすれば、「オリンピックを潰すこと=安倍前首相の夢を潰すこと」でもあり、それこそが東京五輪を潰すことに必死になっている一つの要因になっている。

 二つ目の理由は、そもそも左派が抱えている体質にあると思う。かねてより左派は、国際社会における日本の地位を下げようと活動をしてきており、中国・韓国の主張を鵜呑みにして代弁したり、日本の粗探しをすることで「日本は先進国ではない」というプロパガンダをしつこく唱え続けている。しかし今回の東京五輪を機に世界中の人が日本を訪れれば、その「日本下げ」がいかに現実とは無縁なものかバレることになる。だからこそ、日本のイメージアップを阻止するために、日本の実力を世界にアピールする機会を中止に追いやろうとしたのだろう。

 改めて言うまでもないが、国内外問わず反日勢力が最も嫌うのは「日本人の団結力」だ。何百万人もの人々が日章旗を頭上に掲げ、勝利の喜びと敗北の悲しみを共に共有し、分かち合いながら自国「日本」を応援する光景を彼らは許せないはずだ。

 考えてみれば、2013年からずっと東京五輪を中止に追い込む方法を考えていた反日勢力にとって、新型コロナウイルスはまさに「神風」に思えただろう。だからこそ、彼らは新型コロナの感染拡大を政治利用することで、国民自身に中止の声を上げさせるような世論誘導を試みた。だが彼らにとって、新型コロナが単なる道具に過ぎないことは、考えればすぐわかることだ。なぜなら、彼らは国内外で他のスポーツイベントが有観客で行われていることを同じテンションで糾弾していないし、感染拡大を煽っている身でありながら、彼ら自身デモ活動を自粛する姿勢を見せない。それどころか、ただでさえ多くの人で溢れかえっている新宿駅前にも大勢の仲間を集め、極めて「密」な状況で五輪反対デモを平然と行っていたわけだ。

 彼らが本当に感染拡大を危惧して反対デモをしているのか、それとも、それはあくまで建前で、本当は「日本がコロナに打ち勝った」と世界にメッセージを発信することを阻止し、菅政権の足を引っ張ることが目的なのか——どちらかは、考えるまでもないだろう。

 本当に感染拡大を危惧しているのなら、新宿という人口密集地にさらに人を集めてデモを行うなど考えられない。本末転倒どころか、むしろ「これだけ人が集まって(密集して)、デモ活動をしても問題ない」と人を集めてのイベントを問題ないと自ら証明しているようにも感じる。
ザレンコ・アンドリー:五輪阻止失敗の左派

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新宿で行われた東京五輪の開催中止を訴えるデモ隊。「東京五輪の開催=被災地を見殺しにする」という謎のロジックも
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五輪中止の次は「残念な東京五輪」

 そうして東京五輪を中止にできなかった彼らは、今度は印象操作によって「問題のある残念なオリンピック」と大会運営に風評被害を与えることを狙っている。すでに、とてもわかりやすい印象操作が行われている。

 たとえば開会式前、野党の政治家たちは何度も「五輪と人命、どちらが大切なのか」と国民の見方を露骨にアピールする表現を用いて、政府関係者を言葉巧みに攻めてきた。ここで一つ疑問なのだが、彼らは最近のコロナ死亡者数の報道をどの程度までチェックしているのだろうか。東京の場合、一時的(2021年2月3日)に32人まで増えていた1日あたりのコロナ死者数は、2021年7月に入ってからは最大で5人(7月10日)で、0人の日も少なくない。これは、ワクチン接種が急速かつ円滑に行われている証拠だろう。つまり「五輪か人命か」という正義を気取った二択以外にも、「人命を守りながら五輪を開催する」という選択肢があったことが証明されたことになる。
※コロナ死者数のデータはNHKウェブサイトより

 すると、今度はマスコミが一斉に「人の命がー」キャンペーンを止め、死者数や重症化に触れることなく、感染者数ばかりを報道することに徹するようになった。まるで「良い数字(情報)が見えない病」にでもかかっているのでは、と思ってしまうほど不思議(異常?)な現象である。

 実は病気関連の統計において、感染者数は最も無意味な数字だ。イギリスでも感染者が増えているものの、死亡者数や重症化数が下がったことを受けて、コロナ規制の大半が解除された。当たり前の話だ。なぜなら新型コロナは重症化しなければ、ハッキリ言ってインフルエンザのようなものだし、ロックダウン(都市封鎖)による被害・損失の方が何十倍も大きいからだ。無意味な数字を過剰に問題視することで、日本のイメージを損なうことも彼ら左派の一つの戦略なのである。

 実際、嘉悦大学の髙橋洋一氏が各国の感染者数をグラフにしたデータを提示して、日本の感染者数は「さざ波みたいなもの」とデータに基づく事実を発言したにもかかわらず、彼らは「数字」という事実ではなく「発言」だけを取り上げ問題に仕立て上げた。その結果、髙橋氏は内閣官房参与を降りることになった。

中国の大量虐殺・北京五輪に反対しない左派

 さらに、もう一つ戦略がある。野党の十八番である「スキャンダル探し」だ。「女性は話が長い」と発言し、一部の人に不快に思われた(実際には女性を褒めている発言を切り取られた)ことで辞任した森喜朗氏の件も記憶に新しいが、開会式直前に他の五輪関係者のスキャンダルが次々に出てきた。25年以上前に障害者差別をしていた作曲家の小山田圭吾氏、自伝に「教師イジメ」自慢を書いており、児童ポルノを助長するような不適切なツイートに「いいね」をしていた絵本作家ののぶみ氏、1998年にホロコーストをネタにしたコントをしていた元お笑い芸人の小林賢太郎氏……その当時も、五輪開催前までもあまり追及されていなかった問題が、さまざまなマスコミに取り上げられるようになり、当事者である本人たちは右からも左からも総バッシングを受けることになった。

 彼らの行ったことを肯定する気もかばう気もない。ただ、いまになって彼らの過去の問題が途端に次々と取り上げられていることに不自然さを感じているのは私だけではないだろう。

 もちろん日本国内で大騒ぎになっていることには、海外メディアの関心も向く。ここで一つの予測ができる。おそらく、今後も定期的に五輪関係者の不祥事が大きく取り上げられる。関係者は何万人といるし、小山田氏のように数十年前の出来事まで批判の対象になるのだから、左派お得意の粗探し能力を駆使すれば、いくらでも問題が見つかる余地はある。そうなると、国民と世界の関心は五輪(スポーツ)ではなく、スキャンダルに向くことになり、結果的に「東京五輪は問題ばかりの汚らわしい大会だった」という印象を、五輪終了後もマスコミによって植え付けられる。今の彼らの狙いは、そこにあるのだ。

 なぜ反日勢力にとって、差別された被害者(障碍者)の気持ちや社会正義よりも、東京五輪に泥を塗ることの方が大事なのか。その答えは、「不祥事」のレベルをはるかに超え、現在進行形で特定の民族の大量虐殺・思想改造を行っている中国が次の五輪主催国になることに、彼らが反対の声を上げていないことでわかるだろう。もし本当になによりも人命を重んじる気持ちがあるのなら、東京五輪など無視する勢いで、まずは中国による大規模な民族浄化を批判するだろうし、そのような歴史上で最悪ともいえる大量虐殺をスルーできるはずがないだろう。

 このようなダブルスタンダード(二重規範)・矛盾だらけの五輪反対派に騙されるのは恥ずべきことだ。すでに脳科学者の茂木健一郎氏をはじめ、普段政権批判が目に付く方々のなかからも、熱狂的五輪叩きをしているノイージー・マイノリティー連中の異常さに気づいている方々もいる。五輪を夢見てプロのスポーツ選手になることに人生を賭けた世界各国のアスリートのためにも、東京五輪を全力で盛り上げるべきだ。
gettyimages (7451)

いつの時代もアスリートあっての五輪だ
ナザレンコ・アンドリー
1995年、ウクライナ東部のハリコフ市生まれ。ハリコフ・ラヂオ・エンジニアリング高等専門学校の「コンピューター・システムとネットワーク・メンテナンス学部」で準学士学位取得。2013年11月~14年2月、首都キエフと出身地のハリコフ市で、「新欧米側学生集団による国民運動に参加。2014年3~7月、家族とともにウクライナ軍をサポートするためのボランティア活動に参加。同年8月に来日。日本語学校を経て、大学で経営学を学ぶ。現在は政治評論家、外交評論家として活躍中。ウクライナ語、ロシア語のほか英語と日本語にも堪能。著書に『自由を守る戦い―日本よ、ウクライナの轍を踏むな!』(明成社)がある。

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