橋本琴絵:東京五輪の成功を心から願う!

橋本琴絵:東京五輪の成功を心から願う!

何故"直前"に問題が噴出するのか

 明日(2021年7月23日)に東京オリンピック開幕を控えた今、直前になって、またもやさまざまな問題が起きた。

 開幕式楽曲担当の小山田圭吾氏が四半世紀以上前に障害者差別していたことが今になって注目されたことや、パラリンピック文化式典に参加予定だった絵本作家のぶみ氏に過去33回の逮捕歴があったこと、また先天性疾患のある児童に対して不適切な主張をしていたことが今になって取り上げられたことなどだ。

 それぞれの内容は衝撃的なモノではあったが、過去の行為は前からわかることでもあるにも関わらず、なぜ「今」発見されたのか。もちろん、なかにはメダル授与表彰式の衣装を担当した山口壮太氏が過去に「ジャップ」と命名されたブランドを立ち上げるなど、深刻な人種差別思想が明らかになったように看過できない事情も内包するが、「反対論」というものは、どこまでも掘り下げれば自在につくり上げることができるものである。その背景にあるものは、国民の分断と我が国の国力減退を狙うものであろう。

昔から連綿と続く「反対論」

 東京オリンピックは、今回で3度目となる。昭和15年予定の東京オリンピックは返上したものの開催番号はそのままであるため「みなし開催」とされているので同回を最初とすると、次に昭和39年の東京オリンピック、そして今回の令和3年東京オリンピックとなった。

 過去を振り返って「オリンピック反対論」の歴史を紐解くと、独創性に溢れた批判の数々を見出すことができる。

 宮内庁は7月20日、23日夜に開催されるオリンピック開会式典に天皇陛下がご臨席されることを発表した。これは、昭和39年の東京オリンピックで昭和天皇が開会宣言をされたように、オリンピック名誉総裁にご就任された陛下として、自然なことであると今日の私たちは感じる。しかし、昭和15年に開催予定だった東京オリンピックでは、まず「天皇陛下の開催宣言」にすら反対論が述べられていた。そこで、河野一郎衆議院議員による反対論を次に引用したい。
 「我が国で開会致しまする場合には、天皇陛下に御臨御を御願致しまして、天皇陛下御臨席遊ばされまして、此勅語を賜はることになると私は諒承するのであります(中略)各国の過去の実例に依りますと、例えばドイツに於きましては『ヒットラー』、アメリカに於きましても大統領が出席致しまして、此宣言文を朗読致して居ります。我が国の国情に是が合致するや否や、我国の国情に於きましては、斯く云うことは合致せぬと私は考える」(昭和12年3月20日・衆議院予算委員会議録)
 いくら憲法上における天皇の地位が現代とは異なるとはいえ、日本の国家元首であることには違いない。天皇が「神聖不可侵」であることと、オリンピック開会宣言をなされることは何ら矛盾しないため、戦前においても開会宣言を天皇陛下に上奏したものと思われる。
橋本琴絵:東京五輪の成功を心から願う!

橋本琴絵:東京五輪の成功を心から願う!

前回東京五輪時の昭和天皇の開会宣言
via youtube
一般に戦前の東京オリンピック反対論は、昭和12年7月に勃発した支那事変の戦線拡大のため、戦争で消費される物資が増加したため、やむを得ず昭和13年7月15日に近衛文麿内閣が開催返上の閣議決定をしたと言われているが、実は戦争が始まる前から「天皇陛下が開催宣言するのはいかがなものか」という反対論が述べられていたことはあまり知られていない。このように、「反対ありき」という立場からすれば、いくらでも言えるのである。

 そもそも、戦争中だからオリンピック開催国に相応しくなかったという歴史的考察も失当である。支那事変は天皇の宣戦がないため、あくまで「事変」であって戦争ではないが、事変を含めて戦時と言うならば、昭和11年8月に開催されたベルリンオリンピックにおいても、ナチスドイツはスペイン内戦において、同年7月にスペイン領モロッコで蜂起したフランコ将軍を支援するため、コンドル軍団を派遣していた。また、現代においても平成24年に開催されたロンドンオリンピックの最中、イギリスはアフガン戦役に参戦中の戦争当事国であった。つまり、過去より反対論には手段の目的化がみられ、理由があって反対するのではなく、反対のために理由をつくり出すきらいがあるのだ。

新幹線の開通にも「反対」だった人たち

 次は、昭和39年の東京オリンピックの反対論を考察してみよう。政府はオリンピック開催に合わせて、東京の鶯谷にある売春街、いわゆる「赤線地帯」を一掃した。これによって失業する当事者の売春婦たちが反対運動をするならともかく、もともと売春の容認は女性の人権侵害であるとして売春防止法の立法に勤しんでいた社会党が、今度はオリンピックに間に合わせるために無理をしていると政府を批判した。まるで昨年「GoToトラベル政策は感染拡大する」ということで反対し、政府が取りやめたら「旅行業者の雇用はどうなる」と騒ぎだした立憲民主党議員のように、もはや主張に統一性がない。

 また政府は東京オリンピックに間に合わせるため、東海道新幹線の開通突貫工事を急がせていたわけであるが、ここでも社会党の堂森芳夫議員が「一般国民にとりまして、東海道新幹線がオリンピックまでにできようができまいが、あまり関係のないことであります」(昭和38年12月14日・衆議院本会議)と反対論を述べた。もちろん、一般国民は短時間で東京に移動でき、オリンピックを観戦できる新幹線の開通を心待ちにしていたが、そうした事情は無視し、勝手に架空の世論を代弁していたのだ。
橋本琴絵:東京五輪の成功を心から願う!

橋本琴絵:東京五輪の成功を心から願う!

過去には新幹線の開通も「反対論」の論拠に?

日本の分断を狙う「反対のための反対」

 今回の東京オリンピックについても、いわゆる共産党系の人々は新型コロナウイルス感染拡大を理由に挙げて反対論を述べているが、そもそもコロナが蔓延する10年近く昔から彼らはオリンピックに反対していた。第32回オリンピック競技大会及び第16回パラリンピック競技大会東京招致に関する決議案(平成23年12月7日・参議本会議)では、共産党議員6名は全員反対票を投じている。もともと、反対することが党是であった人々が、感染症対策の大義名分を利用しているだけであり、防疫上の目的といった意味はない。

 常識を持ち合わせている人々からすると、真摯な反対論は何か相当な理由があってのことであろうと推認しがちであるが、実際はそうではない。そうした人の心理につけ込んだ支持を取り付けるためのデモンストレーション戦術に過ぎないのだ。
 本来は組織的・団体的な活動にさえも、一般人が自発的に賛同しているかのような外観作出をして政治工作であると本質を偽装する行為を政治用語で「アストロターフィング」と呼ぶ。SNS利用者数が増加した今、組織構成員らによる煽動を「世論」であると偽装しプロパガンダを最も発信しやすい社会になった。だからこそ、現代の私たちは「アンチテーゼ」を主張し続けること自体に存在意義を見出している人々に注意しなければならない。

 その目的は、私たち日本人の分断であるからだ。
 客観的数字として、現在地球上にいる全人類の1.5%以上が日本人である(世界の人口約76億人に対して、日本の人口は約1.26億人)。人類の100人に1人以上が日本人なのだ。しかも、この1.5%は他の人々と違い、共通した言語、文化、習慣を持ち、古来より同一の君主を戴く共同体である。中国のように数字上の人口だけは13億人以上いても、その実態は54以上の異なる民族で、統一言語も普及が不十分で文化習慣も共有されていない地域とは比べ物にならない「団結した人口」を持つのが日本国である。

 その団結は、反日思想を持つ人々の目には脅威に映る。よって、昔からあらゆる手段で私たちの分断を図り、反目させ合うように努力している。その好機が、「コロナに勝利した人類を証する歴史的イベント」となる東京オリンピックに反対することだ。その策謀に乗せられてはならない。トヨタがオリンピック関連の広告を停止したのはあくまで短期的利益追求を目的とする企業の本質ゆえであり、長期的視野に立った国家百年の計は無く、営利法人と政府を同列に論じてはならない。

選手を応援しよう!

橋本琴絵:東京五輪の成功を心から願う!

橋本琴絵:東京五輪の成功を心から願う!

残念ながら無観客開催となった(写真はソフトボール競技の模様)
via twitter
 残念なことに大相撲や野球、そしてオリンピック選手団による「練習試合」は観客席を満たしてよいが、本番のオリンピックは「無観客」となることに決定された。この決定は、コロナの死亡者・重症者が先進各国の中で群を抜いて低く、防疫に実質上勝利している我が国の「成功」を訴えるメッセージ性を減殺させたと言わざるを得ない。科学的数字よりも、前述した「観念的分断工作」に一部屈服した形での開催に強く悔しさを覚える。

 しかし、私は東京オリンピック成功と日本人アスリートの健闘を心より応援したい。それが、健全な愛国心の醸成に資することとなり、我が国の国威発揚を下支えする「国民の成功経験」となると信じるからだ。

 特に、近代五種と言われるフェンシング、馬術、マラソン、水泳、ピストル射撃は国家を守る責務を負う人々にとって必要不可欠な身体能力を内外に示す機会として導入された歴史的経緯がある。今回も、自衛隊と警察から20名以上のアスリートが出場する。日頃の厳しい訓練に耐えた成果を国民に示し、是非ともメダル獲得となるよう、日本人として精一杯応援したい。
橋本 琴絵(はしもと ことえ)
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第五区より立候補。日本会議会員。

関連する記事

関連するキーワード

投稿者

この記事へのコメント

コメントはまだありません

コメントを書く