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【橋本琴絵】薄っぺらいジェンダー攻撃――選択的夫婦別姓は家族破壊政策だ

なぜ、いま夫婦別姓論なのか

 先週、丸川珠代五輪担当大臣が、従前の役職であった男女共同参画社会の担当相として自民党地方議員に対し、「夫婦別姓決議に賛成をしないように」と連名で呼びかけたことにつき、BBCニュースなどが「男女平等の実現にあるまじき行為」と非難を加え、本邦リベラル系新聞各社も一斉に批判的報道を始めた。

 なぜ、いま夫婦別姓なのか。それは、最高裁は夫婦同氏合憲の判決を下しているが(最判平成27年12月16日)、昨年12月に夫婦同氏違憲確認訴訟を大法廷で審理することを決定したことに因る。最高裁の判事全員が参加する大法廷での審理とは、それまでの判例を覆す可能性があるときに為される。つまり、いま夫婦別姓が高らかに叫ばれる理由は、明らかに最高裁判事への政治的圧力を加えようとする狙いがあると思料される。

 もっとも夫婦別姓の主張が合理的理由をもって社会発展に資するのであれば一応の傾聴に値するが、その実態はどれをみても日本人の文化に対するヘイトであり、感情論の域を出ない。

 たとえば前掲最判(平成27年12月16日)は、次の理由を述べて夫婦同氏が合憲であると判断を下した。

「夫婦同氏制の下においては、子の立場として、いずれの親とも等しく氏を同じくすることによる利益を享受しやすい。夫婦がいずれの氏を称するかは自由な選択に委ねられている。
夫婦同氏制は、婚姻前の氏の通称使用を許さないものではなく、婚姻前の氏を通称として使用することが社会的に広まっている」

 しかし、この「裁判官の多数の意見」に反対し、5名の最高裁判事(当時)が、夫婦同氏は違憲であると主張したので次に要旨を紹介したい。

 岡部喜代子、櫻井龍子、鬼丸かおる各判事は、
「いまはインターネット等で氏名が検索されるため婚姻前からの氏使用の必要性は高く、憲法違反だ」と主張した。しかし、旧姓で検索すれば良いだけの話であり「社会では旧姓使用が認められている」という事情を無視しているため、論理破綻している。

 また木内道祥判事は、
「変更前の氏の人物とは別人と思われるため重大な利益侵害だ」と述べた。しかし、これは社会で旧姓の通称使用が認められていないとする架空の前提を基礎にした主張で、そもそも虚偽と言える。

 そして山浦善樹判事は、
「世界の多くの国において夫婦同氏の他に夫婦別氏が認められている」と他国の制度を理由に日本の制度を否定した。しかし、他国で核武装がされているから日本がしていないのはおかしいといった理屈を同裁判官は絶対に主張しない。

 結局のところ、さまざまな理屈をつけているが、その本質は「日本人に対する憎悪感情」を動機にしたものであると評価できるため、その主張にはいずれも合理的理由がない(なお当該違憲論を法廷で主張した判事5名は既に退官している)。

 そこで本論は夫婦別姓にまつわる諸議論の本質を取り上げ、それが日本の国益に反すること、ならびに歴史的経緯と夫婦別姓の狙いについての論考をもって、保守同志諸君に「なぜ夫婦別姓論は日本人に危害を加える目的があるといえるのか」、その理由を説明するものである。

①夫婦別姓論の特徴

 漢字の「姓」とは、意味が複数ある。「カバネ」とも読めるし、「セイ」とも読める。この「セイ」という読み方にも意味が二つあり、英語でいう〈Family name〉と〈Blood name〉がある。

 夫婦別姓の主張は、議論の対象となっている〈Family name〉と、すでに現代日本では使用されなくなった血族集団への帰属をあらわす〈Blood name〉を峻別していない。むしろ意図的に混同して使っている。このため、当初から別姓である内縁と同氏である法律婚を峻別していないという特徴がある。これは言ってみれば、肉体関係のある彼氏・彼女が別姓であった事実をもって「日本は昔から夫婦別姓だった」と大学教授や官僚が主張しているということだ。

 では、そもそも〈Family name〉とは何か。

 出自の血族集団をあらわす〈Blood name〉は、名前の通り血族であるから、それが使用されていた時代は、絶対的に変更は許されなかった。対して〈Family name〉は夫婦という最小単位の生活を維持するために必要な経済基盤である土地家屋ないし動産などの家産、また近世になると商標や屋号といった知財権などの所有権をあらわすものとして発達したものである。

 〈Blood name〉を依然使用していたら、筆者の本当の名前は「橘朝臣橋本琴絵」ということになる。「橘朝臣」が〈blood name〉であり、出生後変更されることはない。「橋本」が〈Family name〉であり、結婚や養子縁組で変更される。「琴絵」が個人の名前である。

 然るに夫婦別姓論の支持者は〈family name〉が存在しない古代に、〈blood name〉が夫婦別姓だから昔から日本は夫婦別姓であるとか、内縁の妻をもちだして日本は昔から夫婦別姓であったなどと虚偽を言い続けているから悪性がきわめて強い。

 家族とは、異なる血族集団から男女双方または一方が分離して結ばれた実体上の生活単位をいう。従って、この生活を維持するための独立した経済的基盤とそれに伴う表示が必要となる。そこであらわれたのが「名字・苗字」という〈Family name〉だった。
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②所有権の確立と名字・苗字

 古代、人類社会は「所有権」を確立していなかった。しかし、時代の変遷とともに法体系が整備され、私有財産の国家的承認が人々の経済活動を刺激し、社会の発展に資することに気づいた為政者は、それまで動産(家畜・奴隷・宝石など)のみ認めていた私有権を土地に対しても認めたのである。これを物権という。

 我が国では当初、豪族たちが奴隷と土地を所有していたが、その所有権に法的根拠が無かったことから強奪を目的にした紛争が多発した。そこで皇地皇民制が導入され、土地は天皇の所有となった。

 しかし、何をしても自分のものとならないことから人々の経済活動の意欲を減退させたため、743年に墾田永年私財法の施行によって土地の私有権が法的に確立され、自ら開発開墾した土地は自らの子孫に相続させることが可能になった。

 こうして、有力者は浮浪人を集めて農奴として使い、大規模に未開地の開発をした。これを後に大名田堵といい、土地を名(みょう)、名田(みょうでん)と言うようになった。大名田堵が開発した田畑を巡り、多くの武力紛争が展開され、多くの名田を獲得した者が守護大名となり、中には島津氏のようにそのまま戦国大名へと成長したのである。

 では、これと夫婦同氏の何が関係するのだろうか。

 前述したように、夫婦とは人間が集団で生活する最小単位であり、日常の生活を送る上の経済基盤を必要とする。それが土地家屋であり、家畜、奴隷、貴金属宝石、美術品、そして近世には屋号や商標などの知的財産権である。

 新しく農地を開墾して生産する労働力は妻と、その妻が産んだ子である。そして、その農地と作物を防衛する兵力は妻の産んだ男子だ。寺社などの宗教勢力が信仰心を使って労働させた例もあるが、基本的には「夫婦」を単位として土地の開墾と防衛が為されたのである。夫婦がそこにいなければ、労働力と軍事力の確保は不可能であった。

 そこで、743年に私有財産の権利が法制化されると、757年には養老律令で「法律婚」である妻(嫡妻)と、任意関係の妾を区分し、その相続分が異なることを定めた。(戸令応分条)律令の「律」すなわち刑法にあたる部分の戸婚律は時代を経るとともに散逸して現代ではその内容はわからないが、行政法にあたる「令」の部分は伝えられているため、法律婚を保護する目的があったものといえる(実際に「夫婦別姓」〈Blood name〉が記載されている古代の戸籍は、不動産の私有財産(物権)が認められる以前に編製された戸籍である)。

 すなわち、夫婦共有財産の私有財産が、夫婦のいずれかが死亡した際、誰へどのように帰属するのか確定する「公示性」が社会的に必要とされたのである。逆に、世界初の夫婦別姓政策を施行した国が私有財産を否定するソ連であったことは、偶然ではない。

 つまり〈Blood name〉を根拠にして、なんら共同生活の実体がない親族が出てきて、誰かの死亡時に血族であることを理由にして財産を持ち去ってしまえば、残された家族が困窮して最悪死亡する。そこで、血族とは別にして、実体上の共同生活を営む集団生活の単位を明確にする「公示性」が必要とされた。それが、「名字苗字」という〈Family name〉なのである。

 明治初期の近代国家の枠組みを形成する時期においても、たとえば明治8年11月9日内務省伺が「婦女他家に婚嫁後は終身実家の苗字を証すべき分に従う筈のもの故婚嫁後は婿養子同一に看做し夫家の苗字を終身称すべきか。」と婿入婚の夫婦同氏と同様に嫁入婚も同氏とすべきか問いただした際、明治9年3月17日太政官指令の回答は「伺之趣婦女人に嫁するも仍所生の氏を用ゆべき事。但し夫の家を相続したる上は夫家の氏を称すべき事。」(法令全書明治九年1453頁)であると夫婦同氏を定め、夫婦別氏を相続権の無い内縁のみ認め(彼氏・彼女の関係は現在も別氏である)、夫婦別氏を根本的に否定したのである。

 一般に別氏であり相続しない夫婦関係は「内縁」だと学説・裁判例は定義する。内縁関係においては同じ氏を称することとはならない。(神戸家姫路支審昭44・3・22家月21巻11号156頁)

 徳川将軍の妻は徳川家の所領を相続する権利を持たない「内縁の妻」であったため、徳川氏を名乗っていないのである。これは現代も同じ制度である。正妻とは複数いる妻のうち最も身分が高いものをいい、法律婚である相続権を持った嫡妻を意味しない。

③夫婦同氏の公示性

 見てきたように、夫婦同氏の目的は生活基盤となる財産の帰属先を確定させる上で法的安定性を守る公示性と、社会的に承認された正当な性的関係を結んだ生活共同体であることの公示性の担保にある。

 まず、選択的夫婦別姓などすれば独身であるとの誤認の余地から不貞の実行可能性が高まり、いま以上に増加するのは目に見えている。そうした「家族機能崩壊家庭」で生育した児童の持つパーソナリティが次世代を担う国民に資するのか。改姓の公示性をもって夫婦間貞操義務の遵守機会を促進しなければならないのである。

 次に、不動産や船舶であれば明治以降は登記によって所有権を証明できるが、現在でも紙幣や無記名債券、家畜、また貴金属や高級美術品といった動産や商標や著作権など知財権であれば占有の事実をもって所有権の証明とする以上、「占有の公示性」が求められる。これに「同じ家族で同じ氏を使い続けてきた生活史の蓄積」という公示性が必要である。住民票所在地が同一であるだけでは、不実記載罪の事件が後を絶たない中、事足りない。

 加えて、夫婦別姓の議論には、「同氏に拠る公示性」を根拠にして行使される夫婦代理権(民法第761条)や、祭祀継承権(民法第897条第1項)との整合性をどのようにつけるのかといった議論がまったく見られない。単純な話、お墓の管理もできず、同氏による公示性に欠けば配偶者宛の書留郵便物の代理受取といった日常生活上の夫婦代理権の行使も、資格証明となる戸籍謄本の提出を要する生活となる。夫婦であることの公示性の担保とは、これらの社会的負担を軽減する。

 なぜ、いま別氏にしたいのかといえば、既存の配偶者への感情的な反発心に立脚し、また婚姻により新たに始まる生活基盤の一体化よりも、婚前の生活基盤を優先させているからに他ならない。その答えは「結婚しなくていい」である。

 以上から夫婦別姓論を俯瞰すると、結局のところ支持者の祖国の婚姻法に対する憧憬をもつ民族運動にすぎない。中韓に「氏」は無い。〈blood name〉の「姓」(カバネ)のみある。

 つまり日本の法秩序の破壊そのものが目的であるから、夫婦別姓の支持とはレイシズムの支持であり、「女性は結婚しても家族にしない」とする女性差別の支持である。「くだらない」の一言に尽きるものであると評価できる。


 以上をもって、次の三点から夫婦別姓を論破されたい。

 1 姓という字の意味には、〈blood name〉と〈family name〉がある。夫婦別姓は既に廃れた〈blood name〉を復活させ、〈family name〉を廃止する目的がある。

 2 〈family name〉は、歴史的に夫婦財産の帰属先を確定するために発展した。不動産は登記できても、宝石や美術品など動産や現金そのものは占有の事実がなければ所有権を主張できない。家族で同じ名前を使い続けてきた生活史の公示性が財産を守る。

 3 中韓には〈family name〉は無い。夫婦別姓論は〈family name〉を廃止へと向かわせ、日本の家族制度を破壊する人種差別思想にその目的がある。

 本論の記載事項を活用し、夫婦別姓の諸議論に勝利することを祈る。
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橋本 琴絵(はしもと ことえ)
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第五区より立候補。日本会議会員。

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