存在し続けること=正しい選択をしてきたということ
18世紀のイギリス哲学者デイヴィッド・ヒュームは主著『人間本性論』(A Treatise of Human Nature)にて、「善」について次のように論じている。それは「存在していること」によって証明されるという。なぜならば、間違った行為をした者はその行為を原因にして消滅するため、現在存在しているということは正しい行為を選択できた証であり、正しい経験則を有していると帰納的に言えるという。
たとえば、イスラム国は女性を奴隷として売買することを認めていた。その非人道的な選択は先進各国の怒りを買い、彼らが地球上に存在することを認容しないとの結論を導き出した。間違った経験則を有していたため、存在することができなかったのである。
一方、我が国の天皇は悠久の歴史を持ち、大東亜戦争の嵐にも耐え、現在も悠然と存在している。これは、正しい選択をした経験則を有していることを証明するものだ。なぜならば、過去多くの王家が地上に乱立していたが、間違った経験則をもっていたため、現在まで存在することが許されなかったのである。
ヒュームはイギリス経験論の代表的な論者であり、イギリス経験論から「保守主義」という政治思想が生まれた。ここにきて、保守主義とイギリス経験論は親子の関係にあり、保守主義を信望する者にとって、「正しい経験則」とは、何よりも魅力的であるといえよう。
たとえば、イスラム国は女性を奴隷として売買することを認めていた。その非人道的な選択は先進各国の怒りを買い、彼らが地球上に存在することを認容しないとの結論を導き出した。間違った経験則を有していたため、存在することができなかったのである。
一方、我が国の天皇は悠久の歴史を持ち、大東亜戦争の嵐にも耐え、現在も悠然と存在している。これは、正しい選択をした経験則を有していることを証明するものだ。なぜならば、過去多くの王家が地上に乱立していたが、間違った経験則をもっていたため、現在まで存在することが許されなかったのである。
ヒュームはイギリス経験論の代表的な論者であり、イギリス経験論から「保守主義」という政治思想が生まれた。ここにきて、保守主義とイギリス経験論は親子の関係にあり、保守主義を信望する者にとって、「正しい経験則」とは、何よりも魅力的であるといえよう。
本来の保守とは「経験を相続」すること
然るに近頃の風潮を見ると、単に国家主義傾向を「保守」と呼び、各々が独自の見解で保守主義を定義している誤謬がある。
ここにきて改めて保守主義の系譜を明徴にしなければならないことを強く感じる。
保守主義とは、最初フランシス・ベーコンが「帰納法」の哲学を確立し、イギリス経験論の礎を建てた。そして、ヒュームが経験を源泉とする道徳の在り方を定義し、最後にエドマンド・バークが政治学の分野にイギリス経験論を適用し、その国家の経験則の「貯蔵庫」である国王を斬首したフランス革命を痛烈に批判した。
バークの主著「フランス革命の省察」では、「世代間の連続性を失ったものはひと夏の蠅に等しい」と述べ、動物と人間の峻別は「経験の有無」にあるとまで断言した。確かに、人間以外の動物は経験を踏襲しないため、原始時代を永久にやり直すのである。「野蛮人の30歳と文明人の30歳の違いはギリシャ文明から連続する叡智を引き継ぐか否かにある」と指摘したのはジョン・デューイである。
一個人が正しい経験則を蓄積し、それを教育によって次世代に踏襲させる連続性を繰り返す。これを文明という。いま私が使っている言語は、一つとして私が発明したものではない。過去との連続性から得た日本語を使っている。
つまり保守主義とは、国家主義や軍国主義とは一切関係なく、「経験の相続」にその目的がある。君主を尊ぶのは、君主こそ「経験」の正当なる継承者を意味するからだ。国家とは、悠久の過去から受け継ぐ経験の容器である。従い、革新主義が一気に何もかも変えてしまうのは、経験則の破棄であって、人間が動物に転落する道なのである。これは旧共産圏が、いずれも人道に反する行為を平然とした野蛮性を持つ理由である。
ここにきて改めて保守主義の系譜を明徴にしなければならないことを強く感じる。
保守主義とは、最初フランシス・ベーコンが「帰納法」の哲学を確立し、イギリス経験論の礎を建てた。そして、ヒュームが経験を源泉とする道徳の在り方を定義し、最後にエドマンド・バークが政治学の分野にイギリス経験論を適用し、その国家の経験則の「貯蔵庫」である国王を斬首したフランス革命を痛烈に批判した。
バークの主著「フランス革命の省察」では、「世代間の連続性を失ったものはひと夏の蠅に等しい」と述べ、動物と人間の峻別は「経験の有無」にあるとまで断言した。確かに、人間以外の動物は経験を踏襲しないため、原始時代を永久にやり直すのである。「野蛮人の30歳と文明人の30歳の違いはギリシャ文明から連続する叡智を引き継ぐか否かにある」と指摘したのはジョン・デューイである。
一個人が正しい経験則を蓄積し、それを教育によって次世代に踏襲させる連続性を繰り返す。これを文明という。いま私が使っている言語は、一つとして私が発明したものではない。過去との連続性から得た日本語を使っている。
つまり保守主義とは、国家主義や軍国主義とは一切関係なく、「経験の相続」にその目的がある。君主を尊ぶのは、君主こそ「経験」の正当なる継承者を意味するからだ。国家とは、悠久の過去から受け継ぐ経験の容器である。従い、革新主義が一気に何もかも変えてしまうのは、経験則の破棄であって、人間が動物に転落する道なのである。これは旧共産圏が、いずれも人道に反する行為を平然とした野蛮性を持つ理由である。
保守女性がおじさまを好きな理由
相続すべき経験とは、言語、文化、王権、道徳、歴史、宗教、多岐にわたる。これらすべてが私たちの相続財産であり、これを継承して次世代に伝えることが保守主義の目的である。従って善の経験則を否定し、ましてや不正を許容する精神性は、いくら口では保守を名乗っていても、その実態は革新の一派に過ぎない。
以上の理由から、保守主義の女性が年上の男性を好むことは明白であるといえる。
若い男性は確かに元気だが、近い将来にその男性が「存在している」か否かはわからない。無謀や悪行によって破滅する可能性を同時に内包するからだ。しかし長い年月を経た上で「存在している」壮年の紳士は、正しい選択をした経験則が蓄積されていることを証明する。
長い人生において不正を受け入れ、正義の信念を投げ捨てた者は、社会において存在することは難しいだろう。しかし善良な選択の連続の上に自らの経験則を形成した紳士は、その存在自体が垂涎の魅力を持つ。
そこに若く経験が足りない保守女性は惹かれるのである。
エーリッヒ・フロムの『愛するということ』では、愛を次のように定義している。
「女性は受け取る性であり、男性は与える性である。知識、金銭、そして遺伝子も」
以上から、経験を欲する保守女性はおじさまが好きなのである。
以上の理由から、保守主義の女性が年上の男性を好むことは明白であるといえる。
若い男性は確かに元気だが、近い将来にその男性が「存在している」か否かはわからない。無謀や悪行によって破滅する可能性を同時に内包するからだ。しかし長い年月を経た上で「存在している」壮年の紳士は、正しい選択をした経験則が蓄積されていることを証明する。
長い人生において不正を受け入れ、正義の信念を投げ捨てた者は、社会において存在することは難しいだろう。しかし善良な選択の連続の上に自らの経験則を形成した紳士は、その存在自体が垂涎の魅力を持つ。
そこに若く経験が足りない保守女性は惹かれるのである。
エーリッヒ・フロムの『愛するということ』では、愛を次のように定義している。
「女性は受け取る性であり、男性は与える性である。知識、金銭、そして遺伝子も」
以上から、経験を欲する保守女性はおじさまが好きなのである。