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トランス、ドラァグクイーンが乱舞する開会式、「最後の晩餐」のパロディでは子供まで登場

よくぞここまで

 連日、パリオリンピックが「問題含みで」盛り上がっています。
 グロテスクな開会式、国名の取り違え、誤審、食中毒、セーヌ川の汚染といくつもいくつも、よくぞここまで顰蹙(ひんしゅく)を買えるものだと感心してしまうほど問題が頻出していますが、そこは措きましょう。
 ポリコレ、ジェンダー関連だけでも、ざっと挙げただけで以下のような問題を起こしています。

・開会式におけるトランス、ドラァグクイーンによる、レオナルド・ダ・ヴィンチの名画「最後の晩餐」をパロディ化したようなパフォーマンス。
・アルジェリアの女子ボクシング代表のイマネ・ケリフはXY染色体の持ち主、つまり「男性」であった。
・オランダのビーチバレー代表ファン・デ・ベルデは2016年に12歳の児童を強姦した3件の罪がある(もっともベルデは刑期を終えてはいます)。
・SDGsに配慮し、選手村にはエアコンを設置しなかった。
・同様に選手にヴィーガン食を提供した。


 どれ一つとっても呆れるほかない話題ですが、ここは開会式とケリフ選手問題について、少々詳しく見ていきたいと思います。

 まずケリフ選手について。
 8月2日に行われた女子ボクシングの試合において、イマネ・ケリフ選手(アルジェリア)とアンジェラ・カリニ選手(イタリア)が対戦、カリニ選手が開始46秒で棄権してしまったのです。
 ひろゆき氏がXで「元男性が、女子オリンピックボクシングに参加。元男性の余裕勝ち」「女性の大会に元男性を参加させるのは、女性の機会を奪う」と投稿し、バズりました。

 ――さて、ところが、ご存じの方も多いかとは思いますが、これは情報としては不正確なものなのです。ケリフ選手は性分化疾患(DSD)によりXY染色体を持って生まれたのですが、ずっと女性として生活し、性自認も女性だったと伝えられます。

 つまり男として生まれて女になったいわゆるトランスジェンダーとは異なり、ひろゆき氏に事実誤認があったわけで、ケリフ選手への誹謗中傷は厳に慎まれるべきです。
 ただ、こうした事情を伝えたジャーナリストなどには「(本件を)LGBTコミュニティへの攻撃に使うのは間違っている」とする方もいますが、それはどうでしょう。
 性文化疾患というものが存在する以上、仮にこの地上にLGBT運動というものが全く存在していなかったとしても、今回のような騒動は起こり得ます。しかし、本件にLGBT運動の影響がなかったと断ずることは、果たしてできるでしょうか。

 事実、ケリフ選手は2023年のIBA世界女子ボクシング選手権の性別適格性検査で不合格となっていた事実があります。ぼくはこの判定そのものが適正かどうかをジャッジするだけの見識を持ちませんが(何しろロシア主導の協会が、ロシア側の選手が負けた後で言い出したことです)、裏腹にパリでは出場資格を得た流れに、LGBTのイデオロギーが全く関与していないと考えることは、困難ではないでしょうか。

 そもそもがこの種のLGBT運動、LGBT当事者というよりは左派的なイデオロギーを持つ人たちが「規制の秩序の攪乱(かくらん)」といった目的意識をまず持ち、推進させてきた傾向が大です。乱暴に言えばそもそも、「こうした騒ぎを起こす」ことが、運動の目的となっているのです。
 それにより相手選手が生命の危機に陥ったのだとしたら、直接の責任はなくとも、思想そのものの危険性は厳しく問われるべきでしょう。

逆ギレするのはおかしい

 さて、さらに問題が大きいのが「最後の晩餐」です。
 このパフォーマンス、キリスト教徒にとってはまさに愚弄ととらえられ、ローマ教皇庁も怒りを表明、大会組織委員会は謝罪に追いこまれました。

 もっともキリスト教徒の少ない日本人からすれば、そうした怒り自体はあまりピンと来ないかもしれません。しかし一体、なぜオリンピックにおいて、ここまでドラァグクイーンやトランスジェンダーが乱舞しなければならないのか、不自然に感じた人も多かったのではないでしょうか。
 あるいは、ウォークな(目覚めている、ポリコレに対応して価値観をアップデートした)方々は、次のように言うかもしれません、「LGBTが前面に出てくることを否定すること自体、差別だ」。

 事実、パフォーマンスに登場したドラァグクイーンのニッキー・ドールは本件について、インスタグラムで以下のように述べました。

「開会式は確かに波紋を呼んだが私はとても気に入っている。なぜならオリンピックは世界最大の舞台であり、そしてそうでありながら我々LGBTコミュニティは常にシスジェンダー (性自認と生まれ持った性別が一致している=LGBT以外の普通の人) たちの功績を外から見ることしか許されなかった。今こそ我々がその場に歓迎され迎い入れられる時である」

 いや、残念ながら彼ら彼女らは多くの人に唖然とされただけで、歓迎はされなかったのではないでしょうか。
 左派寄りのメディアは、早速「LGBTが右翼たちのヘイトに晒(さら)されている」という文脈での報道を始めていますが、果たしてあのパフォーマンスに嫌悪を感じた者は全員が「右翼」であり、それは「誤った、差別的偏見」を持っていたがゆえのことだったのでしょうか。
 確かに演者たちへの殺害予告などもなされているようで、それは論外です。

 しかし明らかに政治性(宗教に対する挑発)の強いパフォーマンスに参加した以上、そこを批判されるのは当たり前のことであり、そこをセクシャルマイノリティ(という、自身では責任の持ちようがない、生まれつきの属性)であるがために差別されたのだと逆ギレするのはおかしいでしょう。そもそもドラァグクイーンの過剰なコスチューム自体が「女性性に対するパロディ」の意味があり、最初から「政治性」を深く帯びたものなのですから。

「LGBT」と「児童虐待」

 今回の一連のパフォーマンスを観て、「プライド・パレード」を想起した人も多いのではないでしょうか。これはLGBT文化を讃えるパレードであり、また、それに関連して行われるイベントをも含む言葉でもあります。そうしたイベントをすること自体はまあ、「どうぞご自由に」という感じなのですが、オリンピックにかこつけて特定のマイノリティの主張の押しつけをされても困る、というが一般的な感覚ではないでしょうか。
 そして何よりもこのパレード、公共の場においてやたらとヌードやボンデージファッションで練り歩くという特徴があります(「プライドパレード」「ヌード」で検索してみてください。全裸で行進するLGBT様のお姿にお目にかかることができます)。

 そう、イベントにおいてもスマーフ(青いおじさん)がほぼ全裸であることが話題になりましたが、他にも「ダンス中に金玉が丸出しになっていた」男性(だかトランス男性だかノンバイナリーだかジェンダークィアだかインターセックスだか知りませんが)もいたという話です。
 これはやまたつ氏の運営するYouTubeチャンネル「カナダ人ニュース」で指摘されていたことですが、例の「最後の晩餐」の時に、この男性の隣に幼い少女が同席していたのです。
 ぼく自身はこの「金玉」について直接確認することはできなかったのですが(何しろIOC側が公式のYouTubeチャンネルから開会式の動画を削除、またXなどに投稿された動画も削除して回っているので……)、ともあれこうなるともはや、パフォーマンス自体が児童への性的虐待と言っていいのではないでしょうか。

 ――さて、しかし「LGBT」「児童虐待」となると何か思い出さないでしょうか。
 そう、近年世を騒がせた、『トランスジェンダーになりたい少女たち』に代表される、そしてぼくも幾度か書かせていただいた、LGBTが自身の運動へと幼い子供を巻き込もうとする傾向についてです。
 イギリスにおいては、ジェンダー治療を求める10代の少女が過去10年間で4,400パーセント増加したという目を疑うような数字が報じられています。欧米ではトランスのインフルエンサーたちがYouTubeで少女たちに「あなたはトランスジェンダーだ」と説き、ホルモンの投与、理解のない親との離縁を推奨しているという現状があり、それが原因なのではないかとされています。
 また、一体全体どういうわけか多くのセレブ様たちの子供がトランスとして生まれ、セレブ様たちもそのことを誇っている……といったお話もお伝えしたことがありますね

 そんなことから、海外ではLGBT運動家をペドファイル(小児性愛者)に準(なぞら)え、糾弾する傾向が常態化しています。果たして運動、思想的に彼ら彼女らがペドファイルと癒着しているのかは、ぼくにもわかりかねますが(日本でも一部フェミニスト、LGBTがペドファイルに親和的なのは事実ですが)、ともあれ運動に子供を引き入れようという傾向が大であるのは、否定できないのです。

奇矯なLGBTイデオロギーへの逆襲

 幾度かお伝えしていますが、フェミニズムには強制的異性愛(ヘテロセクシズム)という概念があります。(シスジェンダーでヘテロセクシャルの)男たちは女たちへと、異性愛を(小説やドラマなどを通じて)文化的に押しつけてているのだ、との考えです。
 男たちが組織だってそうした陰謀を企てていることの証拠は、残念ながら今まで一度も提示されたことがないのですが、仮にこれが本当であるならば、確かにこの世の中は非常手段をとって、根本から覆(くつがえ)さねばならぬほど、間違いに満ちているものだ、ということになりましょう。

 だからこそ、その卑劣な男たちの毒牙にかかる前に、少女たちを正しい自分たちの側へと引き込む必要がある。彼ら彼女らを動かしているのはそうした「正義感」なのです。
 そしてまた、そうしたイデオロギーを信じる裏には、先のドールの発言からも窺いしれるように、「自分たちはLGBT以外の普通の人たちから阻害されている、自分たちも歓迎され迎い入れられたい」という悲痛な、身を炎で焦がすような情念があることは、想像に難くありません。
 その気持ちは大変よくわかるのですが、しかし、そうしたLGBTの理念は「普通の人たち」の価値観を根本から塗り替える必要があるものであり、とても受け入れがたいものであると考えるほかはありません。本件のような言動を繰り返していては、ただただ退かれてしまうばかりでしょう。

 トランスといえば、イーロン・マスクの息子が性別を女性に変更したといった話題も思い起こされます。イーロン氏は「治療をしなければ、息子さんは自殺する」と言われ、治療の同意書にサインをすることになったといいます。

 一方、トランプ氏もLGBT運動には親和的ではありませんし、オリンピックの惨状に対し、「私は男性を女性スポーツから排除する」と主張しています。イーロン氏はそんなトランプ氏の支持を表明し、選挙活動への資金援助もしたと伝えられています。
 実はトランプ氏の発言はケリフ選手の件を引きあいに出してのもので正確さに欠け、そこは批判されるべきでしょう。また、イーロン氏の発言に対しても元・息子さんからの「女性になって後悔していない」といった主旨の反論もあり、あるいは思い違いや虚偽が含まれているのかもしれません。しかし、個々の事例とLGBT思想全体のおかしさは別に考えなければならないことは、ケリフ選手の件と同様です。

 いずれにせよ、トランプが再戦した時、いよいよ奇矯なLGBTイデオロギーへの逆襲が始まるのかもしれません。
 ぼくとしては、そこに期待しないわけにはいかないのです。
兵頭 新児(ひょうどう しんじ)
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
「兵頭新児のnote」を運営中。

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