LGBT配慮の「当初設定変更」で炎上
デザインを一見していただければおわかりのようにこのブリジット、萌え系の愛らしい美少女――かと思いきや、実は彼はれっきとした男の子なのです。
「男児の双子は、その地に禍をもたらす」という迷信のある村で生まれ、両親に女の子として育てられたというのがその設定。ブリジットは自分が男として生きることで迷信を覆せば、両親の鬼胎もなくなるだろうと考え、戦いの道を選んだ…というわけなのです。
実のところオタク業界ではこうした「女の子よりも可愛い男の子」は「男の娘(こ)」と呼ばれ、キャラクターの一類型として人気を持っています。何しろ絵ですから男の子を(女の子のように)可愛らしく描くことは(現実に比べれば)容易ですし、そもそもアニメ調の絵は年少キャラほどジェンダーレスに描かれる傾向にあります。そんなわけで「可愛ければ男の子もアリ」とこのブリジット君、男性ファンにも支持される結果となったのです。
彼が初登場したのは2002年。ここしばらく未登場期間が続いていたのですが、本年『GUILTY GEAR -STRIVE-』において久々の再登場を果たし、ファンに喝采を持って迎えられました。おかげで同ゲームのプレイ人口が一気に約5倍になり、売り上げランキングで1位を記録したことが報じられるという大変な人気ぶりで、大変めでたい話なのですが…ここで思わぬ騒動が勃発しました。
ブリジット君、今まで(肉体的にはもちろん)性自認は男であったのが、今回のゲーム中で「ウチは女の子」と発言しているのです(ただ、英語版公式サイトでは【her】と呼ばれる一方、日本語版公式サイトでは「男の子」とされているなど、どうもこの辺り不明瞭なのですが)。ファンがヤキモキする中、スタッフが彼を、否、彼女を「トランス」であると明言、火に油を注ぐ結果となってしまいました。
多くの名作がLGBT&ポリコレ配慮で「改変」
最近配信を開始したアマゾン版『ロード・オブ・ザ・リング』において黒人エルフが登場した時も、やはり同じような騒ぎになりました。本来、妖精は肌の色が薄いと設定されており、従来白人がキャスティングされていたのもそうした理があったのですが、それにもかかわらずこの変更は、あまりにも不自然だ、というわけです。
『スーパーマン』においても二世がバイセクシャルとなったことを以前お伝えしましたし、「アベンジャーズ」(アメリカン・コミックスに登場するヒーローチーム)も新生メンバーは女性と黒人ばかりになってしまい、また同じくマーベルコミックのヒーローチーム、「ニューウォーリアーズ」もリメイク版ではプラスサイズ(超肥満体)の黒人女性が主人公となっています。
『スターウォーズ』もディズニーへの売却後のEP7~9の三部作は主人公が女性になり、黒人やアジア人女性が主要キャラになるなどその「ごり押し」ぶりが批判されました。
同じくディズニーは他にも、実写版『リトルマーメイド』では黒人歌手がヒロインを演じ、ミュージカル版『美女と野獣』でヒロインの美女役にクィア(性的マイノリティや、既存の性のカテゴリに当てはまらない人々の総称で)でプラスサイズの黒人女性が選ばれるといった具合で、この種の「古くからのコンテンツのアップデート」の例は枚挙に暇がありません。
こうした傾向は海外においては以前からあったことですが、ことに近年、顕著になっています。
「クリエイターの決定に従え」とするメディア
しかし、大手メディアではそうした「異論」をただ、不当なものとして一刀両断にするばかりです。
例えば芸能界のゴシップなどをメインとするサイト『まいじつ』では「“男の娘”ブリジットの性自認が確定!「俺たちの男の娘を返せ」運動が勃発」という記事が掲載されました。
いくらオタクが「ブリジット=男の娘」と騒ごうとも、公式が彼女の性自認を女性として提示した以上、それに従うしかないだろう。なにより一次創作にあたるゲーム内で、ブリジット自身の生き方が示されたということなので、それを否定して自分の解釈を押し付けようとするのは厄介な二次創作に他ならない。
そうした(引用者註・作り手の)思いやりを無視してポリコレ憎しのバッシングを続けることは、本当にブリジットへの愛情と言えるのだろうか…。
ここには「クリエイターの決定なのだから逆らうな」との主張と、「ポリコレ叩き」「ポリコレ憎し」というワードが象徴するように「ポリコレ」を正当化したいという情念とが混在しているように思われます。
しかしそもそも、古くからのファンがついているコンテンツが今までと異なる趣向でリメイクされた場合、文句を言う者も出るのは当たり前としかいいようがなく、「クリエイター様のお与えくださるものには文句をつけず、消費しろ」と言われても、困ってしまいます。
今回のブリジットは新たにトランスジェンダーの女性として描かれており、海外ではこれまでの「TRAP(罠、騙す)」と称するトランスフォビア(嫌悪)的なミームから解き放たれたと解説する記事も見受けられる。
今回の作り手に、トランスジェンダーへの知見のアップデートをする姿勢があることは間違いない。
娯楽作品に「マイノリティへの理解」は必須なのか?
一つ目と三つ目は、本件が「トランスへの理解」という尊い目的に適うとの主張であり、二つ目は海外での【TRAP】という言葉が差別的でけしからぬという言い分です。
しかし当たり前のことですがそもそも、エンターテインメントは「マイノリティへの理解」を深めるために存在しているわけではありません。そこをこうした本末転倒な主張をするのは本当にご勘弁願いたいところですが、オタク界に影響力を持つ文化人などには左派の人たちが大変に多く、こうした主張がまかり通ってしまっています。近年のポリコレが「憎し」の感情を抱かれているのは、こうしたやり方ばかりを押し通してきたからだと思うのですが。
この言葉は「偽者の女」という意味あいを含み、そこが差別的だというのが先方の言い分であると想像できますが、そもそもブリジットをはじめとする「男の娘」の性自認は多くの場合、男なのであって【TRAP】、即ちある意味「偽者」なのは当然と言えます。そこを「トランス」、即ち「肉体は男だが性自認が女の人物」という存在をまず前提として、「それと異なるから許せぬ」と文句をつけられては、たまったものではありません。
世界にはびこる「性自認至上主義」
事実、彼女らは(ブリジットのファンか否かを問わず)本件を「トランス差別者」「男の娘を好むキモオタ」「日本かぶれ野郎」「オルタライト」への≪9.11≫」であると快哉を叫んでいます。何というか、安倍元首相銃撃事件を題材にした映画を制作して大はしゃぎしている人たちのような感受性です。
そう、上にも書いたように「男の娘」の性自認は多くの場合、男性です。普段は普通の少年だが何らかの事情で女装し、そこが可愛い(『ハヤテのごとく!』の綾崎ハヤテなど)、普段から女装しているが、内心、男らしくありたいと望んでいる健気さが可愛い(『ダンガンロンパ』の不二咲千尋など)、或いは性自認が男であるにもかかわらず、実に屈託なく趣味として女装をする様子が可愛い(『はぴねす!』の渡良瀬準など)、といったキャラクター性が「萌え」につながっているのです。ブリジット君もまた、本来は「影で男らしく努めること」を趣味とすると設定されていました。
それはそれで文化として尊重されるべきであって、そこをトランス運動家が「簒奪」することが賞賛される理由が、ぼくにはさっぱり理解できません。
結局、「ポリコレ」には最初から一定のベクトル(これこれの属性が少数派なので、それらをことさらに持ち上げることこそが望ましい)があるわけで、最初から「多様性」とは真っ向から対立する概念なのではないでしょうか――否、「多様性」を叫ぼうとする者にまず、最初からそうしたバイアスをこそ望む心理があるというのが本当のところだと、ぼくには思われます。
(その意味で、ぼくは本件については「男の娘の持つ豊饒な“多様性”を認めよ」といった言い方をするよりは、あくまで一オタクとして、ないしヘテロセクシャル男性としてただ、「ぼくたちの好きな文化を奪うな」と主張していくべきであると考えます)
「ジェンダー」を決めつける愚
本件の構造は「ブレンダ事件」とそっくりなのです。
フェミニストは従来、「性自認は後天的に変更され得るものであり、即ちジェンダーそのものが社会的な構築物でリセットできるものなのだ」と唱えてきました。 その根拠となったのが乳児期にペニスを失い、女の子として育てられたブレンダ少年です。遺伝子的には全く同じである一卵性双生児の兄はずっと男の子のままなのに、この子は性転換を果たしたのだから、後天的に性別は改変しうると証明されたのだ、というわけです。
ところがそれはこの学説を唱え、ブレンダを女の子として育てるよう指導したジョン・マネーのペテンでした。ブレンダはフェミニズムの信奉者である彼の「人体実験」の犠牲になったのです。結局、ブレンダは男性として生活するようになり、最終的に自殺してしまったのですが、以前にご報告したジェイムズ事件など、トランス運動家はいまだこの説に固執して、過ちを重ね続けようとしているのです。
もちろんブリジットは架空の存在であり、フィクションのキャラクターが医学上あり得ない設定を持っていても何ら問題はありません。
しかし今回の「ブリジットちゃん」の「トランス宣言」が「ブレンダ事件」と全く無関係かとなると、それは疑わしい。或いは作り手は深く考えていなかった可能性もありますが、先に挙げた本件を絶賛するトランス運動家たちは真っ先に両者を結びつけ、だからこそ喜んだのではないでしょうか。ブリジットはまさに「男として生まれ、途中までは男としての性自認を持っていたとしても、後天的にそれが変わり得る」とのメッセージを世界に訴えることのできるキャラクターであると。
本件は、LGBTやポリコレによって当初とは異なる設定が導入されたため、ファンがそれに対し怒りを覚えている事案の好例である一方で、トランスジェンダリズムがいかに危険な運動であるかを、証明するものなのです。
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
ブログ『兵頭新児の女災対策的随想』を運営中。