田中秀雄:羊の皮をかぶった狼~形を変え生き続ける「階級闘争」

田中秀雄:羊の皮をかぶった狼~形を変え生き続ける「階級闘争」

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「連続企業爆破事件」の亡霊

 1970年代半ばに日本国中を騒然とさせる事件が続発した。連続企業爆破事件である。

 三菱重工爆破事件(1974年8月30日、8名死亡、負傷者約380名)を皮切りに、発生順で言うと、三井物産爆破事件(1974年)、帝人中央研究所爆破事件(1974年)、大成建設爆破事件(1974年)、鹿島建設爆破事件(1974年)、間組爆破事件(1975年)、韓国産業経済研究所爆破事件(1975年)などが一年足らずのうちに次々に起こり、翌年5月に首謀者たちは逮捕されたが、皆二十代の若者たちであった。これらは通称「東アジア反日武装戦線」による、かつての日本帝国主義を担った、そして、当時担いつつあった「新植民地主義理論」で断罪された大企業の戦争責任や、アジア侵略責任を取らせるための過激なテロ事件であった。

 その後、裁判となったが、日本赤軍によるハイジャック事件で、被告ら数名が超法規的に釈放されるという事態も起きている。その後の裁判や海外での活動は、我々普通の日本人には、海外逃亡者の再逮捕とかが時たま話題になるくらいであり、一応事件は終息したものと思われた。しかし以下の映画を観ると、実は終わってはいないようである。

韓国人女性が監督した「爆破事件」ドキュメンタリー

 『狼をさがして』というドキュメンタリー映画が3月末に公開された。これらの爆弾闘争事件を起こした当時の若者たちの足跡と現在を追うことで、事件の意味を改めて問い直そうという試みである。「狼」とは、三菱重工と帝人中央研究所爆破事件を起こしたメンバーのグループ名だが、その他の「大地の牙」や「さそり」といったグループの者も、この映画では同じ狼の範疇にくくられている。
 
 監督は驚くことにキム・ミレ、韓国人女性であり、韓国映画である。1964年生まれのこの女性監督は父が日雇い労働者だった体験から、早くから社会問題、労働運動に興味を持っていたという。1990年代に30代で、60年代生まれ、80年代に民主化運動を闘ったいわゆる「386世代」であり、現在は文在寅親北政権の支持層の中心をなす世代の一人である。日本の釜ヶ崎に何度も取材に来ているうちに、「東アジア反日武装戦線」事件のことを知ったという。

 主な取材対象は、大道寺将司(獄中にいて面会はできず、映画製作中に死去)、大道寺ちはる(事件当時は詳しいことは分からない少女だったが、大道寺将司が入獄しているうちに共感して、その法律上の妹となった)、浴田由紀子(超法規で釈放後、ルーマニアで捕まって再度入獄、刑期満了で釈放後、児童書を出版)、荒井まり子(反日武装戦線の支援者で、幇助罪で8年服役)、宇賀神寿一(刑期満了後、受刑者の支援活動を続行)、太田昌国(大道寺将司の従兄、評論家)などである。

 カメラは大道寺将司が浪人時代に住んでいた釜ヶ崎、大道寺や太田の故郷の釧路、荒井まり子の住む宮城県、中国人労働者が虐殺されたとされる秋田県の花岡鉱山跡、東京拘置所などを訪ねている。終戦記念日の東京の靖國神社の参拝の様子、その近くで機動隊に守られて天皇制や靖國を廃止せよと叫ぶ左翼デモの様子なども映される。

 異様に思えるのは、大道寺の親族が釧路で語る言葉である。我々はアイヌの土地を侵略して、ここに住んでいる日本人の子孫だと周りの土地を指さしながら言う。荒井まり子も「東京に建設すればいい原発を東北につくられてしまった。東北の人々は差別され、搾取されているのだ」と述べる。人間関係を階級意識から見ているのである。敵対的な階級史観が今なお、ある人々の胸には残っていることに私は衝撃を覚えた。
田中秀雄:羊の皮をかぶった狼~形を変え生き続ける「階級闘争」

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天皇制に反対するデモの様子

際限なく「階級闘争」を求める人たち

 私が思い出したのは1970年代に聞いた「窮民革命論」という言葉である。下層労働者を意味するルンペンプロレタリアートに社会革命の主体を設定するという新左翼の用語である。一般の労働者が経済成長の下で豊かになり、革命の担い手になれないという認識から生まれてきたものらしい。

 常識で考えるなら、貧しい人々が少なくなったことは喜ぶべきことで、そこからなお漏れる人々は国家的なセーフティーネットでカバーすればいいと判断するだろう。彼らはそうでなく、これを否定し、限りなく逆方向に思念を進めていく。際限のない現状否定は行き着くところ、際限のない他者否定、他者憎悪となるのではないか。

 大道寺将司が大学浪人時代に1年間住んでいたという釜ヶ崎のドヤ街はまさに革命の根拠地となるのだろう。この町に住む日雇い労働者の群れが、いつか憎悪の雄叫びをあげて権力を倒しにかかる夢を大道寺は見ていたのかもしれない。その同じ論理の延長線上で、彼の故郷である北海道の土地を日本民族に奪われたというアイヌもまた革命の主体と位置付けられるわけだ。

 三菱重工爆破に使われた強力な爆弾は、実はその夏、昭和天皇のお召列車を爆破する予定でつくられたものだった。天皇は無論アジア侵略の最大の戦犯であるという認識を彼らは持っていた。しかしこれは実行できず、彼らは代わりにアジアを侵略した企業である三菱重工を標的と定めた。実行する日付は、朝鮮人が大量虐殺された関東大震災の起こった9月1日に決めた。日帝への復讐戦というわけである。しかし日曜日だった。それで二日早めたのである。

 映画では、わざわざその犯行声明文までも登場する。侵略企業への警告である。

羊の皮をかぶった狼たち

 映画には、爆破犯たちの弁護士となった人物にもインタビューをしている。これまで戦争の後始末は国家間の条約で決着をつけられていたが、それでは終わらない。侵略に加担した企業の責任も問わねばならないとしたところに彼らの新しさがあったと弁護士は言う。歴史認識として過去に遡り、差別され、搾取された民衆の側に立てば、敵はいくらでもいたのである。彼らの論理ではアイヌがそうであり、沖縄がそうである。これは国内だが、海外に出れば朝鮮があり、中国が侵略され、搾取されたという構図となる。出て行った企業はすべて戦犯である。

 その朝鮮(韓国)から、左翼思想を持った映画監督がやって来た。ものの見事に波長が合ったのだろう、日本で彼女を待ち構えていたのは太田昌国、文在寅を人権派大統領と絶賛する人物である。ちなみに文在寅は、今年1月の習近平との電話会談で、「中国共産党の創立100周年に心より祝意を表します」と述べた男である。

 大道寺将司の5歳上の従兄である太田昌国は左翼知識人、運動家であり、大道寺に多大な影響を与えたようだ。強烈な天皇制否定論者、「植民地支配は国家犯罪」と説く人物である。こうした人物にオルグされれば、柔らかな若者の感性は単一色に染められてしまうだろう。ましてや相手は従兄である。爆破事件の責任の一端が彼にないと言えるのだろうか。

 映画にも何度も登場して話をしている。弁舌も巧みである。この映画を思想的に支えているのは彼であろう。太田も荒井と同じく、反原発主義者である。さて韓国にある原発も廃止すべきだと彼らは考えているのだろうか。文在寅は人権のない北朝鮮に原発をプレゼントしようとしているが、こちらは良しとするのだろうか。気になったので、何度も改訂版が出ている太田の『「拉致」異論』を読んでみた。

 日本は結局「隣人の不幸を糧にして豊かになっていく」などと書いてある。朝鮮戦争における特需を念頭に書いているのだが、特需のおかげで豊かになったのは在日社会も同じである。例えば当時ろくに飯も食えなかった作家の立原正秋(朝鮮半島出身)を経済的に援助していたのは、戦争特需に乗っかり、金融業に進出し財を成した彼の弟である。理財家の才があれば、在日、日本人の別なく金は稼げたのである。
田中秀雄:羊の皮をかぶった狼~形を変え生き続ける「階級闘争」

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左翼に称賛される「金嬉老事件」
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 1968年、静岡県の寸又峡の旅館に猟銃を持って立て籠もった金嬉老の事件のことを、太田は日本のマスコミが初めて朝鮮人差別の実情を報道したと賞賛する。「お前ら朝鮮人が日本に来てろくなことをしない」と彼に言った警察官に謝罪させるために、金嬉老は事件を起こしたのである。しかし昭和20年代の朝日新聞や毎日新聞を片っ端から見ればいい。在日朝鮮人が斧で武装して警官隊に殴りかかったなどという事件が幾つも報道されている。民団と総連、相互の武装闘争もあれば、日本共産党の武力闘争路線に別動隊として総連(当時は朝鮮人聯盟)が動いていたこともある。警察は大変だったのだ。
 
 ちなみに私の知る曺寧柱(民団長を二度拝命)は、戦時中のことだが、家賃を払わず、出て行けと言われれば立ち退き料を請求する関西の朝鮮人たちをいさめる記事を『東亜聯盟』誌に書いている。立ち退き料を請求するような行為は少なくなかった。そうなればどうなるか。朝鮮人には部屋を貸さないという大家が出てくるのは当然である。それをも差別だと太田は言うのだろうか。曺寧柱は朝鮮人が自ら姿勢を正さなければならないと言っていたのである。曺寧柱は本当に人格者で、尊敬に値する人物だった。

 「植民地支配は国家犯罪」と一概に断罪できるのだろうか。私の所蔵する『農村振興運動の全貌』(1936年)は朝鮮総督府の刊行物だが、今にも崩れそうな草葺の家の写真がある。貧しい農家で、慰安婦となって身を売られた女性は多分こうした家から出て来たのだろうと思わせる。中の文章には「こういう貧農を放っておいたら天皇陛下に申し訳ない」と書かれている。

 このような総督府官僚の涙ぐましい努力も太田昌国の目には見えないのだろう。彼らが慰安婦狩りをやったと思っているのだろう。

 大道寺将司は獄中で俳句を吟ずるようになり、句集も数冊出した。読んでみると現代仮名遣いでなく、日本伝統の歴史的仮名遣いで、私はそこに皮肉なものを感じた。

 浴田由紀子は爆弾闘争を反省しているようだが、方法が間違っただけで思想に問題はなかったというのが生き残った彼らの本音のようだ。反原発、エコロジスト、あらゆる差別の反対者として彼らは再登場した。狼は羊の皮をかぶったのである。(文中敬称略)
田中 秀雄(たなか ひでお)
映画評論家。
1952年福岡県生まれ。慶應義塾大学文学部卒。著書に『映画に見る東アジアの近代』『石原莞爾と小澤開作』(以上、芙蓉書房出版)や『優しい日本人、哀れな韓国人』(ワック)など。

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この記事へのコメント

周防町 2021/5/29 20:05

 映画評論の多くは招待券をもらつてただで映画を鑑賞する人達によつて為されるため監督が喜びさうな内容が多い。しかし、田中氏の映画評は違ふ。次のやうな文章を読めば明らかである。
「常識で考えるなら、貧しい人々が少なくなったことは喜ぶべきことで、そこからなお漏れる人々は国家的なセーフティーネットでカバーすればいいと判断するだろう。彼らはそうでなく、これを否定し、限りなく逆方向に思念を進めていく。際限のない現状否定は行き着くところ、際限のない他者否定、他者憎悪となるのではないか。」
 大多数の日本人はこの見方に同調するだらう。
韓国の女性監督がわざわざ日本にまで来て、企業爆破犯の「今」を取材し、映画を製作した。田中氏によると「狼」たちは「羊の皮をかぶつた」狼として生き残つてゐるといふ。『狼を探して』来日した映画監督に企業爆破の犠牲になつた人達に対する視点はあるのだらうかと疑問に思つた。

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