聞き心地のいいことだけ口にする左翼パフォーマンス
他にも例はたくさんあるので、ここに紹介しよう。
自分たちの主張は「表現の自由」、保守の主張は「ヘイト」
日本国憲法第21条は「言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない」と定めている。戦後、日教組などの極左団体は民間レベルでは日本の言論空間を支配しようとしてきたが、国家自体は一応中立を保ち、特定のイデオロギーを規制するような法整備を避けてきた。だからこそ日本では、一部の外国では規制されているアドルフ・ヒトラーの『我が闘争』や共産主義革命を訴えている書物も自由に出版できたのだろう。これは自由主義国家の立派なスタンスであり、大いに評価すべきポリシーである。
ところが、表現の自由を心底から嫌っている勢力も国内にいる。たとえば、しばき隊を名乗っていた極左団体は「カウンター」と称して、何度も政敵の言論を暴力で封殺しようとしてきた歴史がある。また国会にいる左翼勢力は「ヘイトスピーチ解消法」を推奨し、川崎市は罰則付きのヘイトスピーチ禁止条例まで制定した。権力による検閲以外の何物でもないのに、日本の自称リベラルがそれを歓迎している実情がある。
単純に「『公共の福祉』のために表現の規制も必要だ」という考え方なら、個人的には賛同しかねる部分があるものの、まったく理解できないわけではない。だが、彼らの思想にはそのような一貫性がない。左翼のスタンスは「自分の表現は、すべて例外なく認められるべきだが、自分が気に入らない表現はすべて規制されるべき」としか思えないものだ。
その証拠として、多くの日本国民が侮辱的だと感じる表現を用いた「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」が抗議を受けた時、彼らは一転して「表現の自由がー!」と叫び、騒ぎ立てた。「実際に検閲らしきものを受けたら、表現の自由の大切さに気づいたんじゃない?」と勘違いする方もいるかもしれないが、そうでもない。なぜなら後日、日本第一党が「あいちトリカエナハーレ」というイベントを開いた時に、極左活動家がそこに押し寄せてきて、開催を妨害しようとしたからだ。つまり、彼らは自分の自由以外は一切認めない。自分がやれば「カウンター」、他人がやると「妨害」という卑怯な立場をとっている。
保守派マイノリティは平然と差別する左翼
自分が守ろうとしている法律の内容をわからないのか、左翼でない外国人は保護の対象外と思っているのか知らないが、彼らは賛同してくれないマイノリティーに対し汚い言葉を使い平気で攻撃してくる。精神科医の香山リカ氏も、普段からあんなに熱狂的に「差別反対」と叫んでいるのに、ウクライナ出身である私に対して「ウヨライナ」出身地をおちょくる表現のツイートに対して、「ヤバい声を出してワロてしもた」と返信していた。
この件に関しては、本邦外出身者であるがために可能な表現であり、関係ない話に民族・属性を持ち出す不適切かつヘイトと受け取れる行為として抗議したが、納得できる説明も謝罪も未だにしていただいていない。
差別の規制を訴えるわりには、自分が平気で差別的表現を思いつくし、差別の定義を聞くと怒りだして何も答えてくれない。それにも理由がある。左派の言う「差別主義者」という言葉には、旧ソ連における「国民の敵」のような意味合いしかないからだ。黙らせたい・粛清したい人に貼るレッテルにすぎない。
しっかりと差別の定義を法律で定めたら、左翼自身も頻繁に差別していることがバレ、彼らにとってとても不都合な事態になる。曖昧さを保つことによって「お気持ち」で判断する余地を残すことは、人治主義そのものではなかろうか。
保守派はバッシングを恐れるな!
安倍前首相が内閣総理大臣を辞任してから、そろそろ一年も経つ。ところが反自民党勢力は、いまだに〝安倍ロス〟で苦しみ、定期的に「#安倍晋三の逮捕を求めます」といったハッシュタグをツイッターのトレンドで流行らせている。これは、普通に考えればとても恐ろしいことだ。
なぜならば、相手の容疑も罪も言えないのに、自分が嫌いな人物だという理由だけで人の逮捕を強要することは独裁の始まり以外の何物でもないからだ。「逮捕しろ」と叫ぶ人には、なぜか自分自身がずっと逮捕すべき者を指名する側にいられるという謎の自信があるが、もちろんそういう保証はどこにもない。もし日本が、罪のない人が逮捕されるような国になれば、いつか自分の番も回ってくるだろうと思っておく方が自然なのだ。実際スターリン大粛清の時も、反政府分子が沢山処罰されたが、共産党員のほうが射殺に処される割合が多かった。
野党支持者の内ゲバを見ると、同じ結果になると考えざるを得ない。「捜査しろ」ではなく、有罪が確定しているかのように「逮捕・投獄しろ」と言い切ることも、野党支持者はいかに人治主義であるか物語っている。
幸いなことに、日本はまだ法治国家である。それは野党が野党のままで居続けるおかげでもある。ただし、法的に政敵を粛清できない極左は、今度は電凸(デントツ=電話突撃)やデモという方法で気に入らない言論を封殺しようとしている。そして残念ながら、左翼の暴力に屈してしまう人や企業も出てしまっている。対処が面倒なのは理解できるが、事なかれ主義に走り、理不尽なクレーマーに言われるがまま前言撤回や謝罪することは、彼らに力を与え、クレームの数を増やすだけだ。それによってキャンセルカルチャー(文化破壊)が蔓延し、犠牲者がさらに増えるという悪循環にハマる。
唯一の正しい対処法は、バッシングを恐れずに堂々と主張し続けることだ。クレーマー集団に叩かれると絶望になる気持ちもあるかと思うが、実はマスメディアの意見は一„般世論と正反対な場合が結構ある。すべてのメディアは現政権をずっと叩いているにもかかわらず、選挙があるたびに自民党が圧勝するのもその証だ。敵が現れると味方も必ずつくもの。逆に何も悪いことしていないのに謝罪してしまえば、味方でも支援したい気にならなくなる。法の支配を守ることは決して簡単ではないが、それだけ努力する価値がある。まだ遅くないので、法治国家日本を極左「お気持ち至上」主義者から守り抜こう!。
1995年、ウクライナ東部のハリコフ市生まれ。ハリコフ・ラヂオ・エンジニアリング高等専門学校の「コンピューター・システムとネットワーク・メンテナンス学部」で準学士学位取得。2013年11月~14年2月、首都キエフと出身地のハリコフ市で、「新欧米側学生集団による国民運動に参加。2014年3~7月、家族とともにウクライナ軍をサポートするためのボランティア活動に参加。同年8月に来日。日本語学校を経て、大学で経営学を学ぶ。現在は政治評論家、外交評論家として活躍中。ウクライナ語、ロシア語のほか英語と日本語にも堪能。著書に『自由を守る戦い―日本よ、ウクライナの轍を踏むな!』(明成社)がある。