ヘンリー夫妻の新生活費

 年明け早々、エリザベス女王の孫にあたるチャールズ皇太子の次男、ヘンリー王子が王室からの離脱を表明した。
 世界中で注目を集めた華燭(かしょく)の典のあと王室に入ったヘンリー王子の妻、メーガンン妃まで離脱することから、〝メグジット〟なる造語まで現れた。突然の発表は、女王や皇太子も知らされていなかったという。
 離脱表明直後、年末年始をイングランド東部サンドリンガムの別邸で過ごす女王のもとに、チャールズ皇太子、ウィリアム王子、当事者であるヘンリー王子が集められ、緊急の家族会議が開かれた。

 この結果を受け、女王は1月18日、ヘンリーとメーガンの今後の活動を全面的に支えていくとの声明文を発表した。
 女王自身は、2人が今後も王族としての公務を続けることを望んでいたが、夫妻の考えを尊重したことになる。
 2人は北米(米国とカナダ)と英国を行き来しながら、様々な活動を「王室とは別に」展開する予定だ。
 それと同時に、ヘンリー夫妻はこれまで父チャールズ皇太子から受け取ってきた約3億円の公費も受領せず、独自の資金で活動を展開するという。

 英国王室は、その活動資金の大半を所領経営や投資から上がる莫大な収入によって賄っている。チャールズ皇太子もイングランド西部に拡がる所領の収入(年間約30億円)で、自身と2人の子どもたちの宮廷費を賄ってきた。
 ヘンリー王子は亡母ダイアナからの遺産も受け継いでおり、米国で女優として一定の成功を収めたメーガン妃も、ある程度の資産は持ち合わせている。
 しかし、これまでのように「王族」として享受してきた生活を続けることは、簡単ではないだろう。

 まず、膨大な警備費用がある。王室の警備については、政府閣僚と同様に「国税」によって賄われてきた。しかし、ヘンリー夫妻が「王族」ではないとすると、一家の警備費は一体、誰が持つことになるのか。
 これまでの経験から、ヘンリー一家の警備には年間7000万円から1億円はかかると言われている。警備費用もヘンリー夫妻自身で捻出するのだろうか。さらに、夫妻は自身で立ち上げた各種団体のパトロンは続ける予定だが、それらはもちろん「無給」の役職である。
 こうしたことも見越してか、夫妻はすでに2019年の段階で「サセックス・ロイヤル」という商標登録を済ませており、このロゴ使った文具や服飾品などの収入が見込める。
 しかし女王による声明文によって、2人は今後も「サセックス公爵夫妻」ではあるが、今春からは「ロイヤル」ではなくなってしまう。もちろん、世間には「王族」とは関係なく「ロイヤル」を名乗っている商標は数多く存在するが、2人の場合にはそうした〝常識〟は通用しないだろう。

 王室(皇室)離脱後の金銭問題は、日本の眞子内親王殿下と小室圭さんの前にも立ちはだかっている。大学院生の身分で結婚し、眞子内親王殿下が臣籍降下した場合の生活費はどうなるのか。
 通常、臣籍降下後には、結婚後も「旧皇族」にふさわしい生活を送っていただくため、新婚夫妻には1億円以上の一時金が下賜(かし)される。また、警備も皇宮警察から警視庁の管轄に移るが、引き続き行われる。
 いずれも国民からの税金で賄(まかな)われるものであり、国民の心からの祝福がないような結婚では、納税者から不満が出ないとも限らない。

無責任な態度

 ヘンリー夫妻の発表はいささか「勇み足」だったのかもしれない。人気女優(メーガン妃)の王室入りで、女王が将来の公務を託せる人材を確保したことに満足していたからである。
 英国王室が1年間に国内外で担っている公務は、優に3000件を超えている。国内だけでも相当数に上るが、エリザベス女王は「グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国」(英国の正式名称)の君主であるだけでなく、「英連邦王国」と呼ばれるカナダ、オーストラリア、ニュージーランドといった自治領15カ国の女王陛下でもあるのだ。

 このため、現在20人ほどの王族たちが分担している各種団体のパトロン(会長・総裁など)の数も3000を超えている。それは陸海空軍などの長から、老人・子ども・障害者福祉や医療、教育、学術・芸術の振興、環境保全や青少年育成など、あらゆる分野にわたる。
 ヘンリー王子も陸軍を退役したあと、祖父母や父からいくつかの団体のパトロンを引き継いだが、その数はまだ20にも満たない。そのうちの1つが王立海兵隊元帥という役職で、これは最愛の祖父エディンバラ公から引き継いだものである。
 エディンバラ公は96歳の誕生日の前月(2017年5月)に単独公務からの引退を表明したが、パトロンを務めていた団体の数は実に785に及んでいた。それは決して「お飾り」の役職ではない。同年8月、エディンバラ公は最後のお務めである海兵隊の閲兵式に臨み、1953年から64年にわたって元帥を務めてきた海兵隊の勇士たちの行進を最後まで見守り、公務に別れを告げたのである。

 その海兵隊元帥を引き継いだヘンリーだが、今後はエディンバラ公が担っていた800近い団体のパトロンを、父や叔父、叔母、そして兄ウィリアムなどと分担して継承していかなければならなかった。
 そのような矢先、「王室から離れて独自の活動をしたい」というのは、「無責任な態度」と受け取られても仕方がないだろう。

離脱後、忍び寄る魔の手

「無責任な態度」で王室を追われた人物は、80年ほど前の英国にも存在した。女王の伯父にあたる国王エドワード8世である。
 1936年1月、父王の死に伴い王位を継いだエドワード8世は、米国出身で離婚歴のある女性との不倫関係の末、王位を捨て、その女性を取ったのである。日本では「王冠を賭けた恋」などと持て囃されたが、実態は「究極の無責任」以外の何物でもなかった。

 代わりに王位を継いだのは、1つ年下の弟ジョージ6世。現女王の父親である。彼は身体も弱く、人前に出ると吃音(きつおん)に悩まされていたが、持ち前の努力と真面目さで乗り切ってみせた。
 即位から3年もしないうちに、英国は第2次世界大戦に突入した。6年にわたる戦争で、国王は国民とともに耐え忍びながら勝利に貢献した。しかし、そのストレスたるや相当なものだった。終戦から6年半、国王は56年の生涯に幕を閉じたのである。
 他方、退位の翌年に念願の結婚を果たしたウィンザー公爵(エドワード8世の退位後の爵位名)は、弟より20年も長生きし、77歳で大往生を遂げた。

 とはいえ、退位後のウィンザー公夫妻の道のりは平坦なものではなかった。爵位と年金は与えられたものの英国で生活できず、大戦中を除き、その生涯のほとんどをパリ近郊で過ごした。
 英国王室を敵に回したくない人々は2人に近づこうとせず、かつて社交界の華と言われた2人も孤独な生活を強いられた。
 そのような2人に近づいてきたのが、アドルフ・ヒトラーだった。ベルリンで2人は歓待を受けた。まるで本物の英国王夫妻を迎えたかのように……。
 しかしそれは、ナチスに反感を抱く英国や米国の上流階級の間で、ますます2人を孤立化させるという皮肉な結果に終わった。

 眞子内親王殿下も秋篠宮ご夫妻や国民の反対を押し切って結婚・臣籍降下すれば、日本国内で孤立してしまう可能性もある。さらに、たとえ小室さんの留学先であった米国で生活するにしても、夫妻を利用しようと考える人たちが近づいてくる危険は大いにある。
「ロイヤル」ではなくなったヘンリー夫妻に、北米であれ英国であれ、今後どれぐらいの人々が近づいてくるのか。ウィンザー公夫妻の事例ではないが、「英国王室」の目を気にする人もいるだろうし、孤独を感じるようになったサセックス公夫妻に下心で近づく人もいるはずだ。

 ヒトラーがウィンザー公夫妻に近づいたのは、将来英国を占領した後に2人を傀儡(かいらい)の国王夫妻に祭り上げようとしたからにほかならなかった。
「王冠を賭けた恋」がなければ、現女王もまったく違った人生を歩んでいたかもしれない。しかし彼女は父親譲りの謹厳実直な生活態度を守り、93歳を迎えてもなお、公務に勤しんでいる。
 女王との相談後、ヘンリー夫妻は結婚時に授与された「サセックス公爵」の爵位はそのままとするが、王族につけられる「殿下」の称号は放棄するとともに、パトロンを担ってきた団体の大半からも退き、女王の名代としての公務には一切関わらないことに決まった。

ダイアナ妃と同じ道

 爵位名を維持しながらの王族離脱──これはヘンリー王子の母ダイアナ妃が辿(たど)った道でもある。
 1996年にチャールズ皇太子と離婚した後のダイアナは、皇太子妃の証である「ウェールズ大公妃」を名乗ることこそ許されたが、女王との相談のあと、「殿下」の称号を使うことは禁じられていた。
 さらにダイアナは、それまで「王族」として担ってきた100ほどの団体のパトロンもすべて降り、独自に関与している団体活動に専念することになった。
 その代表的なものが、アフリカ南部のアンゴラやモザンビークなどで展開された地雷除去活動NGO「ヘイロー・トラスト(Halo Trust)」だろう。こちらは現在、ヘンリーが活動を引き継いでおり、これからもパトロンなどを務める団体のひとつとなるはずだ。

 また、ヘンリー自身も戦闘などで障害のある兵士たちに第2の人生を送ってもらおうと、傷痍軍人版パラリンピックともいえる「征服されざる人々の競技大会(Invictus Games)」を立ち上げた。この活動は世界中から賛同を得て、米国、カナダ、オーストラリアでも開催され、今年はオランダのハーグで、再来年にはドイツのデュッセルドルフでの開催が予定されている。

 しかし、これまで述べてきたとおり、ヘンリー一家の前途は多難だ。
 母のダイアナは離婚後ほどなくして事故死という悲劇に見舞われてしまった。ヘンリー一家にはそのような事態にいたってほしくないし、声明文のなかで女王は「ヘンリー、メーガンとアーチ―(ヘンリー夫妻の長男)はこれからもずっと私の愛すべき家族の一員となるでしょう」とも言っている。
 女王からの温かい言葉に包まれながら、サセックス公爵一家には、今後とも「王室とは別のかたち」で活動を展開してもらいたい。

メグジットは「他山の石」

 ヘンリー一家の姿は、世界中の王室の将来像なのかもしれない。2019年には、スウェーデンのカール16世グスタフ国王が、長男カール・フィリップ王子と次女マデレーン王女の子どもたち5人を「王族から外す」と言明した。
 スウェーデンでは1976年の憲法改正により、王室は日本の「国事行為」にあたる政務の大半から解放され、公務は英国や日本ほど多くない。これにより王室の「スリム化」も可能だし、傍系となる王族は「王室」以外の道も模索できる。
 スウェーデンは比較的小規模な王室で、英国にはヘンリー一家以外にも公務を担える王族が数多くいる。だからこそ、ヘンリーーの「わがまま」も許されたのかもしれない。

 一方、日本のように皇室の公務が増え続けていくのに、それを担う皇族が減少している場合、メグジットは「他山の石」として見るべきだろう。皇族数の確保や、安定的な皇位継承に向けた対策を取らなければならないのは、言うまでもない。
 皇室は、皇室だけでつくられているものではない。頂点にある天皇陛下は「国民統合の象徴」であり、国民の皇室に対する尊敬とともに存在するのだ。
 皇室とは何か──〝メグジット〟を契機に、眞子内親王殿下も国民も真剣に見つめ直すべきだろう。

君塚 直隆 (きみづか なおたか)
1967年、東京都生まれ。立教大学文学部史学科卒業。英国オックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジ留学。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。博士(史学)。東京大学客員助教授、神奈川県立外語短期大学教授などを経て、関東学院大学国際文化学部教授。専攻はイギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史。『立憲君主制の現在――日本人は「象徴天皇」を維持できるか』(新潮社)でサントリー学芸賞を受賞。最新著は『ヨーロッパ近代史』(ちくま新書)。

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