インフル以上、SARS未満

上念 髙橋さんは大蔵省に入る前、文科省の研究所で感染症モデルを研究した経験もおありのようで。

髙橋 感染者数がどのように増えるか研究していました。公衆衛生は社会全体で統計学の世界なので、個々の症状や臨床で患者を助ける臨床医とは車の両輪のような関係です。
 コロナウイルス(新型肺炎)の正確な感染率を導き出すには、ランダム・サンプリング(無作為抽出)で症状が出ていない人も検査しなければなりません。そこで唯一参考になるのが、日本政府によるチャーター便です。1~3便で帰国した565人中、感染が確認されたのは九人でした。つまり、感染率は1.6%(プラスマイナス1%)と推計できます。4便目を含めた764人中の12人としてもほぼ同じ確率です。テレビの視聴率も600台あれば推計できるので、サンプル数はこれで充分。1000万人都市の武漢に当てはめれば、感染者は18万人(プラスマイナス11万人)程度かと。ただし、これは1月末の武漢市内の感染者数で、いまはもっと多いでしょう。

上念 2月中旬の段階で武漢の感染者数は5万人程度といわれていますが、統計は増えていきますね。

髙橋 はじめに隠蔽していたので、公式発表は低めです。すでに20万人以上いると思ったほうがいい。次に致死率ですが、公表された中国の感染者数と死亡者数から推計すれば、2%程度です。感染者が18万人なら、死亡者は3000~4000人。武漢では院内感染もあり、もう少し多いかもしれませんが、3%まではいかないと思います。

上念 一般的にSARS(重症急性呼吸器症候群)の致死率は10%を切るくらいといわれ、インフルエンザは0.1%程度。感染症が専門の舘田一博東邦大学教授も、新型ウイルスは「インフルエンザ以上、SARS未満」と言っています。その舘田教授は、中国で大流行した理由として五つの可能性を挙げていました。

① 人口が多いので感染者が多く、死者も増えている
② 医療が崩壊し、重傷者の手当てができていない
③ もともと基礎疾患を持っている人が多い
④ 日常的に抗生物質を使い過ぎており、細菌性肺炎の耐性菌が多い。新型肺炎を罹患したあと、細菌性肺炎との合併症を起こしている
⑤ 院内感染

 ②の医療崩壊は悲惨で、30人しか入らない診療所に2万人が押し寄せたという話もあり、重症患者が立って点滴を打っている映像も出回っていたほどです。それに中国の病院は公営が多く、医師も公務員なんだとか。だから「指示待ち」で、サボッている医師も多かったらしい。
 ③は、もともと不健康な人が多いということ。日本と異なる点です。

髙橋 日本は国民皆保険があるので、小さな病気でも病院で完治させている人が多い。普段から健康でいることがいかに重要かわかります。横浜港で隔離されているクルーズ船、ダイヤモンド・プリンセス号の感染率は高いですが、⑤の院内感染のようなもの。密閉空間であることに加えて、手すりを使うから感染する可能性は高まる。

上念 クルーズ船はお年寄りも多いですし。

髙橋 お年寄りは若い人より手すりを使います。手すりを触った手で何か食べれば、そりゃあ感染するでしょう。とはいえ、4000人近くを陸上で隔離するのは困難だから、船内隔離するしかない……。ただし、全数検査は可能なはずで、政府の対応は遅いと言わざるを得ない。

「生物兵器」説の真偽

上念 感染源はまだ特定されていませんが、市場(華南海鮮市場)のコウモリやネズミなど、野生動物の可能性が高そうですね。

髙橋 感染源が特定できなければ、新薬をつくることもできません。となれば、武漢の封鎖や団体旅行の禁止といった移動制限は意味がある。このおかげで海外での爆発的な感染拡大は抑えられています。日本にも個人観光客は来ますが、団体客が大勢いるよりは拡散のリスクは低い。公衆衛生も確率の問題です。

上念 中国を鎖国するのが一番ですが、震源地を鎖国しているのでそれに近い効果はありますね。

髙橋 もちろん、武漢の感染者数は爆発的に増えますが、危機管理としては当然の処置です。ただ中国政府は感染拡大を隠蔽していたので、すでにウイルスは日本に入っていると思って対処する必要があります。実際に日本国内でも死者が出ました。

上念 予防法はインフルエンザと基本的に同じ。予防意識が高まった結果、今年はインフルエンザの感染者数もかなり抑えられています。

髙橋 飛沫感染なので、マスクと手洗い・うがいを徹底して、人ごみを避ければかなりの確率で防ぐことができます。中国滞在歴がある人とは、二メートルくらい離れればいい。子どもや高齢者、持病持ちの人は要注意ですが、健康な人はそんなに慌てふためくことはありません。

上念 咳やくしゃみをしたとき、口から飛び出す小さな水滴が飛沫で、これは二メートルしか飛ぶことができません。

髙橋 飛沫感染と飛沫核感染(空気感染)は間違いやすいので、注意が必要です。エアロゾル感染も飛沫感染の一種です。トイレで大便や嘔吐(おうと)物を流すとき、フタを閉めるように言われているのは、エアロゾル感染を防ぐためです。中国は野生動物を食べたり、ほかの先進国に比べて衛生意識が低い。新型肺炎も、古くから発生していた風土病の一種のような気がします。昔は交通網が発達していなかったから、拡散されなかっただけでしょう。

上念 タケネズミは殷(いん)の時代から食べていたようで、遺跡から骨が出土しています。「生物兵器」説もありますが、さすがに根拠薄弱で却下です。「兵器」というなら、もっと毒性の強いウイルスを使わないと。『生物兵器テロ』(宝島社新書)の共著がある軍事評論家の黒井文太郎氏も、生物兵器で重視されるのは「強い毒性」だとして、米国疾病予防管理センターが生物兵器使用危険度リストの「カテゴリーA」(最優先病原体)にリストアップしている天然痘ウイルス、炭疽菌、ペスト菌、ボツリヌス毒素などを挙げていました。その上で、コロナウイルスやインフルエンザウイルスは兵器としての使用に向いていないと結論づけています。
 そもそも、「感染力」と「毒性」は反比例する傾向にあります。つまり、多くの人類を死に至らしめるようなウイルスは見つかっていない。

髙橋 毒性が強いと、他人にうつす前に自分が死んでしまいますから。しかしコロナウイルスでも、公衆衛生がなっていない国で対応が遅れると、ここまで大混乱になることがわかりました。これで生物兵器のコスパが変化するかもしれません。
「感染者ゼロ」と言い続けている北朝鮮も脆弱(ぜいじゃく)でしょう。現在も新型肺炎で死者がいるでしょうが、死因は別の理由にしているはず。金正恩は糖尿病ともいわれているので、感染を極度に恐れているはずです。

上念 龍谷大学の李相哲教授の試算では、2月上旬で集中治療室に入っているのが23人、感染の疑いがあるのが400人余りいるそうです。うつるのが怖いから、瀬取りもできないらしい。

髙橋 北朝鮮は国境を封鎖し、中国からの人の移動を禁止しています。新型肺炎で国が潰れるという危機感があるんでしょう。でも、これによって国連による経済制裁の本当の効果が出てくるかもしれません。中国とウラ取引もやりにくくなるからです。

上念 やはり公衆衛生は、れっきとした安全保障です。その点、日本人の衛生意識は最強の安全保障といえます。

共産党崩壊の分水嶺

髙橋 中国政府は初期段階で情報を隠蔽し、初動が遅すぎました。武漢封鎖を1カ月前からやっていれば、ここまで大事には至らなかったはず。

上念 医療体制の脆弱性も露わになりました。患者が増えると現場が崩壊して、感染が拡大する。軍拡に使うカネがあるなら、医療や福祉を充実させないと国が崩壊しますよ。

髙橋 一党独裁は、情報公開に弱い。今回のような国内の混乱で共産党体制が崩壊する可能性はあります。そんななか、習近平は党の機関に「世論を正しく導け」と指示し、成果や現場で生まれる感動的な話を積極的に報道するよう求めたらしい。

上念 ソ連崩壊の引き金となったのは、チェルノブイリ原発事故の隠蔽でした。それと重ね合わせ、新型肺炎を〝チャイナ版チェルノブイリ〟と言っている人もいる。

髙橋 実際のところ、共産党が内部崩壊するかどうかは、「死者数」次第だと思います。死者数が少なければ共産党は結束するでしょう。分かれ目は5000人くらいかな、初動が遅れて5000人、さらに10000人以上が犠牲になれば、国民も黙っちゃいない。推計的にはあり得る数字です。

上念 習近平は李克強首相を対策チームのトップに命じました。李克強はチェルノブイリで情報公開を徹底させるよう指導したゴルバチョフのようになるチャンスですが、感染者は拡大する一方…。習近平から責任を押しつけられるだけでしょう。 すでに習近平は湖北省トップの蔣超良共産党委員会書記と、武漢市トップの馬国強党委書記を解任しています。

髙橋 いち早く警鐘を鳴らした眼科医の李文亮さんは、33歳の若さで亡くなりました。「デマを流した」として当局に処分されましたが、李さんの方が正しかったわけです。この死は国民の反政府、反共産党意識を強め、中国共産党内も、習近平以下は責任のなすり合いという見苦しいことになるでしょう。

上念 さらに国内では、「湖北人狩り」も横行しているようです。各地で自警団が結成され、湖北人を見つけて当局に付き出す。賞金がもらえるという話もあり、強制的な地方自治が進んでいます。

髙橋 習近平の4月の国賓来日は難しい状態です(※)。3月5日に開幕予定だった全人代(全国人民代表大会)も延期が決定しました。中国外交担当トップの楊潔篪(ようけっち)政治局員が来日するようですが、習近平の来日は東京五輪くらいになるんじゃないですか。冗談抜きで、習近平主席でもしっかり検疫し、ウイルスが日本に持ち込まれないように。

上念 五輪には各国の首脳が来日しますから、国賓待遇も「一人だけ国賓はムリ」と言って断れます。

髙橋 こうやって見ていくと、新型肺炎が習近平体制の〝終わりの始まり〟になるのかもしれません。

上念 武漢の封鎖は、当分解けそうにないですね。

髙橋 武漢の患者数が20万人以上だと、あと1、2カ月は患者数は増加する。その後は収束に向かいますが、なかなか落ち着かず、終息宣言は年内にできれば上出来でしょう。


※『WiLL』4月号発売時点(2020年2月26日)時点での状況です。

経済への影響はSARSの4倍

上念 武漢の近くにはハイテク産業の拠点でもある浙江省、広東省、河南省などがあり、サプライチェーン(供給網)の中心が止まってしまいました。
 また日産は武漢に現地法人が、河北省内に完成車工場などがあり、日産の世界生産の3割を占めるといいます。日産以外でも日本メーカーの中国での生産は、ホンダが全517万台のうち155万台、トヨタが全905万台のうち140万台を占める。部品も日本のメーカーは他国より中国からの調達比率が高いようですし、中国に生産拠点がある企業は大打撃間違いなしです。

髙橋 サプライチェーンをうつす企業も多く、簡単に戻ることはないでしょう。アメリカのウィルバー・ロス商務長官は、アメリカ企業が中国の生産拠点をアメリカに戻し、自国の経済に好影響になると言っていましたが、その通りですよ。

上念 中国経済はどうでしょう。

髙橋 旅行やバーゲンで賑わう春節に直撃したので、観光業や食品業は直接打撃を受けることになりました。中国のGDPのうち、約4割は消費です。このなかで新型肺炎で影響を受けるのは、食品、交通、教育文化娯楽など約半分。これらが1割減となることが予測されるので、GDPは2%低下するでしょう。

上念 となると、SARS以上でしょうか。

髙橋 ええ、SARSが直撃した2003年4~6月期の中国のGDP成長率は9.1%、直前の1~3月期から2ポイントも落ち込みました。米中貿易戦争の影響で、昨年のGDP成長率は6.1%。この数字も実際より嵩増ししているし、当時とは比べものにならないほど中国人の国内外の往来は盛んです。そして、感染者数はSARSよりも多い。もし全人代が開催されれば、今年のGDP成長率目標は、5%台か、ひょっとすると4%、3%台にせざるを得ないかもしれません。

上念 世界経済への影響はどうでしょうか。2月中旬の段階では、世界のGDPを1%程度引き下げるという予測が多い。

髙橋 SARSのときは中国の経済規模も現在より小さかったので、世界のGDP成長率を0.1%押し下げただけでした。ところが、中国の世界における名目GDPシェアは4倍──4.3%(2003年)から、15.7%(2018年)になった。
 今年の世界経済は、昨年よりマシになると思われていたんです。昨年の世界のGDP成長率は2.9%でしたが、今年は3.3%になるとIMF(国際通貨基金)が予測していた。でも中国の影響力が4倍なら、0.1%×4で、少なくとも0.4%は予測を引き下げなければならない。となると、昨年の2.9%以下に下方修正する可能性が高いでしょう。

上念 これで武漢の不動産の不買運動が起こって、不動産バブルが崩壊しないでしょうか。武漢の土地を担保にお金を借りている人は大変です。

髙橋 暴落するときに取引を停止して、取引がなかったことにするでしょう(笑)。人権無視で、倒産しても知りませんと。14億人のなかの1000万人都市ということは、日本でいえば100万都市が一つ消滅するというイメージです。中共ならやりかねません。

「コロナ補正」を急げ

上念 日本は観光業が痛手です。インバウンドの減少は、輸出減と同じ影響が。

髙橋 中国人観光客は、団体旅行客を中心に40万人がキャンセルしたようです。彼らは1回の来日で20万~25万円使うので、日本経済としては1000億円くらいの損失になる。中国人観光客を専門にやっていた人は、特に気の毒です。

上念 輸出が1000億円減ったのと同じですね。となると、補正予算でしょうか。ただでさえ、昨年10月の消費増税で景気は減速しているんですから。

髙橋 昨年10~12月期のGDPは年率換算6.3%減で、5四半期ぶりにマイナスになりました。これは、消費増税のためで、新型肺炎の影響は含まれません。ここにサプライチェーン切断や観光業の落ち込みなど、新型肺炎の影響がドーンと圧し掛かる。日本経済もかなりの打撃を受け、5月中旬に発表される1~3月期のGDP速報もマイナスでしょう。もし対応が後手にまわれば、安倍政権にとって致命傷になりかねません。1月末に2019年度の補正予算が成立し、2020年度の予算が審議されていますが、予算の修正か補正予算が必要です。今回の新型肺炎と消費税の影響も払拭できるでしょう。

上念 財源は国債でいいですね。いまはマイナス金利なので、国債は発行すればするだけ儲かる。

髙橋 前から言っていますが、100兆円の基金でもつくればいいんです。マイナス金利だから、2兆円くらいは儲かる。なぜやらないのか不思議です(笑)。

上念 償還期限が来たら返せば終わり。もちろん、金利はつきません。

髙橋 新型肺炎は正しく恐れ、正しい経済対策を打てば乗り込えられます。

髙橋 洋一(たかはし よういち)
1955年、東京都生まれ。東京大学理学部数学科・経済学部経済学科卒業。博士(政策研究)。80年に大蔵省(現・財務省)入省。大蔵省理財局資金企画室長、プリンストン大学客員研究員、内閣府参事官(経済財政諮問会議特命室)、内閣参事官(首相官邸)等を歴任。現在、株式会社政策工房代表取締役会長、嘉悦大学教授。2008年、『さらば財務省!』(講談社)で第17回山本七平賞受賞。ほかに『「文系バカ」が、日本をダメにする』(ワック)など著書多数。

上念 司(じょうねん つかさ)
1969年、東京都生まれ。中央大学法学部法律学科卒業。在学中は創立1901年の弁論部・辞達学会に所属。日本長期信用銀行、臨海セミナーを経て独立。2007年、経済評論家・勝間和代氏と株式会社「監査と分析」を設立。取締役・共同事業パートナーに就任(現在は代表取締役)。著書に『TOEICじゃない、必要なのは経済常識を身につけることだ!』(ワック)、『習近平が隠す本当は世界3位の中国経済』(講談社+α新書)、『経済で読み解く日本史』シリーズなど多数。

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