gettyimages (11188)

ウクライナ東部の2州に対して、「独立国家である」と宣言したプーチン大統領。その意図とは――。
本稿の情報は執筆時点(2月23日)に基づきます。
 ロシアのプーチン大統領はウクライナ東部の2州に対して、「独立国家である」との宣言をした(令和4年2月21日)。

 以前までは「同地域の発行したパスポートを公的旅券として認める」という程度であったものの、ロシア議会が同2州の独立承認を可決してプーチン大統領の裁可を保留していた状態であったが、今回、露大統領令にて独立を承認した。

 ウクライナという遠く離れた地域の出来事に対して、多くの日本人は対岸の火事を見物するような気持ちでいることだろう。しかし、武力による国際秩序の変更を国際社会が容認した場合、同時にそれは我が国の領土に対する武力行使も容認される可能性を示唆する。

「他国の施政地域の一方的な独立承認」という一見すると穏当な外観を装う手段が、どのようにして残酷な侵略戦争の遂行に使われてきたのか、その歴史的背景を説明しつつ、我が国の防衛について警鐘を鳴らしたい。

一方的な協定

 今月17日、オランダ王国のマルク・ルッテ総理大臣は、1945年から1949年のあいだ、インドネシアの再植民地化を目的に軍隊を派遣した侵略戦争について、
「オランダ政府を代表してインドネシアに深く謝罪する」
 と述べた。
 これに先駆けて2020年3月10日には、オランダ王国ウィレム・アレクサンダー国王がインドネシアを直接訪問し、インドネシア独立戦争中にオランダ軍が犯した数々の暴力について謝罪をしている(植民地政策についての謝罪ではない)。

 今回、ロシアが東ウクライナの2州をそれぞれ「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」であると称して独立承認を一方的に行った。この2カ国でノヴォロシア人民共和国連邦であるとし、さらに隣接する地域についても編入を主張した経緯は、インドネシアの再植民地化を狙ったオランダの動きと酷似(こくじ)している。

 1945年8月15日、大日本帝国がポツダム宣言受諾すると、日本の軍政下にあったインドネシアではかねてから独立準備がされており、2日後には「インドネシア独立宣言」が発表された。その際に使用された年号は西暦ではなく、我が国の神武天皇御即位2605年(西暦1945年にあたる)にインドネシアが独立したことが明記されていた。
 また、独立宣言の草稿自体が日本軍人である前田精(ただし)らの助力に依り、独立宣言の場に複数の日本軍人が参列するなど、「アジアの自主独立の尊重」と「人種差別の撤廃」が日本の戦争目的であると大東亜共同宣言で公表された通りの様相を示していた。


 これに対して、ナチスドイツのザイス・インクヴァルト親衛隊大将の施政下から米英軍らによって解放されたばかりのオランダは、国力の回復を狙い、独立を宣言したインドネシア共和国に対して、「インドネシア連邦共和国構想」を提案し、リンガジャティ協定の締結を要求した。

 この協定は、
「インドネシアは、独立を宣言したインドネシア共和国を含む6つの独立国家と9つの自治領によって連邦をつくり、この連邦とオランダは連合するものである」
 というものだ。
Wikipedia (11189)

「インドネシア独立宣言」の草稿案に寄与した前田精
via Wikipedia

分離工作をして独立宣言

 そして、実際にオランダは、親オランダ地域に1946年以降、次々と独立宣言をさせて独立国家として承認し、スカルノらによって独立したインドネシア共和国は広大なインドネシア連邦の一部に過ぎないとの立場を明らかにした。

 独立宣言をしたインドネシア共和国に軍隊を派遣すれば、「侵略戦争」であるとの非難は免れない。そこで、オランダ植民地政策によって利益を得ていた地域に分離工作を行い、独立国家として承認し、これらの傀儡(かいらい)国家が「インドネシア共和国から侵略を受けている」との外観をつくり出した。

 そして、「防衛を要請された」という建前で軍隊を派遣し、以後4年間にわたって累計80万人以上のインドネシア共和国の人々を犠牲にした侵略戦争を始めた(※一般に、我が国の保守派はインドネシア独立宣言の様相と、独立戦争に日本人義勇兵が参戦して生命を捧げた史実から「インドネシアは親日」であるとの印象を持っているが、前記までの歴史から必ずしもそうではない。「インドネシア」という地域には、オランダの植民地政策を肯定するインドネシア人と、独立を要求するインドネシア人が混在しており、後者が独立戦争で勝利したことによって、現在のインドネシア共和国が成り立つ歴史を持つ。よって、必ずしも国家で統一された歴史観を持つというわけではない)

 以上の経緯から、
「侵略したい地域に軍隊を派遣するのではなく、まず分離工作をして独立宣言をさせて承認し、この独立国家から防衛を要請されたとの外観をつくり出した上で、軍隊を派遣し侵略戦争を行う」
 というスタイルは、今回のロシアのみならず、昔から採用されている手法だということが理解できる。
Wikipedia (11191)

インドネシア初代大統領のスカルノ
via Wikipedia

非合法の侵略

 現在の日本では、侵略と進出の区別がついていない。
 だから、今回のロシアの「ウクライナ2州独立承認」について、メディアも正しい報道をしていない。しかし、法律上、侵略と進出の区別は容易に可能である。

 宣戦布告による交戦上の占領は別にし、条約を締結した上での領土編入は合法である「進出」であり、条約締結のない占拠が「侵略」である。

 具体例として、我が国は明治以降、台湾(1895年の下関条約の締結で領土編入)、南樺太(1905年のポーツマス条約で領土編入)、朝鮮(1910年の日韓併合条約で領土編入)、南洋諸島(1919年のヴェルサイユ条約で委任統治領)があり、1951年のサンフランシスコ条約で、これらの地域の施政権放棄、またサンフランシスコ条約未締結だった大韓民国に対して、1965年の日韓基本条約で「日韓併合条約」を無効にした。

 ところが、オランダのインドネシア植民地化や、ロシアのウクライナ東部2州の侵略について条約締結はない。
 条約とは法であり、法とは合意の有無をあらわす。英語においても、植民地化(colonialize)は「To take control of an area or country that is not your own, especially using force.」であると説明され、「力の行使」によって行われるという意味を持つ。
 しかし、条約締結による領土編入は「merge」と言い、合法である意味を持つ。


 以上、近代以降の我が国の新領土獲得は戦時下の交戦を除き、すべて合法に獲得し、また合法に放棄したといえる。条約締結による領土変更とは、統治されることまたは統治を終了させることについての「同意」を意味するからだ。

 つまり、法的概念を理解できる人々からしてみれば、その領土政策が合法であるか、非合法な犯罪であるかは一目瞭然なのである。

 かつての満洲国は、「清国」という国をつくり上げていた女真族という民族と、漢族という言葉も文化も国も全く異なる民族が混在していた地域で、女真族の国として満洲国の建国を手助けし、バチカン市国などを含む国連加盟国の多くの独立承認を得ている。ところが、今回の東ウクライナの状況は全く異なっている。
「同じ民族同じ言葉同じ文化」に対して分断工作を行い、「統治される同意」なく、派兵を推し進めたのである。

新しい侵略戦争のあり方

 この一部地域を独立させるやり方は、「新しい侵略戦争のあり方」として、歴史的にスキーム化されている。これを「もし、沖縄や北海道で行われたら」という想像をしてみてほしい。

 公安調査庁が発行する「内外情勢の回顧と展望」(令和2年1月)には、次の記述がある。

《普天間飛行場の辺野古移設反対派による沖縄現地などでの集会・デモに活動家が参加し、「沖縄解放」などと訴えた》(72頁)

 我が国の地方議会や一部地域が分離工作によって占拠され、その地域で独立宣言が一方的になされて、これが敵対国によって承認された場合、侵略はたちまち「防衛」だと主張される。ウクライナがいま直面している危機は、決して対岸の火事ではない。明日のわが身である。

 外国人地方参政権や、審査基準が諸外国に比して、ずさんであるとの批判がある帰化政策は、我が国の未来に何をもたらすのだろうか。それは、「戦争」を目的にしたものであるとの一層強い警戒が必要である。
gettyimages (11192)

普天間飛行場周辺では、集会やデモに活動家が参加しているという
橋本 琴絵(はしもと ことえ)
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第五区より立候補。令和3(2021)年8月にワックより初めての著書、『暴走するジェンダーフリー』を出版。

関連する記事

関連するキーワード

投稿者

この記事へのコメント

コメントはまだありません

コメントを書く